2020年6月30日火曜日

青003 一人して留守居さみしら青光る蠅のあゆみをおもひ無に見し  斎藤茂吉

一人して留守居さみしら青光る蠅のあゆみをおもひ無に見し
ルビ:無(な)
斎藤茂吉『赤光』1913年


「青光る蝿」じゃなかったら、あんまりいい歌にならなかっただろうなあ。
一人でいるさみしさ、何も思わず蠅を注視することは、重要なのだがありがちである。
どうでもいいはずの蝿の色に「青光る」と5音も使ったことで、歌は価値をあげている。

◆茂吉の蠅の歌

茂吉は蠅の歌をすごくたくさん詠んでいる。

まもりゐの縁の入り日に飛びきたり蠅が手をもむに笑ひけるかも
『赤光』

昼過ぎて電車のなかの梅雨いきれ人うつり飛ぶ蠅の大きさ
『あらたま』

蠅多き食店にゐてどろどろに煮込みし野菜くへばうましも
ルビ:食店(しよくてん)
『遠遊』

◆青+淋しい

なお、〈青+淋しい〉の取り合わせは非常に多くの歌人がしばしば詠んでいる人気セットだが、茂吉にもこれがけっこうある、という印象がある。
でも、これは、厳密にデータを解析していなくて、あくまで私の感覚でしかない。

しかも、近代の人は二言目には淋しい悲しいと詠む傾向があるわけで(言い過ぎ?)、茂吉が特別そうだとは言えないだろうが、少し歌を拾っておく。

さびしさに堪ふるといはばたはやすし命みじかし青がへるのこゑ
『あらたま』

昼の野(ぬ)にこもりて鳴ける青蛙ほがらにとほるこゑのさびしさ
『あらたま』

山こえて片山かげの青畑ゆふげしぐれの音のさびしさ
『あらたま』

こもり波あをきがうへにうたかたの消えがてにして行くはさびしゑ
『ともしび』

夜おそく青山どほりかへり来て解熱のくすり買ふもさびしき
『あらたま』

なお、「夜おそく」の歌の「青山」は地名だから〈青+淋しい〉とは関係ないのでは、とも思えるのだが、しかし、もし「赤坂」だったら、歌に詠み込んだだろうか。
地名の字面や語感や由来などが心情が合わなかったら歌に詠み込まないだろう。
「青山」といえば青山墓地があるし、「人間(ジンカン)到る処(ところ)青山(セイザン)あり」も「淋しさ」と響き合いそうだし、やはり「青」のイメージもそこにフィットしていると思う。

名歌を多く詠む歌人は、無意識にも語句を適切に選び、その一首のなかで緊密に協力しあうように配置できる。

◆オマケ 近代歌人の蠅の歌を少し

祭過ぎて窓の障子のあかるきに蠅も目につく今日のさびしさ
古泉千樫

おとろへし蝿の一つが力なく障子に這ひて日はしづかなり
伊藤左千夫

人皆の箱根伊香保と遊ぶ日を庵にこもりて蝿殺すわれは
正岡子規

ひさしぶりに、
 ふと声を出して笑ひてみぬ―
蠅の両手を揉むが可笑しさに。
石川啄木『悲しき玩具』

なまぐさき塩釜港の裏小路【うらこうぢ】釣道具店に冬の蠅飛ぶ
ルビ:裏小路【うらこうぢ】
結城哀草果『群蜂』

以上

青002 白昼の海古びし青き糸のごとたえだえ響く寂しき胸に 若山牧水


糸電話みたいだね


白昼の海古びし青き糸のごとたえだえ響く寂しき胸に
ルビ:白昼【ひる】
若山牧水 『海の声』1908年

海が胸に響くだけなら驚かないけれど、「古びし青き糸のごとたえだえ」っていう響き方の表現、手作り感がすごい。
これは普通の〝いい歌〟なんかじゃない。

※ちなみに普通のいい歌〟はこういうもの。
あら野来てさびしき町を過ぎしかば津軽の海は目に青く見ゆ  古泉千樫

普通の〝いい歌〟を超える歌を迎えうつのが鑑賞の醍醐味だ


『海の声』にはたくさん海が詠まれている。
有名な〝いい歌〟がたくさん含まれているが、私は〝いい歌〟にあまり興味がない。
個人的に注目しているのは、この「糸」である。
海と自分が糸電話で結ばれているかのようではないか。

