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2026年7月29日水曜日

ちょびコレ36 ◯、◯、◯

 「ちょびコレ」とは、

「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。

■◯、◯、◯……

今回は「◯、◯、◯」というような3連以上の畳み掛けを含む歌を集めてみました。

私の近現代短歌データベース「闇鍋」に本日は短歌が約13万首入っています。
うち「◯、◯、◯」のような畳み掛けを含む歌は37首ほどありました。
少しピックアップします。
・「、」を挟まないで畳み掛ける例は検索しづらいため、たまたま見つけたものを拾いました。
・「◯」は1文字としますが、2文字が交じるのも一部許容しました。
・「た、た、たいへんだ」のようなものは除外しました。
・順不同です。

自然がずんずん體のなかを通過する――山、山、山
ルビ:體【からだ】
前田夕暮『水源地帯』1932

この歌が、私のデータベースの中で一番古い「◯、◯、◯」の用例です。

夏、夏、夏、露西亜ざかひの黄の蕋の花じやがいもの大ぶりの雨
北原白秋『海阪』1949

壁、壁、壁しづけさまさりおさへられおさへられつつつかれてゐるも
加藤克巳『螺旋階段』

家、家、家ってなんだろう電気、ガス、水道、物が詰まって、人、家族
花山周子『林立』


前を行く首、首、首に汗は照り博労町をデモは過ぎゆく
吉川宏志『石蓮花』

先波を越ゆる後波、波、波、波、無量の波が陸に迫りく
ルビ:
先波【さきなみ】 後波【あとなみ】
高野公彦『天平の水煙』

そとはあめ、雨、雨、氷雨、皮膚に皮膚よせて樹木は情を知りそむ
佐藤弓生『薄い街』

額縁店の壁に我、我、我、我、我、我を充てよと額のひしめく
真野少『unknown』

エスカレーターにせり上がりくる顔顔顔 朝のホームは魔術師である
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』
この例は「、」がありませんが、同類とみなして混ぜておきます。

空、空、空 ラウインゲンの空青く午後十時半くれてゆくなり
田中徹尾『和の青空』2025

ひとときの現象として在るのみの空、空、空を抱ける腕
ルビ:腕【かひな】
久我田鶴子『クロツグミ』2026

僕たちの運ぶ辞典の頁、頁、膨らみだして港が近い
千種創一『砂丘律』2015
2回しか畳み掛けてないけどなんだか3回ぶんインパクトあり。

虹、虹、虹、送電線は彼方から彼方の虹を送りつづける
ルビ:
彼方【かなた】
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』

ダウンライトに後ろをさらす首、首、首、ほの白くて折れやすそうな
法橋ひらく『それはとても速くて永い』2015

シャガールの青青青瞳孔を見開いたまま一生を見た
天道なお『NR』2013

尾、頭無し、尾、頭無し、尾、頭無し、尾、頭無し、ねむい教室
加藤治郎『噴水塔』


全体として、特にコメントの必要はなさそうで、どれも一定の効果を出しているように思います。

加藤治郎の「尾、頭無し……」のように意外なものの畳み掛けがもっとあっていい、と思いました。(注文の多い読者)

今回はここまで。

「◯、◯」を探したら、「花鳩豆…」的な列挙型の畳み掛けの歌をたくさん見つけてしまいました。
すごく面白いけれど、多いので、分類しながら取捨選択するのが大変そうなので、今回は見送ります。
いつか機会があれば・・・。

高柳蕗子

2025年3月24日

2026・7・24追記
自分の歌ですが、条件ぴったりなので追加します。

半音ずつ低くなる空 空 空 空【♭♭♭】 これからいっぱい怖い目にあう
※空 空 空に♭♭♭とルビが付きます。
高柳蕗子『雑霊のシナプス』2026












2025年5月19日月曜日

ちょびコレ38 舌を出す

 


「ちょびコレ」とは、
「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、

そんな、ちょっとした短歌コレクションです。


だいぶ前に、「短歌の中で舌がすること」というミニコレクションをやりました。
そのときは、「舌」としては珍しい行為などを詠む歌を集めました。

しかし、「舌」というのは、作者読者ともにそそられる題材で、行為自体が珍しくなくても、レアな名歌を詠めちゃうみたいです。
ですので、今回は「舌を出す」ということに絞って、歌を集めてみました。

※検索語句は「舌+出」「舌+[だす]の各活用形」「べろ+出」等々、舌を出すということを詠んでいそうな歌を拾えるように工夫して検索し、あとから対象外の歌を取り除きました。

※舌を出すことを詠んでいても、「舌orべろ」と「出or[だす]の各活用形」を含んでいない歌は拾えません。)


本日の闇鍋データ総数 181,243歌句
うち 短歌      132,197首
うち、「舌を出す」ことを詠み込んだ歌 32首

以下、そこから本日の好みでピックアップします。
まずは近代歌人の2首。

すつぽりと蒲団をかぶり、
足をちゞめ、
舌を出してみぬ、誰にともなしに。
石川啄木『悲しき玩具』

蠅來ればさと繰出すカメレオンの舌の肉色瞬間に見つ
ルビ:繰出【くりいだ】
中島敦 青空文庫(「中島敦全集2」筑摩書房「河馬」)


和歌の時代、「舌」って詠まれていなかったと思います。少なくとも、見たことないです。
 ※ただし、俳句では古典でも「牛の舌」だとかを見かけるし、また、古川柳や狂歌でも「舌」は詠まれています。

今回あらためて「舌」の歌をさがしてみたところ、近代の歌人たちはけっこうたくさん詠んでいて、「短歌」の言葉の世界では新鮮な題材だったと推測されます。

上記の啄木の歌もそうですが、詠まれているシチュエーションもかなり人間的です。(和歌の時代で人間臭いネタはほぼ恋の歌だけ。)

今まで歌に詠まなかった題材は「写生」という観点からも新鮮だったはず。上記の中島敦のカメレオンの舌の色を詠む歌には、そうした表現の喜びが感じられます。

参考例(近代の「舌」の歌。舌を出す歌ではない)

鬪はぬ女夫こそなけれ舌もてし拳をもてし靈をもてする
ルビ:女夫【めを】 靈【れい】
森鴎外『沙羅の木』

おそらく夫婦喧嘩を詠んでいるのでしょう。
「舌もて」は舌戦、「拳をもて」は文字通り。「靈をもて」はご先祖まで振りかざしての大騒ぎ、という意味でしょうか。

この坂は霧のなかより
おほいなる
舌のごとくにあらはれにけり。
宮沢賢治 ちくま文庫 宮沢賢治全集3 


近代の人の表現意欲ってすごいなと感じてしまった本日ただいまの気分で、内容というより、表現欲の強さを感じるかどうかで、以下、現在の歌人の「舌出し歌」をピックアップ。

唇がかくしてる舌ひきだして玉藻のような時がはじまる
加藤治郎 『噴水塔』2015

「玉藻のような時」って何でしょう?
「舌」といえばなまめかしいイメージ。そこにプラスして玉藻といえば……、脳内にサーチをかけると、万葉集の用例から、波間でゆれる藻のように撚り合わさるイメージ※と、「玉藻前」(九尾の狐)から妖艶なイメージも少し加わる感じ、だと思います。

※玉藻といえば万葉集によく出てくる。枕詞の「玉藻なす」は、「浮かぶ」「寄る」「なびく」にかかる。さらに思い浮かんだのが(たまたま知ってただけだが)、柿本人麻呂の「石見国より妻に別れて上り来し時の歌」の一節だ。
「……和田津の荒磯の上にか青なる玉藻沖つ藻朝はふる風こそ寄せめ夕はふる波こそ来寄せ波のむたか寄りかく寄る玉藻なす寄り寝し妹を……」

舌だしたまんま直滑降でゆくあれは不二家の冬のペコちゃん
穂村弘 『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』


舌を出すものといえば「犬」、「貝」、「化け傘」などなどありますが、「ペコちゃん」もそのひとつです。
人物描写のおもしろい歌。外見の描写だけでなく、主体は誰かにこう話しかけていて、それがスキー場を自分たちの街にするようなニュアンスを含んでいます。
だから描写されているのは、ぺこちゃんみたいな人だけでなく、それを見ている二人の素敵な時間だと思われます。そこがこの歌の並じゃない点でしょう。

ああ、雪 と出す舌にのる古都の夜をせんねんかけて降るきらら片
光森裕樹 『山椒魚が飛んだ日』

「舌で雨や雪を味わう」という趣向は時々見かける気がしています。(そのように詠む短歌は実際にはそう多いわけではなく、たまに見る程度です。)
よくよく思い出してみると、教科書で西脇順三郎の「雨」という詩に出会ったのがその最初だった気がします。
 南風は柔い女神をもたらした。
 青銅をぬらした、噴水をぬらした、
 (中略)
 この静かな柔い女神の行列が
 私の舌をぬらした。

一方、「古都の雪」というと観光地を語る文脈を思わせる面がありますが、この歌の場合、「舌で味わう」ことで、主に視覚で味わう世間一般の観光のステレオタイプな体験を超えたものがある気がします。

