「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)
レジ袋
(この項、2024年9月に公開しましたが、加筆して
2025年1月に公開し直しました。)
最初にいちばんのお気に入り1首
この星に投身をする少女のように海底へ降りてゆくレジ袋
(題詠「塵も積もれば」)
山下一路 「かばん」2020.3『世界同時かなしい日に』2024に収録
題詠イベント「塵も積もれば」に出詠して最高点をとった歌。
哀切で美しいが、「塵も積もれば」という題を考えると、このレジ袋は海に蓄積する汚染物質であると思い当たるだろう。そのレジ袋を「投身をする少女」に見立ることの意味が、じわじわ解凍されて来ないか。
「投身をする少女」という擬人化は、哀れなレジ袋の無念を感じさせるが、その無念は粗末に捨てられたためだけではなかろう。環境汚染の言説におけるレジ袋は、いつも「悪者」扱いだが、もとは石油という地球のまっとうな成分であり、人間によって、土にも海にも還れぬ汚染物質に変えられたのだ。「投身」という言葉選びには、そのことへの幽かなあてつけが含まれると思う。
さらに、「投身」は、人間に跳ね返って来る。環境破壊は自滅行為だからだ。そう知っていてもやめられぬ人類の矛盾。一人ひとりは否応なくこの自滅行為に加わる。投身のレジ袋たちは、私たちの細分化された自殺の図ではないのか、というふうに、環境問題としての深読みにも踏み込んでいけそうである。
故人である作者の意図はもう問えないが、山下一路の他の歌にも、こうした手の込んだ悲しい皮肉を見出すことができる。 まじめに深刻な事態を訴える社会派の「手の込んだ皮肉」。 -- 一般的に社会的な問題を詠む場合、その「まじめな意図」を詠みおおせることがメインの目的で、表現の詩性はわかりにくさを回避するために抑えめになりがちだ。が、山下の歌では、皮肉表現の詩的価値が高い。このことに何度となく驚かされた。
さて、では、いろいろなレジ袋の歌をみてみよう。
●レジ袋を持って
大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋
俵万智 『サラダ記念日』
レジ袋を詠む歌の中で比較的多い取り上げ方は、レジ袋を下げて歩くシチュエーションだ。それはたいてい、日々の食料や必需品を買って帰るところであって、日常の平穏、ささやかな幸福感を描く。
スーパーの袋をさげて歩み来る敵将の首を下ぐるごとくに沖ななも『白湯』ちょっと奮発してメロンなどを買ったかな?
スーパーの薄い袋を柑橘で充たして運ぶ春の自転車嵯峨直樹『半地下』
二人で持つシチュエーションは、二人の関係などを表す。
感情の作り置きってできないと言いあいながら持つレジ袋
小野田光 『蝶は地下鉄をぬけて』
さみしさを二等分してレジ袋あなたの方がわずかに重い
toron*『イマジナシオン』
こういう歌もあった。二種類のインスリンも入るレジ袋柿の実色づく道を帰りぬ
足立晶子『はれひめ』2021
「インスリンも」の「も」には、「いつもなら夕飯の食材など楽しみなものが入っているのに」という気持ちの省略が込められている。
毛色の違う歌を見つけた。
レジ袋右手から左手にもちかえる木幡神社の大楠の手前
谷口純子 『ねずみ糯』2015
神社の大樹の前で、レジ袋の持ち手を変える。--これも日常場面を詠む歌だが、なんだか記述以上のことを感じる。 上の句では左右の手の動きを述べ、下の句では遠い視点からの絵に切り替わるという、ふたコマの絵になっていることがミソだと思う。 スーパーの袋(食料などが入っている)を下げて歩くヒト。その手が疲れたか、ちょっと持ち替えてまた歩き出す。(「右手から左手に」の字余りは、持ち替える動作を感じさせて効果的だ。) それは、神社の前、樹齢何百年の大樹の前だ。命を超越する神、タイムスパンの長い大楠、そしてせいぜい百年しか生きない人間、という、異質な存在の3者がたまたま重なる。 そういういわば概念の奥行きのある構図の中で、ヒトが手の疲れというとても小さな問題を解決する。そんなささいな音もない一瞬の命の現場、という実にさりげない臨場感。
非常に精密な歌であると思う。
●半透明
レジ袋の多くは半透明だが、まだ「半透明」という特徴を詠む人は少ないようだ。
半透明レジ袋ゆゑうつすらと中身の見えてこれはアボガド
喜多昭夫『青夕焼』
アボカドの濃すぎる緑とパプリカの黄に紗をかけているレジ袋喜多昭夫『いとしい一日』2017
※「紗(しゃ)をかける」という言葉を知らなかったので調べました。
