2020年2月20日木曜日

近・現代短歌の富士の見立て 4

そらみみの富士

 現代という時代は、言葉の「富士」に、〝意味ありげ〟な存在としてのイメージを新たに付加しつつある。

 次の歌は〝見立て〟ではない。けれども、世の中にほんのかすかに漂っている富士の気配を捉えていて、現代の富士の歌の一つのモデルとして重要だと思うので取り上げる。

お天気の日は富士山がみえますとなんどもなんどもきいたそらみみ
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

 万葉集の山部赤人の歌、「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」にはじまり、富士はこれまでどれだけの言葉に咀嚼されただろうか。もはや「富士山がみえます」という「そらみみ」と化してしまっていてもよさそうなものだ。

 しかし、どうしてどうして富士はしぶとい。

非現実とこの世を接合したような薄さでかなたに立ちのぼる富士
井辻朱美『クラウド』2014

そうなんだ。
しかもその一方で、富士の現物はででんとあそこにありつづけてもいて、いつ噴火するかわからない。

終わりに

 私は比喩という修辞がキライだ。説明しにくいが、比喩は、言葉に対する人間の厚かましさが露骨になりやすい修辞だと感じる。だからみだりに使わない。

 だが、比喩の仲間らしい〝見立て〟はなぜか清々しい。かねがね不思議だったが、本稿を書く過程で、〝見立て〟が比喩でなく視覚の駄洒落だとわかった。

 また、ロビン・D・ギルさんの助けを借りて、狂歌をたくさん読み、特に見事な見立てワザに触れたこと。これも本稿の大きな収穫だった。

 でも私は不器用だ。三十年以上歌人をやっていて、見立てという修辞を、まだ一首も成功させていない。

近・現代短歌の富士の見立て 3

盛り塩サブリミナル!

 サブリミナル的にこっそり〝見立て〟を詠み込んでおくという方法もある。

どんなにかさびしい白い指先で置きたまいしか地球に富士を
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』2006

 さびしい白い指が富士を置いた、というだけでも読者の詩的満足度はじゅうぶん高いが、この歌はそれで終わらない。だってこの歌、二度見せずにいられないでしょう? 「え、まさか。もしかして、富士を盛り塩に見立ててる……よね?」と。

 盛り塩……魔除け……、これって?――いくつかの星での苦い失敗で傷心の実験者(神様?)の指が、今度こそはと祈りをこめてこの地球に富士を置いたのか、的なことを想像したくなる繊細な形だなあ、富士って。――という歌みたい。と思うのは考え過ぎか。

 読者の多くは、サブリミナルで挿入された盛り塩の絵をなんとなく感じるにとどまるだろう。もしかしたら作者も同じで、ちっとも気づかぬまま詠んでいるかもしれない。短歌(に限らないだろうが)の作者は、勝手ににじみ出てくるイメージたちなんか、いちいち感知しきれないのだから。

意味が出ぬように?

 山の形なら何でも富士に〝見立て〟可能だとわかっているつもりだったが、それでも次の「富士山を乳首に込めて」には驚いた。

あー今日もいちんち意味が(富士山を乳首に込めて)出ませんように
鈴木有機「かばん」2003.2

 母乳で服を汚さぬように胸にタオルを当てて出勤した産後の一時期を思い出した。トイレで母乳を絞り捨てる。あれは自然な表出を抑制する日々だった。

 それにしても、「富士山を乳首に込め」という、乳房に富士を装填するかのようなこの〝見立て〟。乳房は母乳の水鉄砲か。その武器(?)に富士の形から「意味」というパワーを見出し、しかしその武装を隠して過ごさねばならない。その暮らしを「あー今日も」とぼやくこの歌、振り回される感はあるが、わかる。

 富士がこうも〝意味ありげ〟に見えるのは、私たち各自が富士に呼応するものを身のどこかに備えているからではなかろうか。富士を目にするたびに乳首とかぼんのくぼとか、どこかしらが幽かに疼く。富士に喚び起こされて、私たちのなかに小さな富士が育っている。そんな気がしてきませんか。
(続)

近・現代短歌の富士の見立て 2

どうも気になる現代の富士

 現代人にとって富士は、なぜか気になる存在である。

冬晴れやビルの谷間に富士山が見えれば人の立ち止まる国
田村元『北二十二条西七丁目』2012

 富士が見えたらそれはちょっとした吉事で、微かに癒やされるし、SNSにそれを書き込めば「いいね」が集まる。昔のような信仰はもはや薄れた今、富士がなぜ、どのように心の拠り所となり得るのか。心は得体の知れないものだから正直いってわからないけれど、とにかく富士の姿は意味ありげに見えないか。

 現代の短歌が富士を詠むときは、この〝意味ありげ〟な感じを詠むことが多いようだ。現代のみんながうすうす共有しているイメージは、歌ににじみ出ようとする。歌人は、そこに無意識であっても、ちゃんとその依代(よりしろ)となって歌を詠んでいるのだ。

大根おろしのひとりあそび?

というわけで、近代なら叙景で満足できた富士の歌だが、現代短歌の富士は〝意味ありげ〟をきちんとにじませねばならない。そのため、何らかの尋常ならざる表現の工夫が必要になり、その一つの手段として〝見立て〟が使われることがあるようだ。

富士となりそびゆとみれば崩れゆくひとりあそびの大根おろし
坂井修一『青眼白眼』2017

 大根おろしの富士。これは、江戸狂歌でお灸の艾などを富士に〝見立て〟たことと似ているが、なんとこの歌の大根おろしは、いったん富士になってそびえ、やがて崩れてしまう。

 かつて富士は不変だった。不二、不尽などと表記され、歌にもその前提で詠まれたものだった。だが、現代の人は、どんな富士も不変ではいられないほどの大きな時間を知っている。富士の勇姿もいっときでしかない。そのことを「ひとりあそびの大根おろし」と、事象の気まぐれのように捉えたのは、なんともものすごい〝見立て〟ではないか。
(続)

近・現代短歌の富士の見立て 1

〝見立て〟は視覚の駄洒落だ

 近現代の話に行く前に、本章における〝見立て〟の私なりの定義を示しておこう。

〝見立て〟は比喩の一種に見えるが、掛詞や駄洒落に近い性質を持っている。掛詞や駄洒落は、全く別の言葉が同音の縁で重なり、どこでもドアのようにイメージが飛躍する。

同じように〝見立て〟も、全く別の具体物が形状の一致で重なるのを利用する修辞だ。ゆえに、〝見立て〟は視覚の駄洒落なのである。

近代歌人は富士を見立てなかった?