地球の水分は太古から、雨雪やら河川や海に姿を替えて巡っているもので、その一部は生物の身体(もちろん人間も)を通り抜けます。姿によって異なるイメージを持ち、また地域ごとに歴史その他の特性による情緒も帯びます。古都の雪はその一形態で特に完成されたものでしょう。
歌はそんなことまで言っていませんが、そうした大きな把握が認識の底にある気配はします。詩歌における「雨や雪を舌であじわう」は、そうしたことをそれとなく感じさせる可能性があると思います。

 
舌先を愚者みたいにつきだせば冬のおわりのあおぞらにがい
ルビ:愚者【フール】
佐藤弓生 『薄い街』

「舌を出す」のは、相手を馬鹿にするしぐさでもありますが、「愚者みたいに」というのは、無邪気さのニュアンスでしょうか。また、「空に向かって舌を突き出したら苦かった」というのは、ちょっと「天に唾する」(人に害を与えようとして、かえって自分に災いが及ぶこと。また、自分より上位に立つ者を冒涜するような行為)おろかさにも通じそうです。
空をなめるとは、世界をなめてかかった愚かさ、という意味を含んでもいそうです。

「冬のおわり」は春の直前。季節がこれからまた最初からやり直しになる直前の空は、なるほど、だいぶ苦くなっちゃっているのでしょう。

ぐわぐわとつつじひらけり陽のもとに押し出されゆくくれないの舌
鈴木英子 『油月』


種類によって色や形は違うだろうが、この歌で思い浮かぶのは、鮮やかな紫がかったピンクのつつじ。
花はみんな世界に押し出て咲くパワフルなものですが、つつじは花の中まで同じ色で、たくさん咲くところも、パワーを感じさせます。
「ぐわぐわ」「くれないの舌」という感受には、つつじそのもののパワーと、見るものの心境の反映とが出会った相乗効果を感じさせ、それがそのまま歌のパワーにもなっているとも思います。


舌を出す、とは書いてないけれど、「舌は出島」という意味の次の歌も面白くて、ちょっと捨てがたいです。

肉体が幕府であれば刺激もとめやまざる舌はさながら出島
小池光 『日々の思い出』


「肉体が幕府であれば」という着想が実におもしろいです。
なるほど、人体は混じり合わない鎖国状態で、一人ひとり、自我によって統治されています。
そして、「舌」の役割のひとつが「話すこと」ですが、「出島」と言えば、江戸時代の鎖国政策下において、日本と西欧との唯一の貿易窓口として機能していた場所ですから、この歌、言われてみればまったくその通り、というほかありません。



「舌」は実におもしろい題材です。
また、別の切り口から考察してみたいです。

2025・5・19


2025年3月25日火曜日

ちょびコレ37 特殊算(◯◯算)

 「ちょびコレ」とは、

「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、

「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。


■特殊算

今回は、旅人算、植木算などの特殊算を詠み込んだ歌のコレクション。
調べたらけっこういろいろあった。

検索語は
流水算、鶴亀算、植木算、旅人算、仕事算、和差算、売買算
時計算、集合算、日暦算、覆面算、虫食い算
および、その仮名表記(ふくめん算など)

本日の闇鍋短歌データ 総数約131,500首
うち、特殊算名を含む歌は以下の10首でした。

【旅人算】
旅人算こころみる冬の室内に思うわたしのあしの速さを
柳谷あゆみ 『ダマスカスへ行く 前・後・途中』2012

旅人算ノートに途中まで解かれ地球のどこかが凍えておりぬ
鶴田伊津『夜のボート』2017

思い出す旅人算のたびびとは足まっすぐな男の子たち
江戸雪『椿夜』2001

【流水算】
まづ脛より青年となる少年の真夏、流水算ひややかに
塚本邦雄『綠色研究』1965

ていねいに図を描くのみの答案に流水算の舟すれちがふ
光森裕樹 『鈴を産むひばり』2010

どの場所からでも流されてしまう生活は下りの速い流水算
山下一路『スーパーアメフラシ』2017

【鶴亀算】
タートルはトータル何匹いるでしょう鶴亀算は足がいっぱい
岡田美幸『現代鳥獣戯画』2019

わからないもののひとつに鶴亀算なにことさらに脚を数える
山中もとひ 『〈理想語辞典〉』2015

【植木算】
植木算は木を描きながら解くのだと子は言う枝に葉をつけながら
広坂早苗『未明の窓』

【虫食い算】
〈虫くい算〉さわやかにわが脳葉に展がりゆける火の秋の空
永田和宏『メビウスの地平』



★俳句も発見
蝶や果つなべて旅人算の外に
ルビ:外(げ)
九堂夜想「LOTUS」(第41号)


なお、ネットで調べてみたら、トンネル算、長椅子算というのもあるようだ。

勝手に、架空の特殊算を作って一首詠む、という題詠やったらおもしろそうだなあ。
恋愛算 不倫算 風邪引き算、ダイエット算、鼻毛算、密室算、激辛算なんちゃって。

高柳蕗子 2025・3・25

2025年1月29日水曜日

ちょびコレ25 レジ袋

 「ちょびコレ」とは、

「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。

(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)

レジ袋

(この項、2024年9月に公開しましたが、加筆して
 2025年1月に公開し直しました。)


最初にいちばんのお気に入り1首

この星に投身をする少女のように海底へ降りてゆくレジ袋

(題詠「塵も積もれば」)
山下一路 「かばん」2020.3
『世界同時かなしい日に』2024に収録

 題詠イベント「塵も積もれば」に出詠して最高点をとった歌。

 哀切で美しいが、「塵も積もれば」という題を考えると、このレジ袋は海に蓄積する汚染物質であると思い当たるだろう。そのレジ袋を「投身をする少女」に見立ることの意味が、じわじわ解凍されて来ないか。

 「投身をする少女」という擬人化は、哀れなレジ袋の無念を感じさせるが、その無念は粗末に捨てられたためだけではなかろう。環境汚染の言説におけるレジ袋は、いつも「悪者」扱いだが、もとは石油という地球のまっとうな成分であり、人間によって、土にも海にも還れぬ汚染物質に変えられたのだ。「投身」という言葉選びには、そのことへの幽かなあてつけが含まれると思う。

 さらに、「投身」は、人間に跳ね返って来る。環境破壊は自滅行為だからだ。そう知っていてもやめられぬ人類の矛盾。一人ひとりは否応なくこの自滅行為に加わる。投身のレジ袋たちは、私たちの細分化された自殺の図ではないのか、というふうに、環境問題としての深読みにも踏み込んでいけそうである。


 故人である作者の意図はもう問えないが、山下一路の他の歌にも、こうした手の込んだ悲しい皮肉を見出すことができる。  まじめに深刻な事態を訴える社会派の「手の込んだ皮肉」。 -- 一般的に社会的な問題を詠む場合、その「まじめな意図」を詠みおおせることがメインの目的で、表現の詩性はわかりにくさを回避するために抑えめになりがちだ。が、山下の歌では、皮肉表現の詩的価値が高い。このことに何度となく驚かされた。


さて、では、いろいろなレジ袋の歌をみてみよう。

●レジ袋を持って

大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋
俵万智 『サラダ記念日』

レジ袋を詠む歌の中で比較的多い取り上げ方は、レジ袋を下げて歩くシチュエーションだ。それはたいてい、日々の食料や必需品を買って帰るところであって、日常の平穏、ささやかな幸福感を描く。

スーパーの袋をさげて歩み来る敵将の首を下ぐるごとくに
沖ななも『白湯』
ちょっと奮発してメロンなどを買ったかな?

スーパーの薄い袋を柑橘で充たして運ぶ春の自転車
嵯峨直樹『半地下』

二人で持つシチュエーションは、二人の関係などを表す。

感情の作り置きってできないと言いあいながら持つレジ袋
小野田光 『蝶は地下鉄をぬけて』

さみしさを二等分してレジ袋あなたの方がわずかに重い
toron*『イマジナシオン』


こういう歌もあった。
二種類のインスリンも入るレジ袋柿の実色づく道を帰りぬ
足立晶子『はれひめ』2021

「インスリンも」の「も」には、「いつもなら夕飯の食材など楽しみなものが入っているのに」という気持ちの省略が込められている。

毛色の違う歌を見つけた。

レジ袋右手から左手にもちかえる木幡神社の大楠の手前
谷口純子 『ねずみ糯』2015


 神社の大樹の前で、レジ袋の持ち手を変える。--これも日常場面を詠む歌だが、なんだか記述以上のことを感じる。
 上の句では左右の手の動きを述べ、下の句では遠い視点からの絵に切り替わるという、ふたコマの絵になっていることがミソだと思う。  
 スーパーの袋(食料などが入っている)を下げて歩くヒト。その手が疲れたか、ちょっと持ち替えてまた歩き出す。(「右手から左手に」の字余りは、持ち替える動作を感じさせて効果的だ。)
 それは、神社の前、樹齢何百年の大樹の前だ。命を超越する神、タイムスパンの長い大楠、そしてせいぜい百年しか生きない人間、という、異質な存在の3者がたまたま重なる。
 そういういわば概念の奥行きのある構図の中で、ヒトが手の疲れというとても小さな問題を解決する。そんなささいな音もない一瞬の命の現場、という実にさりげない臨場感。
 非常に精密な歌であると思う。 