自分と海とを糸電話的に結びつけるのは、かなり独自で、普通の〝いい歌〟をひそかに超えるスペシャルな要素だ。
通りの良い抒情に収まりにくいものを、怖じず臆せず、自分を信じて書き放っている。


しかも、この青い「糸」は人と海を結ぶにとどまらず、天に通じ、風にも交じり、世界をめぐるものへと、イメージが発展する可能性をも胚胎していたようだ。

わが胸ゆ海のこころにわが胸に海のこころゆあはれ糸鳴る

一すぢの糸の白雪富士の嶺に残るが哀し水無月の天

聳やげる皐月のそらの樹の梢に幾すぢ青の糸ひくか風
(すべて『海の声』より)

現在の短歌には、人や地上の事象が空との青い血縁で結ばれているかのようなイメージを前提にして(そうと意識はされていないようだが)、詠まれている歌がしばしばある。

その始まりは牧水かもしれない。
以下の歌は、この系譜のどこかに位置づけられないだろうか。
深読みであることは承知しているが、普通の〝いい評〟なんかもう見飽きてない?

青水泡こととふごとくうるはしきゑまいぞ過ぎし遠き電話に
ルビ:青水泡(あをみなわ)
山中智恵子『青章』

眼下はるか紺青のうみ騒げるはわが胸ならむ 靴紐結ぶ
福島泰樹

湖からぼくに届いた一通の青い手紙が流れはじめる
俵万智『チョコレート革命』

ではまた。

青001 冬空の澄み極まりし青きより現はれいでて雪の散り来る 窪田空穂


冬空の澄み極まりし青きより現はれいでて雪の散り来る
窪田空穂『泉のほとり』1917

天界の〈青〉が澄み極まり、そこから雪が地上に散ってくる。晴天の空から雪が散ってくる「風花」という現象を詠んでいるのだと思う。

だが、単なる深読みかもしれないが、この歌には、天地の大がかりな仕掛けを暗示しそうになる、以下の要素がひそんでいると思えてならない。

「散る」は雪を桜に見立てる言い方だ。
そして、樹木である桜は、地から吸収したものを樹上に運び花に咲かせて降らせる仕組みである。

そのように、地上という決して極まることのない場から排出されるものを空が汲み上げ、澄み極まるまで浄化して地上に返してくる……。
そんなシステムを、うんと淡く(サブリミナルなみのひそかさで)暗示しそうになっている。


満53 漕ぐといえば何?



■本日のお気に入り

影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき
紀貫之『土佐日記』

春浅き大堰の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る
ルビ:大堰(おほゐ)
栗木京子

自転車に空気加えて麦秋のこの世ならざる穂波を漕げよ
塚本邦雄

自転車を漕ぐとき冬がはじまって目の中で雪とかしています
穂村弘手紙魔まみ』

さびしさに死ぬことなくて春の夜のぶらんこを漕ぐおとなの軀
内山晶太『窓、その他』 

ゆっくりとミシンを漕げばゆっくりと銀のお告げが滴りおちる
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』

三億年の歳月海を漕ぎいたる鮫の裸身のかなしき灰色
井辻朱美『水族』

以下の解説のなかにも、たくさんの歌を紹介しています。

「漕ぐ」という語を含む歌を集めてみた


本日の短歌データ総数 109,148首
うち「漕ぐ」歌は166首
何を漕ぐかというと、船(舟)と自転車が圧倒的に多い。
次いでぶらんこがやや多く、あとはほとんどばらばらである。
 船   60首
 自転車 51首
 ぶらんこ16首
 その他 39首

1 船を漕ぐ歌


◆古典和歌では「船」を漕ぐ
「漕ぐ」は大昔から和歌に使われてきた語だが、古典和歌のなかで漕がれるのは「船」だけであるようだ。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
額田王

空の海に雲の波たち月の舟星のはやしにこぎかへるみゆ
柿本人麻呂

◆近代の歌でも「漕ぐ」と言えば多くは「船」
舟は沖へうねりは磯へ空の下に行きちがひ行きちがひ浦わ漕ぎ出づ
※浦わ=浦廻・浦回 入り江。海岸の曲がりくねって入り組んだ所。
木下利玄