 まずは近代歌人の富士の歌を探してみた。
 はたして、近代歌人はせっせと富士を詠んではいたのだが、どうしてなのか、(すべての歌を知るわけではないが)富士の〝見立て〟が見あたらなかった。

凪ぎし日や虚の御そらにゆめのごと雲はうまれて富士恋ひて行く
若山牧水『海の声』1908

ひたぶるに汽車走りつつ富士が根のすでに小(ちひさ)きをふりさけにけり
斎藤茂吉『あらたま』1921

目測千米(メートル)にあまる横雲の速度烈しくして富士を移動せしむ
前田夕暮『富士を歌ふ』1943

 牧水の歌の「雲」が「富士恋ひて行く」は、雲のふるまいを「ああ富士恋ひて行くんだな」と感受した心情を暗示する。茂吉の歌は汽車で富士を通り過ぎるスピード感を描き、また、夕暮の歌は、抒情的な語を排除して雲の激しい速さが「富士を移動せしむ」とまで言ってのけている。
 これらはいずれも視覚的に印象深い富士だが、どれも〝見立て〟ではない。

 なるほど。これは憶測だが、近代では、富士の姿を自分の目で見て描写するだけでも近世以前の和歌とは異なる斬新な表現になり得た。だから〝見立て〟のような技工を使う段階に至らなかったのではなかろうか。
(続)

2020年2月19日水曜日

ゲスト紹介:ロビン・D・ギル(Robin D Gill)さん

 おびただしい古典和歌を読破し、今は和歌のB面ともいうべき狂歌を研究されているロビン・D・ギル(Robin D Gill)さんと、2018年秋にFacebookで「友達」になった。

 ロビン・D・ギルさんって、もしかして、と思った方はいないだろうか。

 ギルさんは、かつて『誤訳天国』(87年・白水社)『英語はこんなにニッポン語――言葉くらべと日本人論』(89年・ちくま文庫)などで知られたジャパノロジストだ。(当時の名はロビン・ギル。)

 私も当時『英語はこんなにニッポン語』を読み、この書名から想像し得る範囲を超えて溢れやまぬ豊饒を感じた。このギルという人は水中で息のできる人、言葉を鰓呼吸できる人なんじゃないか、と思ったのだった。(誓って言うが、その時点で「ギル」が「鰓」だなんて気づいていなかった。)そのギルさんとひょっと「友達」になるとは、さすがFacebookである。

 日本を離れたギルさんは、日本の古典俳句や狂歌を研究に没頭し、『Rise, Ye Sea Slugs!』(03年/古今の海鼠の俳句約千句の英訳)、題名からして面白い『Fly-ku!』(04年/一茶の名句「やれうつな」を生み出した言葉の土壌形成の考察)、『Cherry Blossom Epiphany』(07年/宗祇から江戸後期までの三千の桜の古句の英訳)、等々を出版。その後、狂歌に魅せられ、狂歌大観、近世上方と江戸狂歌本の三大シリーズをはじめ、万葉集まで遡って古歌何十万首を読破。狂歌を七、八万首も集め、その知識を芯に、『古狂歌 滑稽の蒸すまで』他五冊を出版して現在に至る、という。いま狂歌らは群をなし彼の脳内を泳ぎ回っているらしい。

 そういうわけで自称「古歌の首狩」のギルさんは2019年1月に来日され、そのとき直接お会いすることができた。二十年ぶりだというのに日本語ペラペラじゃないですか!(スゴーイデスネとなぜかこちらがガイジン口調。)

ミニ16 開く鞄


往診の鞄おおきくひらかれて見れば宇宙のすはだは青い
佐藤弓生 『眼鏡屋は夕ぐれのため』

まだ地上にとどいていない幾億の雨滴をおもう鞄をあけて
加藤治郎

イエスに肖たる郵便夫来て鮮紅の鞄の口を暗くひらけり
 塚本邦雄

樹にされし男も芽ぶきびっしりと蝶の詰まれる鞄を開く
 佐佐木幸綱『アニマ』

買いたての鞄ひらけば工房の匂いあるいは牛の内面
東直子「短歌研究」201111

残雪の山の宿ゆ帰り来て無人の家に鞄をあける
ルビ:宿(やどり)
小笠原和幸『春秋雑記』

雨の日に茶色の鞄こじあける捨ててしまつたわたしを捜し
新井蜜『月を見てはいけない』

いぬおとこ黑鞄開け十二使徒セツト価格で如何と嗤ふ
足田久夢 2016短歌研究応募作

ミニ21 ストッキング

ストッキングってなんだかやたら感じ悪かったりマイナス感情だったりで詠まれてないかなあ、
と、ずっと思っていた。

でも、実際に歌を集めてみたら、確かにマイナス系が多いは多いが、なんともいえない歌もあるし、プラス系も多少はあることがわかった。

「ひでえ詠まれようだな」と苦笑するような歌が特に「ストッキングの歌」として印象に残るのだろう。

■マイナス系
こころがもしストッキングのやうにのびるならストッキングは気味わるからむ
渡辺松男『雨(ふ)る』2016
※この歌、ストッキングの身になって詠んでいるんですよね。おもしろい。

パンティーストッキングで首をくくりし小説家鈴木いずみの生の加速度
有沢螢『朱を奪ふ』

かなしさの逃げ道としてびりびりとストッキングを裂きながら履く
千原こはぎ『ちるとしふと』

肉色のストッキングが疎ましい 姉と義兄の後ろを歩く
柴田瞳

あの青いストッキングに触れたならぶん殴られたりするんだろうな
望月裕二郎『ひらく』2009

■どちらでもない系
こんなにもいたでを受けて君はいるストッキングを伝線させて
嵯峨直樹

社交辞令そして素足を今朝もまたストッキングに滑りこませる
ルビ:社交辞令【かろき嘘】
天道なお『NR』2013

この部屋から富士山見えおり干してあるストッキングを透かし見てみる

浜田康敬

利己的な点すこしある友人の話題が靴下ストッキング のことに戻る
安藤美保『水の粒子』1992

塀の上を過ぎゆく猫に見られつつストッキングに片足とほす
高田流子『猫町』2011

昼の雨はストッキングに染みながらあかりを点けて人を呼びたり
石川美南『離れ島』

ストッキングに寄りたる皺を引き伸ばし引き伸ばし辻褄合わす
平山繁美『手のひらの海』

■プラス系
死んでしまった夫に逢いに行くために夢の中にてストッキングはく
間ルリ 『それから それから』2014

娘あらば秋のソファに翅のごとストッキングなど落ちゐむものを
栗木京子『水仙の章』

宵闇に風も涼しと軒先を揺れているストッキングの爪先
勝野かおり

ミニ18  天の川

●現代歌人
あまのがわ上流をながされてゆくあなたのかなしみの箒星
笹井宏之(1982生)『てんとろり』2011

天の川そのかみしもを確かむるために浮かべつひとつ椰子の実
光森裕樹(1979生)『うづまき管だより』(2012)