●半透明

レジ袋の多くは半透明だが、まだ「半透明」という特徴を詠む人は少ないようだ。

半透明レジ袋ゆゑうつすらと中身の見えてこれはアボガド
喜多昭夫
『青夕焼』

アボカドの濃すぎる緑とパプリカの黄に紗をかけているレジ袋
喜多昭夫『いとしい一日』2017

※「紗(しゃ)をかける」という言葉を知らなかったので調べました。
紗とは生糸の織物の一種、透過性のある細い糸で荒く織り込まれた布。レンズに被せて被写撮影し
写真のイメージをソフトにすること。


●レジ袋が生き物などに見える

兎ひとつ座れる形にレジ袋ベンチにありて夕暮れてゆく
小潟水脈『時時淡譚』

枯れ枝にはためく白い木蓮はずっと前からレジ袋だった
千種創『砂丘律』2015

ワタシ的あるあるは白猫。
足元に白猫がいて、踏まないように跨いだらレジ袋とか、
白猫が阿波おどりしてると驚いたがレジ袋だったとか。


●先行きの不安

レジ袋が生き物にみえることに関係すると思うが、風に翻弄されてふと命を帯び、舞い踊りながら飛ばされていく姿は、先行きの不安を感じさせることもある。

風に舞うレジ袋たちこの先を僕は上手に生きられますか
従順なレジ袋たち河口まで運ばれふいに惑いはじめる
法橋ひらく 『それはとても速くて永い』2015

秋の道ひかりを抱いてぱるぽるとレジ袋ひとつ転がりてゆく
千葉弓子@ちば湯「かばん」2025年1月号新春題詠「袋」
※作者名は1月号にはなく、後日明かされた。

 この歌は、一見幸福感を詠んでいるように見える。が、今は期待に膨らんで「ぱるぽる」と楽しげに転がっていくレジ袋には、悲しい末路しかない。じきに希望の光は消えて残酷な未来が来てしまう。つまり、現在の「明」のみを書いて、未来の「暗」を暗示するというレとリカルな歌であると思う。
 未来のわからなさはときにトリックかとさえ思えるが、この歌のレトリックはそのトリックを体現しているようにも思える。

●レジ袋の要不要を告げる

レジ袋いりませんってつぶやいて今日の役目を終えた声帯
木下龍也 『つむじ風、ここにあります』2013

世界とのあいだにいつも「あ」を挟む あ レジ袋つけてください
まるやま(『短歌ください 君の抜け殻篇』2016より)

レジ袋断り牛乳素手で握る2020を生きているきみ
伊藤紺 (「短歌「いま」」2020年7・8月 特集:癒やしながら より)


●レジ袋有料化

レジ袋は2020年7月1日有料化された。
時事ネタのためか、世間話のような感じ。

ともかくも今の幸せ享受するレジ袋代五円を払って
蒼井杏『瀬戸際レモン』

西友のレジ袋(M)2円なり買うとき今日は怒りが湧いた
染野太朗 「詩客」2013-02-22



 レジ袋の歌は今のところこんな感じ。
 数年後にまた様子をみたい。


2025年1月29日


2024年10月27日日曜日

ちょびコレ36 △△という字が◯◯に見える など

  「ちょびコレ」とは、

「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。

のつもりなのですが、今回、歌数がすごく多くなってしまいました。


馬の字は馬に似て見え牛の字は牛と見え来る文字のフシギ
ルビ:文字【もんじ】
奥村晃作

■◯◯が△△という字に見える/△△という字が◯◯に見える


文字の形はときどき何かに似て見える。逆に、何かが文字に似ていると思うこともある。

そりゃあ象形文字だから、似ていて当たり前、という場合もあるが、意味などに全く無関係に似ていると感じる場合もあって、それを歌に詠むということがけっこうある。

「無関係なものに類似点を見出して、そこになんらかの意味、情趣などを見出す」というのは、人間特有の能力であり、思考の娯楽のようなものではないだろうか。

無関係なものどうしが似ている、というのは、おもしろいし、少し神秘的である。
同音異義語なら「だじゃれ」、人ならば他人の空似。文字の形なども、だじゃれのような、空似のようなおもしろさや神秘を感じさせると思う。

砂浜に残る足跡 その全てがもしももしもという字に見える
土居文恵「かばん」202410


溶けだしてしまったソフトクリームは舌を@の字に動かして食う
千葉聡『微熱体』

文字盤の数字は虫に見えるけど おはようわたし おそらく朝だ
兵庫ユカ 『七月の心臓』

長距離を走り終えたる少年のひざVの字をさかさまにして
俵万智『かぜのてのひら』

きれいなものからきりはなされてあたしYの字ぱちんこどこへやったろう
飯田有子『林檎貫通式』

土壁の「キ」と「サ」と「キ」など月影に静かな蜥蜴写字生に似て
雨谷忠彦「かばん」200112

雀のようなタイの文字よいっせいに飛び立つときを待っているのか
ルビ:文字【もんじ】
俵万智『チョコレート革命』

人あまた乗り合ふ夕べのエレヴェーター枡目の中の鬱の字ほどに
香川ヒサ 『テクネ―』

四季を知りプールの底のⅠの字が魚影に見えなくなって それから
櫻井朋子『ねむりたりない』

山といふ字を書けば山が見えて來る故郷の山の白いかなしさ
前川佐美雄 『白鳳』

火の色の虹を見ていた『戦争と平和』の「と」の字のようにしゃがんで
千葉聡「かばん」200112

安寧はひとになじまずほのぐらい空にくの字の雁になりたい
井辻朱美『クラウド』

モノリスを脱いでもYMCAのYの字の人似のポーズです
鈴木有機「かばん」200112

パソコンに打ち出されたるQの字が風船にしか見えない 眠い
松木秀『色の濃い川』

コバルトのとかげ現れ陽を返すÇのお前のシッポセ セディーユ
杉崎恒夫『パン屋のパンセ一』

NZNZNZN(風に吹かれて転がってます)
龍翔 『Delikatessen/Young,Cute』

いじめには原因はないと友が言うのの字のロールケーキわけつつ
江戸雪『百合オイル』

行く春の固定電話がなつかしいコードをのの字のの字に巻いて
田村元『北二十二条西七丁目』2

しまいには四百四病にも死にも飽きシーツの皺も「し」の字の寝台
高柳蕗子『あたしごっこ』あいうえおごっこ



★特設 川の字

川の字の家族をつつむ梅雨ふかし水に流せぬくらしのくらし
三枝昻之 『太郎次郎の東歌』

川の字で眠ればそこが故郷か遠くの角で鳴るクラクション
法橋ひらく 『それはとても速くて永い』

ほの昏き昭和の森でちちははと川の字になり寝ねし日々あり
笹原玉子『われらみな神話の住人』

子と我と「り」の字に眠る秋の夜のりりりるりりりあれは蟋蟀
俵万智『オレがマリオ』

たどりつく岸辺はしらねどわたしたち川の字に寝る。遠くまでゆく
笹原玉子『われらみな神話の住人』



戀という字を分析すれば 糸し糸しと言う心

妾という字を分析すれば 家に波風立つ女

■分解系

文字を分解するなどして意味を見出し、暗記や字謎のために七五調にまとめる、ということがある。上記のようなものとしては「櫻」は「木の横の二階(二貝)の下に女かな」と覚える。(「桜」なら「木の横に三本角の女かな」と覚えればいい。)

上記の例ほど厳密ではないが、文字分解を含む歌はけっこうある。

閂の門の真ん中一の字にぶらさがってまずは懸垂
久保芳美『金襴緞子』

鰆きて夏はどうした鰍きて夏はどうした鮗がきた
吉岡生夫『草食獣 第八篇』

木の下にあれば杳たり木の上にあれば杲たりめぐる日輪
吉岡生夫『草食獣・第四篇』

草かんむりを載せてこの世をわたりゆく母が苺となる夏の朝
荻原裕幸『永遠よりも少し短い日常』

取るの字は耳を取るの意 月光のしじまの中に耳取られたり
伊藤一彦『月の夜声』

冷タイダケノ弁当ヲ食フ 父トイフ字ヲ冠ツタヲノヲ樹ニサシタママ
小笠原和幸 『馬の骨』

目と耳と口失ひし王様が『聖』といふ字になった物語
九螺ささら 『神様の住所』

毒といふ文字のなかに母があり岩盤浴をしつつ思へる
春日井建『井泉』

零の字が雨かんむりであることの火葬場の上へふりそそぐもの
松木秀『RERA』

大の字に一加うれば日曜にほうけ居眠る夫となるらん
小高賢『三十一文字のパレット』より

君の口うばいし癌の文字にくし三つの口をみせびらかして
関根和美『三十一文字のパレット』より

さびしくて絵本を膝にひろげれば斧といふ字に父をみつけた
大村陽子『砂はこぼれて』

いつにても切り岸こころ緩むなと凶を抱かせて胸の字ありや
蒔田さくら子『標のゆりの樹』

<愛>といふ文字の心の位置にあるハンバーガーのハンバーグ食む
大塚寅彦『夢何有郷』

「盥」とは両手で水を掬ふ皿その字思ひぬ人を待つとき
高野公彦『天平の水煙』

「胸」という字の中の×を書くときに力を込めてしまう日もある
島本ちひろ 『あめつち分の一』

「愛」の字の中にたくさんヽがある 書き続ければいつか芽が出る
ルビ:ヽ【タネ】
詞書 この世で一番みじかい愛の詩は/愛/と一字書くだけです 寺山修司
千葉聡『微熱体』

