2020年9月30日水曜日

満58 「裏切り」は〝いきさつfree〟で

  「裏切る」という語を詠み込んだ短歌を集めてみた。


 裏切りにはふつういきさつがあるけれど、短歌に詠まれるときは、いきさつはあまり重要ではない。
 歌材としてみると、歌に詩情やドラマっぽさを添える、特別な素材であるようだ。


忙しい方のためのピックアップ

どんな歌があるかちょっと見たい方へ

ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも

北原白秋『桐の花』1913

天使らのコンタクトレンズ光りつつ降る裏切りし者の頭上に

穂村弘『シンジケート』1990

この子いつか吾を裏切らむ踏みつけむその日おそらくつん抜ける青

武下奈々子『不惑の鴎』1995

ずっともう裏切っている気がしている 助手席に海ばかりかがやく

江戸雪『百合オイル』1997

唐突に裏切りますが失くなった文庫の帯を探しに行きます

睦月都 2012年短歌研究新人賞応募作より

空中になにか浮かべるようにしてどうしてそんな裏切りかたを

土井礼一郎 「かばん」2019・12

お時間のある方は、続きも御覧ください。より多くの裏切りの歌があります。
「裏切り」という語への考察と、歌の解釈・鑑賞つきです。


裏切りってなんだろう


 「裏切り」にはピンからキリまであり、理由はさまざま、善悪もケースバイケースだ。

(1)信義違反としての裏切り

 一般的には、対人的社会的な信義違反のことだけれど、不正企業の内部告発のようなケースでは、裏切る側が正しい。また、悪人どうしの仲間割れみたいなこともある。

 保身のための裏切りなどは、人間の弱さを感じさせ、人間くさい本音として、やや肯定的に扱われることもある。

(2)結果が予想と異なる、という意味の裏切り

 信義違反でなくて、もっと軽い意味合いの「期待を裏切る」がある。

 これにも濃淡があるけれど、「事象が予想と違う結果になる」ことをさし、予想より結果が悪かった場合だけでなく、良い結果が出たときにも用いる。後者は明るい意外性を強めるニュアンスになる。


歌材としての「裏切り」の特徴

 
 「裏切り」という一語を歌に投入するだけで、ドラマっぽさを感じさせる効果がある。
 「ドラマっぽさ」は、あくまで「ぽさ」だが、いきさつの説明は抜きにして、心理的葛藤などの気配だけを付加できる、という、表現としての利便性があるのだ。
 
 現実世界には、許しがたい裏切りや不愉快な裏切りが多いけれども、短歌の中の「裏切り」はドラマっぽさゆえか現実感が薄く、そのかわりのように詩情とか風情とか、そういったものもじゅわっとジューシーに付加される。

いきさつfreeで読める


 裏切りの内容やいきさつには全くふれず、「裏切り」そのものの味わい、裏切り方、裏切りの検出みたいなところに力点を置く歌も珍しくない。
 さもありなん。裏切りのいきさつなんか説明したら長くてめんどくさい。作者も読者も、手っ取り早くポエジーを絞って飲みたい。「裏切り」という言葉はそれができる。

 連作に含まれていた歌では、いきさつは他の歌が説明していたから、この歌には含まない、というケースもある。
 が、そういう場合でも、「裏切り」の歌には魅力があって、読者は〝いきさつfree〟でも読めてしまう。

自分をナレーション

「裏切り」の歌を集めてみる前は、
「たぶん、自分が誰か(何か)を裏切る苦味みたいなものを詠む、じめっとした歌が多いだろう。」
だなんて予想していた。

 ところが、そういう歌は少なかったし、あまりじめじめしてもいない。

嘘つきて憎みてかつは裏切りて夕べざぶざぶ冬菜を洗ふ

河野裕子 『ひるがほ』1975

うらぎりをくり返し来し半生か内耳しびるるまで蝉しぐれ

加藤英彦『プレシピス』2020

  上の2首は、裏切りそのものでなく、それに対する自身の心の反応を実況している。
 この感じ、……そう、ドラマのナレーションだ。
 
(けなす意図はない。舞台で見得を切るような感じというか、短歌表現にはそういう種類のかっこよさで読ませる方法もあると本気で思っている。)

「裏切り」は短歌映えする

「裏切り」という語は〝短歌映え〟する。

 ドラマっぽいけれども、「裏切り」は、裏切るに至ったいきさつによって映えるのでなく、さまざまな裏切り方・裏切られ方の瞬間や、その前後の微妙なニュアンスを描くほうが〝短歌映え〟するみたいだ。

 「裏切り」という概念そのものをイメージを詠む歌さえあるが、とにかく「裏切り」の歌は、この歌をわかりたい、読み解きたいと感じさせる。

 インスタグラムにアップするための良い写真が撮れる場所やものを〝インスタ映えする〟という。
 それに準じて、「短歌に詠むといい歌になる」ということを〝短歌映えする〟と私は呼んでいる。
 全くけなす意図はない。古典和歌の歌枕は〝和歌映え〟するゆえに詠まれたのであり、多くの詩情を獲得した。

・蝶が花から飛び立つような唐突さ


唐突に裏切りますが失くなった文庫の帯を探しに行きます

睦月都 2012年短歌研究新人賞応募作より

 これは〝振る〟場面だと思う。
 そうは書いてないが、蝶が花から飛び立つところがなぜか目に浮かぶ。
 こういうふうに「唐突に裏切る」のも〝あり〟だろう。

(だって別れ話はどのように切り出そうとも、結局うだうだ2時間3時間、相手はちっとも納得しないでしょうが。)

