「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)
■……するだけの一日、……のみの日々
「……するだけの一日」みたいな言い回しがあるが、
いかにも、虚しさやけだるさを安易に書きました、という歌になってしまいそうで、使いにくいフレーズだと思う。
しかし、歌人なら、そういうフレーズを自分なりにアレンジしたいと思うことがある。
この「いかにも感」を「手放しな表現」に転じるとか、「……だけの一日」がベタであるぶん、奇抜な表現を工夫するとか……。
そう思えて、検索してみた。
結果、「……だけの一日」に類する表現を含む歌は思いの外たくさんあった。
なかなかおもしろかった。
出典のあやしいもの等を除いてアップしておく。
小麦粉を無限に食べていくだけの動画のような一日でした。
土岐友浩『ナムタル』
海沿いにひるがえっているTシャツとただ吹くだけの風の一日
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』
何もしたくはない朝コーヒー一杯が冷めるのを待つだけの一日
石井僚一 第57回短歌研究新人賞受賞作2014
家へ帰るただそれだけがたのしみにてまた一日の勤めをはれり
ルビ:家【うち】、一日【いちにち】
筏井嘉一『荒栲』
新じゃがと新たまねぎがベランダで日焼けしていくだけのいちにち
山階基「風にあたる拾遺2010-2012」
うちにいるだけの休日めずらしくめずらしがっているうち終わる
山階基「風にあたる拾遺」(「未来」2016・6)
普通授業終了 連絡黒板に「式練」「学活」だけ並ぶ日々
千葉聡『飛び跳ねる教室』
直近の愛だけ思い出しながら生きていく日々それだけがいい辻井竜一『遊泳前夜の歌』
日に三度飯食ひしのみにをはりぬとことしの夏を弔ふわれはルビ:飯【めし】小池光『時のめぐりに』
同世代なる不安定要素のみ全身に溜め日々の飼育は
藤原龍一郎『切断』
終日を暗渠に水の流れゆく音 そう、流れゆくだけの音その
藤原龍一郎『19××』
老身に汗ふきいづるのみにてかかる一日何も能はむルビ:老身【ろうしん】、一日【いちにち】、能【あた】斎藤茂吉『つきかげ』
ビジネスに追はれ鯨にいやされる比率がかはるだけの毎日
荻原裕幸『デジタル・ビスケット』(『永遠青天症』)
何もない一日ばかりが玄関の郵便受けに溢れる四月
植松大雄『鳥のない鳥籠』
てのひらに掬へば零れゆくばかり水もま水のやうなる日々も
木下こう『体温と雨』
★なお、上記には含まれないが、「だけ」や「のみ」と「日」を使う構文でも、虚しさでなくて、充実感を表すケースがまれにある。それは以下のような歌だ。
ごつごつのエゴン・シーレを見たるのみ冬の一日ここにきはまる
永井陽子『てまり唄』
猫らしくとびはね眠り食ふだけの毎日だけど幸福だつた
西田政史『ストロベリー・カレンダー』
これをタイプBとし、さっき上の方にあげたような虚しさを表すものをタイプAとしよう。最初、BとAは異質だ、と思った。
しかし、考察には次のステップがあった。
虚しさとも充実感とも判別できない境地を表現する歌があることに気づいたのである。
両極が重なることこそが肝であるような歌が存在する。これをタイプCとしよう。
球速の遅さを笑い合うだけのキャッチボールが日暮れを開く
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
いちまいの毛布洗いぬそれのみに四月の晴れのひと日つかいて
長谷川径子『固い麺麭』
空爆のけはひあらざるあをぞらのどこまでもあをばかりの一日
荻原裕幸『あるまじろん』
ゆびさしたほうにかならず星がある それだけがよく、それだけの日々
笹井宏之『てんとろり』
タイプCの存在に気づいてから読み直したら、上の方に並べたタイプAの歌にも、微弱なタイプCがあるような気がしてきた。
いずれにせよ、タイプCの発見が、今日の収穫である。
2023・9・14
追記9/17
「だけ」「のみ」という語を使わないが、同じような意味合いの歌は、ほかにもいくらでもある。たまたま見つけたので追記しておく。
何もせずに過ぎてしまったいちにちのおわりににぎっている膝の皿穂村弘『水中翼船炎上』
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)
■……するだけの一日、……のみの日々
「……するだけの一日」みたいな言い回しがあるが、
いかにも、虚しさやけだるさを安易に書きました、という歌になってしまいそうで、使いにくいフレーズだと思う。
いかにも、虚しさやけだるさを安易に書きました、という歌になってしまいそうで、使いにくいフレーズだと思う。
しかし、歌人なら、そういうフレーズを自分なりにアレンジしたいと思うことがある。
この「いかにも感」を「手放しな表現」に転じるとか、「……だけの一日」がベタであるぶん、奇抜な表現を工夫するとか……。
そう思えて、検索してみた。