夜の虹のかがやきわたる草のうへ文字に還るうつしみわれは
ルビ:夜【よ】 文字【もんじ】
水原紫苑『客人』

片仮名のトの字に一の引きようで上になったり下になったり
落語/蕎麦の殿様

■その他の文字ネタ


蟲の字がほどけてゆくまでマブシイをしばらく感じているのはいいこと
杉山モナミ 「かばん」2016・4

鬯鬯鬯鬯と不思議なものを街路にて感じつづけてゐる春である
荻原裕幸『あるまじろん』

秘密めく昼の読書は鍵穴がまなかにみえる壺の一字に
野田かおり 『風を待つ日の』

選択肢二つ抱えて大の字になれば左右対称の我
俵万智『サラダ記念日』

青春という字を書いて横線の多いことのみなぜか気になる
俵万智『サラダ記念日』

整然と並ぶ机の隙間には無数の十字架(僕には見える)
山田航『水に沈む羊』

丈たかき斥候のやうな貌をしてfが杉に凭れてゐるぞ
ルビ:斥候【ものみ】 貌【かほ】 f【フォルテ】 凭【もた】
永井陽子『ふしぎな楽器』

小の字になって眠れば父よ母よ2003年宇宙の旅ぞ
穂村弘『水中翼船炎上中』

而而而而而泣いているのは私?いえ二〇三のリビングルーム
天道なお『NR』

指の字はひょうめんせきがひろいだけ心の字よりはやく冷えてけ
鈴木有機「かばん」200406

午前中のんびりしていた文字たちはとつぜんたたみいわしとなりぬ
杉山モナミ ブログ「b軟骨」2011/9

記帳して「吉岡生夫」その生はシンメトリーをはつか乱しぬ
吉岡生夫『草食獣・第四篇』

漢字を知らぬ人の前にて腕を組むわれは漢字のごと見えるらし
惟任将彦 『灰色の図書館』

仮名文字に似る雨と聞くこの国の文字【もんじ】は千の象の隊列
天道なお『NR』

ゆっくりと浮力をつけてゆく凧に龍の字が見ゆ字は生きて見ゆ
岡井隆『鵞卵亭』

みらみらと梵字ながれてゐたりけりすきとほるここはいづこのきしべ
渡辺松男『時間の神の蝸牛』

まるで蚯蚓のやうな字体にも孫が見え隠れして揺るるこころよ
田中富夫『曠野の柘榴』

パズルにはpuzzleの綴り まんなかのふたつのzに腰かけてゐる
小田桐夕『ドッグイヤー』

のぎへんのノの字をひだりから書いてそれでも秋のことだとわかる
山階基『風にあたる』

ねねねねねねねねねねねねね っていう文字が段々 ぬ に見えてくる
龍翔 『Delikatessen/Young,Cute』(発行所・年月不明)

コンビニまでペンだこのある者同士へんとつくりになって歩いた
傍点:へん つくり
千葉聡『微熱体』

いろは坂君は器用にカーブして「り」の字あたりで見つめ合いたい
柴田瞳「かばん」200212

いの字からろの字を書きて歩きをり酔つてはをらぬとまたろの字書く
椎木英輔『らんぱんうん』

Vの字をみてるとすべりおちたくなる挟まれたくなる なぜ、からだなの?
杉山モナミ  作者HP

Vの字が頭上に解けて降り始む鶴らは夕べの空戻り来て
三平忠宏『出向』

むの字には○がありますその○をのぞくと見えるえんどう畑
坪内稔典『豆ごはんまで』

Sの字のするりと解けて光りつつ青い蜥蜴は草むらの中 (井の頭公園 )
入谷いずみ『海の人形』

「どう元気? こっちは凹を見間違い♡と思うほどに順調」
伊舎堂仁『トントングラム』

〈終〉の字がせり出して来る小津映画〈冬〉の最後の点が上向き
大松達知『ゆりかごのうた』

美しいといふ字のかきだしはひだりうへからそれもそつとそつと
平井弘『遣らず』2021

※この歌、解釈はいろいろあると思うが、私は、うっすら人をなぶるところを連想しそうになる。
考えすぎなんだろうが、「美」という字は「人」がいて、縛られているようだ。
「ひだりうえからそっと」というのも、これまた余計な深読みだろうが、ひらがなのせいもあって、スローモーションで殴るような感じがしなくもない。


■俳句川柳


俳句

雪の朝二の字二の字の下駄のあと 田捨女

さおしかのしの字に寝たる小春哉 小林一茶

「母」の字に最も近きが「舟」よ月明 折笠美秋『北里仰臥滴々/呼辭記』

靴下がくの字に吊られクリスマス 阿波野青畝(出典調査中)

クローバが鬱の字ほどに込み合える 佐藤成之『超新撰21』

Vの字の先頭重く雁帰る ドゥーグル・J・リンズィー 『超新撰21』

川柳

子が出来て川の字形に寝る夫婦 古川柳

子沢山州の字なりに寝る夫婦 古川柳

燕は梵字のやうに飛んで行 古川柳 『誹風柳多留』

鬱の字を縞馬のむれ通過中 倉本朝世

白夜行 百物語 自傷の樹 吉澤久良 短詩ウェブサイト「S/C』



2025・6月追加

漆黒の巳の字がねむる人々の足跡ぎゅっと犇めくなかに
白糸雅樹「かばん」2025・5

減るの字と滅びるは似て口ならば減るし火なら滅びるだけだ
松木秀『Easy Livin’』

横棒は小骨だろうか罪という文字はホッケのひらきに似てる
松木秀『Easy Livin’』


むむむ、横棒といえば、私のこの歌も置かせてもらっていいだろうか。

横棒を増やして春は胸という胸に摑みかかってくる
高柳蕗子 「かばん」2014・01(私家版『未来の福耳』)


2025年12月3日追加

ひざ抱え「ん」の形して小さめの湯船に浸る深夜にわれは
田中徹尾(出典調査中)

うがいして仰ぐ天井蜘蛛の子は∑【シグマ】の形してそこにいる
小島なお『展開図』

2024年9月20日金曜日

ちょびコレ35 空とウソ


「ちょびコレ」とは、
「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)


短歌の中で、「空」と相性が良いもののひとつに「ウソ」がある。
「空+ウソ」で思い浮かぶのはこの3首。


これからもさみしいうそをついていく東西南北一枚の空
兵庫ユカ 作者ブログ「.bypass」2010/7/18

清潔なハンカチのような嘘をつく この青空をなくさないため
浅羽佐和子『いつも空をみて』2014

しんぷるな青杉としんぷるな空 とてつもなく大きい嘘のしずけさ
渡辺松男『歩く仏像』


こういう感じで、実に相性が良い。
「空」のなんでも吸収してしまいそうな虚無的なところが、なんとなく「ウソ」にマッチするのだろうか。
なんて言ってみても、そうかもな、という程度にしか納得できないが、しかし、実際に、「空+ウソ」歌はたくさんある。
(気をつけなければ、と思う。)


どこまでが優しい嘘になるのだろう青空にただ触れていたいよ
本多忠義『禁忌色』

海の嘘気付かぬままに釣り糸を空へと垂らす老人の群れ
木下龍也『つむじ風、ここにあります』

嘘をつく電話はなるべく屋外で空に向かって声を放てよ」
ふらみらり「かばん新人特集号」2015/3

夕空はひらたくなって嘘泣きの子供の声が節おびていく
ルビ:節【ふし】
花山周子『風とマルス』

痛きまで青き冬空逢ふためについて来し嘘どこまで容るや
本多稜「詩客」2013-10-04

葡萄蔓空に泳げばゆふひ色の少女の嘘に見惚れてありぬ
ルビ:惚【と】
浜田到『架橋』

嘘さえもつきたくなくて揚雲雀空は端から端までの檻
大橋弘『既視感製造機械』

死者の息貼り付く空の青白し時間が解決するといふ嘘
本田一弘『磐梯』



なんとなく傾向はわかる気がする。
こんなに詠まれてきているなら、この先はもう少し迫ってくるだろう。

2024・09・20

ちょびコレ34 空を畳む

「ちょびコレ」とは、
「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。


「空を畳む」というイメージは、かなり奇抜だと思う。

が、奇抜さにも〝レア度〟があって、大勢の歌人が才能を傾けて詠み合う状況では、「まれにある」というランクであるようだ。

(だから悪いの良いのという話ではない。
 レア度は各ランクごとに使い道があり、歌によって程よいレア度を使い分けることが望ましい、と思う。)


おりたたみしき空を鞄につめこみて軍のときは逃げる覚悟だ
渡辺松男『歩く仏像』

またすこしふるくなるからいちまいの空をたいせつに折りたたむ
村上きわみ(出典調査中)

夕空は折り畳まれてきみの目に入つて涙にも火にもなる
藪内亮輔『海蛇と珊瑚』


 上記3首、三者三様の踏み込みがたのもしい。
「まれにある」というレア度のモチーフの歌は、並べると特に読み応えが増す。


以下は、空そのものを畳むわけではないが、空を畳む感に少し近い感覚、通じる要素を感じる歌。参考としてあげておく。

初春や夢に眠りて夢を見る空にタオルをたたみ続ける
東直子 『春原さんのリコーダー』

 テーブルの上に散らばる空論をしつこく畳む人の両の手
増田達郎「早稲田短歌」44号

冬空のたったひとりの理解者として雨傘をたたむ老人
笹井宏之『てんとろり』2011

(俳句) 空の箱たたむと見ゆる冬の橋
鳴戸奈菜(出典調査中)



2024・09・20


青空の畳まれた海で革命のない七月・十二月の窓を閉める
山下一路『世界同時かなしい日に』

2025・3・25 追加

2024年9月1日日曜日

ちょびコレ33 『義弟全史』その2 お迎え方式マッチング

 「お迎え方式マッチング」とは?