 相手は、去り際の言葉「失くなった文庫の帯を探しに」の意味がわからずきょとんとするだろう。そのすきにふわっと逃げちゃう。

 しかもこの歌、ドラマ性のご利益だけでなく、言葉の暗示力を使ってもうひと味出していて、一粒で二度おいしいのだ。

 「失くなった文庫の帯を探しに」は、中断していた元の生活に戻る、という意味合いだろうか。

 だが、探すのは読みかけの本そのものや本の栞ではない。
 本の帯を探すというのは、本を購入した新しい状態にまでリセットする、つまり、
「あなたを振るだけじゃないのよ、もっと前からチャラにするの。そういう一身上の都合で別れるのよ」
というニュアンスが醸し出されている。

・助手席の海


ずっともう裏切っている気がしている 助手席に海ばかりかがやく

江戸雪『百合オイル』1997

 誰が何を裏切ると書いてない。
 が、「助手席に海ばかりかがやく」は、そこに誰も乗せていない、ということをそれとなく強調しているだろう。
※古歌のレトリックで、「誰も来ない」と言うかわりに「風が訪れる」と言う、というのがある。この歌も、不在だといわずに「海がかがやく」と言っているのだと思う。

 この人物は、
「いま一人でドライブを楽しんでいる自分は、いつも心のどこかで、誰か、あるいは何かから開放を求めやまずにいる。
それはいわば、心の助手席にいつも〝不在〟という裏切りを乗せていることなんだ。」
と考えている。ーーそういう歌だと思う。

 

・ヤジウマのブーイング?


天使らのコンタクトレンズ光りつつ降る裏切りし者の頭上に

穂村弘『シンジケート』

 解釈が分かれそうな歌だが、私の解釈はこうだ。

 この人の言動が天使たちの期待を裏切り、天使たちがいっせいにまばたきをしてコンタクトレンズをぱらぱら落としちゃった。ーーいわば美しいブーイングである。

 (別解釈もある。天使の期待を裏切るのでなく、この人は地上でなんらかの裏切り行為をしたのを天使が見ていた、とも考えられる。
 でも……。

 ーー天使の目から降るものというと、涙を想像しがちだ。
 が、この歌では、涙でなくコンタクトレンズにすることで少し即物的になり、天使のまなざしにややヤジウマ性を帯びさせていないだろうか。ーー

 こういうひそかな効果こそ活かす解釈をしなくちゃ、でしょ?)

 天使らのコンタクトレンズがきらきら降り注ぐ光景は、落胆で舞い散らせるハズレ馬券的なものでありつつ、その一方で、きらきらしてくす玉を思わせる美しさもあるゆえに、祝福・称賛の裏返しのブーイングではないかしら、

 と、私は読み解く。


・自分が自分を裏切る


 自分が自分の心に裏切られる、というレトリックは、近代の歌人が早々と使った。

ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも

北原白秋『桐の花』1913

 自分の予想を裏切って自分が変化してしまった、という意味の裏切り。

 つまり、自分が「君」を裏切るのではないよ。自分の恋心がはからずもどっかへ行っちゃったんだ、というとぼけた言い方がおもしろい。

(昔の男は浮気も甲斐性のうちで、気まぐれも許される、という〝文化〟があったらしいし、しかも白秋だから通用する面もあるのだろう。いま凡人が真似すると痛い目をみるかもしれない。)


・裏切られて恨む


 ありそうですごく少ないのが、裏切られて相手を恨む歌だ。
 これはやっと見つけた超レアものである。

うらぎりの君のにくさに草の実をつぶせばあかき血のながれたり

小熊秀雄

 ストレートな歌だ。裏切りをこういうスタンスでとらえる歌は、なぜかほんとに珍しい。

・裏切られる予感

裏切られる予感を詠む歌も、たまにあるが少ない。


この子いつか吾を裏切らむ踏みつけむその日おそらくつん抜ける青

武下奈々子『不惑の鴎』1995
 
 いつか子どもに裏切られる、踏みつけにされる。
 「つん抜ける青」とは悲しみに刺し貫かれることを表現しているだろう。〈青〉はいわば刃である。その出来事は、このように予想しておいてもなお青天の霹靂であるはずだ。

 「青」の強調は、青空のように人智を超越したイメージを添え、避けがたいことだとの暗示効果が少しあると思う。

 また、短歌ではコトダマ意識が働いて、言葉にしたくないものを詠む場合、禍(まが)事を中和する要素も入れておきたくなわけだが、この歌の「青」の刃は、厳しく悲しい不可避のものを表しつつ、同時に中和してもいるだろう。

 「裏切らむ踏みつけむ」という非道は流血(赤)を連想しやすいが、それを逆の色、底なしの蒼穹へと突き上げて、相殺吸収させる効果があると思う。

・死という裏切り


六月の挽歌うたはば開かれむ裏切りの季節ひとりの胸に

黒田和美『六月挽歌』2001

 伴侶など大切な人が自分より先に亡くなることは「裏切り」の一種と言えるかもしれない。

 こういう「裏切り」は、日本的なレトリックであるらしい。
 知り合いの中国人が、「この秋、妻に死なれまして……」という受け身表現に驚かされた、と言っていた。妻がその人を苦しめる目的で、あてつけ自殺みたいなことをしたのか、と思ったそうだ。
 
 なお、上記は、この歌1首だけを〝いきさつfree〟で読んでみて、いちばん妥当と思われる解釈を披露したわけだが、個々の事情は千差万別。作者の意図とは全然違う解釈をした可能性もある。

いきさつfreeとは


 さっきも書いたが、「裏切り」を詠む歌は、〝いきさつ〟よりも、裏切り方、裏切りの気配などの微妙なところに力点を置く歌が少なくない。

 それどころか、もとから〝いきさつfree〟で書かれたらしい歌もいっぱいある。
 いきさつから触発されて歌を詠むことはよくあるが、言葉が歌人をそそってさまざまなイメージを発掘させる、というケースもよくある。
 「裏切り」は特に後者の傾向が強いのではないだろうか。

