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2024年9月17日火曜日

雑件摘録 気候変動・コトバも変動

こんな気候に誰がした!
っていう感じの夏でした。

気候変動を抑えるためにまだ間に合う対策があるなら、全力でやるべきだと思うけど
誰かやってるの?

ところで、気候だけでなく、数年でコトバも急変動。

むかしは「夕立」という叙情的な雨でしたが、
しばらく前から「ゲリラ豪雨」という風情のない局地的豪雨が増え、
そこに最近は雷も加わり、「ゲリラ雷雨」になりました。

言語野でもゴリラ鯨雨に襲われて走るずぶぬれ笑うずぶぬれ

という歌を詠んだんですが、
あっというまに古びちゃいました。


ゲリラ豪雨→ゲリラ雷雨

語感を比べると、「ゲリラ豪雨」は「ゴリラ鯨雨」に通じ、「夕立」みたいな風情はないけど、激しさを感じさせる点はまあ良いと思えたし、多少は絵になりました。

でも「ゲリラ雷雨」は、なんとなく、「げり・らら」と2音で区切りたくなりませんか。
これはもう、絵にもならない気味悪さ……。

2024・9・17

2024年6月24日月曜日

雑件摘録4★語感の素敵2


1★ZINE(ジン)

お酒かと思ったら、小冊子のことだという。マガジンのジン、らしい。

検索してみると、個人やグループが自由な手法、好きなテーマで制作した冊子のこと。
文フリで見かけるあれかあ、と思ったが、驚いたのは、それを「新しい表現方法」と紹介していることだ。

なるほど、ネットなら珍しくないが、紙媒体でそれをやるのは、「新しい」ことなのね。


2★ゴリラ鯨雨

「ゲリラ豪雨」というのがあって、ちかごろの雨は風情がない。

ただひとつ面白いのは、しょっちゅう「ゲリラ」を「ゴリラ」と言い間違えること。
間違えずに踏みとどまれても、もう脳裏でゴリラと鯨が相撲をとっている。

※「ゲリラ雷雨」という言葉もあり、なぜかこちらはあまり言い間違えない。


3★筆記の擦過音をなにかに〝聞きなす〟

〝聞きなし〟の代表例は、鳥の声を「チョットコイ」などと人の言葉のように聞くことだ。

筆記のときの、スラスラ、サッサッという擦過音。
そのリズムや強弱を、何かに〝聞きなし〟てしまう動画があった。
究極の空耳アワー。気のせいだろ、と言いたいぐらいに微妙。

しかし、「何かが別の何かに聞こえてしまうと、もうそうとしか聞こえなくなる」という、言葉の現象は、けっこう強力なもので、しかもなんだか愛らしい。

 この人間の言語能力って、猫が動くものにじゃれるのと同じく、きっと本能なんだろうな。
こういう動画、たまにあるので、ぜひ探してみてほしい。


4★何にでもつく言葉

「それにつけても金の欲しさよ」

これは何にでも付けられるフレーズとして知られている。
よく知られた百人一首のこの歌にくっつけてみよう。


花の色はうつりにけりないたづらに
 わが身世にふるながめせしまに
  それにつけても金の欲しさよ

おお、けっこう馴染むじゃないの。
人生の儚さを詠む歌から風情をかき消して、
高齢者の貧困問題を詠んだ歌になる。


牧水のこれはどうだ?

 白鳥は哀しからずや
  空の青海のあをにも染まずただよふ
   それにつけても金の欲しさよ

 白鳥が空を漂いながら、お金でも落ちていないかと下界を見ているみたい。
 花より団子的、ポエジーより現金という感じ。


で、最近おもしろいと思っているのが、「知らんけど」だ。
「真偽はわからないよ」と免責を得ようという意思表示なのだろう。

関西弁の「知らんけど」という5音は、免責というか、軽くおどけてフェイクを楽しむニュアンスもあるみたいに聞こえる。

(私が言っても、あの関西弁の味が出ない。)


さっきの歌に付けてみると、ううむ。

花の色はうつりにけりないたづらに
 わが身世にふるながめせしまに 知らんけど

いきなり現実に引き戻すところは、「それにつけても・・」と共通している。

白鳥は哀しからずや
 空の青海のあをにも染まずただよふ 知らんけど

イメージを書くのが歌の言葉だが、白鳥の気持ちなどわかるもんか、と免責的に付け加えるところがおもしろい。

 短歌を膝カックンしてるみたい。


2024/6/24



2023年1月26日木曜日

雑件摘録3★語感の素敵 2022年後半~2023年前半

 語呂や語感はばかにできない。その効果は説明し難くて、微妙です。

ことばことばと何回も言っていると、脳裏のそのまた裏あたりに「小鳩」がちらっとよぎります。ませんか?