 ときどき並べて読みたい歌というのがあります。

 題材とテーマが似ている歌を、別の作者が別の場所で別の発想で詠む。そんな偶然がしょっちゅうあって、新しく詠まれた歌を、同類や家族のような仲間が出迎えるんだったらいいな、と想像したくなります。

 ところで防災の日は、訓練で、親や保護者が学校へ児童を迎えにいきますよね。
いちど孫を迎えに行ったことがあります。
 学年・クラスごと担任の先生のもとに子どもたちが集まっている。保護者たちは、先生に名を告げて子どもを連れて帰るのです。

 「短歌さんたちがめぐりあう場」として、前回までは「交霊場」という設定にしましたが、今回は、新しく出た歌集の歌を先輩歌が迎えに来る、という設定にしてみます。

(どーだっていいだろ? いえいえ、設定によって発想が根本から変わり、新しい考えが生じることがあると思いますよ。)

そして、担任の先生役は以下の三人半です。
まちがって他人に子どもを渡してはいけないから、迎えにきた歌と迎えられる歌との類縁関係を吟味します。

 その際、彼らはいろいろぶっ飛んだことを言うかもしれません。作者の意図や一般通念とかけ離れる解釈を加えるかもしれませんが、その点は適当に聞き流してください。

【世話役たち】書体を変えています

 ・担任(外見は鹿。このシリーズではふだん司会役をしているため花子はシカちゃんと呼んでいる。)
 ・アシ(副担任。アシスタント。外見はアシカ。)
 ・鱶助(ふかすけ 短歌深読みサポートAI)
    +鱶助のマスコットである花子(棘バラ。非常に口が悪い。)

【ご注意】 
 
歌自身が降臨する、という設定です。(歌の作者は無関係。参加しません。)
 歌自身が自解することはありません。
歌はそれ自身の言葉以外を語れない。ここではそういう設定になってます。

 では、とざいとーざーい


■やかましい自我がほどよく休止


▲わが屋戸のいささ群竹吹く風の音もかそけきこの夕べかも
ルビ:屋戸【やど】
大伴家持『万葉集』

担任「はい。え!  驚きました。はるかなる万葉時代よりお見えのようです。
 えーと、どのお子さんのご先祖様でしょうか。」

▼頬杖をついて居眠るアパートの外に小さな世界が集う
土井礼一郎『義弟全史』

担任「な、なるほど。雰囲気が似ています。しかし、静かに過ごす窓辺のシチュエーションはすごく多くの歌に詠まれてますよね。短歌以外でも『蛍の光窓の雪』とか。」

鱶助「[いささ群竹]を吹く風は、普通ならほとんど関知しないほどにかそけきもの。それは、脳内のやかましい自我がほどよく休止していなければ感知できない。
土井の歌では、[頬杖をついて居眠る]というニュートラルな待ち受け状態になった一瞬、[小さな世界が集う]ことを感受可能な〝自然体〟になったのだ。

アシ「頬杖をついて居眠る、は、ふと弥勒菩薩を思わせますよね。静かな窓辺というのは、人を少し神仏に近づける。この風格、大伴家持さまの血を受け継いでおいででしょう。」

花子「あのね、土井さんは虫好きなんですって。それで土井短歌にはときどき『虫詠み』というおまけステージがあるのよ。
秋の虫の音を聞いてるような感じ。虫たちはそれぞれの種族ごとに世界を持っている。それをうつらうつらしながら聞いている。なかなか風情があるじゃないの。」

担任「では『わが屋戸のいささ』さま。どうぞ『頬杖をついて』ちゃんをお連れください。よろしくお願いします。」

■幸せは内臓に宿る?


▲アンパンの幸福感をふくらます三分の空気と七分のアンコ
杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』2010

担任「はい。どのお子さんをお迎えに?」

▼はらわたを開けばピンポン球ほどの水胞としてしあわせはある
土井礼一郎『義弟全史』2023

担任「こ、これは確かにそっくりな。
でも土井さんの歌のほうはとてつもなく不気味です。他人の空似ってことはないでしょうか。」

鱶助「この二首は、どちらも[しあわせが身の内側にあり、視認できる」というレアな着想をしている。この点はもうイメージの遺伝子レベルの一致と思って良い。」

アシ「土井さんの歌は魚を思わせるから、どちらも食べ物を詠んでいますね。
で、違うのは、杉崎さんの歌の[しあわせ]は、アンパンを食べる人も味わうことができるけれど、土井さんの歌の[しあわせ]の水疱は、捌いた段階で消えてしまい、食べる人には届かない、ということです。」

担任「その違いは重要ですが、イメージの遺伝子レベルの一致は変わらないと思います。どうぞ、『はらわたを開けば』ちゃんをお連れください。」

■詩情のビフォー・アフター

▲海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
寺山修司『われに五月を』1957

担任「こ、これはまた超有名な……。お探しはどの子ですか。」

▼どうしても泣くならここで 海ほどにひろい帽子をかぶってみせる

土井礼一郎『義弟全史』2023


担任「たしかに、ところどころ掠っていますね。」

アシ「『海を知らぬ少女』も『どうしても泣くなら』も、二人の登場人物がいて(たぶん男女で)すよね。
で、前者の方は、
少女に海を説明するために、[こーんな]とか言って手を広げて話している初々しい場面の回想かと思いますが、この歌は非常に知られ、詩情セット[帽子+海+広い+少年少女の初々しさ]的に、短歌の世界で咀嚼・消化されてきたと思うんです。そして、」

花子「そして、土井さんの歌のほうは、その少年も少女ももう大人になってるみたい。
男の人が、泣いている女の人を慰めるために、少年少女みたいな無邪気を演出して、麦藁帽子をかぶってみせてる。そういう場面みたい。」

鱶助「ただし、これは約70年の時を経た詩情のビフォー・アフターだ。人のビフォー・アフターではない。
[帽子+海+広い+少年少女]の詩情が既存のものとして確立したから、『海ほどにひろい帽子をかぶってみせる』という演出によって、少年少女時代の初々しさの詩情を喚起できる。そういう種類のビフォーアフターだ。」

担任「なるほど。それも詩歌的血縁のひとつでしょうね。では、『どうしても泣くなら』ちゃんをお連れください。」

■ビフォー・アフター その2

▲星空がとてもきれいでぼくたちの残り少ない時間のボンベ
杉崎恒夫『パン屋のパンせ』

担任「はい。どの子の保護者さまですか?」

▼もうなにも見えなくなった僕の住む家に小さな蛍飛び交う
土井礼一郎『義弟全史』

担任「えーと、どのようなご縁なのでしょう?」

アシ「まず雰囲気が似ています。
『星空が』の歌はまだいちおうこの世界が残っていますけど、『もうなにも』のほうは世界がほぼ終わってしまった感じ。星空が、わずかなホタルになっちゃった。
つまり、これもビフォーアフター的なご縁でしょうね。
」

担任「それだけでは、他人の空似かもしれませんよ。」

鱶助「どちらも、終焉を静かに受け入れていて、情によるエネルギーを使わずに詠んでいるところも通じ合う。」

担任「そうですか。では、『もうなにも』ちゃんをお連れください。

花子「ついでに言うと、土井さんのこの歌は、最初に帰った『頬杖をついて居眠る』の歌の数年後ってかんじでもあるわよ。」

担任「家系図のどこかでつながるかも。門を出て右に行ってみてください。追いつけますよ。」


■家がこわれるとき


▲家ひとつこわれてのちを空中に浮かびつづけるしかくいひかり
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』2006

担任「はい。お探しはどの子でしょうか。」

▼壊されてゆくとき家の内臓が空に呑まれているのが見える
土井礼一郎『義弟全史』2023

担任「内容はほんとに似ています。昇天する感じも共通してて、トシの離れた双子というか。」

アシ「トシの離れた双子? それなんか変。」

花子「この二つの歌は、別の日にした同じケーキの食レポみたい。」

鱶助「『家ひとつこわれ』の方は魂的なものがしばらく漂う、そういった余韻を詠んでいる。
『壊されてゆくとき』のほうは、『内臓』と言うことで家が生き物化する。『内臓』だから気味悪いはずなのに、なぜか気味悪さよりも、昇天するらしいことに救いを感じてほっとする。その一方、空は『昇天』を受け入れているのでなく、ただ何でも回収する究極の穴のような、そういう意識のズレもおもしろいと思う。」