漕ぎめぐり「ありやせこりやせ」と櫂操る子月の下びに十四人なる
ルビ:櫂操(かいと)る
尾上柴舟『素月集』1936

◆「船」は現代の歌では少なめ
現代の歌では、言葉どおりに船を漕ぐ歌は少ない。現実に船を漕ぐことが少なくなったこともあるだろうが、歌の表現方法が変化してきている。

ゆるやかに漕ぎ出す舟は河口へと着く頃しずかに燃え尽きるだろう
ひぐらしひなつ『きりんのうた』

月下の浜に朽ちゆく船の影ぞ濃き漕ぎ出ずるなき一生悲しめ
佐佐木幸綱 『夏の鏡』

こぎのぼる舟の櫂の水の音の全自動洗濯機〈洗い〉へ進む
渡英子『みづを搬ぶ』

舟を漕ぐしぐさは羽ばたきのそれに似てるね こころ透きとおるのね
井上法子『永遠でないほうの火』

さかさまにペダルを漕げばあともどりできる白鳥ボートはすてき
山階基『風にあたる』

2 自転車を漕ぐ歌

「自転車」は近代短歌から詠まれだした。近代ではそう多くなかったが、現代短歌では超人気の題材で、詠まれる頻度は約242首に1首である。
一般的な歌集は200首から300首収録されているので、単純計算なら歌集1冊に1首はある、というぐらい多い。
自転車は自力で漕ぐ身近な乗り物で、日々の生き方、心の有り様などを重ねて詠むことができるからだと思う。自転車を詠む歌の中でも特に「自転車を漕ぐ」と書く場合は、地道に日々を生きる生活感覚を表しやすいようだ。
「船」を意識しているらしい歌も少なくない。

自転車を漕いでる風で泣けてくる映画一本見てへとへとだ
山川藍 『いらっしゃい』

とりあえず今日をサヴァイヴすることだ自転車をこぐ辻井竜一
辻井竜一 『遊泳前夜の歌』

わが妻のどこにもあらぬこれの世をただよふごとく自転車を漕ぐ
小池光 『思川の岸辺』

自転車を漕ぐ人の背が膨らんで加速してゆく時間と思う
坂井ユリ 「羽根と根」6号

いい事が飴玉のように在ればいい春に吹かれつつ漕げり自転車
花山周子 『林立』

川沿いに自転車を漕ぐカゲロウの大群に視界奪われながら
齋藤芳生 『桃花水を待つ』

水流が私に添いて来るように思わるるまで自転車を漕ぐ
永田紅 『春の顕微鏡』

喘ぎ、つつ、わが漕ぎ、ゆけば、自転車になりたい夏にさいなまれたい
佐藤弓生 『薄い街』

3 ぶらんこを漕ぐ歌

「ぶらんこ」は普通は子どもの遊具で、大人が乗るシチュエーションは、テレビドラマならほぼ傷心や孤独など、センチメンタルな場面である。
必ずしも暗い一方ではなく、追憶や郷愁をかきたてる面もあり('70年頃のフォークソングをちらっと想起させもして)、抒情的な救いを伴う。

公園で一番歳をとりやすきブランコよ秋の夜に漕ぎてみむ
栗木京子『けむり水晶』

ブランコを漕ぐといふ語のさみしくてどこの岸へもたどりつけぬ
林和清 『去年マリエンバートで』

ふららこという語を知りてふららこを親しく漕げば春の夕暮
大下一真『月食』

ブランコを思ひきり漕いだことはなく人生すなはち背中がこはい
今野寿美 『かへり水』

ブランコを漕ぎいだすとき視野に入る古代の空とオニクルミの木
永井陽子『樟の木のうた』

昏睡の湖に漕ぐぶらんこのちいさな靴が鼻先にきて
加藤治郎 『昏睡のパラダイス』1998

4 その他のものを漕ぐ歌

◆その他のものを漕ぐ歌には、上記の「船」「自転車」「ぶらんこ」以外の、三輪車、車椅子などを漕ぐ歌もあるが、「何を漕ぐか」を書かずに「漕ぐ」という動作に重点を置いて詠む歌がたくさん含まれている。

「漕ぐ」という動作には以下の特徴があって、それだけで一首が成立するのである。
  ・普通の前進よりも意欲的な前進である。
  ・一挙手一投足に抵抗を感じながら推進力を得る。
  ・たゆみなく反復動作をする。

