2022年4月28日木曜日

随時更新 ちょびコレ1 2022/4


ここは、日々なんとなく見つけたちょっとした短歌コレクションの置き場です。

ミニアンソロジーにしたいけれど、そこまでの歌数がない。でも、レア鍋賞ほど少ないわけでもない……。

そんな感じのときここに書いておきます。


■2022・4・30 飲食店3 定食屋

4・29からの続きです。
「定食屋」という語を詠み込んだ歌が4首もありました。

定食屋世界の果てに漫画誌の油染みたる表紙をめくる
斉藤真伸『クラウン伍長』

定食屋うなだれている父たちが食らう撃ちぬかれたる蓮根
八木博信『ザビエル忌』

定食屋のしょうゆの瓶を握ったら見知らぬ人との握手のようで
戸田響子『煮汁』

あなたとは行かない駅にそのたびにかならず食べに寄る定食屋
山階基(風にあたる拾遺2012-2015)


やはり異世界感覚があるようですが、今までの「〇〇屋」とは雰囲気が違うなあ。
どう違うのか、いまはまだいい言葉が見つかりません。

なお、「居酒屋」を詠む歌は29首もあって、ちゃんと読むには時間がかかりすぎ。

いつか飲食店「〇〇屋」の歌の考察をゆっくり書きたい。

■2022・4・30 飲食店2 おでん屋・うどん屋・そば屋

きのうの「ラーメン屋」の〝異世界〟感覚が気になっている。
「おでん屋」「うどん屋」「そば屋」も似てないかと思って探してみた。

〇「おでん屋」
3首(作者は2人)。少ないなあ。これはレア鍋のほうにも書かねば。

ひとに売る自伝を持たぬ男らにおでん屋地獄の鬼火が燃ゆる
寺山修司『田園に死す』

おでん屋の湯気にわれらも茹でられて竹輪とがんもになりて別れる
田村元『昼の月』2021


詩的働きがラーメン屋と似通っているかどうか、少なすぎてなんともいえない。

〇「うどん屋」は10首。
あまり異世界感覚はないように思う。
10首もあるが、あまり共通点がないような、しいて言えばくつろぎ感か・・・。

うどん屋の夕陽にだるく微笑んでけぶる右手で弾くエア・ギター
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る 』2013

日めくりの厚みが壁に突き出して仕事始めのうどん屋しづか
田村元『昼の月』2021

うどん屋の饂飩【うどん】の文字が混沌の文字になるまでを酔う
高瀬一誌『喝采』

なお、
10首中に顔に言及する歌が2首もある。偶然だろうか。

うどん屋に小さく座り人はみな顔よりうどん吸い込んでいる
東直子「ル・ファール」

岩盤浴終えて帰りのうどん屋にすっぴんのわれの啜る素うどん
植田美紀子『ミセスわたくし』

「うどん」は向き合って食べるものなのだろうか。


〇「そば屋」を詠む歌を10首だった。

「ますだや」と筆で書かれて奥行きの深き蕎麦屋のとなりは空き地
田村元『昼の月』

盗まうとすれば盗める長ねぎの箱あり朝の蕎麦屋の前に
大松達知『ぶどうのことば』2017

天ぷらをささやくように揚げる音聞きおり三時半のそば屋に
俵万智『サラダ記念日』

異世界感覚はあるけれど、ラーメン屋やうどん屋と違って、静かな場所、余白で休憩するような感じか。
むろん全部そうだというわけではないが。

■2022・4・29 飲食店1 ラーメン屋

本日の闇鍋短歌データ
うち「ラーメン屋」の歌は7首。
そこからピックアップします。

ダクトから噴き出す風の臭いする体になって出るラーメン屋
飯田和馬「うたらば」vol16

乗せられたバスから見えたラーメン屋、結局行けなかったラーメン屋
千種創一『砂丘律』2015

リビングとベッドの間にラーメン屋なくて小さなどん兵衛ひとつ
田村元『昼の月』2021


詩歌の言葉の世界の「ラーメン屋」は特別な場所。
日常のフツーの場所なのに、なんだか異世界と接していそう。
境目、境界地点。
入るときと出るとき、何かが変わる。(リセット、というのでもないのだけれど)