天の川銀河アンドロメダ銀河衝突せむは弥勒のまへか
渡辺松男(1955生)『短歌』2018年1月号

負ふべくは負ふてゆくべし碧天を音なく流れゐる天の河
永井陽子(1951生)

天の川夜空に輝りぬ我の手の跡きえゆくやかの乳房より
高野公彦(1941生)『天泣』

さやぎ合ふ人のあひだに澄みゆきてやがてくぐもる天の川われは
岡井隆(1928生)『天河庭園集[新編]』

天の川地上にあらばははうへがちちうへの辺に解きし夏帯 
ルビ:辺(へ)
塚本邦雄(1920生)『魔王』1993

あまの川うお座くじら座みずがめ座天にも秋のみずはみなぎる
杉﨑恒夫(1919生)

天の川白き夜去りて朝風の中なる萩にくれなゐ走る
宮柊二(1912生)『忘瓦亭の歌』


●近代歌人
   ※近代は天の川の「白さ」を詠む歌がやや多い感じがする。全部ではないが。

天の河棕梠と棕梠との間より幽かに白し闌けにけらしも
ルビ:闌(ふ)
北原白秋(1885生)『雲母集』1915

滑川越すとき君は天の河白しといひてあふぎ見しかな 
吉井勇(1886生)

宵闇の旧街道をわがくれば天の川白し芦の湖の上に
古泉千樫(1886生)

あまの川棚引きわたる眞下には糸瓜の尻に露したゞるも
長塚節(1879生)『長塚節名作選 三』1987   歌は1903年頃の作

天の川そひねの床のとばりごしに星のわかれをすかし見るかな
天の川白き夜ぞらにかひな上げふれて涼しくなりし手のひら
与謝野晶子(1878生)

寝静まる里のともし火皆消えて天の川白し竹薮の上に
星合の七日も近き天の川桐の木末や浅瀬なるらん
正岡子規(1867生) 歌は1898年作

いささかの丘にかくろふ天の川のうすほの明りその丘の草
島木赤彦(1876生)

岩の秀に立てばひさかたの天の川南に垂れてかがやきにけり
斎藤茂吉(1882生)

天の川世の目あらはに相逢はむ恋にしあらば何かなげかむ
伊藤左千夫(1864生)

●古典時代の歌も少し
忘れにし人にみせばやあまの川いまれし星の心ながさを
新左衛門(?)『後拾遺和歌集』

秋風に夜のふけゆけは天の川かはせに浪のたちゐこそまて
紀貫之(872頃生)『拾遺和歌集』

天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹と見えきや
柿本人麻呂 (660頃生)『萬葉集』 巻十

ミニ15   膀胱

いろいろなゆめからさめるまえにそっとそっときれいに光る膀胱
 杉山モナミ 『ヒドゥン・オーサーズ 』

膀胱の燃える春です詩を産んで月があんなにむらさきいろで
 佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』

銀幕を膀胱破裂寸前の影が一枚ゆらゆらとゆく
 木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』2016

膀胱炎になってもいいからこの人の隣を今は離れたくない
 柴田瞳『月は燃え出しそうなオレンジ』

腎臓はこのへんですかこのへんは膀胱ですか湯の中にいて
   東直子「文藝春秋」2014、05

おしっこよ いつか海へと流れつきぼくの膀胱に戻っておいで
 寺井奈緒美『アーのようなカー』

亡霊はボサボサ頭  棒立ちの坊やの膀胱ぼんぼり灯る
 高柳蕗子『あたしごっこ』

2021年5月3日追加

俳句

虫しぐれ膀胱しぼみつくしたり 日野草城

ミニ17 冬大根vs.夏大根

冬のだいこんの味に言及する短歌は、2014年ごろに発行された歌集に集中していた。そしてこのごろ(現在2020年)見かけなくなった。
そういう偶然もあるだろう。
(どうかなあ。夏冬と大根の組み合わせで味に言及する例は、それ以前ではあんまり見ないように思う。あまり意識できないような何らかのきっかけがあったのかも。)

●冬大根
電車の外の夕方を見て家に着くなんておいしい冬の大根   
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』2012

寒ければいよいよ甘し大根のやうなわれなり冬を愛する 
笹谷潤子『夢宮』2014

焼酎五、お湯五、風ある冬の夜の煮返して食ふだいこん旨し
高野公彦『流木』2014

ふかぶかと息を吐きつつ父親は冬の廚に大根を蒸す
ルビ:吐(つ)
服部真里子『行け広野へと』2014

冬来れば大根を煮るたのしさあり
細見綾子(俳句)

■2021.4.29追加

ベランダに干した大根ほそりゆきたり この冬も一人で生きる
田宮智美『にず』

冬の風つめたく晴れて/木の空に/大根の死骸かぎりなし
夢野久作『猟奇歌』

●夏大根
夏大根に家中の口しびれつつ今日終る 国歌うたはず久し
塚本邦雄『日本人靈歌』1958

さたうきび畑の唄をうたひきり夏大根ざくりときざむ母
笹井宏之『てんとろり』2011(筒井宏之名義文語)


とまれ古稀夏大根の曳く辛み
古沢太穂(俳句)

ミニ19 ひいふうみ

みちのくのひつつみ食べてひいふうと口より二つ雲を生みたり
※「ひつつみ」に傍点
小島ゆかり『憂春』

「ひいふうみい……九つここにも禿があり」橋の擬宝珠叩いて渡る
永井陽子

空中をしずみてゆけるさくら花ひいふうみいよいつ無に還る
内山晶太『窓、その他』

ひいふうみ鳥居抜ければひいふうみ身から鱗が剥がれておちる
黒崎由起子『銀の砂』

食指といふなまぐさき語のうかび出づひいふう白き粥ふきさます
大森浄子『岩船寺のセミ』

ひふみよいむなやここの十日の経つころを闇に喰はれてしまふ月読
手酌して呑むおほみそか一年のうれしき一二肴に味はひ
ルビ:一二肴【ひいふうあて】
以上2首   青木昭子『申し申し』

ひいふうみい河の向うに他郷の灯
谷口幹男(川柳)

ミニ20 一のわれ 二のわれ

◯「一のわれ」と「二のわれ」という二種類の「われ」を詠む歌がある。
私の知っている中でもっとも古いのはこれ。

一の吾君を得たりとこをどりす二のわれさめて沈みはてたる
前田夕暮『収穫』1910

◯そしてぽつぽつ。

炎天をゆく一のわれまた二のわれ
阿部青鞋『ひとるたま』1983(俳句)

一のわれ二のわれがいて物欲しげなるあり方を二が批判する
小高賢『秋の茱萸坂』 2014

◯そして発展型?

