ミニアンソロジーにしたいけれど、そこまでの歌数がない。でも、レア鍋賞ほど少ないわけでもない……。
そんな感じのときここに書いておきます。
■2022・6・27 飄
「飄々」「飄然」「飄逸」などの「飄」の字がなんとなく好き。
このブログの「ひょーたん」「ひょー」は、「評論」の「評」を意識したものでしたが、これからは「飄」もブレンドしようかしら。
「飄」「ひょうひょう」「へうへう」の3つのテキストで検索したところ、13首の短歌を見つけました。
(本日の短歌全データ約12万3千首)
そこから少し拾います。
ただ一路風飄としてそらを行くちひさき雲らむらがりてゆく
若山牧水『海の声』1908
その名さへ忘られし頃/飄然とふるさとに来て/咳せし男
ルビ:飄然【へうぜん】 咳【せき】
石川啄木『一握の砂』
月夜よし二つ瓢の青瓢あらへうへうと見つつおもしろ
北原白秋『白南風』
枯れ枯れの唐黍の秀に雀ゐてひょうひょうと遠し日の暮の風
北原白秋『雀の卵』1921
蛇座とはへびの脱けがらひょうひょうと吹かれて暗き星のつらなり
杉崎恒夫「かばん」1994・1
ひょうひょうと棺の中に納まりてオルガスムスを夢見る卵
江田浩司(出典調査中)
屍を埋めた場所に夜が来る飄々として地図にない街
永井陽子『葦牙』1973
かなで書く「ひょうひょう」と「へうへう」の語感が少し違っておもしろい。
まだ詠まれたりない感じ。
■2022・6・21 空とジグソーパズル
ジグソーパズルという言葉を含む短歌を検索したら、16首あった。(本日の短歌データ約12万3千首)
で、その16首のなかの5首が「空」に言及しているのにはびっくりした。
入力違いかもしれない1首を除く4首をご紹介します。
ジグソーの青空の数片を食べ終えた草食竜がのっと首を出す
井辻朱美『クラウド』2014
幾度かきみとわが指触れあひてジグソーパズルの空ひろがれり
西田政史『ストロベリー・カレンダー』
まっさおな空を砕いたジグソーを深夜ひとりで組み立てている
杉谷麻衣『青を泳ぐ。』2016
永遠に完成されない空があるひとつ足りないジグソーパズル
門馬真樹(出典調査中)
確かに、ジグソーパズルで苦労するといえば「空」だからなあ。
■2022・6・17 わがめぐり
「わがめぐり」というフレーズ、短歌ではまれに使われます。こんなかんじ。
わがめぐり次々と鳩が降り立ちて赤き二本の足で皆立つ
奥村晃作『鴇色の足』
せめてわがめぐりの夜と睦みいん一缶の水沸き立たしめて
岡井隆『土地よ、痛みを負え』
ただひとりの人を得むとて罠となるわがめぐりに木草は芽ぐむ
久我田鶴子 『久我田鶴子歌集』現代短歌文庫
女よ、いま他国の死こそ泡立ちてわがめぐりまかがやく真夏の鏡
佐佐木幸綱 『夏の鏡』1976
雨の名の乏しきフランスの雨よ、降るならばわが巡りに降れよ
小川真理子 『母音梯形(トゥラペーズ)』2002
かがみつつ亀を見てゐるわがめぐりまひるの白い楕円閉ぢたり
小島ゆかり『憂春』
わがめぐりのみにゆらめき世界より隔つる冬の陽炎のあり
蜻蛉は透き羽にひかりためながらわがめぐりを舞ふ死者の軽さに
大塚寅彦『現代短歌最前線』(北溟社)上巻自選100首
近づきてゆきたれば遊行柳消え立ちどまるわがめぐりうすらひ
集団にてみみずたしかに鳴きたるはわがめぐりにて闇のまさかり
渡辺松男 『雨(ふ)る』2016
吹雪晴れひかりに瞑るわがめぐり か か か か 木乃伊のわらい
渡辺松男(出典調査中)
風立てどわがめぐりのみ静まりてせばまりて小さく息を吐きたり
筒井富栄『風の構図』
夕立の香に囲まれているごとしバス停のわが周りは娼婦
藤沢蛍『時間(クロノス)の矢に始まりはあるか』
春の日のベンチにすわるわがめぐり首のちからで鳩は歩くを
内山晶太『窓、その他』
わがめぐり眞空となる時のあり 群集のなか・万の短歌(うた)の中
ルビ:短歌【うた】
齋藤史(出典調査中)
なお、「わがめぐり」という言い方、俳句ではぜんぜん見かけないような気がしています。
(私のデータベースだけでなく現代俳句協会のサイトでも見つかりませんでした。)
■2022・6・6 海老のしっぽ
海老を詠む短歌はいっぱいありますが、ちょっと興味があって、「海老の尾」を詠むものを集めてみました。
竹串を尾から突き刺しまだ動く海老に塩振りバーナーで焼く
奥村晃作『造りの強い傘』2014
奥村晃作『造りの強い傘』2014
ひとしきりぼくに笑って天ぷらの海老の尻尾をきれいに外す
山階基(風にあたる拾遺2015-2016)
本を読むこと、酒を飲むこと、海老フライ尻尾まで食べてしまふことなど
田村元『北二十二条西七丁目』2012
どんぶりをはみ出す海老の尻尾たち昼に混み合う店を行き来す
藤島秀憲『オナカシロコ』2020
天丼に海老の一尾は残されて飯の少なくなるを待ちおり
島田幸典『駅程』2015
エビフライ 君のしっぽと吾のしっぽ並べて出でて来し洋食屋
俵万智『サラダ記念日』1987
川柳
こんなふうな生きかた海老の尾を食べる
平岡直子『Ladies and』
・海老の尾は、「生き物を食べる」という実感を刺激する要素として直接的間接的に詠まれる傾向があると思うけれど、さすが俵万智さん、他の人とかなり発想が違う。
・私のコレクションでは俳句川柳の数が少ないのですが、それにしても川柳は1句あるのに俳句はナシ。
現代俳句協会のDBでも、「海老」を詠む句はけっこうあったけどそのなかに「尾」を詠むのはなくて、これは食わず嫌いじゃないですか?