倉庫街にプレハブ建てのラーメン屋一軒ともりはじめる日暮れ
山田航『水に沈む羊』

夕暮れに灯り始める。ラーメン屋に限らず何屋でも明かりを灯すし、抒情として夕暮れの明かりはありふれているのだが、ほんのかすかに、タイムスリップとか、なにかのスリップ、ワープポイントになり得そうな場所が営業を開始するような感じがする。

なお、私の俳句川柳データに「ラーメン屋」はナシ。ちょっと意外。
時間があるとき探してみたい。


■2022・4・28 立ったまま


「立ったまま」といえばこの歌がいちばん有名だと思う。

一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを
寺山修司『血と麦』



他にどんな「立ったまま」があるか探してみた。


本日の闇鍋短歌データ122,333首
うち「立ったまま」を含む短歌16首
すこしピックアップします。


立ったまま枯れているなんてわりあいにぼんやりとしているんだな木は
渡辺松男(出典調査中)

立ったままはふはふ言って食べているおでんのゆげの向こうのあなた
俵万智『サラダ記念日』

立ったまま眠るキリンは一晩中星のはじける夢をみている
杉崎恒夫「かばん」93・6

麒麟はね、立ったまま死ぬ頭頂の角より順に粉になるため
東直子「短歌研究」2011・11

ちんぽこという川を背におじさんは立ったままものがたりであった
望月裕二郎『ひらく』2009

潮風に恍惚と鳴るそのかみの立ったまま死にたる男をおもう
井辻朱美『水族』

缶詰をあければ満ちる海の私語わからないけど立ったまま聞く
小島なお『展開図』

立ったまま交わるまひるふる雪をわすれてわれら同志であった
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』


俳句で
冬の森みな立ったままダイ・イン
安西篤

というのも見つけました。


■2022・4・27 一反もめん

レア鍋のほうでもいいけれど、レアであることに意味があるわけでもない。
ここに置こう。

短歌
垂乳根のははわだかまりほぐせずに押し入れの中で一反木綿
山下一路『スーパーアメフラシ』2017

老いてなおうさぎは白きままにして一反木綿のごとくのびおり
花山周子『林立』2018

未来にはいまだ形のなきものを一反木綿の飛びさうな空
川野里子『硝子の島』2017


俳句

木枯や一反もめんぼろぼろに
高橋龍『句控 上屋敷』2018

一反木綿雨後をふくらむジャック&ベティ
野間幸恵


川柳

あんたこそいったんもめんになっちゃえば
なかはられいこ





2022年4月10日日曜日

ミニ66 重力

舞うものは重力を掌ににぎるかな鉄腕アトムの汲みたての瞳
井辻朱美『クラウド』2014

かっこいい歌だなあ。

そも「重力」という語が歌に詠まれだしたのはいつだろう。

短歌というものは、詠みなれない言葉が定着するまで時間がかかる。

すでに抵抗なく短歌に使えるようになっているが、いつから使われ始めたのだろう。

ちょいっと検索。

本日の闇鍋短歌データ総数 121603首
うち、「重力」を詠む歌は56首

多いので半分ぐらいに絞り込み、
歌集等の発行順に並べてみた。
(歌集発行年と雑誌等の初出に開きのある場合もあって、あまり参考にならないか。)


私のデータベースの中で「重力」を詠んだもっとも古い例はこれ。
うわあ、鴎外さんじゃないですか!! さすがです。

わが足はかくこそ立てれ重力のあらむかぎりを私しつつ
ルビ:重力【ぢうりよく】 私【わたくし】
森鴎外 「明星」1907年10月


以下、発行年が飛んでいるのは、私のデータに偏りがあり、昭和の歌データがやや少なめであるせいもあると思うが、実際「重力」という語を使う人が少なかったと思う。



真っ直ぐにひばりをつちに引きもどす春の重力はなんGですか
杉崎恒夫「かばん」1993・4

蒼穹に重力あるを登攀のまつ逆さまに落ちゆくこころ
本多稜『蒼の重力』1998

オレンジを投げれば甘い重力に街は吸われて夕焼け小焼け
植松大雄『鳥のない鳥籠』2000

五階より見下ろし居れば重力の底をしなやかに黒猫あゆむ
高野公彦『水苑』2000

道ばたにかがみて重力測りおれば目の高さにて花々揺れる
森尻理恵『グリーンフラッシュ』2002

惑星別重力一覧眺めつつ「このごろあなたのゆめばかりみる」
穂村弘『ラインマーカーズ』2003

踏み締める一歩一歩よこの僕に何はなくとも重力はある
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005