 また、短歌という詩型は1首で独立できることが強みなのであって、連作のなかで説明的な役割しかないような歌は長い時を経てしだいに消えてゆき、〝いきさつfree〟で読める歌が生き残っていく。そういう傾向もあると思う。

 極端に言えば、作者といういきさつから解放されるとき、いわば年季明けを、歌たちは何百年でも待つのではなかろうか。


・平穏を破る


どこかで鏡が割れ――水は裏切り少女の腕空に垂れる

ルビ:腕【ただむき】

前田透『前田 透全歌集』1984

 はてな。「鏡が割れ」と「水は裏切り」はどう結びつくのだろう。

 鏡と水とは、実景として、水面は空を映す鏡になり、天地の青は静かに向き合う、という縁があるし、加えて、「明鏡止水」という言葉上の縁もある。
 ※明鏡(曇りのない鏡)のように邪念がなく、「止水」(静止した水)のように落ち着いているという、ふたつの比喩を取り合わせた熟語で、鏡と水が関連付けられている。

 「鏡が割れ」は天地の平穏が破られることを意味し、「水は裏切り」は鏡のようだった水面が波立つことを表していると思う。
 水面に何が起きたのか?

 少女の腕が鏡のような水面を割った。
  ーーこれは背泳の伸ばした腕が垂直になる瞬間を捉えたのだと思う。「少女の腕」が「空に垂れる」とは、その描写ではなかろうか。
 冒頭に「どこかで」とあるので、天地の平穏を破る少女の腕は、イメージ世界のどこかに感じられる気配であるのだろう。


・なりゆきの軌跡


空中になにか浮かべるようにしてどうしてそんな裏切りかたを

土井礼一郎 「かばん」2019・12


 「空中になにか浮かべるように」は裏切りの描写としてすごくおもしろいし、「どうしてそんな裏切りかたを」というリアクションも絶妙だ。
 妙な心のなりゆきで変なふうに裏切ったような裏切り、その〝なりゆきの軌跡〟を目で追うような歌である。

 例えば、道を歩いていて転ぶとして、原因に対して相応の転び方をするとは限らない。
「つまづいただけで、なんでそんな転び方になっちゃったの」
というようなケースがあるだろう。
 (おもしろ画像のテーマに「どうしてそうなった」というのがありますね。)

 「裏切り」にも、「なんでそんな裏切り方になっちゃったの」という、はたから見ても本人にとっても、思いがけないようなケースがあるはずだ。

・コントラスト


裏切りの痛みをここへ置かせてよレンブラントの光と影よ

柴田瞳 

「裏切りの痛み」が物体みたいでおもしろいが、さて、どうしてそこに置きたいのだろう?

 この歌の「裏切りの痛み」は、裏切った側の痛みか裏切られた側のそれかわからない。片側から見る視点ではないらしい。
 裏切りの痛みには、裏切る側、裏切られる側というコントラストがある。それが光と影のコントラストに似つかわしい。
 ーーそういうことだろうか。


  *  *  *

こんな調子でコメントしていたらきりがないので、以下は、いろいろな裏切りの歌を列挙するだけにします。
(読み解きに苦労しそうな歌も混じっています。)
見つけた順です。

共犯でいてほしかった予測線をまぶしいほうにうらぎるときは

兵庫ユカ『七月の心臓』

企みを裏切る強さ 浜辺ならお城が砂に戻るまで踏む

田中ましろ 『かたすみさがし』2013

緯度を引く気持ちで宝石をたべて悲しむ人々を裏切るように所以を知らせる

瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end,』2016

雨を見てはおる半袖カーディガンそうしてずっと裏切ってきた

野口あや子

舞う砂がレンズの動きを奪うのに似た裏切りといまさら気づく

千種創一『砂丘律』2015

二番目の月を目指して水鳥は飛び立ってゆく裏切ってゆく

本多忠義『禁忌色』

裏切りの朝の香りはドロップの缶にそれだけ残した〈はっか〉

穂村弘『シンジケート』1990

桃むく手美しければこの人も或はわれを裏切りゆかん

真鍋美恵子 『玻璃』1958

ゆつくりとひとを裏切る 芽キャベツのポトフで遅い昼をすませて

魚村晋太郎『銀耳』2004

好きな色は青と緑と言うぼくを裏切るように真夏の生理

松野志保『Too Young to Die』2007

肉眼のあざやかにうらぎられるを内科医であることのさびしさ

岡井隆『岡井隆歌集 (現代詩文庫)』2013(『天河庭園集[新編]』)

蓮田に雨 明日わが心うらぎらむ言葉たまゆら花の間に顕つ

塚本邦雄『蒼鬱境』1972

久々に人間らしいことをした 衝動買いに、昼寝、裏切り

辻井竜一『遊泳前夜の歌』2013


本日はこのへんで。


補足

俳句

裏切者それは見事に日焼けして 鈴木六林男 『賊』

脳裏にやけどするまっさらな母への裏切り 種田スガル『超新撰21』


川柳

転向を拒んで妻に裏切られ 鶴彬

裏切って花屋の花をみな買おう 定金冬二『無双』


なぜか俳句が少ない

「裏切り」という語の使用率のジャンル比較をしたところ、俳句だけ極端に少なくて驚いた。


短歌109891首中1665首  1/1665首(0.06%)

俳句27961句中6句 1/4660句 (0.02%)

川柳11681句中8句 1/1460句 (0.07%)


・代表的定型詩3つの近現代作品で「裏切り」という語を含む割合を比べると、俳句だけ極端に少なくて、約28000句の中にたった6句しかなかった。

・しかも、そのうちの2句は高柳重信、パパのじゃないの。
 「名句があると、そのなかの単語は後続して使用頻度が高まるはず。パパの〈裏切りだ/何故だ/薔薇が焦げてゐる〉は名句じゃないんだね。」
 ーーと言ったらパパがおもしろがりそう。