語呂の良し悪しは、声に出し耳で聞いて、自分の言葉のセンスにまかせて味わうもので、良し悪しの感覚には個人差もあるようです。

それでも、同じ母国語(私は日本語)の下地を共有している人の多くに、一定の語感効果をもたらす現象はある。

といったことに関連する雑感を、ときどき書き留めます。



■横書きにしないほうがいい 2023・1・26

語感じゃないけど、こういうのは横書きにしないほうがいい。

冬の日は墜ちーぽんの葦のこる
富澤赤黄男

つい「ちーぽん」と読んでしまう。


■「うつしみ」といえば 2022・11・10


「うつしみ」は、現在生きている身、という意味。

ただ、はじめて耳にしたのは小学生のときで、当時、駄菓子屋さんで売っていた「うつし絵」みたいなものかと思いこんだ。

だって、古典の勉強をしていなければ、「うつし」という語は「移す」「写す」としか聞こえないでしょ。

移し絵=糊を塗った台紙に絵が印刷してあり、水にぬらして物にはりつけてそーっと紙をはがすと絵が転写される。(なお、透ける紙を使って絵を写し描く遊びも「うつし絵」と言っていた。)

小学生のときは文意を理解していなかったと思うが、その前後にもはかない雰囲気が漂っていたのだろう、
「この世界にあるのはその投影された「影」であり(=本体がどこかにある)、
 私もみんなもその「影」であり、
死んだら次のからだにしんみりしんみりのりうつっていく」
みたいな感じで、それを視覚化して思い描いた。

さて、あとから正しい意味を知ったわけだが、その後も、「うつしみ」というと同じ絵が思い浮かび、その不思議な儚さを切り離すことはできない。
が、無理に切り離す必要を感じないほどしっくり来る。これって私だけなのだろうか。
「うつろう」という語とも語感の親和性が高いし。

うつしみのうつろひ繁したとふれば肺腑沛然(はいぜん)たる雨の中
塚本邦雄『黄金律』1991


みたいな感じ。

ついでに、なぜか、「雨」とセットになりやすい感じ、だったりしますか?

雨季ゆゑに濃く太き雨そそぐときうつしみ吾の憂ひは消えよ
佐藤佐太郎『群丘』

気のせいかも。
うつしみの歌をもう少しあげておこう。

うつしみの吾(わ)がなかにあるくるしみは白(しら)ひげとなりてあらはるるなり
斎藤茂吉『ともしび』

うつしみの人皆さむき冬の夜の霧うごかして吾(わ)があゆみ居(を)る
佐藤佐太郎『帰潮』

うつしみという語うかびてよぎりたり眠りの中にまだ街はあり
三枝浩樹『時禱集』2017

うっすらとインクの染み うつしみのわたしをうつすことのない空
北川草子『シチュー鍋の天使』


影絵より影をはずししうつしみはひかり籠れる紙に向きあう
内山晶太『窓、その他』

うつしみを滝落つるなりきみあらぬこのうつしみを華厳の落つる
水原紫苑『武悪のひとへ』


■枕詞の一方通行 2022・11・2

枕詞は言葉の不思議ちゃんだ。そう思える要素がいくつかあるが、そのひとつが一方通行であることだ。

どういう意味かというと、「『ぬばたまの』は闇や黒にかかる、『ひさかたの』は光や日にかかる」などと覚えるけれど、

逆に、「○○にかかる枕詞って何かないか?」なんて考えてもほぼ無駄である。こちらの都合で探してもたいていは、無い。

いや、「逆引き」できるサイトは一応ある。だから「『秋』にかかる枕詞ってあるかな」というふうに探すことはできる。(「露霜の」だって。)

でも、枕詞は人が意図して作ったわけではない。
だから「『ぬばたま』が黒にかかるなら、赤にかかる枕詞もあってしかるべき」と思っても、そもそも、そういう具合にいろんなことをカバーしようという意図から用意されたものではないのだ。

冗談で、「しろたえの詩論ぬばたまの句論」と書いてみて、いい対句だと思ったのもつかのま、「『しろたえの』は『ころも』とかにかかるものじゃんか!」と気づいてしまった。

ここは「たくづのの詩論」などとすべきだろうが、それだと語感的にはいまいちになる。

でもね、それでも、枕詞にはなんだか魅力があってそそられ続けてしまいませんか。

しろたえの殺し文句と人乳は薄いからすすり続けてしまう
高柳蕗子 「かばん」2015・6


■意味がわからないとモンスター化 2022・10・27

医学か何かの論文のタイトルでこういうものがありました。

「血中に一過性に出現した易動度が速い小腸型アルカリ性ホスファターゼ」

なんか血管の中に青いナメクジが生じて意外な速さで前進を巡るような恐ろしさだ。


■偶然の出会い とんとんトモダチ 2022・10・27

急に寒くなったので、そろそろと思って手袋を探し出し、テーブルにちょっと置いたところ、
近くにトントンつながりのトモダチがいた!!