かりそめの重力われにやどりつつエレベーターに運ばれてゆく
都築直子『青層圏』2006

重力に憑かれておればくらぐらとあたまを抱いてあげるべきひと
佐藤弓生『薄い街』2010

重力があるゆゑきまる裏表 雲のおもてに吾は出でたり
ルビ:出【い】
光森裕樹『鈴を産むひばり』2010

みんなして重力受けた真昼間の授業参観日をおもいだす
笹井宏之 『ひとさらい』2011

重力は山のぼるとき意識せり靴の踵に黒牛がゐる
渡辺松男 『蝶』2011

座るとき立ち上がるとき歩くとき_ありがとう足そして重力
東直子 短歌日記『十階』2011

昇降機にたっぷりの幽霊、ひだり手に花という海のわたしの重力
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』2012

重力に負けワイシャツの落ちるとき羽ばたいている生活の鳥
生沼義朗『関係について』2012

重力に今はしづみて睡りゐむニール船長月あかき夜も
大塚寅彦「詩客」 2013-02-08
※ニール・アームストロング。アメリカの宇宙飛行士。二度の宇宙飛行で機長。
(1966年ジェミニ8号:有人宇宙船初のドッキング、1969年アポロ11号;初の月面に降り立っての探索)

重力がひるんだ隙に人々は一部地域を除いて空へ
木下龍也 『つむじ風、ここにあります』2013

重力のせいで佇むぼくたちの花火がきえて夜がひろがる
藤本玲未『オーロラのお針子』2014

舞うものは重力を掌ににぎるかな鉄腕アトムの汲みたての瞳
井辻朱美『クラウド』2014

吐くものがもうない君の吐く唾にかかってゆく透明な重力
千種創一『砂丘律』2015

ドロップの意味をもつものかぎりなく重力的な飴の話に
間宮きりん「早稲田短歌」44号 2015.2

重力に逆らってゆくものはみなロケットである。ロケット妹。
谷じゃこ『ヒット・エンド・パレード』2016

夏の夜のすべての重力受けとめて金魚すくいのポイが破れる
伊波真人『ナイトフライト』2017

赤ちゃんは生まれてこない 月面の低重力のスケートリンク
三上春海「詩客」2018-07-07
 
凌霄花ひと花ごとの重力に抗いながら咲く夏至の日
ルビ:凌霄花【のうぜんか】 咲【ひら】
小島なお『展開図』2020



重力を体感する、受け入れる、あるいは反発を詠む、というスタンスが、なんとなく定番であるようだ。

それを何らかの一工夫で仕上げる。
それぞれ「いい歌」ではあるが、その良さがどんぐりの背比べみたいに感じられる。

冒頭に置いた歌は、その時点ではただなんとなく「かっこいい!」と感じただけだったが、「重力」の歌を集めて読み比べてみると、ちょっと真似できないような抜きん出ているところがあると思う。

2022・4・10


2022年4月6日水曜日

ミニ65 魚と眠り

 「魚」と「眠る」という言葉は付きやすくないかしら??