紗とは生糸の織物の一種、透過性のある細い糸で荒く織り込まれた布。レンズに被せて被写撮影し写真のイメージをソフトにすること。
●レジ袋が生き物などに見える
兎ひとつ座れる形にレジ袋ベンチにありて夕暮れてゆく
小潟水脈『時時淡譚』
枯れ枝にはためく白い木蓮はずっと前からレジ袋だった千種創『砂丘律』2015
ワタシ的あるあるは白猫。
足元に白猫がいて、踏まないように跨いだらレジ袋とか、
白猫が阿波おどりしてると驚いたがレジ袋だったとか。
●先行きの不安
レジ袋が生き物にみえることに関係すると思うが、風に翻弄されてふと命を帯び、舞い踊りながら飛ばされていく姿は、先行きの不安を感じさせることもある。
風に舞うレジ袋たちこの先を僕は上手に生きられますか
従順なレジ袋たち河口まで運ばれふいに惑いはじめる
法橋ひらく 『それはとても速くて永い』2015
秋の道ひかりを抱いてぱるぽるとレジ袋ひとつ転がりてゆく
千葉弓子@ちば湯「かばん」2025年1月号新春題詠「袋」※作者名は1月号にはなく、後日明かされた。
この歌は、一見幸福感を詠んでいるように見える。が、今は期待に膨らんで「ぱるぽる」と楽しげに転がっていくレジ袋には、悲しい末路しかない。じきに希望の光は消えて残酷な未来が来てしまう。つまり、現在の「明」のみを書いて、未来の「暗」を暗示するというレとリカルな歌であると思う。
未来のわからなさはときにトリックかとさえ思えるが、この歌のレトリックはそのトリックを体現しているようにも思える。
●レジ袋の要不要を告げる
レジ袋いりませんってつぶやいて今日の役目を終えた声帯
木下龍也 『つむじ風、ここにあります』2013
世界とのあいだにいつも「あ」を挟む あ レジ袋つけてください
まるやま(『短歌ください 君の抜け殻篇』2016より)
レジ袋断り牛乳素手で握る2020を生きているきみ
伊藤紺 (「短歌「いま」」2020年7・8月 特集:癒やしながら より)
●レジ袋有料化
レジ袋は2020年7月1日有料化された。時事ネタのためか、世間話のような感じ。
ともかくも今の幸せ享受するレジ袋代五円を払って蒼井杏『瀬戸際レモン』
西友のレジ袋(M)2円なり買うとき今日は怒りが湧いた
染野太朗 「詩客」2013-02-22
山下一路 「かばん」2020.3『世界同時かなしい日に』2024に収録
題詠イベント「塵も積もれば」に出詠して最高点をとった歌。
哀切で美しいが、「塵も積もれば」という題を考えると、このレジ袋は海に蓄積する汚染物質であると思い当たるだろう。そのレジ袋を「投身をする少女」に見立ることの意味が、じわじわ解凍されて来ないか。
「投身をする少女」という擬人化は、哀れなレジ袋の無念を感じさせるが、その無念は粗末に捨てられたためだけではなかろう。環境汚染の言説におけるレジ袋は、いつも「悪者」扱いだが、もとは石油という地球のまっとうな成分であり、人間によって、土にも海にも還れぬ汚染物質に変えられたのだ。「投身」という言葉選びには、そのことへの幽かなあてつけが含まれると思う。
さらに、「投身」は、人間に跳ね返って来る。環境破壊は自滅行為だからだ。そう知っていてもやめられぬ人類の矛盾。一人ひとりは否応なくこの自滅行為に加わる。投身のレジ袋たちは、私たちの細分化された自殺の図ではないのか、というふうに、環境問題としての深読みにも踏み込んでいけそうである。
故人である作者の意図はもう問えないが、山下一路の他の歌にも、こうした手の込んだ悲しい皮肉を見出すことができる。 まじめに深刻な事態を訴える社会派の「手の込んだ皮肉」。 -- 一般的に社会的な問題を詠む場合、その「まじめな意図」を詠みおおせることがメインの目的で、表現の詩性はわかりにくさを回避するために抑えめになりがちだ。が、山下の歌では、皮肉表現の詩的価値が高い。このことに何度となく驚かされた。
●レジ袋を持って
大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋
俵万智 『サラダ記念日』
レジ袋を詠む歌の中で比較的多い取り上げ方は、レジ袋を下げて歩くシチュエーションだ。それはたいてい、日々の食料や必需品を買って帰るところであって、日常の平穏、ささやかな幸福感を描く。俵万智 『サラダ記念日』
スーパーの袋をさげて歩み来る敵将の首を下ぐるごとくに
沖ななも『白湯』
ちょっと奮発してメロンなどを買ったかな?スーパーの薄い袋を柑橘で充たして運ぶ春の自転車
嵯峨直樹『半地下』
二人で持つシチュエーションは、二人の関係などを表す。