ほの昏き体温の海漕ぎはじむかすかな星にまじり医者ゐぬ
浜田到『架橋』

熱ありて白川夜船を漕ぎゆけば沈没前の朝のひかりルビ:朝(あした)
堀田季何『惑亂』
※「船を漕ぐ」を居眠りなどの意味で用いた歌は、「船」60首に含めず「その他」とした。

わたしの腹の下にひろがる湖に革命がある雨が漕ぎくる
江田浩司

紙コップ熱きを妻に手渡せりキリンの首は秋風を漕ぐ
吉川宏志『夜光』

足たれて夕茜漕ぎ子どもらがひつそりとうたふ星ほろぶうた
米川千嘉子『葩ほどの』

天国を説く青年はビル街を漕いでゆく雨合羽濡らして
鯨井可菜子『タンジブル』

漕ぎ抜いて貯めたすべてのエナジーを散財させて風になりたり
武富純一『鯨の祖先』

オマケ

最後に、私のデータベースには俳句も少し入っているので、そこから少しだけピックアップしておく。


鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし  三橋鷹女 『白骨』

暗呪。沖から手が出て 夜を漕ぐ  寺田澄史

雪を漕いで来た姿で朝の町に入る 尾崎放哉

おしまい。

2020年6月29日月曜日

ミニ31 あやとり

あやとりの東京タワーてっぺんをくちびるたちが離しはじめる
笹井宏之『ひとさらい』

おもしろい。
あやとりは手数をかけて、糸の綾からなにかの形を出現させるものだ。(あまり意識しないが、この不思議さはかすかに呪術的かもしれない。)
「東京タワー」は、「盃」を作って上の糸をくわえて引っ張る。するといきなり東京タワーの形になり、おお!っという感動をもたらす。

その感動は長く続けるものではなくて、唇を離せばタワーの形はゆるみ、そして、あっという間にただの紐になってしまう。
この歌は、その、形を失う瞬間、感動から心を離す瞬間をスローモーションで描いている。
人々が手間ひまかけて構築したもの、そこで共有した感動ーー、そこから人々の心がはなれてゆく折返しのはじまりを詠んでいる点に注目した。
これを大げさに言えば、滅びに向かう折り返し地点。赤方偏移が青方偏移に転じる瞬間だ。

(なお、「東京タワー」は「はしご」を変形させるものもある。けっこう手数を要する難しいもので、こちらは口を使わない。)

◆楽しい遊びであるあやとりだが、歌に詠むと、さみしさを詠む歌が多く、そこにうんとかすかな危機感を一滴垂らしたようば、味のある歌になりやすいようである。
山や川など大きいものを作るし、すぐに紐に戻ってしまうからだろうか。

あやとりの紐は数秒〈電球〉の形をなして寸劇は終はり
ルビ:寸劇(コント)
石川美南『離れ島』2011

私の本日のデータベースには「あやとり」を含む歌が、上記も含めて12首あった。
読者にご判断いただけるよう、以下に残り10首をすべてあげておく。


あやとりはたのしきものか群青の川を取りあふ姉とおとうと
小林幸子『六本辻』

あやとりの吊り橋おちて僕たちは抱きあったまま夜の奈落へ
植松大雄

ひっそりと縒れる心のあやとりのいとさみしくば人には告げず
三枝浩樹『歩行者』

ゆるい陽は思い出させるからまって捨ててしまったあやとりのひも
本田瑞穂

遊園地ゆきの電車の隅に乗るあやとりあやとりとってとられた
三好のぶ子「かばん」2001・12

綾とりに取れぬ山川魚小鳥人の思ひもわれもさびしも
馬場あき子『晩花』

母と娘のあやとり続くを見ておりぬ「川」から「川」へめぐるやさしさ
俵万智『かぜのてのひら』

ゆつくりと小指で浚ふあやとりの川底にあるそのさみしさを
飯田彩乃『リヴァーサイド』

つまんなくない?って瞼を紅くしてあやとりやめたマンションの前
間宮きりん「早稲田短歌」44

テーブルに見えぬあやとり探りつつ砂糖の壺の蓋がずれている
樋口智子「詩客」2012-08-10

以上

2020年6月25日木曜日

ミニ30 実験器具

不純物ひとつもなくて怖かった試験管から見上げる空は
藤本玲未『オーロラのお針子』

秋の空フラスコ透かし見てあらば滅亡もただ解のひとつか
ルビ:解(かい)
大塚寅彦『夢何有郷』

たまたまこの2首を時間をおかずに目にして、あら実験器具って「空」といっしょに詠まれる傾向があるかしら、と気になり、調べてみた。

結論からいうと、そういう傾向はなかった。
実験器具に限らず、ガラス(窓やガラス瓶など)は、「空」と縁が強く、実験器具もガラスだから「空」が詠み込まる例はあるけれども、「空」が多く出てくるわけではなかった。
なあんだ。
まあ、せっかくなので、実験器具の歌をどどーんと紹介しておく。