一のわれ欲情しつつ山を行く百のわれ千のわれを従え
渡辺松男『寒気氾濫』1997

一のわれ死ぬとき万のわれが死に大むかしからああうろこ雲
渡辺松男『泡宇宙の蛙』1999

木枯吹く一億分の一の我
鈴木伸一 「吟遊」第17号

ミニ12  ◯◯とわかる

「◯◯とわかる(分かる・解る・判る)」という文字列を含む短歌等をさがしてみました。
けっこう多いので今日の気分で抽出しました。

■お気に入り二首

のぎへんのノの字をひだりから書いてそれでも秋のことだとわかる
山階基  『穀物』創刊号

はつきりとわかる河内へ帰るとき生駒トンネル下り坂なり
勺禰子 『月に射されたからだのままで』

■いろいろな「◯◯とわかる」

靴ひとつ履きつぶすまで履くんだとわかる夜明けのあとのあかるさ
山階基「早稲田短歌」44

夢に出る父はこの頃大きくてうしろ姿でもう父とわかる
岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』

病窓に下界を見れば辛うじて犬だとわかるかたちのゆらぎ
廣西昌也『神倉』2012

飴色に蛹はかわる まっしぐらに忘れる途中とわかる 見とれる
やすたけまり『ミドリツキノワ』

感覚はいつも静かだ柿むけば初めてそれが怒りと分かる
服部真里子『行け広野へと』2014

茄子にぎる手の映りこむ一枚は朝だとわかる すごくありがとう
千種創一『砂丘律』2015

きみの指にしびれた腕を奏でられ目覚める場所がここだと解る 
荻原裕幸『新星十人』

暗がりにみづは見えねどほうたるのひかりが揺らぎ水面とわかる
白石瑞紀『みづのゆくへと緩慢な火』

手応えでだめだとわかるクローゼットの扉のレールのわずかな歪み
兵庫ユカ『七月の心臓』

■2021年4月29日短歌追加

白黒写真で色えんぴつを撮つてみる赤はなぜだか赤だとわかる
ルビ:白黒写真【モノクロ】
秋月祐一『この巻尺ぜんぶ伸ばしてみようよと深夜の路上に連れてかれてく』2020

だいぶ褪せて陶犬とわかるのがかれこれ二ふんこちらむいてゐる
平井弘『遣らず』2021


【俳句】
鈴蘭とわかる蕾に育ちたる
稲畑汀子

白梅とわかるとほさでひきかへす
豊田都峰

うすらひのふれあふおととわかるまで
正木ゆう子

遠くから貴女とわかる白いブラウス
住宅顕信

■2021年4月29日追加

眼がひらき顔だとわかる雨月かな
田島健一『ただならぬぽ』2017

【川柳】
粉末になっても正座だとわかる
柳本々々

モザイクがかかって手錠だとわかる
松木秀

輪郭をなぞればジェラシーと分かる
丸山進

ごくたまに兵士と判る人がいる
南野耕平

雪だるまだったと分かる手術台
重森恒雄

耳がつめたいのでひとりだとわかる
峯裕見子

肉を焼く匂いでないとわかるはず
樋口由紀子

どろどろになってもどろどろだとわかる
石田柊馬

■2021年4月29日川柳追加

二年後に間違い電話だとわかる
菊池良雄

ミニ13   雪と言葉

■本日の特にお気に入り4首

かりがねののちの虚空をわたらふや月よと呼べる雪のことばの
山中智恵子『虚空日月』1974

春という言葉に力がありすぎて「春」と言うたび雪崩るこころ
北山あさひ「まひる野」2016年4月号

きみには言葉が降ってくるのか、と問う指が、せかいが雪を降りつもらせて
井上法子『永遠でないほうの火』2016

はじまりのことばがゆびのあいだからひとひらの雪のように落ちた
笹井宏之『てんとろり』2011

■そのほか

きみのため言葉失ひ雪圧に堪へをり四方から昏れきて夕べ
小野茂樹

だって金曜の夜だよ 雪のように言葉が溶けていく山の手線
北川草子『シチュー鍋の天使』

駅前のオルガン弾きがわたくしの知らぬ言葉で「雪」とつぶやく
入谷いずみ『海の人形』

いはかがみ嘆ききはまりて残雪のごとし言葉をいかほど白く
西王燦『バードランドの子守歌』

視界より雪をはづせば今しがた書き出す文のことばうしなふ
三島麻亜子『水庭』

右手あげ角を曲がりてゆきにけり今生といふことば堰きたり
小島熱子『ぽんの不思議の』

をさむべき言葉はさびし雪ながらもろき微笑を一人あはれむ
河野愛子

処女といふことばさびしむ国道に春の雪降る冬のゆふぐれ
西田政史『ストロベリー・カレンダー』

祝うべき枯渇? ことばも雪のように肌に触れると死ぬのね、こねこ
糸田ともよ『水の列車』

寄りながら暗き言葉をうちかはす我らの肌で焼死せよ雪
藪内亮輔『海蛇と珊瑚』2018

水の面に言葉沈めて聞くように雪限りなく透明となる
木島泉

【俳句】
雪夜にてことばより肌やはらかし   森澄雄

細雪妻に言葉を待たれをり  石田波郷

【川柳】
言葉が過ぎて雪足元にくずれおち  片倉卯月

傘に雪言葉たらずのまま別れ  熊谷冬鼓

雪深しどんな言葉を選んでも  吉田州花

2021年5月3日追加

雪の上に雪がまた降る 東北といふ一枚のおほきな葉書
工藤玲音『水中で口笛』

点字に知るこの世もあって指先の六つの点が雪と教わる
小島なお『展開図』

死者たちの文なり雪はゆつくりとわれとことばの間に降るべし
ルビ:間(あひ)

本田一弘『磐梯』

ふと外に目をやれば雪何か乞うメールが文字化けしているような
兵庫ユカ『七月の心臓』

消音のテレビの中にちらちらと雪は字幕に混じりつつ降る
服部真里子『遠くの敵や硝子を』


ミニ10 定食

定食屋世界の果てに漫画誌の油染みたる表紙をめくる
斉藤真伸『クラウン伍長』

定食をひとりで食べて箸を噛んでもひとり なんでも出来る
藤本玲未『オーロラのお針子』

新人賞落選の日の焼魚定食の鯖穏やかなりき
鯨井可菜子『タンジブル』

タダゴトとして見る世界面白くワリバシを割り定食を食う
藤原龍一郎

カウンターの隣は何を待つ人ぞわれは春雨定食を待つ
田村元『北二十二条西七丁目』

日替はりの定食メニュー日毎かへて食べ飽きるころ秋はふかまる
外塚喬『火酒』

鉄筋の臭いをさせる作業着の女と同じ鯖煮定食
佐佐木定綱『月を食う』

定食屋のしょうゆの瓶を握ったら見知らぬ人との握手のようで
戸田響子『煮汁』

定食屋うなだれている父たちが食らう撃ちぬかれたる蓮根
八木博信『ザビエル忌』

白鳥定食いつまでも聲かがやくよ
田島健一(俳句)