感情の作り置きってできないと言いあいながら持つレジ袋
小野田光 『蝶は地下鉄をぬけて』
さみしさを二等分してレジ袋あなたの方がわずかに重い
toron*『イマジナシオン』
こういう歌もあった。
「インスリンも」の「も」には、「いつもなら夕飯の食材など楽しみなものが入っているのに」という気持ちの省略が込められている。
毛色の違う歌を見つけた。
レジ袋右手から左手にもちかえる木幡神社の大楠の手前
谷口純子 『ねずみ糯』2015
神社の大樹の前で、レジ袋の持ち手を変える。--これも日常場面を詠む歌だが、なんだか記述以上のことを感じる。
上の句では左右の手の動きを述べ、下の句では遠い視点からの絵に切り替わるという、ふたコマの絵になっていることがミソだと思う。
スーパーの袋(食料などが入っている)を下げて歩くヒト。その手が疲れたか、ちょっと持ち替えてまた歩き出す。(「右手から左手に」の字余りは、持ち替える動作を感じさせて効果的だ。)
それは、神社の前、樹齢何百年の大樹の前だ。命を超越する神、タイムスパンの長い大楠、そしてせいぜい百年しか生きない人間、という、異質な存在の3者がたまたま重なる。
そういういわば概念の奥行きのある構図の中で、ヒトが手の疲れというとても小さな問題を解決する。そんなささいな音もない一瞬の命の現場、という実にさりげない臨場感。
非常に精密な歌であると思う。
非常に精密な歌であると思う。
●半透明
レジ袋の多くは半透明だが、まだ「半透明」という特徴を詠む人は少ないようだ。
半透明レジ袋ゆゑうつすらと中身の見えてこれはアボガド
喜多昭夫『青夕焼』
喜多昭夫『青夕焼』
アボカドの濃すぎる緑とパプリカの黄に紗をかけているレジ袋
喜多昭夫『いとしい一日』2017※「紗(しゃ)をかける」という言葉を知らなかったので調べました。
紗とは生糸の織物の一種、透過性のある細い糸で荒く織り込まれた布。レンズに被せて被写撮影し写真のイメージをソフトにすること。
紗とは生糸の織物の一種、透過性のある細い糸で荒く織り込まれた布。レンズに被せて被写撮影し写真のイメージをソフトにすること。
●レジ袋が生き物などに見える
小潟水脈『時時淡譚』
枯れ枝にはためく白い木蓮はずっと前からレジ袋だった
千種創『砂丘律』2015
ワタシ的あるあるは白猫。
足元に白猫がいて、踏まないように跨いだらレジ袋とか、
白猫が阿波おどりしてると驚いたがレジ袋だったとか。
ワタシ的あるあるは白猫。
足元に白猫がいて、踏まないように跨いだらレジ袋とか、
白猫が阿波おどりしてると驚いたがレジ袋だったとか。
●先行きの不安
レジ袋が生き物にみえることに関係すると思うが、風に翻弄されてふと命を帯び、舞い踊りながら飛ばされていく姿は、先行きの不安を感じさせることもある。
風に舞うレジ袋たちこの先を僕は上手に生きられますか従順なレジ袋たち河口まで運ばれふいに惑いはじめる
法橋ひらく 『それはとても速くて永い』2015
秋の道ひかりを抱いてぱるぽるとレジ袋ひとつ転がりてゆく
千葉弓子@ちば湯「かばん」2025年1月号新春題詠「袋」
※作者名は1月号にはなく、後日明かされた。
未来のわからなさはときにトリックかとさえ思えるが、この歌のレトリックはそのトリックを体現しているようにも思える。
レジ袋いりませんってつぶやいて今日の役目を終えた声帯
木下龍也 『つむじ風、ここにあります』2013
世界とのあいだにいつも「あ」を挟む あ レジ袋つけてください
まるやま(『短歌ください 君の抜け殻篇』2016より)
レジ袋断り牛乳素手で握る2020を生きているきみ
伊藤紺 (「短歌「いま」」2020年7・8月 特集:癒やしながら より)
木下龍也 『つむじ風、ここにあります』2013
世界とのあいだにいつも「あ」を挟む あ レジ袋つけてください
まるやま(『短歌ください 君の抜け殻篇』2016より)
レジ袋断り牛乳素手で握る2020を生きているきみ
伊藤紺 (「短歌「いま」」2020年7・8月 特集:癒やしながら より)
●レジ袋有料化
レジ袋は2020年7月1日有料化された。
時事ネタのためか、世間話のような感じ。
ともかくも今の幸せ享受するレジ袋代五円を払って
蒼井杏『瀬戸際レモン』
西友のレジ袋(M)2円なり買うとき今日は怒りが湧いた
染野太朗 「詩客」2013-02-22
染野太朗 「詩客」2013-02-22
レジ袋の歌は今のところこんな感じ。
数年後にまた様子をみたい。
2025年1月29日
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