川柳も多くはない


・それを言うなら川柳も8句中の4句は定金冬二。
 俳句も川柳も、短歌ほどには「裏切り」を詠んでいないようです。




自分用のメモ:
 俳句川柳のデータは現在整理中で古典が混入している。ジャンル比較は大雑把に古典を取り除いて算出した。



2020年9月8日火曜日

満57 「っぱなし」を堪能しよう

前回、短く言える便利な言葉として「…たての…」(=いま…したばっかりの)をとりあげたところ、「っぱなし」はどうでしょう、とのリクエスト※をいただきました。

なるほど、「っぱなし」は「したまま」と同じ字数ですが、言い回しによっては「…したまま…」と説明するよりも字数を節約できる場合がありそうです。

それに、「っ」(促音)には、叙述内容プラスアルファの、かすかな情動があります。

「っぱなし」は、〝社会の窓〟があけっぱなしだとか、たいていは良い状態ではない。
誰かの行為が完結しないままいたずらに時が過ぎていくとか、「また……っぱなし! 何度言ったらわかるの!」と叱られるとか、いきさつや場面を感じさせる。
さらに、「っ」が軽く言葉を漕いで歌にほどよい起伏が生じる。

これは歌人としては放っておけないですね。
というわけで、「っぱなし」を含む歌を探してみました。
※リクエストにすべてお応えするわけではありません。
検索してみて、読み応えのある歌が程よい数で抽出できる場合だけ応じます。
何百何千と用例が出てくるようなものを考察したら、それだけで一冊本が書けますから。(笑)


ピックアップ

まずは、忙しい人のために、少しだけ歌をピックアップします。

あけつぱなしの手は寂しくてならぬ。青空よ、沁み込め
前田夕暮『水源地帯』1932

わたくしの心の内には一本の立ちっぱなしの木の立っておる
山崎方代『こんなもんじゃ』選歌集 2003

殺されっぱなしが積まれどの道もイラクの夜の月光葬なり
鈴木英子『月光葬』2014

見えますか食べものを出しっぱなしのテーブルあれが北海道です
雪舟えま『たんぽるぽる』2011

交尾するときはあんなに美しいなめくじに白砂糖かけっぱなし
笹井宏之『ひとさらい』2011

「だばだばにあなた漏れてる気をつけて胸のチャクラが開きっぱなしよ」
法橋ひらく『それはとても速くて永い』2015

よく逃げる風景だから信号が光りっぱなし  さびしい海だ
井上法子『永遠でないほうの火』2016

お時間があるとき、ぜひ続きをお読みください。


「っぱなし」を堪能しよう


検索方法と数値結果

短歌データ約11万首から、文字列「ぱなし」を含む歌を検索して74首抽出。
同様に俳句と川柳も抽出してみた。

頻度

 短歌 1/1484首 (74/109823)
 俳句 1/7391句 (4/29567)
 川柳 1/13238句 (1/13238)
 
俳句川柳は収録データ数が少ないため頻度の比較は信頼できないが、いちおう算出した。

短歌における上位5位

つけっぱなし 13首
あけっぱなし 11首(「ひらきっぱなし」も含めた)
だしっぱなし 6首
いれっぱなし 4首
ぬれっぱなし 3首


「っぱなし」連撃!

ここから連続でぶっぱなします。
といっても、全部では多すぎるので、本日の好みで選びました。
(ピックアップ分を除きます。)

廃校舎ひらきっぱなしの蛇口からなにも流れず夕焼けている
入谷いずみ 『海の人形』2005

今日からは上げっぱなしでかまわない便座が降りている夜のなか
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

それだって日々だしコインロッカーに入れっぱなしの東京ばなな
吉田恭大『光と私語』2019

去年から置きっぱなしの柔道着 その持ち主も今日卒業す
千葉聡『飛び跳ねる教室』2010

考へつぱなしの君と考ふることをやめたるわれと冬薔薇
塚本邦雄『巴里眩暈紀行』1988

大壜をたすけ起こせばひと夏を切れっぱなしの賞味期限だ
山階基『風にあたる』2019

コンセントさしっぱなしの十月のうしろをむいている扇風機
笹井宏之『てんとろり』2011

影すらも飽きて逃げだす余暇の午後 出しっぱなしのバターを見てる
ナイス害 サイト「うたの日」より

波いろの泡をぬりあう音楽のようにシャワーは出しっぱなしで
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

何事もなかつたやうだ昼も夜もつけつぱなしのテレビを消せば
花山多佳子 『晴れ、風あり』2016

常夜灯つけつぱなしで寝る吾の夢にさぶしきつちふまずあり
光森裕樹『鈴を産むひばり』2010

この世界すべてと戦うクーラーをつけっぱなしでドア全開で
千葉聡『短歌は最強アイテム』2017

つけっぱなしのテレビの微熱私へ刺さらぬ時代の映像の波
ルビ:私【わたくし】
大野道夫『冬ビア・ドロローサ』2000

をみなより先につぶれて春の星点けつぱなしのまま眠りたり
ルビ:点【つ】
田村元『北二十二条西七丁目』2012

球体にうずまる川面いやでしょう流れっぱなしよいやでしょう
飯田有子「かばん」2000・06

暗黒が鳴りっぱなしの部屋の中そのままきみの脚をあげても
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

人混みも伸びっぱなしの前髪もあたしのことを許していない
加藤千恵『ハッピーアイスクリーム』2001

もの事の過ぎ去るちから レシートが繁茂しっぱなし夜のキッチン
嵯峨直樹『みずからの火』2018

部屋中の全てのものに傍線を引きっぱなしで街へ出かける
木下竣介「短歌研究」2011・9

ぬひぐるみ通して妻に奏上す 新聞のひろげつぱなしは困る
大松達知『スクールナイト』2005

平らかなグラフの線が鎌首をもたげ、そのままもたげつぱなし
石川美南『架空線』2018

あれこれとやりっぱなしの鰯雲そらに浮かべて髭剃られおり
奥田亡羊『亡羊』2007

はるぞらのどこかチカッとひかりつつあけつぱなしの文房具店
小島ゆかり 『六六魚』2018


俳句・川柳の「っぱなし」は?