担任「えーと、とにかくもう、すごい血縁者ですよね。どうぞお連れください」

■殺しと成長

▲男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる
平井弘『前線』1976

担任「はい。こ、これはまた、よく知れ渡ったお歌ですね。どのお子さんをお探しですか?」

▼だれしもが早くおとなになりたきにごきぶり殺せいいから殺せ
土井礼一郎『義弟全史』2023

担任「あー、なるほど。」

アシ「平井さんは戦時下の銃後の世界の恐ろしさを描くことで知られてて、不気味なこの歌『男の子なる』はあまりにも有名です。」

花子「どちらも銃後の世界なんだと思う。でもこの二つから想像される戦時下の性質が違う、感じ……。」

アシ「変なことを言いますが、土井さんの方は普通に言う戦時下ではないのかも。目に見える戦争はしていない。だから戦時下じゃないが、戦時下より心が荒れるような状況下にあるのかも。」

鱶助「とにかく、この2首は同じ遺伝子を備えている。それはもう疑えない。」

担任「なるほど。では『男の子なる』さま。『だれしもが早く』ちゃんをお連れください。お気をつけて。」

■ぜんぜん違うぞ!

▲眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし後王子死す
ルビ:誦(よ)
岡井隆『斉唱』1956

担任「はい。どの子の保護者さんですか。」

▼ねむるということばばかりを振りかざし童話のなかの人は死にゆく
土井礼一郎『義弟全史』

担任「こ、これは。
材料は重なっていますが、どうなんでしょう。内容はすごく違うような。」

花子「見た目はあきらかに同族。だけど極端につっぱっている。まさかと思うがやっぱり同族。みたいなことをおっしゃりたくておいでになったのでは?」

司会「そういうお迎えもありでしょうか。」

アシ「『眠る』『童話』『死』という三枚のイメージカードセットをシャッフルして、繋ぎ直して歌を詠みなさい、という課題で作ったら、こういうふうなり得ますよね。
 なんていうか、そうだ! 遺伝子をちょっと組み替えた新種。」

鱶助「つまり、他人の空似とは違う。家族だが似ていない。」

花子「家族のそらにず、かな。」

担任「わかりました。そういうこともある、ということで、どうぞお連れくださいませ。」

■植物に加害する

▲雨つぶを散らしてきみは力ある葡萄の房をひきおろしたり
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

担任「おやおや、どのお子さんの保護者さんでしょう。」

▼ぴかぴかの顔であなたは園庭のヤブガラシさえほどいてしまう
 土井礼一郎『義弟全史』

担任「縁は強い。でもキャラはずいぶん違いますね。
『雨つぶを散ら』す『きみ』はちょっとワイルドで魅力的な女性。それに対して、『ぴかぴかの顔でヤブガラシさえほどく』は、……これはどういうキャラでしょうか。」

アシ「ヤブガラシといえば、絡みついて蔓延する困った雑草ですよね。
でも、普通の雑草退治、除草剤をまくとか焼き払うとかでなく、『ほどく』というすごく知的な対処法をとることが新しいです。」

担任「そうですね。環境に優しいし、なんというか、この方法だと、ヤブガラシをメンタルで打ち負かして面目を失わせるような……。」

花子「普通に考えれば申し分のない対処なんだけど、でもこの歌は、手放しに肯定してはいないのよ。
『ぴかぴかの顔であなたは……ほどいてしまう』には、ほんの微かに、『ぴかぴか得意げだね』っていうのニュアンスがある。
 絡むヤブガラシは庭園にとってまさにカラミティー(calamity・惨禍)。で、ほどくという方法は逆カラミティー。毒をもって毒を制す、みたいに、相手と同じ力で退治したことに、ちょっと引っかかりを感じている気がするの。」


担任「なるほど。ま、違いはあっても、個性の異なるご家族でしょう。ということで、どうぞお連れください。」



担任「さて、今日はここまでとしましょうか。
 また次の機会もあると思います。ではでは。」


2024・8・31


なお『義弟全史』その1も、こことはやや異なりますが、歌を比較しながら深く詠み込んでいく方式です。よろしかったら御覧ください。

2024年8月27日火曜日

ちょびコレ32  『義弟全史』その1 短歌交霊マッチング

「短歌交霊」とは?
「降霊」じゃなくて「交霊」です。

ときどき並べて読みたい歌というのがあります。
題材とテーマが似ている歌を、別の作者が別の場所で別の発想で詠む。そんな偶然がしょっちゅうあります。
そのなかには、互いに相手の存在を知らない織姫と彦星みたいな、潜在的に相手を求めているかのようなセットがあるのではないか。
 そこで、
「短歌さんたちがめぐりあう場」(交霊場)というのを空想してみました。

織姫がここで待っていると、彦星が降臨する
。逆でもいい。そういう感じの設定です。

そして、以下の三人半の世話役がお迎えする。
なぜなら、歌はそれ自身の言葉以外を語れない(そういう設定です)から、
その歌どうしが、どういう点で共通しどのように惹かれ合うのかを、世話役たちが考えるわけです。

 世話役たちはまじめですが、作者の意図を超えることをものともせず、深読みすることがあります。


【世話役】書体を変えています

 ・司会(外見は鹿。名前は公表されていない。花子はシカちゃんと呼んでいる。)
 ・アシスタント(調べ物担当だが意見も言う。外見はアシカ。名前は公表されていない。)
 ・鱶助くん(ふかすけ 深読みサポートAI)
     +その愛人的ペットの花子(棘バラ)

【ご注意】 
 
歌自身が降臨するという設定です。(歌の作者が参加するのではない。)
 歌は歌の言葉のみで参加。歌自身が自解することはありません。

 では、とざいとーざーい


鱶助「いま『義弟全史』という歌集のデータを吸収しているのだが、父母兄弟姉妹が出てくる歌が多い。タイトルには「義弟」とあるし。
 そも、短歌には父母兄弟等を詠む歌が多い。それらは、現実の家族、空想の家族、抽象的な意味での父母兄弟など、いろいろな心情・思考の結果として短歌の中に登場する。短歌に詠まれるあらゆる言葉は、短歌の言葉の国に所属になるわけだが、父母兄弟などの語も、歌に詠まれるたびに、短歌の言葉の世界の既に詠まれた父母兄弟の用例の中に混じっていくことになる。そのなかで、特に響き合う歌というのがあるはずだと思う。
 『義弟全史』の歌は、どれも〝言うに言われぬ〟フシギを帯びているが、似ている要素を備えた先輩歌が名乗り出てくれれば、少しわかりやすくなり〝言うに言われぬ〟でなく、〝少し語れる〟部分がでてくると思う。

■空想の兄弟と丘


司会「では、『義弟全史』の歌の中から、どなたか?」

▼てのひらにおとうとの棲む丘はあり手を叩こうとすれば手をふる
土井礼一郎『義弟全史』

司会「むむ! 手のひらに丘がある? ってことは、空間がねじれてますね。
 ふと、西遊記のお釈迦様と孫悟空※を想像しました。あ、いや、変なこと言っちゃった。忘れてください。」
※お釈迦様に「私の手のひらから逃げられたら天界の主にしてやろう」と言われ、孫悟空は、筋斗雲を駆って世界の果てらしい場所の柱に「斉天大聖」と書き立ちションして得意顔で帰ってきたが、その柱、実はお釈迦様の指だった。悟空はお釈迦様との力の差を思い知る。

花子「あら、シカちゃんにしてはいいセンかも。
 つまり、
この人(兄?〉と「弟」の力関係が、そのお釈迦様と孫悟空みたいだってこと。

司会「力関係。」

花子「で、『手を叩こうとすれば手をふる』も気になるのよ。
 手を振るのは普通は友好的な仕草。だけど、そんなに力の差があるんなら、
『叩くのをやめて』という意味かしら、って思わせる。そういうニュアンスを10%ぐらい含んでないかしら。『やれ打つな』のハエみたいな。」

アシ「そうも思えますし、これは見る角度によって表情を変える表現ですよね。
 で、私はもう一つ、5%ぐらいの淡いニュアンスを見つけました。この『手をふる』っていう言い方が妙にフツーで、そのフツー感に、〈弟の方からは案外普通の位置関係でこちらが見えているのではないか。だから、叩かれるなどと思わず、単純に小さい方が極端に無邪気なら、そういう認識の大きなズレもありえます。」

花子「それそれ! それも感じる!
 