稲妻やトンカツ定食ここにあり
石田柊馬(川柳)

■2021年4月29日追加


あなたとは行かない駅にそのたびにかならず食べに寄る定食屋
山階基「風にあたる拾遺」

白にしろを重ねてあわき色合いのふたりで食べるとろろ定食
松村正直『紫のひと』

ミニ14  だんだら模様

おはずかしい話、「だんだら模様」という言葉は知っていたけれど、今の今までどういう模様なのか全く知らず、調べもせずに生きて来ちゃいました。
ちょっと画像でググったら、新選組の羽織の袖や裾にあるギザギザ模様ばっかり出てきて、まずは「へーっ、ギザギザか」と思ってしまったわけです。

でも、myデータベースを検索したら、まず目に入ったのはこれでした。

夜のそらにふとあらはれてさびしきは、床屋のみせのだんだらの棒
宮沢賢治

ん、床屋のあれはギザギザ模様じゃないじゃない。
そこでググり直し、だんだらは段々になっている横縞模様のことだとわかりました。
(重要なのはギザギザではなかったんだ。)
「だんだら」は語感がおもしろい。いつかこれがピタリとはまる歌を詠めるといいな。

朝を細き雨に小鼓おほひゆくだんだら染の袖ながき君
ルビ:小鼓【こづつみ】
与謝野晶子

酔ひたれば関八州は暮れがたの火のしましまや風のだんだら
ルビ:酔【ゑ】
永井陽子『モーツァルトの電話帳』

七十九歳媼のスリは捕らえられだんだら模様に暮れゆく空や
鈴木英子『油月』2005

だんだら縞も町に古びて落魄の化粧もあれよ白塗り粉塗り
ルビ:粉【こ】
山尾悠子『角砂糖の日』新装版2016

わたくしのからだはとおくちかく結ぶ 毛糸で出来ただんだら縞だ
杉山モナミ

幼齢のいもむしはのばされならぶみなだんだらだ図鑑ありがとう
柳谷あゆみ『ダマスカスへ行く 前・後・途中』2012

だんだらの道化の帽子かむりたる童子はついになきにけるかな
小熊秀雄

朝やけは朱と紫のだんだらに山を染め分け明けんとするも
小熊秀雄

窓べには仙人掌の花日覆のだんだら縞やわが夏帽子
ルビ:仙人掌【さぼてん】/日覆【ひおほひ】
斎藤史『魚歌』1940

街角の店の日除はむかしも今もだんだら縞がすこし褪せをり
斎藤史『ひたくれなゐ』

ホームには春のコートが立ち並ぶ肩に落ちたるだんだらのひかり
梶原さい子『ナラティブ』

ミニ9 眼を洗う

ひざにのせたあなたのアルミニウム色の目をやさしがるかに洗うさざなみ
飯田有子

たれかいま眸洗へる 夜の更に をとめごの黒き眸流れたり
葛原妙子『葡萄木立』

たつとりの初めて父を見たる眼が海の蒼さに洗われている
江田浩司

くじらより大きなビルの眼を洗う文明の飼育係となって
植松大雄『鳥のない鳥籠』

眼を洗ひいくたびか洗ひ視る葦のもの想ふこともなき莖太き
塚本邦雄『水葬物語』

少年が目を洗いいるたそがれを鞍馬天狗が帰る蹄音
寺山修司『月蝕書簡』

ビー玉一つ失くしてきたるおとうとが目を洗いいる春のたそがれ
寺山修司 『月蝕書簡』

風の街歩みきて乾く目を洗うぬ るき湯ふとも涙のごとし
久々湊盈子『あらばしり』

半島の政変、月の峠を来てみづからの眸を洗ひてのち夕餉す
西王燦『バードランドの子守歌』

水の中に眼を洗ひゐてみひらきつ杳く呼びつつ来るもののある
山本かね子『風響り』

眼を洗いたい、耳を洗いたい、鼻を喉を洗いたい。胸の内側まで洗いたい。
田丸まひる『硝子のボレット』

眼を洗ふこののちくるもの怖けれどわれに残されし時間なほ見ん
馬場あき子『あさげゆふげ』

霧雨に洗わせている血の眼 薬のように言葉を吐くな
二三川練『惑星ジンタ』

灼けているプールサイドにぴゅるるるるあれは目玉をあらう噴水
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

水の中に眼を洗ひゐてみひらきつ杳く呼びつつ来るもののある
山本かね子『風響り』

ミニ11  冷蔵庫とたまご


ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
穂村弘『シンジケート』

秋霊はひそと来てをり晨ひらく冷蔵庫の白き卵のかげに
ルビ:晨(あした)
小島ゆかり『月光公園』

冷蔵庫ひらきてみれば鶏卵は墓のしずけさもちて並べり
大滝和子『銀河を産んだように』

冷蔵庫には卵のための指定席秋のコンサートが始まるらしい
杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』

冷蔵庫の出口に近きたまごから順に食はれて最後のひとつ
田口綾子『かざぐるま』

はじめから孵らぬ卵の数もちて埋めむ冷蔵庫の扉のくぼみ
林和清

春暁にほのぐらく浮く冷蔵庫唸りあげをり鶏卵を抱き
黒瀬珂瀾『空庭』

冷蔵庫にほのかに明かき鶏卵の、だまされて来し一生のごとし 
ルビ:一生(ひとよ)
岡井隆

生みたての卵は冷蔵庫に光りて放置死させるごときはかなさ
ルビ:光(て)
米川千嘉子『滝と流星』

ミニ6 間違い電話で言われたこと

■び、びわが食べたい
「…び、びわが食べたい」六月は二十二日のまちがい電話
東直子『春原さんのリコーダー』

■なすべきことをなせ
突然の間違い電話のくせしてなすべきことをなせと言われる
山下一路『スーパーアメフラシ』

■もういい
真夜中の間違い電話に「もういい」と言われておりぬもういいんだね
俵万智『チョコレート革命』

■母さん
母さんとわれを呼びたる後黙すこゑあどけなき間違ひ電話
百々登美子『夏の辻』

■ごめんね
二階から駆け降りくればごめんねと間違ひ電話のすすり泣く声
新井蜜『鹿に逢ふ』

★もっといろいろあるかと思ったが、あまり詠まれていないようだ。

■その他の間違い電話の歌と川柳
(俳句は見つかりませんでした)

さりげない優しさが好き二回目の間違い電話も丁寧に切る
柴田瞳

美しい咳につながる間違い電話
小池正博(川柳)