私のデータベースでは用例が少なかったので、現代俳句協会と川柳おかじょうきのDBやその他のネット検索で探してみました。

俳句

探してみるとけっこうある。でも……。

新聞をひろげつぱなし春炬燵  川崎展宏

こういうのって、いい句なんだろうけど、一句読めば百句読んだことになるようなありふれ感がある。
これは私の個人的な価値観ですが、すでに世の中に溶け込んじゃっているんなら、私がさらに取り上げる必要はない、と思います。

そういうのじゃないのを少しご紹介しておきます。

貝殻の別れつぱなし春の暮 中西夕紀『朝涼』2011

花陰に脱ぎっぱなしの宇宙服  松井真吾「詩客」2018-04-14

ほととぎす迷宮の扉の開けつぱなし 塚本邦雄(出典調査中)

あけっぱなした窓が青空だ  住宅顕信(出典調査中)


川柳

川柳もいくつも見つけたけれど、陳腐と感じたものを取り除いたら、だいぶ少なくなってしまいました。

ああそれは借りっぱなしの算数ドリル 樋口由紀子(出典調査中)

百八つの赤がざわざわしっぱなし きさらぎ彼句吾
2014・10 おかじょうき川柳社例月句会 題:『 乱 』

日本国憲法は立ちっぱなしである 鳴海賢治 「月刊おかじょうき」2013・07

踊りおさめて脱ぎっぱなしの花衣装  笹田隆志
2014・01 おかじょうき川柳社例月句会 題:『 踊る 』

北窓に干しっぱなしの防護服  ◆田ひろ子(お名前が一字文字化けしていました。)
「月刊おかじょうき」2014・12


俳句・川柳は短くて、「っぱなし」の促音が、短歌のようには言葉を漕がず、というか、ひと漕ぎでピークになっちゃう感じ。構造としてつまらない。
それで短歌より使い道がせばまるのかもしれません。
そのへんのことは俳人さん・柳人さんに聞いてみないとわかりませんが。



2020年9月7日月曜日

満56 「……たての」を使い倒そう

「揚げたてのコロッケ」などの「…たての」は便利だ。
日常でもよく使うが、「たったいま・・したばっかり」ということをたった3音で言えるのだから、短詩系では特に役立つ。

リズム的にも、短歌の初句で「…たての」と切り出すと、なんだかそれだけでいい歌になっちゃいそうではないですか?

「そうだねえ」と茂吉さん。

しぼりたての牛の乳のみ出で來しに一時間にて腹をくだせり
斎藤茂吉『石泉』

えーーーっと、(汗)
とにかく、myデータベース(約11万首)で探してみたら、105首ヒットしました。

ちょこっとピックアップ

歌はたくさんありましたが、忙しい人のために私の好みでピックアップ。

新生児ふかふか眠る焼きたてのロールパンのごと頭並べて
俵万智『プーさんの鼻』2005

なにぬねので出来ている眠りの世界は生まれたてのわたしが眠ってる
九螺ささら『ゆめのほとり鳥』2018

ロボットの瞳はいつでも大きくてまばたきを知らぬ練りたての魂
井辻朱美『クラウド』2014

もぎたての不定愁訴をぶちまけた診察室の壁がふるえる
田丸まひる『硝子のボレット』2014

ごきぶりを吸い込みたての掃除機が浮かびあがってくる熱帯夜
穂村弘 『水中翼船炎上中』2018

買いたての鞄ひらけば工房の匂いあるいは牛の内面
東直子「短歌研究」2011・11


お時間ある方はぜひぜひ以下もごらんください。

「……たての」の歌

検索・抽出について


手持ちの近現代短歌データ109,800首から、「たての」というテキストを含む歌を検索。そこから「はたての」など意味の違うものを取り除いて、105首を抽出。

・おなじ意味だが「…したばかりの」などは抽出していない。
・「の」が付かない形(「ペンキ塗りたて」と終わるなど)もあるが対象外とした。
「たて」で検索したら500首余出てきて、「音をたてる」「たてがみ」「ひらいたてのひら」等々の関係ないものがごっそり含まれており、選り分ける元気が出なかったため。

近代歌人も使っていた「…たての」


105首のうち7首が近代歌人の歌だった。
私の持っているデータの中では啄木と白秋が特に早いようだ。

或る時のわれのこころを
焼きたての
麺麭に似たりと思ひけるかな
ルビ:麺麭【ぱん】
石川啄木『一握の砂』1910

生の身の吾が身いとしくもぎたての青豌豆の飯たかせけり
北原白秋『雲母集』1915

天そそる不二のうらべの山畑のまだ紅ふふむとりたての独活
北原白秋『風隠集』1944

しぼりたての牛の乳のみ出で來しに一時間にて腹をくだせり
斎藤茂吉『石泉』1951

磨きたての細刃のナイフ物清く割きて匂はすさながらの君
ルビ:磨【みが】、細刃【ほそば】、割【さ】、匂【にほ】
尾上柴舟(出典調査中)

秋の雨ひねもす降れり張りたての障子あかるく室の親しも
古泉千樫(出典調査中)