試験管の破片をふたり拾うとき音階のごとく燃えるひまわり
穂村弘『新星十人―現代短歌ニューウェイブ』

試験管のアルミの蓋をぶちまけて じゃん・ばるじゃんと洗う週末
永田紅『ぼんやりしているうちに』

かみさまの真似をしてみる20°Cの試験管にはみどりが澱む
國森晴野『いちまいの羊歯』

のんびりとふえてゆくのが愛ならばシャーレの蓋は少しずらして
東直子『春原さんのリコーダー』

それぞれの宇宙包みてしづまれるシャーレの群れを抱く孵卵器
足立尚彦『浮かんだレモン』

今はなきガラスのシャーレ身と蓋を合わせるときのまるき重たさ
永田紅『春の顕微鏡』

湧きやまぬ水泡のふちに寄りながらビーカーを洗う指のやさしさ
ルビ:水泡(みなわ)
加藤治郎『サニー・サイド・アップ』

ピペットに梅干色のわが血沈む 一揆にも反乱にも敗れたりき
斎藤史『風に燃す』

數グラムの試藥の粉末を底に置き乳鉢の暗部ありと思ふも
葛原妙子『原牛』

透明な秋の空気はフラスコのなかでフラスコのかたちしている
杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』

蒼きそらゆがみてうつるフラスコのひたすらゆげをはきてあるかな
宮沢賢治『夜のそらにふとあらはれて』

フラスコに桜はなびら満ちてゆく時間と思う君の沈黙
吉野裕之 作者HP 2016・9

フラスコの首つかまえて二本ずつ運べば鳥を提げたるごとし
永田紅『春の顕微鏡』

フラスコの球に映れる緋の石榴さかさまにして梢に咲けり
葛原妙子『原牛』

フラスコに丸まる春はアルコールランプの熱に踊りはじめる
田中ましろ

神様は信じてないわプレパラートのなかまで冷たい冬の顕微鏡
山崎郁子

顕微鏡で宇宙をみている者の眼にそのとき金の薔薇が映るの
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』

自らを瀆してきたる手でまわす顕微鏡下に花粉はわかし
ルビ:瀆(けが)
寺山修司『血と麦』

咳しつつ夏むかえれば顕微鏡写真のダニがうつくしすぎる
松木秀『RERA』(2)

顕微鏡からみえる青信号に手をふってまた冬のふるさと
藤本玲未『オーロラのお針子』

どんな人と聞かれて春になりゆくを 春は顕微鏡が明るい
永田紅『春の顕微鏡』

いたづらに我が身フルゴロオトガラス水に虫あることも知らずて
※フルゴロオトガラス=顕微鏡
大隈言道『戊午集』


やや作者に偏りがあるのは、私の好みの反映でなく(多少はあるかもしれないが)、こういう語彙を好む作者が何首も詠む傾向があるからである。

本日の短歌データ総数109,149首
うち複数詠まれていた実験器具
  試験管   9首
  シャーレ  8首
  ビーカー  4首
  フラスコ 19首
  顕微鏡  12首
フラスコと顕微鏡はやや人気があるのかな。

ではまた。

2020年6月22日月曜日

ミニ29 何故と言われましても

「ききらぎの二日の月をふりさけて恋しき眉をおもふ何故(なにゆゑ)」
                         斎藤茂吉『寒雲』
「私が知るわきゃないじゃん!」

■末尾の何故など


疑問文のかたちの歌がよくある。
作者or歌の主体の心情の表現であって、べつに私に問いかけているわけではない。

秋茄子を両手にを乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る 』

しかし、冒頭にあげたように、歌の末尾で「何故」「何」「誰」などと問いかけて終わる場合、私に聞いているわけではないと知りつつも、丸投げされた感じがして、
「知るわきゃないじゃん」
と思ってしまう。