2021年6月23日追記


電話とれば「雨だ!」とひとこゑ どこかでどこかの男が濡れてゐるらし
花鳥佰『逃げる!』2021

ミニ7 腰痛と肩こり

■腰痛
タマネギは床八方へころがりぬ腰を痛めて拾へぬわれは
花山多佳子『胡瓜草』

重力に逆らいながら起床する腰の痛みにしかめ面して
松木秀『RERA』

腰痛のためおだやかに笑う昼ほそくて蒼い客も来たれり
東直子〈出展調査中〉

腰痛を抱えて集う相部屋に一本の梅さし込まれたり
東直子『十階』

読んだことあるメモのなかのみたことのない命 腰痛の
杉山モナミ〈作者ブログ「b軟骨」〉

フラミンゴの群れの前にて腰痛にならぬかと問ふてゐる老婦人
石川美南『砂の降る教室』

世にたつはくるしかりけり腰屏風 まがりなりには折れかゞめども
唐衣橘洲(江戸狂歌)

年越しのぎっくり腰の篦棒め
ルビ:篦棒 べらぼう
鈴木明(現代俳句)

■肩こり
肩こりに効くというヨガ息とめて吐いてちぢんで伸びてちぢんで
俵万智『かぜのてのひら』

肩こりを叩くにちょうど手ごろなり かどや純正ごま油の壜
藤島秀憲『二丁目通信』

あどけない亜麻色をしたすじ雲に照らされている世界の肩こり
井辻朱美『クラウド』

肩こりはスヌードであるケープであるポンチョであるあのさみLさ
杉山モナミ「かばん」2015.12

仕舞湯の暗きに瞑り痛む肩揉みてぞいたるしこり忘れて
河野裕子『日付のある歌』

肩の凝るほど実をつけてずむずむと柿の木あゆむ秋の後姿
ルビ:後姿  うしろで
萩岡良博「詩客」2012.11

ラフレシアに寄生されたる木の心地 肩こりと息を分けあい暮らす
加瀬はる(第4回 大学短歌バトル2018)

鴉横に居て肩痛し秋の暮れ
永田耕衣(現代俳句)

かたばみの肩凝り歴史的である
石田柊馬(現代川柳)

■両方含む
腰痛 痔 肩こり 高所恐怖症 ヒトが進化で手に入れたもの
松木秀『親切な郷愁』

腰痛も肩凝りもない水死体
丸山進『アルバトロス』(現代川柳)

2021年5月3日追加

俳句
偲んだり食べたり厚着に肩凝ったり
池田澄子『此処』

着膨れの中に肩凝りしまひたる
北大路翼『見えない傷』


ミニ8 まばゆい

水晶をけずったような対話だね  まばゆい夏の岸を離れて
井上法子『永遠でないほうの火』

翼竜にたましいありや スイッチを切ればまばゆき虹の音量
井辻朱美『クラウド』

まばゆすぎる綺羅が底鳴りしてみせるこの獰猛な海というやつ
井辻朱美『クラウド』

生きもののごとく油槽に流れこむ五千リッターの重油まばゆし
外塚喬『喬木』

病院を出れば世界はまばゆくて日傘でつくるひとりぶんの影
岸原さや『声、あるいは音のような』

風いでて波止の自転車倒れゆけりかなたまばゆき速吸の海
ルビ:波止【はと】  速吸【はやすひ】
高野公彦『水木』

つっぷした緑の大地まばゆくてなんて深いのこのきりぎしは
佐藤弓生『薄い街』

菜の花の点描となりゆくまばゆさはみえない雪がふっているのか
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』

はにかんでまばゆいばかりの明け方にあなたの首の骨を折りました
笹井宏之『ひとさらい』

まばゆいこと右手に灯せば左手はあなたを覆う影となろうか
渋谷美穂「早稲田短歌」43

春鳥はまばゆきばかり鳴きをれどわれの悲しみは渾沌として
前川佐美雄

女いて朱夏まばゆくて一握の銀貨をくれと言えば頷く
谷岡亜紀

家族分展げて干せばまばゆくて傘とはこんなに輝くものか
ルビ:展【ひろ】
中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』

啼くこゑが君をみえなくしてしまふ夕日まばゆきかなかなの路
渡辺松男『雨(ふ)る』

窓の外のまばゆいひかり車内にてひかりはすべて書物となりぬ
木下こう『体温と雨』

瀬の光るまばゆさ遠くやわらかきいたみ盗癖のことにかかわる
林安一

楊子くはへ障子いづれば午近き日ぞまばゆけれつかれし瞳
ルビ:午【ひる】
前田夕暮『収穫(上巻)』1910

きっと光の裏側はもっとまばゆい或る夏の日にわたしは歌う
加藤治郎『混乱のひかり』

もうすぐ空があの青空が落ちてくるそんなまばゆい終焉よ来たれ
永井陽子『葦牙』

けっこう多かったので、好みで選びました。

■2021年4月29日追加

乾きたるプールの底に立つひとのまばゆし死後のひかりのやうに
楠誓英『禽眼圖』

雲の上に出でてまばゆきまかはんにやはらみたくわうの中を飛びゆく
高野公彦『水苑』2000

ミニ5 お辞儀



それだけで会いに来たのか 寝言にて「喫水線までお辞儀できます」
 飯田有子(出典調査中)

五十銭貰って/一つお辞儀する/盗めば/お辞儀せずともいいのに
夢野久作(出典調査中)

ごきげんやうお辞儀ちひさくバスに乗り海辺の家の昨日に帰る
古谷空色 「かばん新人特集号」98年2月

つむじたちぶつかってくるおじぎからすこしはなれているはるの家 
杉山モナミ(本人ブログ「b軟骨」)

フロアには朝が来ていて丁寧にお辞儀をしたらもうそれっきり 
笹井宏之『ひとさらい』2011

(さようなら)おじぎするにもひきだしがたくさんあってぜんぶひきだす
望月裕二郎『あそこ』2013

砂浜を歩き海から目に届く光のためにおじぎを交わす 
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る 』2013

無人駅、と誰かがつげて陽にふれて誰も誰もがもうおじぎ草
佐藤弓生「かばん」2014・8

鉄橋のむこうで君が深々とおじぎをしたらはじめます秋 
千種創一『砂丘律』2015

二分ほど静座するまでからだ癒え誰にともなくおじぎしてみる 
宇佐美ゆくえ『夷隅川【いすみかわ】』2015

高校に行かせてくれと土下座して転がっちゃった天使のあたま 
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

シースルーエレベーターを借り切って心ゆくまで土下座がしたい 
斉藤斎藤『渡辺のわたし』2004

■俳句
福助のお辞儀は永遠に雪がふる
ルビ:永遠(とわ
鳥居真里子(出典調査中)

■川柳
なんべんもおじぎをしたら尾が生えた
樋口由紀子『樋口由紀子集』

追加(2021・3・7)

■短歌

鶏のこどもを連れて冬空か夏空に軽く会釈をしたい
笹井宏之『ひとさらい』2011

さっきまで騒いでたのにトイレでは他人みたいな会釈をされる
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013

頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく
萩原慎一郎『滑走路』2017

正門の脇に森ありその中に教授が一礼する神社あり
千葉聡『グラウンドを駆けるモーツァルト』2021

今朝の春蛇口ひねれば出る水に礼するごとく顔を洗いぬ
田中徹尾『人定』2003

百円を入れピーマンを取り出せばわざわざここまで来て礼をする
土井礼一郎 「かばん新人特集号」2018

誰にともなく深々と礼をして車掌はふたたび揺れるなのはな
杉谷麻衣『青を泳ぐ。』2016

あじさいがまえにのめって集団で土下座をしとるようにも見える
吉岡太朗『ひだりききの機械』2014

地下ホール消灯すれば星の海 からだはしぜんに敬礼をした
雪舟えま 朝日新聞夕刊2012/6/26




■俳句
秋風の辞儀に六歳翁応ず 永田耕衣『泥ん』1990

■川柳
目礼をしてひとりずつ霧になる 石部明(出典調査中)

■どどいつ
意見きく時ゃ頭(つむり)を下げな 下げりゃ意見が上を越す



ミニ4 ドレミの歌

ドレミなどの音名を詠み込んだ短歌を集めてみた。
こういうことを詠む作者は限られていて、やや偏りがあります。
もたまたま見つけた俳句や川柳も含めました

【ド】
錯乱のドの音からの駆けくらべ
樋口由紀子『容顔』(川柳)
(短歌ではドの音単独で詠み込む歌が見つかりませんでした。)

【レ】
レの音のうちやまぬなり五ページで消えてしまった狐のこども
東直子  『十階』

きみをおもちゃにしてるだなんてねーまさか楽器にしてるレの音を出す
吉岡太朗「短歌研究」2011年5月号

【ミ】
ひとの不幸をむしろたのしむミイの音の鳴らぬハモニカ海辺に吹きて
寺山修司 『血と麦』

【ファ】
海流にかすかにまざるファの音の、音を吸っては膨らむ船の、
千種創一『砂丘律』

ファの音とファよりちょっぴりずれた音で不協和音を鳴らす踏切
松木秀『RERA』

【ソ】
(ソの音単独で詠み込む歌句は見つかりませんでした。)

【ラ】他の音よりやや人気? 数がありました。
フラジオレットで叫ぶ子の身も不安も死も全てラの音に収斂された
中島裕介『Starving Stargazer』

葬送の曲の中からラの音をララ……口ずさむ歳下の叔父
江田浩司

きょうはラの音でくしゃみをしたいから「ドレミふぁんくしょんドロップ」は青
枡野浩一

落日の駱駝ねぎらう磊落な裸神の歌がラ音の濫觴
高柳蕗子『あたしごっこ』

ただ ラの音を パンと弾く だんだら縞の鳥が飛ぶ
高柳篤子『高柳篤子作品集』(俳句)

ラの音が錆びてしまったハーモニカ
丸山進『アルバトロス』

【シ】
しゅろの木のシの音さらさらかき鳴らし天高くゆく地球の風は
井辻朱美『クラウド』

【2音以上含む】
ゴミ置き場でビンを叩いて音階をつくるドレミファそらに新月
千葉聡(たぶん「かばん」誌 年月不明)

快楽の音のドとシが咲くアリア草がしとどの遠退くライカ
雨谷忠彦(たぶん「かばん」誌 年月不明)

熱帯の雨季など知らぬ眸をしてうたうドレミのファが高かりき
石井浩「かばん」新人特集号2010

水を吸い水の匂いをまとうまでドレミファソっとことば沈めん
高橋禮子『ガラスのクッキー』

ふんすいに初秋の陽ざし ドレミファソ…ラシドの上のまばゆき光
高野公彦『天平の水煙』

「鼠径部」と言つて彼女が笑ふときファララ八分音符のファララ
西田政史『ストロベリー・カレンダー』

【◯長調・◯短調など】
ショパンより後に生まれし仕合に嬰ハ短調作品64番
ルビ:仕合(しあはせ)
宮英子

変ロ長調の空いろ響くから春の喩えとして駆けのぼる
桐谷麻ゆき「かばん新人特集号」2015

石鹸がタイルを走りト短調40番に火のつくわたし
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』

秋風の音符のわたしト短調が聴こえたら思いだしてください
杉﨑恒夫「かばん」2002・12

ニ短調の青空ひびく窓にして燦々と降る誰が涙かも
櫟原聰『光響』

生きのびよ と呼ぶ声聞こえニ短調噛みつぶしたるショスタコーヴィチ
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』

輪がほそく広がる水面 遠いものがうねりかえってくる変ホ長調
井辻朱美『クラウド』


【そのほか】
イタリア読みのドレミだけでなく、和名のイロハ、ドイツ読みのツェーデーエー、そしてギターコードみたいな表記で音や和音を表すこともあります。

Cの絃切れて音せぬ洋琴に對き何を彈かんとするこころぞも
ルビ:C(ツエイ)  絃(げん)  洋琴(ピヤノ)  對(む)  彈(ひ)   荒栲(あらたへ)
筏井嘉一『荒栲』

ピザパイの中にときどきG♯7があり嚙みくだけない
コカコーラの自動販売機のまへでF♯mがふるへる
西田政史『ストロベリー・カレンダー』

十三夜 電線に月あらわれて嬰への音を示していたり
古野朋子「かばん新人特集号」1995

あかるくてさびしいA音 みずべには秋の蜻蛉がルーン文字置く
井辻朱美『クラウド』

キャロル忌のスカートゆるる、ゆふやけとゆふやみ分かつG線上に
吉田隼人『忘却のための試論』

春の夜の夢の浮き橋 A線の切れてはじけしヴァイオリンかな
杉﨑恒夫(「かばん」誌 年月不明)

ミニ2 痒い

北風を縦割りにして開きつつあちこち痒い子を連れ園へ
東直子

幻影肢ばかりのこころがかゆくなる翼はドードー触角はかげろふ
井辻朱美『水晶散歩』

風を生むものみな翼と呼ぶべきかたてがみかゆい獅子の棲む空
井辻朱美『クラウド』2014

接続のパルスの音はしんとして指のつけねが少しかゆい日
富田睦子

むづかゆく薄らつめたくやや痛きあてこすりをば聞く快さ
岡本かの子『かろきねたみ』1912

父兄との押し問答をするうちにへその辺りがかゆくなりたる
 江田浩司

大空に描くほどつらい蝶の足かゆいところに手が届きすぎる 
三好のぶ子「かばん」1998新人特集号v2

遠き世の噂話が届きしか三月耳がしきりに痒し 
三枝昻之 『甲州百目』

幾筋も汗流れをりわれにまだ棄つるべきものある歯痒さよ 
田村元『北二十二条西七丁目』2012

公園の夜のトイレはきれいだな 歩きつつコンタクトかゆくなる 
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』2012