うみたての玉子を人に貰ひたり毛のつきたるがいくつもあるも
三ヶ島葭子 『三ヶ島葭子全歌集』

現代の人たちの「…たての」


多いので、私の本日の好みで絞りました。

新生児ふかふか眠る焼きたてのロールパンのごと頭並べて
俵万智『プーさんの鼻』2005

買いたての鞄ひらけば工房の匂いあるいは牛の内面
東直子「短歌研究」2011・11

抜きたての親知らず手に温かく微震の歯科医院にやすらう
雪舟えま『たんぽるぽる』2011

友達に変顔を見せ走り去る 生まれたての火が恥じらうように
千葉聡『今日の放課後、短歌部へ!』2014

もぎたての不定愁訴をぶちまけた診察室の壁がふるえる
田丸まひる『硝子のボレット』2014

味の素かければ命生き返る気がしてかけた死にたての鳥に
九螺ささら『短歌ください その二』2014

舞うものは重力を掌ににぎるかな鉄腕アトムの汲みたての瞳
井辻朱美『クラウド』2014

ロボットの瞳はいつでも大きくてまばたきを知らぬ練りたての魂
井辻朱美『クラウド』2014

洗いたての権利と顔をあげて笑ってるあなたは自殺と同罪だろうか
瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end,』2016

おろしたてのしろい牛乳石鹸のにほひのやうな冬はもうなし
小島ゆかり『馬上』2016

抱きたり赤児と同じ熱を持つコピーしたての会議資料を
水上芙季『水底の月』2016

杉山に降りたての雪のかがやきはとんび降下に照り翳りして
なみの亜子『「ロフ」と言うとき』2017

ごきぶりを吸い込みたての掃除機が浮かびあがってくる熱帯夜
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

なにぬねので出来ている眠りの世界は生まれたてのわたしが眠ってる
九螺ささら『ゆめのほとり鳥』2018

あけたてのシャンプーの泡はボナールの光の色を知っている 春
杉山モナミ「b軟骨」(作者ブログ)2018・12・25

人見知りはあなたの長所 買ひたての醤油を暗い涼しい場所へ
石川美南『架空線』2018

覚えたての道を行くとき曲がりたいのをこらえれば目印に着く
山階基『風にあたる』2019

できたてのビルしなやかに伸び上がりところどころにある非常灯
山階基(出典調査中)

できたての事故車の横を通過する画廊の客のような僕たち
木下龍也(出典調査中)

寒の朝卵いだきぬ産みたてのこのあたたかさがまぼろしのすべて
渡辺松男(出典調査中)

東京のお菓子をあげて生みたての玉子もらいぬ 恥ずかしくなる
松村由利子(出典調査中)

生まれたての闇に転がるクリスマスツリーの電源につまずいて
穂村弘(出典調査中)

帰らない靴を思えり炊きたての飯に十字にへらを入れつつ
柴田瞳(出典調査中)

よく詠まれる「…たての」上位5位

「…たての」105首の内訳


1 やきたて 16首 (うち13首が「焼きたてのパン」)
2 うまれたて 12首
3 できたて 11首
4 うみたて 6首 (すべて卵)
5 もぎたて 5首

 このほか、あらいたて・かいたて・とれたて 各4首ずつ
      おろしたて・ゆでたて 各3首ずつ 
      残りは1、2首ずつでした。

●使用語彙には個人差があるから当然ですが、「…たての」の使用にも個人差があるようです。
 そして、使い慣れた人はより大胆に使う傾向があるように見えます。

俳句川柳の「…たての」


ジャンルごとにも語彙の食わず嫌いがあるみたい。

俳句川柳は手持ちのデータが少なくて、俳句(約3万)川柳(約1万3千)でしかないのではっきりしませんが、ジャンルごとの違いもあるようです。

俳句川柳の「…たての」もついでに検索してみたところ、俳句6句、川柳2句だけ。
いやに少ない。

頻度の比較

短歌は1046首に1首(109825/105)
俳句は4928句に1句(29567/6)
川柳は6619句に1句(13238/2)

●俳句

死にたての体美し桜かな 津田このみ 『月ひとしずく』1999

できたての少年を得て蝿叩  嵯峨根鈴子『ファウルボール』2011

もぎたての色をそへたる夏料理  今井豊『草魂』2011

炊きたての飯で火傷す秋の風  山内将史『鈴の中』2019

脱ぎたての酸つぱき匂ひ蛇の衣  西山ゆりこ『ゴールデンウィーク』2017

もぎたての白桃全面にて息す  細見綾子(出典調査中)

●川柳

洗いたての虹を渡ってゆく素足  西田雅子『ペルソナの塔』2014

できたての童話のように抱きあおう  八戸むさし「月刊おかじょうき」2002・01 


「たての」と続けずに「たて」と切る例は?

 あらま、やっぱ……少ないや


字数節約という意識は、短歌より短い俳句川柳においてはより強いだろうから、「たての・・・」と続けずに「たて」「たてか」などと切るのではないか、とも考えて、いちおう探してみました。

結局、すごく少ない。

俳句青蛙おのれもペンキぬりたてか  芥川龍之介

川柳
はつこいや月星シューズおろしたて  なかはられいこ『脱衣場のアリス』

こういう句が少しある程度でした。

現代俳句協会等のデータベース


外のデータベースでも「…たての」を探してみます。

現代俳句協会のデータベース(総句数不明、また新しい句をどの程度含んでいるか不明)で検索したら、「…たての」は11句出てきました。

一部は私のDBと重なっている。また、出てきたのは12句だったが、うち1句は「…戸のあけたての音…」なので除く。)

捥(も)ぎたての胡瓜を抱え水泳部  山崎聰
ほか

川柳おかじょうきのデータベース


このデータベースが57,152句収録ですが、ときどき重複があるんですよ。
「たての」の検索結果は18句、で、重複を取り除いて15句ゲット。
(一部は私のDBと重複していましたが。)