個人的にはこっそり、この〝丸投げされ感〟を楽しんでいる。
ものすごくたくさんあるので、目に入るなかからランダムに少しあげておこう。


五角いとも三角いとも言えぬまま四角いだけが言えるのはなぜ
松木秀『RERA』

おびただしきは家の百円ライター赤き色を好むは何
高瀬一誌『レセプション』

無意識に左手のフォークを落したる一瞬を目ざとく見たりしは誰
ルビ:左手(さしゅ)
木俣修『昏々明々』

とんとん、と階段の音あれは母あれは弟そして誰
青井硝子「早稲田短歌」44

喧嘩せうと思ふ心を圧ふるな圧ふるなとぞささやくは誰
ルビ:圧(おさ)
窪田空穂『濁れる川』

をなもみを背につけたる少女あり冬の片恋なさむは誰ぞ
ルビ:背(せな)
坂井修一『ラセン』

(ワープなんてできるはずない)ねえ、そこでトロイメライを弾いてるのだれ
鈴木貴大「早稲田短歌」43

試験管を持ち歩むときライナア・アリア・リルケを憶ふは何ゆゑ
宮柊二

暁の寺【ワット・アルン】揺らめく彼方一瞬の眩みによぎる残像は誰
天道なお『NR』

羅漢寺の十六羅漢なき親におもざし似たる羅漢名は何
与謝野鉄幹

たくさんありますが、このへんで。








ミニ28 降らすもの


あまてらす神も心あるものならば物思ふ春は雨なふらせそ

和泉式部『和泉式部続集』

25で「降りかかる」を集めたが、今回は「降らす」を探してみた。
「降らす」(「振りかける」を含める)ことを読む歌は79首あった。
まずは本日の気分でピックアップ。

■本日のお気に入り


グレープフルーツ切断面に父さんは砂糖の雪を降らせています
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

花降らす木犀の樹の下にいて来世は駅になれる気がする
服部真里子『行け広野へと』

どれほどの粉おしろいを降らせてはいずれ虚空に消えゆく顔か
佐藤弓生『薄い街』

すぐ怒る声よりさきに鈴虫の声のパウダーふりかけなさい
冬野虹『かしすまりあ』

体育館裏のなんでもない土の匂いが雨を降らせてしまう
千葉聡『飛び跳ねる教室』

鱗粉を脛に降らしめ何処へゆく水も光も通さぬ姉は
和里田幸男

公園の鉄の部分は昨晩の雨をゆっくり地面に降らす
木下龍也『つむじ風、ここにあります』


ここでちょっと説明を。
ピックアップの続きは下の方にあります。

■何を降らせる? 雨・雪・花


何を降らせるか調べたところ
 雪 19首
 雨 15首
 花  8首
この3つで半分以上を占めていた。
このほか複数あったのは、
 声 2首
 塩 2首
 砂糖2首
で、あとはすべて1首ずつだった。

■お気に入りの続き


約しある二人の刻を予ねて知りて天の粉雪降らしむるかな
ルビ:刻(とき)、予(か)、天(てん)、粉雪(こなゆき)
岡井隆

真白羽を空につらねてしんしんと雪降らしこよ天の鶴群
岡野弘彦 『天の鶴群』(あめのたづむら)

結露したコップの底が読みかけの文庫の上に降らす俄雨
伊波真人『ナイトフライト』

突然に雨を降らしぬ庭、家に あの迫力がすなわち母だ
永田紅『春の顕微鏡』

液晶に指すべらせてふるさとに雨を降らせる気象予報士
木下龍也『つむじ風、ここにあります』

背戸山の垂り枝のあしびほろほろと花降らしをり父は病むなり
岡野弘彦『石打てば石』

電話回線しきりに花を降らすゆゑねむれぬ真昼 鰐にならうか
山田富士郎『アビー・ロードを夢みて』

こんなにもわたしなんにもできなくて饂飩に一味をふりかけている
蒼井杏『瀬戸際レモン』

満月をすっかり閉ざしてしまうならどうか桃色のゾウを降らせて
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』