この人(兄?〉は弟に対してすごく強い立場にいる。でも弟はそれに気づいていない。支配されていると思っていない。そこからもうひとつ枝分かれして、2%ぐらいだけど、特殊なニュアンスもあるわよ。
〈この弟は手
の中の虫みたいなもの、そしてこの人(兄?)は、虫を覗き込んで観察している人間。虫の方は、兄弟どころか、『捕われた』などという関係性はおそらく認識せず、プログラミングに従って、餌と交尾できる相手のいる場所へ行こうとして足を動かしているだけ。そのぐらいに、認識が噛み合わない状態で、この人(兄?)は、その虫みたいなものを一方的に支配しつつ、「弟」と呼んでいる。〉
ね。そういう感じもするでしょ。2%ぐらい。」

鱶助「パーセンテージの低いニュアンスほど、深読み感が強まるが、実は重要である。
深読み的ニュアンスは2%+5%+10%=17%に過ぎず、83%はもっとも普通の解釈なのだが、こうしたバランスも意味がある。要するに、詩はみつけにくい。ーー見つけにくい状態で潜んでいる。その微弱感も味わい。」

司会「何ですかそれ。大事なことはすぐ見つかるところに置いといてほしい。
 ところで『丘』と兄弟は、よくいっしょに詠まれるのでしょうか。見晴らしがいいから、離れている血縁者を想いうかべやすい、みたいな詩的連想脈がありそうな気がしますが。
あ、一首降臨されるようです。」

▲ひとりっ子のわたしがときどき来る丘のむこうにまんがの妹がすむ
杉山モナミ「かばん」98年3月

司会「よくいらっしゃいました。位置関係はやや違うけれども『丘』がある。そして『弟』じゃなくて『妹』。なんだか雰囲気も似ているし。」

アシ「異次元というか別世界というか、そういう場所にいる兄弟を空想する。そこは似ていますね。距離では語れない種類の遠さ。」

花子「空想の家族を詠む歌って、空想のママゴトみたいよね。
『ひとりっ子』の歌のほうは、『ひとりっ子』ですから当然妹はいない。この世界には自分と同じ立場の係累はいない。その孤独感が〈まんがの妹〉というママゴトに誘うのかな、と思わせる。
〈まんがの妹〉という異世界のものを想定すれば、それと表裏になって補強されるような感じるのかも。だから力関係は対等。その点は〈てのひらの弟〉と大違いね。」

司会「どちらも『丘』を含みますが、その意味合いも違うんですよね。」

鱶助「〈まんがの妹〉が見える『丘』は、普通に『丘』は見晴らしが良くて、登れば別の街を見晴らせる、という境界のような場。順当な暗示であると思われる。
〈てのひらの弟〉の『丘』には、お釈迦様の手ほどに空間的なねじれがある。」

司会「2つの歌は、材料がとても似ていて、でもけっこう違いがあるんですね。」

アシ「共通する要素があったとして、それが意味のある共通点なのか、ただの偶然か、きちんと気にしたほうがいいと思うんですが……。」

鱶助「短歌データベース約13万首から、[丘(or岡)]かつ[兄弟姉妹(ひらがな表記あり)]を含む歌を検索したところ、該当歌はたった3首。上記2首をのほかもう1首あった。」

●雲ひくき峠越ゆれば/(いもうとのつめたきなきがほ)/丘と野原と
 宮沢賢治『宮沢賢治全集』

司会「あ、降臨ありがとうございます。
こちらの歌も雰囲気が少し似ていますが、この歌の場合、『丘』じゃなくて『峠』が境界の役目をはたし、『丘と野原』は見渡す土地の起伏を表していると思います。
 で、その起伏が、『(いもうとのつめたきなきがほ)』に見える……、ということだと思います。
 実は一瞬、『なきがほ』を『なきがら』と読みそうになり、丘と野原の起伏が人の形なのかとまで思ってしまいました。宮沢賢治といえば『永訣の朝』という詩もありますから、『いもうと』は亡くなっている感じがして。余計なことをすみません。」

花子「またまたシカちゃん、鋭いわよ。
『永訣の朝』を知らなくても、『峠』という境界を越えるということを意味するし、〈いもうとは異世界にいる〉という淡い暗示になってるし、『丘と野原と』が『いもうとのつめたきなきがほ』である構文も、シカちゃんのような解釈へと誘導してるわよ。」

鱶助「ただし、『丘』や『峠』の境界としての役割は、もう少し検証が必要である。
『丘』などの語を含まずに遠方に住む弟や妹を思い浮かべる内容の歌と見比べたいのだが、かなりの数がありそうで、探しにくい……。」

司会「わぁ、探さなくてもたくさんおいでくださいましたよ。」

●ベランダに風 遠く住むいもうとの家族は持てり海辺の時間
●遠洋のオレンジのブイ この夏は高知で暮らすいもうとの家族
 小島なお『展開図』

●弟は入間で一人で暮らしてる 電話を持たずに携帯電話を持つ
 ルビ:入間【いるま】 携帯電話【けいたい】
 千葉聡『微熱体』2000

●チベットに住むおとうとの悪筆をうぶ毛のような春に待ちつつ
 東直子『春原さんのリコーダー』

●妹は遥かな部屋に恋人と木を育てゆくように暮らせり
 鯨井可菜子『タンジブル』

司会「歌のみなさま。ありがとうございます。
『遠い』と書いたり、具体的地名を入れたりすれば、隔たりは感じますね。ただ、同じ世界の遠い場所であって、異世界っていう感じはしないようですね。」
 
花子「やっぱり『丘』にはそれとなく〈遠くて近い異世界〉感を付与する効果があって、〈てのひらの弟〉とか〈まんがの妹〉とかの、非現実的表現を受け入れやすくしていると思うわ。」

アシ「〈まんがの妹〉の歌としっかり見比べさせていただいたおかげで〈てのひらの弟〉の特殊性がわかりやすくなった気がします。ばらばらに読んだら、どちらも『ふしぎな味わいの歌』ぐらいで済ませてしまったかもしれません。」

司会「そろそろ次に行ってよろしいでしょうか。」

■マッチ箱の中の父母


▼ひとつだけほんとの父を入れてあるマッチ箱からとりだすマッチ
土井礼一郎『義弟全史』

司会「ありがとうございます。こ、これはまた、なんともおもしろい、というか、なぜかハラハラもしますね。まるで、まるで……。」

花子「ルシアンルーレットみたい!
いつのまにか本物の父を燃やしちゃいそうだもの。
『入れてある』んだから、わざとそうしてある。意識することなく父を葬りたいのかしら。」


アシ「父との葛藤は、古くからあって、ちっとも古びない重要テーマです。ついでのように語れるテーマではありません。
が、この歌ほど優位な位置取りで、「意識することなく父を葬れるシステム」を描いた歌はあんまり見たことがないような……。
 でも、現実にはこういう思考ってよくあるのかもしれません。決定的な〈執行〉を意識しないでいつのまにか済ませられたら、みたいな。」

司会「あ、いらっしゃいましたよ。」

▲偽物のわたしを抱いて偽物のママが眠っているマッチ箱
木村友 2017・11東京文フリ:フリーペーパー

司会「これはまた何と、共通点が多いですね。
マッチ箱・母、そして本物じゃなくて偽物というのは表裏一体みたいだし。
歌合でもなかなかこうは共通しません。」

アシ「どちらも、マッチ箱は棺みたい、というか、まだ死んでないけれど、近い将来に燃える。死が予定されている。そこが共通ですね。」

鱶助「動詞を見比べて、誰が能動的なことをしているのかを見た。
 父の歌のほうの動詞は子(主体)の行動の「入れる」「取り出す」である。〈子〉は〈本物の父〉をマッチ箱(ルシアンルーレット的で、いずれ確実に死ぬ装置みたいな棺)に入れた。
 母の歌の方は、出てくる動詞「抱く」「眠る」はママの行動である。ママの能動性が大きい。ただし、『見ている』と書いてないけれど、全体として、子(主体)は、〈偽物のママ〉の能動性を『見ている』。」

花子「そのせいかしら。この〈偽物のママ〉はなんか子を道連れに親子心中をしようとしてるみたいなじゃないかしら。〈偽物の母子〉はもろともに燃えてしまうのよ。ーーそういえば、マッチってたまに二本くっついてるじゃない。あの道連れ感よ。」

アシ「ママが偽物で良かった、と、ちょっと救われますよね。」

花子「そこよ。その、噛み切れないグミみたいなニュアンス。本物のママにもそういう怖いところ、危ういところがあるわよね。そのことを思い出させるの。」

司会「え?ママが怖い?」

花子「怖いわよ。私ら植物から見ると、だって人間は危うい。母親だってそれ以前に普通の人間でしょ。いろいろな弱さが合って、そこに愛とか責任とかいろいろな負荷がかれば……」

司会「そんなのレアケースでしょ。」

アシ「そのレアケースは誰にでも起こり得る。母親はみんな危険性を孕んでいる、とは思いますね。」

司会「そ、そういうふうに考えることが嫌なんですよ。母親になったらもう普通の人じゃなくなる、と思いませんか?」

アシ「ぜーんぜん思いませんし、そういう考えかたこそが母親を追い詰めるんです。」

花子「まあまあまあ。
 ママゴトって、お人形もおもちゃの食器もみんな偽物だけど、けっこう現実を投影しているでしょ。
 空想の家族詠であることが明確な場合は、〈偽物の〉と断る必要はないのよ。
 でもこの歌の場合は、ほんの少しの現実味が怖いから、悪夢にならないように、いわば呪術的発想で、〈偽物の〉とはっきり打ち消してあるんじゃないかしら。そのぶん怖さを薄めつつ、でも詩的濃度も高めている。そんな感じ。」