脱ぎたての靴下みたいでしょ(笑)  宮川尚子 「おかじょうき」2009・01
ほか

というわけで、「…たての」には可能性があると思います。
短歌俳句川柳の3つのジャンルの中では短歌がいちばん使っているようですが、短歌もまだまだ醸し足りない感じがします。

2020年9月1日火曜日

満55 気になる金魚

ピックアップ

全部読むひまのない人のため5首ピックアップしました。


手紙かく少女の睫毛ふるふ夜壁に金魚の影しづかなり
吉岡実『魚藍』1959

食塩を瓶の金魚にふりまくといたましきものよみがへらしむ
塚本邦雄 『日本人靈歌』1958

お嬢さんの金魚よねと水槽のうへから言へりええと言つて泳ぐ
河野裕子『歩く』2001

出目金でためすゆふべの読唇術―ユメガホントニ ナ ル 日 ガ 怖 イ
光森裕樹 『鈴を産むひばり』2010

それからの金魚ぎっしり炊きあがりみるみる性欲ふえてゆきます
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』2012

1 金魚のしぐさ、ふるまい


金魚を詠む歌で最も多いのは、しぐさやふるまいに言及するものだ。

夕日にゆれてゐた水の、ころびさうにする金魚 よわい。
児山敬一

くれないの金魚は体かたむけてあはれ大きく水のみしかな
小熊秀雄『幻影の壺』(未刊歌集)

薄氷の赤かりければそこにをる金魚を見たり胸びれふるふ
森岡貞香『白蛾』1953

行きずりに見ればなよなよと金魚群れ水盤のみづ動くたのしさ
佐藤佐太郎 『地表』1956

手紙かく少女の睫毛ふるふ夜壁に金魚の影しづかなり
吉岡実『魚藍』1959

高貴なる黒き金魚は水中に翳なる鰭を揺りて過ぎにき
葛原妙子『鷹の井戸』1977

お嬢さんの金魚よねと水槽のうへから言へりええと言つて泳ぐ
河野裕子『歩く』2001

水面を揺らす金魚の淡き鰭ゆうべの時間あかあかとして
小島なお『乱反射』2007

怒鳴り合う教授とわれのこだわりを憐れむようにふるえる金魚
中沢直人『極圏の光』2009

金魚玉軒につるしたあの頃の金魚は雲をついばんでいた
杉﨑恒夫『 パン屋のパンセ』2010


あくる朝十八になる玄関の金魚はふっと縦に立ちたり
藤本玲未「飛ぶ教室」44号 2016

尾鰭から紅白の色を溶くように金魚はぬるい真水を泳ぐ
鈴木晴香『夜にあやまってくれ』2016 

金魚、いい音で鳴りそうだねおまえそのひらひらもかっこよくって
山田航「詩客」2018年01月

2 性的な連想脈


金魚にはちょっと性的連想脈があるようで、その方面のイメージで詠む歌も少なくない。

テーブルの金魚しずかに退るなり女を抱きてきてすぐ渇く
寺山修司『空には本』1958

口中に金魚の泳ぐ心地してかみ殺したくなるディープ・キス
錦見映理子 『ガーデニア・ガーデン』2003

しかもあなたと交わる夢をみるのですピアノの蓋に金魚の匂い
野口あや子 『くびすじの欠片』2011

それからの金魚ぎっしり炊きあがりみるみる性欲ふえてゆきます
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』2012

上映会なれば見知らぬ人たちと並び観てゐる金魚の交尾
勺禰子『月に射されたままのからだで』2017


 挑発的な髪型だという理由でポニーテールを禁止している学校があるそうだ。うなじが色っぽいらしい。
 その程度のことで禁止するなら、赤い鰭をなよなよひらひら振る金魚も、目の毒だから教室や職員室には置かないほうがいいだろう。

上の野口の歌にも出てきたが、金魚の「匂い」を詠む歌も、少し色っぽさが感じられる。

発熱する君かねむれぬ雨の夜に金魚のにほひふとたちきたる
永井陽子『樟の木のうた』1983

砂ひとつない階段に招かれるお嫁さんは金魚のにおい
東直子「かばん」2002・9

この部屋は沼の匂いがするよね、と金魚のシャツを着た君が言う
山崎聡子「早稲田短歌」34号(Web版)

3 金魚と話す


そう多いわけではないが、金魚と話す的なことを詠む歌がときどきある。

出目金でためすゆふべの読唇術―ユメガホントニ ナ ル 日 ガ 怖 イ
光森裕樹 『鈴を産むひばり』2010

「下品ではないのに卑しい人だった」母が金魚を見つめて言いぬ
今井恵子 『やわらかに曇る冬の日』2011

水槽を泳ぎ疲れた金魚には恋人の目の小ささを言う
鈴木晴香 『夜にあやまってくれ』2016

4 金魚になる・身から泳ぎ出るなど

 
これも多いわけではないが「金魚になる」ということを詠む歌がまれにある。
「金魚になる」とはどういう意味合いだろう。
小さくて弱々しく可愛く愛され鑑賞されるもの? ーーもうひとひねりありそうだ。もっと用例がほしい。


夕暮れの商店街にまぎれたし赤きひれ持つ金魚となりて
佐藤モニカ 『夏の領域』

少女はたちまちウサギになり金魚になる電話ボックスの陽だまり
永井陽子 『モーツァルトの電話帳』

数年前のコレクションですが「○○になりたい」という歌を集めてみましたので、よろしかったら御覧ください。

★内なる金魚

次のように内なる金魚を詠む歌もあり、これも「金魚になる」ことに関連しそうである。

わが内の脆き部分を揺り出でて鰭ながく泳ぐあかき金魚は
ルビ:鰭【ひれ】
中城ふみ子 『乳房喪失』

いつのまにか金魚が棲んでゐるやうな甕があります夏の胸には
梅内美華子 『エクウス』

★金魚を放つ

 更に、「金魚を放つ」というのもある。
 自分の一部を放つという意味合いでは「金魚になる」に通じると思う。
 また、金魚を放つことでなんらかの影響力を及ぼすイメージにもなり得る。
 (なんと自作もあった!)