木木の間に人を歩かせ歩かない木木は木の葉を降らしたりする
香川ヒサ『ヤマト・アライバル』

一瞬にして噴火したひとたちが灰を降らせている夜の町
笹井宏之『てんとろり』

待つという香辛料をふりかけてほうれん草のグラタンを焼く
俵万智『かぜのてのひら』

地球儀に影をふらせているひとを後ろから抱きたくて刺したい
田丸まひる『硝子のボレット』

晴れた夜の天気予報は退屈な月を地球に降らせるばかり
鈴木晴香『夜にあやまってくれ』

頭上の森ざわめき、やがて笑殺せよ笑殺せよと声降らすなり
佐佐木幸綱 『アニマ』

北国の青春が遠くやつて来て眠りの淵に雪を降らせる
田村元『北二十二条西七丁目』

老人は自転車で来て鳩たちにまぶしきパンの耳を降らせる
魚村晋太郎『銀耳』

エントリーシートに今朝の鉱山でとれた砂金をふりかけている
吉岡太朗『ひだりききの機械』

どんな小糠雨よりうつくしい朝のセロリーに振りかける塩
杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』

ほんのりと火星が寄せてくる夕べちりめんじゃこをサラダに降らす
岩尾淳子『岸』

仲直りのサラダにきみがふりかける星のかけらのようなクルトン
谷川電話「かばん新人特集号」2015/3



ぷはー、おもしろい歌がいっぱいありましたね。



2020年6月16日火曜日

ミニ27 あれが・これが・それが

あとすこし、すこしで星に触れそうでこわくて放つ声――これが、声
佐藤弓生 『薄い街』

ひかりながらこれが、さいごの水門のはずだと さようならまっ白な水門
井上法子 『永遠でないほうの火』

釣り針といふものかこれが 飲み込めば身体から海、海の剥がるる
石川美南 『裏島』

見えますか食べものを出しっぱなしのテーブルあれが北海道です
雪舟えま『たんぽるぽる』

折り畳み式のベッドはほそくあをく縞模様してそれが西洋
紀野恵午後の音楽』

ああそれが転ばぬ先の杖ですか祖母の腕かと思いましたよ
木下龍也 『つむじ風、ここにあります』

 ★下の方にもっとたくさんあります。


肉屋の夫婦に双子が出来た これがホントのソーセージ
落語で聞いた都々逸である。

「これが◯◯」という強調に注目し、「これが」という文字列を含む歌を抽出した。
(例:これが愛だ)
ついでに「あれが」「それが」「どれが」も追加抽出した。
強調しない例(単に指差すだけで強調しない等)もあったが、線引がめんどうなので取り除かなかった。

本日の闇鍋短歌109,137首
 
 これが:68首
 あれが:15首
 それが:58首
 どれが:  3首

■これが

色づけてはならないものとして棚をひらいて これが僕たちの空
井上法子『永遠でないほうの火』

目が覚めるたびに深夜の冷蔵庫これが明けない夜なのだろう
宇野なずき 作者ブログ第64回角川短歌賞応募作品「希死念慮キック」

これが最後の一つぶという自覚なく食べ終えた、そんな死もあろうよ
加藤治郎『しんきろう』

これがハイスピードカメラで記録した好きだと思い込む瞬間です
鯨井可菜子『タンジブル』

背後から乗られて吐いた春の気の これが亀鳴く声なのかなあ
佐藤弓生『薄い街』

中学で死んだ高山君のことを思うときこれが記憶の速度とおもう
山崎聡子 『手のひらの花火』

茶碗の底に梅干の種二つ並びおるああこれが愛と云うものだ
山崎方代『方代』

平原の百姓小屋の物乾しのこれが人間の着る着物かな
小熊秀雄

これが海の愛だとばかり夢にみる海はわたしを呑み込んでしまう
杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』