アシ「で、〈父をマッチ箱に入れる〉歌も、現実との関係は心のママゴトであり、〈ほんとの〉と言わなければ父は完全に空想の父です。それを〈ほんとの父〉と言うことで、現実とママゴトの関連性が強まります。〈マッチ箱入れる・取り出す〉というママゴトは、現実面に投影できる可能性が強まっていると思います。」

花子「空想の世界に現実が投影されるのは、ま、当たり前よね。
その逆に、空想の世界、イメージ領域のことが現実に投影して、現実に影響を与えることもあるよね。フツーにあるけど、こちらは認知度がやや不足してるわ。」

司会「現実面に投影とは、たとえば?」

花子「たとえば、親を介護施設に入所させる時とか、この歌を思い出しそう。」

アシ「あ、でも、現実に具体的に介護施設だのの個別ケースまでは、いま考えないでいいと思います。
だいじなのは、主体が、『父』に対して支配的であること。さっきの〈てのひらの弟〉と同じで、この〈ほんとの父〉も、主体の手中にあります。
とにかく、父親にたいしてここまで極端な優位性を詠む歌はあんまり見かけないかもしれません。」

花子「あのさ、虫を捕まえてマッチ箱に入れることってあるよね。」

アシ「ははぁ、他の歌人には適用できないけど、この作者なら『虫』とイメージが重なるのってあるでしょうね。」

花子「それそれ。なにかの菓子で、箱を切り抜いて組み立てるとおもちゃになる、というのがあったでしょ。この作者の歌は、『これって虫だったりしないかなもしかして』と考えるおまけつき。考えた人は三文の得。」

司会「え?」

花子「ま、いーからいーから。
じゃあ次! もういっこ空想の家族の歌。おいでー。」

■死にやすい姉


▼姉の足裏が地面につくたびに姉すこしずつ死んでしまえり
 土井礼一郎『義弟全史』

司会「おお! これはなんというか、ガガンボみたいな。
 あ、君がさっき虫がどうとか言うから、ふと変なことを考えたじゃないですか。」

花子「シカちゃんて、ほんとはけっこう鋭いのに、わざとやぼったいふりをしてるんじゃないの?」

司会「いやいや」

花子「歌にはガガンボと書いてないけど、ガガンボって地面とか壁とかにそってふんわりふんわり足をつくように飛ぶのよ。
 どでかい蚊みたいな外見だけど、刺さないんだって。」

アシ「昆虫はだいたい短命で、脆弱な体のものが多いですよね。
 ガガンボは二週間ぐらい生きるらしいけれど、体の作りがとにかく脆弱で、足なんかすぐもげちゃうそうです。そういえばバレリーナに例えた歌もありましたよ。」

●バレリーナみたいに脚をからませてガガンボのこんな軽い死にかた
 杉崎恒夫『パン屋のパンセ』

司会「おお、いらっしゃい。ガガンボにはたしかにこういう儚さと女性らしさがあると感じます。〈足裏が地につくたびに少しずつ死ぬ姉〉というイメージの元に、ガガンボ、あるいはカゲロウとか、儚げにふわふわ飛ぶような虫のイメージがあります。」

鱶助「空想の家族にも人気不人気が多少ある。『姉』は兄弟姉妹のなかではいちばん短歌に詠まれにくい。つまり歌数が少なめである。また、きちんとカウントしたわけではないが、歌の中で死んでいるものとして詠まれることが、兄弟妹より多めであるようだ。(といっても大差ではない。姉の歌を100首集めたら2首か3首ある程度にすぎない。)
 ちなみに兄弟姉妹のなかで『妹』は最もたくさん詠まれている。が、なぜか
歌の中ではめったに死なないようだ。」

▲鏡台がぎらりと沖に浮きながらまぼろしの姉夜ごと溺死す
 寺山修司『月蝕書簡』(未発表歌集)2008

司会「いらっしゃい。似ているかというと似ていないけれども、海で夜ごとに溺死、っていうのは、足を地面につくたびにすこしずつ死ぬことと、同じではないけれど、少し近いかとも思えますね。『姉』のイメージにはそういうタイプの悲劇性があるのでしょうか。」

鱶助「確かにどちらも、一気に終わらない。じわじわ長引く感じだ。」

花子「でも、わためとソフトクリームぐらいに死の質感が違う。」

鱶助「『兄』にはウエットな悲劇性があって悲しんでもらえるが、『姉』の悲劇は人しれぬところでじわじわ続くような……。
 しかし、多くの例歌を読んでからでないと、そのニュアンスを語りにくいので、姉の悲劇性の話は別の機会にしよう。」

アシ「で、虫は進化の系統樹ですごく遠い種族ですが、「姉の足裏が……」の作者は、『虫』に特別な思い入れのある歌人です。そんなにも遠い種族に「姉」とか「弟」とかの血縁意識を抱くようです。」

司会「では次。」

■きょうだいと指(+たたかい)

▼弟のてのひらに手を託すときなかゆび同士の奏でる軍歌
土井礼一郎『義弟全史』

▲きょうだいで掘る星深く遭うたびにまさぐり指でするちゃんばら
高柳蕗子『潮汐性母斑通信』

司会「あ、ソッコー降臨。」

花子「高柳というのはこのブログの管理者。そのコネで出てきたんじゃないでしょうね。」

司会「いやまさか、二つの歌にはちゃんと共通点があるじゃないですか。
 兄弟であること、指を触れ合っていること、そして『軍歌』と『ちゃんばら』。
 ここまで重なれば、見比べる意味はじゅうぶんあるでしょう。」

花子「どっちの歌もなんかエロい!」

司会「ちょっと言い方がどぎつい。マイルドに。」

花子「やだ。」

アシ「エロくはないでしょう。兄弟は日常的に触れ合って遊ぶ仲。その親密さが表されていると思います。」

司会「『ちゃんばら』は兄弟の遊びとして自然ですが、『奏でる軍歌』って何のことでしょう。あ、軍国主義の時代のことを詠んだとか?」

鱶助「いや、そういうふうに現実を描写しているのでないだろう。
兄弟はよく喧嘩するが、対外的には結束する。軍歌を奏でるというのはそういう味方同士だぞという結束を意味しないだろうか。」

アシ「どういう解釈にしろ、『弟のてのひらに手を託す』というのは珍しいですよね。弟のほうが手が小さい。幼児とか赤ん坊とかの弱い小さな手に、自分の手を委ねる。そのときの指のふれあいから、味方同士になって軍歌を奏でるということでしょうか。」

花子「これも虫として読んでみる価値があるんじゃない?
トンボや甲虫のいる虫かごに指を入れると、虫が人の指にしがみつくことがあるでしょ。あの小さな力ときたら。
 で、昆虫って機械っぽいでしょ。ミニチュアの軍隊を手に入れたような気分っていう解釈も成り立ちそう。」

司会「ところで、『義弟全史』には父母兄弟姉妹はみんな詠まれているんですか?」

鱶助「兄と妹はでてこないようだ。」

司会「ほう! じゃあ父母の歌をもっと呼んでみますか。」

アシ「え、でも、父母の歌は世の中にいっぱいあって、だからその……。」

■利いた風なことを言う父


▼ひと幕に役者はふたりってまだなにも知らないくせに父はつぶやく
土井礼一郎『義弟全史』

花子「〈なんか効いた風なことを言う父〉ね。
 これって短歌ではけっこうレア物じゃないかしら。」

司会「確かに。現実にはいっぱいいますが、短歌ではあまり……。」

▲人間はちっぽけなものだと五合目で言うな父さん富士山顔で
山下一路『スーパーアメフラシ』

司会「おお、これは感覚的に近いですね。昔なら『父』の欠点など詠まなかったけれど、このごろ人間臭くなってきて、こういう詠み方もあるんですね。
ところで、なんだか頭上が暗くなってきたような……。」

アシ「歌人はみんな父や母を詠みますから、父母は歌数が多いんですよ。『父母を詠む歌』というのを聞きつけて何千何万が押し寄せて来てしまったのです。
父母に関する歌は条件を絞り込まないと収拾がつかなくなっちゃいますよ。」

司会「わあ。すみませーん、父母の歌のみなさーん。お騒がせして申し訳ありませんでした。日を改め、条件を絞り込んでお呼びしますので、今日は解散してください。すみませーん、すみませーん、すみませーん。」

ーー上空がざわめき、ごうごうと鳴ったが、やがて静まった。

司会「やれやれ、今日はここまでにしましょうか。」

全員 賛成

2024・08・26




ざつだん

アシ「『姉』は家族の犠牲になる、っていうシナリオがありませんか? 身売りして花魁になる的なモチーフがあるような。
ーー貧しさゆえに身売りした姉が、妹がそうならないように心配するーーみたいなのが何かの歌詞にあったし、映画でも花街の女がそういう話をするのを見たような……。」

花子「現実のじゃなくて、あくまでイメージの話だけど、兄と弟の関係より、なぜだか姉と妹ってなんかどろっとしてるわねー。」

司会「もうよしましょうね!」