寝かせても不味いカレーと意識した途端に痒くなる虫刺され
 柴田瞳

カサカサのひざ下かゆし猫じゃらし茂る空き地にボールを追えば 
あまねそう『2月31日の空』

べらばうに命が痒い咲きかけの泰山朴がゆれてゐるあのあたり 
川野里子『太陽の壷』2003

むかしわが伴侶たりしゆえ陸橋の背をはねて行く痒きリヤカー 
岡井隆『朝狩』1964

金いろの蛇らが立ちて泳ぎ来るを眼のふち痒くなるまで見をり 
河野裕子 『家』2000

体中かゆくてかゆくてかきむしる「かゆくない」が思い出せない 
ふらみらり「かばん新人特集号」2015

西ひくく光乱れている雲よ左太腿のあたりが痒し
ルビ:太腿 【ふともも】
 阿木津英『天の鴉片』1983   

藤のはなぶさかたちよけれど かゆいところにはとどかざりけり 
髙瀬一誌『火ダルマ』2002

読み聞かせ、駆けつけ警固、江戸しぐさ、痒いところが余計痒くて
 勺禰子『月に射されたままのからだで』2017

輪郭の溶けゆく貌に驚いて首都の末梢神経が痒い
ルビ:貌【かお】
 菊池裕『アンダーグラウンド』2004

目の裏がかゆくなりたりとおもひしとき突発的にわれ眠りたり
小池光『時のめぐりに』

夏祭り湿疹かゆし八月の真紅の真ん丸 何もなかった
和合亮一 作者note 2015・10・27

アンコールし続けている手の平がかゆくてかゆくて出てこい早く
相原かろ『浜竹』

神様はなんでかゆいを作ったの 恋がかゆい、とかよりいいけど
ナイス害 サイト「うたの日」より

体質が変わったのだろうおととしの自分の比喩が痒い夕暮れ
兵庫ユカ『七月の心臓』

びっしりと芽吹く夜空のむず痒さわたくしにまだ母がいるから
佐伯裕子『感傷生活』

たまに痒くなるためだけの乳首などふたつ灯せりちいさき冬に
内山晶太 「詩客」2012-12-07


■2021年6月23日追記

俳句


籾かゆし大和をとめは帯を解く
阿波野青畝


水虫がほのかに痒しレヴユ見る
富安風生


痒そうに野川流るる麦の秋
清崎敏郎


藁塚が見えて目のふち痒きかな
山川蝉夫『山川蝉夫句集秋』


夏の星同心円状に痒し
石原ユキオ 作者web「石原ユキオ商店」


葱坊主ぜんゐんあたまかゆきかな
渡辺松男『隕石』


春一番しっぽはないがかゆくなる
久真八志「かばん」201306


情死ありまた雁瘡の痒きころ
藤原月彦『藤原月彦全句集』2019「


川柳


右手が痒い犬のように噛むか
高須唖三味


トーストが静かに焦げてゆく痒み
畑美樹


痒いのと痛いのどちらとりますか
丸山進


進化中というのはかゆいものですね
ひとり静



都々逸

入れておくれよかゆくてならぬ 私ひとりが蚊帳の外

ミニ1 白壁

白壁に映るステンドグラスみておそろしい信仰のはじまり
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

学校の白壁に熱き冬日かも弁当前の授業闌けつゝ 
ルビ:弁当【べんたう】 闌【た】
木下利玄(大正5年発表/ 歌集名? )

白壁にしがみつく蜘蛛そうここは入口でなく出口でもない 
 江戸雪『DOOR』2005

夕焼のにじむ白壁に声絶えてほろびうせたるものの爪あと
ルビ:爪(つめ)
 前川佐美雄『捜神』1964

いつ死にてもよけれど今はいやなれば白壁につるす赤唐辛子 
渡辺松男『自転車の籠の豚』2010

白壁に噴水のうすき影動きたしかなりひとりひとりの生は   
横山未来子『花の線画』2007

ぷすぷすと燃えだすごとき白壁に鳥を探して入つていつた 
笠井烏子『ゴブリンシャークの背に跨りて』(私家版)

白壁に我が影うつす午後二時のあの日とおなじ太陽の位置 
新井蜜『鹿に逢ふ』2014

白壁にたばこの灰で字を書こう思いつかないこすりつけよう 
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』2012


■2021年4月29日追加

蔦の葉のすきまにのぞく白壁のやうにしばらく眠つてゐたい
梅内美華子『真珠層』

青空は罪深きかよ
虻あぶや蜻蛉
お倉の白壁にぶつかつて死ぬ
夢野久作『猟奇歌』

■2021年6月23日追加

俳句

ざぶざぶと白壁洗ふわか葉哉
小林一茶

今日も生きて虫なきしみる倉の白壁
尾崎放哉

白壁に蜂つきあたりつつ入日
桂信子

白壁に蛾が当然のやうにゐる
矢口晃

白壁の穴より薔薇の國を覗く
渡邊白泉


川柳

陽があるゆえの白壁の誇りのみなり
中村冨二『千句集』

ミニ3  母かもしれない

「母かもしれない」を含む歌、たまに見る気がして検索してみました。
約10万4500首中以下5首だけでした。

「母かもしれない」で題詠をやったらいい歌が収穫できそう。

さむきわが射程のなかにさだまりし屋根の雀は母かもしれぬ 
寺山修司『空には本』

岸辺には犬が待ちをり雌犬なり乳房に斑あり母かもしれぬ 
日高堯子『雲の塔』

草原を全力でかけてゆく人のいる四月あれは母かもしれず 
小島なお『サリンジャーは死んでしまった』

ほの光る空気中浮遊細菌は母かもよああ数かぎりなし 
渡辺松男『泡宇宙の蛙』1999

この夕べ抱えてかえる温かいパンはわたしの母かもしれない 
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』
(「崎」の字は正しくは「﨑」ですが、検索からもれないよう「崎」を使いました。)

ミニアンソロジーについて

●ミニアンソロジーは、以前「潮汐性母斑通信」のコンテンツとしてアップしていたものです。
 更新しやすさを考えて、こちらに移動しました。

●私のデータベース「闇鍋」は現在10万5000弱のデータがあります。

 気まぐれに単語検索をしてみて、検索結果からその日の好みでサッと選んで掲載しています。
 時間があればコメントをつけるつもりですが、あまり実現していません。


●歌の掲載順に意味はなく、ほぼデータベースで見つけた順です。

●後日、更に歌を見つけて追加することがあります。

●出典の歌集などはできる限りつけています。※
 アップ時点でわからなくても、調べがつけばあとから追記します。


※データベース「闇鍋」は、いろいろな方法でデータを集めていて、統計的に役立てるためにとにかく数をあつめるべく、歌集等からの入力だけでなく、ネットからコピペすることもあります。
点検や出典確認はあとから行うのですが、なかなか追いつきません。


●データベース「闇鍋」を使ったアンソロジーは、こちらにもあります。