世界中真っ赤になるかな 真夜中の橋の上から金魚を放つ
植松大雄『鳥のない鳥籠』

ゆうべはみな愉楽のおねしょ 許せまばゆい金魚など夢に放して
高柳蕗子『あたしごっこ』1994

夜の河に金魚を放つ今つけたばかりの名前をささやきながら
ひぐらしひなつ『きりんのうた。』2003

★泳ぎ出そうな浴衣の金魚

浴衣の柄の金魚を詠む歌も、今にも泳ぎ出ていきそうな感じがする。

姿見のわたしとわたしが手をとほす更紗金魚の泳ぐゆかたに
大西久美子 『ねむらない樹vol.1』2018

梅雨あけに来るとう孫に縫いあげし小さき浴衣に金魚およげり
宇佐美ゆくえ 『夷隅川』【いすみかわ】

5 金魚の死


 金魚の死に関連する歌はものすごく多い。

 小さないたましさ。同じペットの死でも、犬猫のそれよりは衝撃がないけれど、その「けれど」の先に本質がある。歌数は多いが、まだ本質に到達していないみたいだ。
(運動会の玉入れの籠になかなか玉が溜まらないような感じ。イメージが歌語にたまっていくのはそういうことなのだ。)


霜ふればしんじつ命愛しとおもひ金魚に死ねといひにけるかな
ルビ:愛【は】
小熊秀雄『小熊秀雄全集』(1短歌集)青空文庫より

食塩を瓶の金魚にふりまくといたましきものよみがへらしむ
塚本邦雄 『日本人靈歌』1958

ザリガニと金魚と小鳥二匹ずつ死んじゃった部屋羽ばたいてみる
伊津野重美かばん」新人特集号1998

一匹となりし金魚を捨てかねて持ちくれば星のまたたきをせり
佐藤通雅 『天心』1999

終電車にみっしりと人押し黙る 金魚はその身反らして死んだ
東直子青卵』2001

見なければよかったもののひとつとしもう死にそうな秋の金魚を
藤原龍一郎
「投壜通信」誌上歌集『天使、街角、カンガルー1997~1993』2001

虹 土葬された金魚は見ているか地中に埋まるもう半輪を
木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』2016

金魚の屍 彩色のまま支那服の母狂ひたまふ日のまぼろしに
ルビ:屍【し】
山尾悠子 『角砂糖の日』(新装版)2017

6 その他

★金魚はいろんな場所にいる・またはいない


なにもなき金魚の鉢のさびしさに炉石おとせば底に鳴るかも
ルビ:炉石【ろろし】
小熊秀雄

まだ部屋のどこかを泳ぐたましいのあかい金魚に水槽を買う
青柳守音『眠りの森』1998

水族館バックヤードに鉢ありて金魚一匹飼われておりぬ
鯨井可菜子 『タンジブル』2013       

散髪の優良店でヒゲを剃る金魚鉢から泡が出ている
あまねそう 『2月31日の空』2013

金魚鉢に金魚のゐない理髪店おまけにくれた十円硬貨
新井蜜『鹿に逢ふ』2014


もっといろんな場所にいたりいなかったりする金魚の歌が欲しい。

床屋さんの金魚を詠む歌が2首あったのは偶然だろうか。何か、床屋と金魚は結びつく要素、マッチする要素があるような気がするが、いま思い浮かばない。

★その他いろいろ

なんとなくレトロでおかしい肺からの血液は赤い金魚のように
早坂類風の吹く日にベランダにいる』1993

しのびよる雷鳴あれど金魚絵の浴衣こよひのふたり子つつむ
小池光『廃駅

中井英夫の本ひもとけばこともなく金魚の味に言及したり
有沢螢 『朱を奪ふ』2007

死にたいって教えてくれてありがとう金魚を破るくらいに泣いて
田丸まひる 『硝子のボレット』2014

金魚鉢の金魚横から斜めから上からぐわんとゆがんでる冬
穂村弘 『水中翼船炎上中』2018

金魚のように重ねて鍵を置くときに半同棲の脆さをおもう
千種創一『砂丘律』2015


7 金魚掬い

「中学のころまで『金魚すくい』って『金魚救い』と思い込んでた」
千葉聡『微熱体』2000

蒸し暑い宵闇に肩触れ合って白熱灯ゆれる金魚すくい
鈴木晴香 『夜にあやまってくれ』2016

飲み込んだ夢にふくれる縁日の金魚すくいの袋のように
山階基風にあたる拾遺 2015-2016』2019

★金魚掬いのポイ


知りたかったことを知ってしまったら金魚の紙がやぶれたみたい
東直子 「かばん」2006・03

夏の夜の全ての重力受けとめて金魚すくいのポイが破れる
伊波真人かばん」新人特集号2010→『ナイトフライト』2017

金魚掬いの薄紙に似るあやうさにあるらんかなやむすめの恋は
小高賢短歌往来」2011・09

8 金魚鉢・金魚玉


金魚鉢をのぞく少女の眼球がガラス一杯に拡がりてゆく
楠誓英 『青昏抄』2014

私には私が必要だったのです金魚鉢のように悲しかったです
三好のぶ子 「かばん」2002・12

たましひのほの暗きこと思はせて金魚を容れし袋に影あり
西橋美保 『うはの空』



やれやれ、今日はこのへんで。
「4 金魚になる・身から泳ぎ出るなど」のあたり、今日の収穫かもしれません。