この「いかにも感」を「手放しな表現」に転じるとか、「……だけの一日」がベタであるぶん、奇抜な表現を工夫するとか……。
そう思えて、検索してみた。
結果、「……だけの一日」に類する表現を含む歌は思いの外たくさんあった。
なかなかおもしろかった。
出典のあやしいもの等を除いてアップしておく。
なかなかおもしろかった。
出典のあやしいもの等を除いてアップしておく。
小麦粉を無限に食べていくだけの動画のような一日でした。
土岐友浩『ナムタル』
海沿いにひるがえっているTシャツとただ吹くだけの風の一日
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』
何もしたくはない朝コーヒー一杯が冷めるのを待つだけの一日
石井僚一 第57回短歌研究新人賞受賞作2014
石井僚一 第57回短歌研究新人賞受賞作2014
家へ帰るただそれだけがたのしみにてまた一日の勤めをはれり
ルビ:家【うち】、一日【いちにち】
筏井嘉一『荒栲』
ルビ:家【うち】、一日【いちにち】
筏井嘉一『荒栲』
新じゃがと新たまねぎがベランダで日焼けしていくだけのいちにち
山階基「風にあたる拾遺2010-2012」
山階基「風にあたる拾遺2010-2012」
うちにいるだけの休日めずらしくめずらしがっているうち終わる
山階基「風にあたる拾遺」(「未来」2016・6)
山階基「風にあたる拾遺」(「未来」2016・6)
普通授業終了 連絡黒板に「式練」「学活」だけ並ぶ日々
千葉聡『飛び跳ねる教室』
千葉聡『飛び跳ねる教室』
直近の愛だけ思い出しながら生きていく日々それだけがいい
辻井竜一『遊泳前夜の歌』
日に三度飯食ひしのみにをはりぬとことしの夏を弔ふわれは
ルビ:飯【めし】
小池光『時のめぐりに』
同世代なる不安定要素のみ全身に溜め日々の飼育は
藤原龍一郎『切断』
藤原龍一郎『切断』
終日を暗渠に水の流れゆく音 そう、流れゆくだけの音その
藤原龍一郎『19××』
藤原龍一郎『19××』
老身に汗ふきいづるのみにてかかる一日何も能はむ
ルビ:老身【ろうしん】、一日【いちにち】、能【あた】
斎藤茂吉『つきかげ』
ビジネスに追はれ鯨にいやされる比率がかはるだけの毎日
荻原裕幸『デジタル・ビスケット』(『永遠青天症』)
荻原裕幸『デジタル・ビスケット』(『永遠青天症』)
何もない一日ばかりが玄関の郵便受けに溢れる四月
植松大雄『鳥のない鳥籠』
植松大雄『鳥のない鳥籠』
てのひらに掬へば零れゆくばかり水もま水のやうなる日々も
木下こう『体温と雨』
木下こう『体温と雨』
それは以下のような歌だ。
ごつごつのエゴン・シーレを見たるのみ冬の一日ここにきはまる
永井陽子『てまり唄』
永井陽子『てまり唄』
猫らしくとびはね眠り食ふだけの毎日だけど幸福だつた
西田政史『ストロベリー・カレンダー』
これをタイプBとし、さっき上の方にあげたような虚しさを表すものをタイプAとしよう。
西田政史『ストロベリー・カレンダー』
これをタイプBとし、さっき上の方にあげたような虚しさを表すものをタイプAとしよう。
最初、BとAは異質だ、と思った。
しかし、考察には次のステップがあった。
しかし、考察には次のステップがあった。
虚しさとも充実感とも判別できない境地を表現する歌があることに気づいたのである。
両極が重なることこそが肝であるような歌が存在する。これをタイプCとしよう。
両極が重なることこそが肝であるような歌が存在する。これをタイプCとしよう。
球速の遅さを笑い合うだけのキャッチボールが日暮れを開く
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』
いちまいの毛布洗いぬそれのみに四月の晴れのひと日つかいて
長谷川径子『固い麺麭』
長谷川径子『固い麺麭』
空爆のけはひあらざるあをぞらのどこまでもあをばかりの一日
荻原裕幸『あるまじろん』
ゆびさしたほうにかならず星がある それだけがよく、それだけの日々
笹井宏之『てんとろり』
タイプCの存在に気づいてから読み直したら、上の方に並べたタイプAの歌にも、微弱なタイプCがあるような気がしてきた。
いずれにせよ、タイプCの発見が、今日の収穫である。
荻原裕幸『あるまじろん』
ゆびさしたほうにかならず星がある それだけがよく、それだけの日々
笹井宏之『てんとろり』
タイプCの存在に気づいてから読み直したら、上の方に並べたタイプAの歌にも、微弱なタイプCがあるような気がしてきた。
いずれにせよ、タイプCの発見が、今日の収穫である。
2023・9・14
追記9/17
「だけ」「のみ」という語を使わないが、同じような意味合いの歌は、ほかにもいくらでもある。たまたま見つけたので追記しておく。
「だけ」「のみ」という語を使わないが、同じような意味合いの歌は、ほかにもいくらでもある。たまたま見つけたので追記しておく。
何もせずに過ぎてしまったいちにちのおわりににぎっている膝の皿
穂村弘『水中翼船炎上』