ミトン・クルトン・レキシントンで記念撮影しました。

「とん」がつくものはいろいろありますが、この組み合わせは総合的に語呂が良いし、ジャンルのバラバラ具合も絶妙だと思います。

●最初の「ミトン」を「布団」にかえてみる。アクセントが変わる。

ミトン・クルトン・レキシントン ↘ ↘ ↷

フトン・クルトン・レキシントン ↗ ↘ ↷ こころなしか弾みが悪くなる。


●レキシントンをバドミントンにしてみると?

ミトン・クルトン・バドミントン

アクセントは同じだが、「レキシントン」のクリアーな響きが、「バドミントン」では濁って重くなり、魅力激減。


●「クルトン」が「リプトン」だったらどうかなあ?

ミトン・リプトン・レキシントン

アクセントは同じだけれど、口があまり動かない「クル」のおとなしさに比べて「リプ」はシャープな刺激的な語感。


というわけで、この先、もし忘れなければ、

ミトン・リプトン・レキシントン

を超える組み合わせを探し続けたいと思います。


■挙動不審 2022・10・19

「挙動」はほぼ「挙動不審」という形で使われる。

単独なら、立ち居ふるまい、動作というだけの意味だが、「挙動」だけでも、きょろきょろするような落ち着かない不審なふるまいを想起させる。


■同音の脳内変換と語感  2022・9・22

同音異義語はおもしろい。

全く異なるものが同音という縁で脳内で出会う。意識することなく取り違えることもあるし、ダジャのようにわざと混乱させて楽しむこともある。

語感に関わるのは、完全な同音として意識しやすい場合ではなくて、曖昧に似た言葉だと思う。

完全な同音でない場合は、「似ている」と意識されないままに、言葉Aに言葉Bのイメージが重なりそうになることが多い。

重なるのではなくて、重なりそうになるのだ。
つまり脳内に変換候補としていくつかの言葉が想起され、「これかな?こっちかな?」と吟味する過程でそれが起きる。

たとえば、「ノウゼンカヅラ」という花の名前は、最初の「ノウ」がなんだかすごく重い。

「ノウ」は、「脳」「濃」「能」「悩」という、比較的重い(少なくとも軽くない)イメージの語に変換されそうになる。


■コロナ感染症の名称  2022・9・15

「新型コロナ感染症」っていまだに言っていますが、いつまで新型って言うつもりでしょう。

適切にネーミングする余裕がなく話題になっちゃうと、もうそのまま使い続ける、っていう例ですね。

変異株の名前も、地名だったりギリシャ文字だったり、数字だったり、一貫させられなず不揃いなのもやむを得ないと思います。


■略称スマホ 2022・9・13

最近は商品やイベントなどなど、何でもネーミングの時には略称まで考えるのが普通らしいですが、以前はそうでもなかったと思います。

スマートフォンがみるみる世の中に行き渡ったころ、略称を考える機会がないまま、しかたなくスマホになっていったように感じました。

「スマートフォン」は長すぎる。
でも、「スマフォ」や「スマフォン」はなんだか言いにくい。
「スマホ」「スマホン」なら言いやすいけれど、「フォ」を「ホ」にすることにちょっと抵抗があり、しかも、「スマ」はなんだか「須磨」に通じ、そこに「ホ」をつけると「穂」か「帆」を連想しやすくて、それはモロ日本画的な和風のひびきだから、新しい電子機器に少し似合わないじゃないの、もっとこう、キリっとピカっとした略称にならないのかしら。

--と世のひとびとは無意識にかるーく悩んでいなかったか?

でも、誰かがテレビとかで「スマホ」と言い放ち、それを聞いて「ま、いいや、スマホでも、気の利く和風の秘書さんみたいで」というふうに一気に傾いた気がしている。
(完全に私見)


2022年9月13日火曜日

雑件摘録2★外国語

■Google Homeは「ヘグーグ」で通じた!