ココナッツオイル頭皮にこすりつけ目を閉ずる夜 これが祈りだ
染野太朗『人魚』

しゃらくさい面倒くさいまだ眠いこれが思想の全てであった
辻井竜一『遊泳前夜の歌』

これがこれ生きた人間の顔かもよ あをじろく、あをじろく 何も知らず
土岐善麿

これが女給/こちらが女優の尻尾です
チヨツト見分けがつかないでしやう
夢野久作

■あれが

墓場から夥しい蝶 赤い蝶 あれがキヨコを食べて飛ぶ翅
安井高志 『サトゥルヌス菓子店』

湖の底までとどく水の皺あれが悪意、と教へられたり
石川美南『裏島』

思えば、あれが時雨か 手をかざす青い炎に赤の交ざって
千種創一 『砂丘律』

■それが

どの虹にも第一発見した者がゐることそれが僕でないこと
光森裕樹 『鈴を産むひばり』

それが問いであるか答えであるのかは、岩礁に立つ白き灯台
松村正直『紫のひと』

ゆるやかな坂道をふとのぼり終えふり向いたならそれが夢です
松木秀 『RERA』

海底に沈んで消えた岬の名、それがわたしの名前の由来
神﨑ハルミ

映像がわるいおかげで虐殺の現場のそれが緋鯉にみえる
千種創一『砂丘律』

白地図のやうな地平に生まれ出てそれが群馬だと知るまでの日々
田村元 『北二十二条西七丁目』

■どれが

どれがわたしの欲望なのか傘立てに並ぶビニールの傘の白い柄
魚村晋太郎『銀耳』


いかがでしたか?
ではまたこんど。








2020年6月11日木曜日

ミニ26 背後から何をする?


後ろからめくれば君に逢う前の世界へ戻ってゆく紙芝居
鈴木晴香

うしろより西日射せればあな寂し金色に光る漁師のあたま
ルビ:金色(こんじき)
北原白秋『雲母集』

後ろから修飾されてフランス語みたい 恋人、自由な、初夏の
柴田瞳「かばん」2011年6月

いやだった あの逡巡がうしろからゆっくり頬を並べてきたの
杉山モナミ「かばん」2015年9月

後ろより誰か来て背にやはらかき掌を置くやうな春となりゐつ
稲葉京子『宴』

忍び男よりやさしげに背後より来るもの<死>ならば恍惚のうちに斬れ
斎藤史

後ろから君の耳ばかり見て歩くゐないのに大きな蛍の匂ひ
河野裕子『家』

昏睡の後ろからでいい 雨後の光を纏う馬にゆっくり跨る
江田浩司

三輪山の背後より不可思議の月立てりはじめに月と呼びしひとはや
山中智恵子『みずかありなむ』



今日は「うしろからどうとかこうとか」という歌を集めてみた。

上記はそこから、とりあえず本日の気分で選んだもの。
下の方にもあるので、お時間があればぜひご覧ください。

本日の短歌総データ数 108,938首
     うち該当歌     92首

*検索テキストは、「背後から」「背後より」「後ろから」「後ろより」「うしろから」「うしろより」に限定し、その他の言い回しは拾わなかった。
*このシチュエーションが採用される頻度は0.08%で、けっこう人気があると思う。

さて、
短歌はどんな「うしろからすること」を詠んでいるだろう?


①触る 26首 
  うち「抱く」15首 「抱く」は同一の単語としては最多だった。
  「抱く」以外の触る行為 11首
②なんらかの危害を加える 16首
 「打つ」「刺す」など、なんらかの危害を加えることを詠む歌。
  (危害の強さ、悪意の濃淡などには差がある。
   「にらむ」「目を隠す」は軽度と判断し、ここに含めなかった。)
③移動(来る・行く等々) 16首
④音や声がする 12首
 話かけられる、呼ばれるも含めた。
⑤見る(にらむ、覗く等も含む) 9首
⑥そのほかいろいろ 22首

(いくつか重複あり。 例:「うしろから来て抱く」は①と③に該当。)

もう少しピックアップ

背後より君を擁けば海原に葡萄の房のごとき雲見ゆ
喜多昭夫『青夕焼』

「右肩が下がっている」と背後から思想を持たぬわたしに触れる
兵庫ユカ『七月の心臓』

うしろより「わ」とおどせしに、
先方のおどろかざりし、
ごとき寂しさ。
土岐善麿『黄昏に』

後ろから刺された僕のお腹からちょっと刃先が見えているなう
木下龍也『つむじ風、ここにあります』

こんな夜美術館の前に佇つてゐると背後より大山猫が来るぞ
永井陽子『モーツァルトの電話帳』

ストーヴにおしりを向けて猫はをりさいはひはつね背後より来る
小池光『思川の岸辺』

背後より来て目の前にすわりたるこの若者は沼科のケモノ
林和清『匿名の森』

ついに店の金に手をつけた夜うしろから声がしてぼくだよのび太くん
フラワーしげる『ビットとデシベル』

うしろよりにらむものありうしろよりわれらをにらむ青きものあり
宮沢賢治

背後から乗られて吐いた春の気の これが亀鳴く声なのかなあ
佐藤弓生『薄い街』

今日はこれでおしまい。