2022・9・13

Google Home のウエイクアップワード「オーケーグーグル」は8音。
呼びかけとして日本語的には長すぎる。

「タカヤナギさん」の7音が許容maxじゃないかな。

調べたところ、「オーケーグーグル」じゃなくて「ヘイグーグル」、さらには「ヘイブーブー」でもいいと書いてあった。

そこをなんとか、とばかり「ヘグーグ」を試したら、通じた!

アクセントは2音目を大げさに。
最初の「ヘ」は弱く、そしてさらに、あるかなきかの「ィ」を添えるといいようです。(笑)。


■万次郎流

2022・9・13

外国語のカタカナ表記は〝万次郎流〟も併記してほしい

これってもしかして、もとの英語の発音に近い?

耳で覚えたジョン万次郎は、「水」は「ワラ」、「夕方」は「イヴネン」と言っていたそうです。

(ニューヨークにいた私の母も万次郎流で、
アメリカ人にはわかるらしいけど、宇宙なまりの日本語みたいでした。)

でも、それはそれで混乱するわけで、
だから、外国語をカタカナで表記する場合は、

「ウォーター(ワラ)」

というふうに書いてくれたらうれしいな。


■ガチガチの日本語的カタカナ英語

一方、この真鍋博士のものすごく日本的なカタカナ英語も素敵。

https://www.youtube.com/watch?v=BUtzK41Qpsw&t=3039s


博士が話すからがんばって聞き取ってもらえるのかもしれないけど、これでもどうにか伝わるんなら、勇気でるなあ。


■日本なまりの英語

2022・9・13

どこかで見たんですが、なまるのは日本だけじゃないわけで、国ごとの特徴が出る。

https://www.youtube.com/watch?v=QkZxdfcQqfI

これは面白い動画です。


国ごとのなまりの人気投票というのがあるらしく、
それによると日本語なまりは11位なんですって。


2022年8月14日日曜日

雑件摘録1 標語 

■標語 夕暮れの一番星は反射材 20220・8・14


古くから詩歌に使われている言葉は、いわばいろいろな味を引き出す調理法のレシピがいっぱいある。使われてこなかった言葉にはそれがないから使いにくい。詩歌の言葉ではないという違和感が強い人もいる。

解決法のひとつに「両者を組み合わて使う」というのがある。

これは役所で目にしたポスターで、いかにも奥ゆかしく目立たないように貼ってあった。


夕暮れの

一番星は

 反射材


全日本交通安全協会・毎日新聞社・警察庁


事故にあいにくくなるよう「反射材」使用を奨励する標語である。
詩歌表現が目的ではない。

だが、さっき言った「両者を組み合わて使う」の効果的な例であって、抒情的説得力は標語としての効力を高めていると思うし、詩歌表現としてもけっこうすぐれていないだろうか。

「反射材」が夕暮れの地上の星だというのはすごく風流なとらえかただし、しかもこの星たちは動き回るから、ホタルみたいな美しい光景が目に浮かぶ。


星のレシピ 〝地上の星〟

「夕暮れ」「星」は、詩歌に読みこなされて、メインのおかずにもなるし、他の食材を引き立たせることもできる万能食材のような詩材だ。

「反射板」という詩的に無愛想な単語も、これらとセットであれば、違和感は薄く、新鮮で印象的な表現になる。

そして「星」という語のレシピで、
「地上の光るものの比喩になったり呼応したりする」
というものがある。

新しいところでは、「地上の星」という歌もあるように、地上で輝くものや、転じて地上の人の業績の比喩になっているが、この〝地上の星〟というレシピ、実はうんと古くからある。

紀貫之の伝説「ありとほし」

紀貫之が旅の途中、馬上のまま蟻通神社の前を通り過ぎようとしたら急にあたりが曇って雨になり、乗っていた馬が病気になって倒れてしまった。

そのあたりに「蟻通し」という神様がいると聞いて貫之は歌を詠んだ。

かきくもりあやめも知らぬ大空にありとほしをば思ふべしやは

曇り空に星があるとわからないように、このあたりにありとほし様のお社があると気づけませんでした、という感じで非礼をわびているが、「蟻通し」を「蟻・と・星」に読み替えてそれとなく蟻を星に重ねてイメージアップしているのもちょっとプラス効果だ。
視覚的にも、地上に蟻が点々と散らばるさまを反転して夜空の星にしているような感じで、よくできていると思う。

双方向性

ところで、〝地上の星〟というレシピには、地上からは見えない、というニュアンスが加わることもある。

空の星は見上げれば見えるが、地上の星は同じ地上からは見つけにくい。
だから空から見守っていてくれるといい、という願いがこもる場合がある。
その思考は、空の星を見上げることで間接的に地上の星を思うことでもある。

こういう双方向性も星のレシピのひとつだと思う。