魚が眠るとか、誰かの眠りに魚が関わるとか、登場の仕方はいろいろですが、「眠り」に関する歌にはなんだかんだと「魚」が出てきやすい気がしています。

「眠る」は、詩歌的文脈においては何にでも付く万能語だから、ことさら「魚」と相性がいいわけではないのかもしれないけど、気になるから、ちょっと集めてみようかな。

(検証結果は末尾のほうに。)


というわけで、「眠」or「ねむ」×「魚」or「さかな」という組み合わせで検索し、読んでみて、違うものを取り除く※、という方法で集めてみました。

他の表現で魚と眠りを詠んだ歌は対象外。

※取り除いた歌の例

君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな
前田夕暮『収穫』


■本日の闇鍋

 短歌総数 121,571首

 うち 「さかな」or「魚」を含む歌 1240首
 (なかには多少「寒さかな」みたいなのが含まれる)

 うち、「眠」or「ねむ」×「魚」or「さかな」の歌 28首

 つまり、魚の歌の約2・25%。

あら、意外に少ないじゃないの。

以下にピックアップします。


■何かが眠っている歌に魚が出てくる例


古代魚のほおぼねをめぐる泡に触れねむっていたい水玉サンダル
井辻朱美『クラウド』2014

発熱する君かねむれぬ雨の夜に金魚のにほひふとたちきたる
永井陽子『樟の木のうた』1983

泥の中の肺魚のごとく眠りゐる人らに淡く外光の射す
花山多佳子 『胡瓜草』2011

卵を持つ魚が遡上する夜を爪先そろへ眠りゆきたり
角宮悦子『ある緩徐調』1974

赤子まだ知らずこの世の底知れぬ泥のねむりに棲む六六魚
小島ゆかり 『六六魚』2018
※六六魚(りくりくぎょ)は鯉の異名。首から尾にいたるまで鱗が三十六あるからだという。

みづうみのなみの入りくる床下に魚むれてをり漁夫ねむるころ
松平修文『水村』1979

魚のごと醜しといはれひたねむる歳月みづのきららかさにて
水原紫苑『くわんおん(観音)』1999

深海魚にキスするときの顔をしてわたしの中で眠らないでよ
田丸まひる『硝子のボレット』2014

薬にてねむる日ながくつづく吾のゆめのをりをり死魚野におとす
渡辺松男『雨(ふ)る』2016

布に包まれしひとびと眠る春 壜よりあふれだす稚魚ありぬ
東直子『青卵』2001

川底で光るジュースの空き缶は魚の夢を抱いて眠る
伊波真人『ナイトフライト』2017

果実幾万白き袋につつまれて夜は魚卵と同じねむりす
齋藤史『密閉部落』1959

魚けもの人も淋しき春の血を溜めてねむらむ夜空がひらく
河野愛子(出典調査中)

■魚が眠っている例


奥さんになるヒトはわが胃に眠る肺魚を突く殺さぬほどに
ルビ:突【つつ】
染野太朗『あの日の海』

どろ沼の泥底ふかくねむりをらむ魚鱗をおもふ眞夜なかなり
ルビ:泥底【どろぞこ】 魚鱗【うろくづ】
前川佐美雄 『植物祭』1930

夜の底に肺魚は眠りこけていて混沌としてその前にいる
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』

東京市と呼べば親しき川魚の眠りにわれは落ちて行くなり
田村元『北二十二条西七丁目』2012

海に魚ねむりて遠い声をきく〈わたしの鈴を探してください〉
東直子『青卵』2001


★泥の中で眠る

深い眠りのことを「泥のように眠る」という既存の言い回しがあるけれど、そのせいなのか、28首中「泥」に言及する歌3首、そして肺魚※に言及する歌も3首あった。

「泥」or「肺魚」の歌は1首重複しているため5首で、すべて上に掲出したなかに含まれています。

※肺魚は「夏眠」という習性で、泥の中で眠ることがあると知られている。(地中で、粘液と泥からなる被膜に包まった繭状態で眠る。)


■「眠る+魚」は多くなかった


で、「眠る+魚」は多いのかどうか。これではわからないので、かんたんに他のものと比べてみる。

「犬」を含む歌 908首(え、犬の歌より魚の歌のほうが多いのか。)
うち「眠orねむ」+「犬」=35首 3.85%

 猫は絶対多いのと思うのでやめた。

「鳥」を含む歌 2117首
うち「眠orねむ」+「鳥」の歌 60首 2・83%

あらま、魚の例より多いじゃないの。
わたしのカンは大ハズレでした。

ついでに、ぜんぜん違うものも。

「菊」を含む歌 238首
うち「眠orねむ」+「菊」の歌 1首だけ

なんとなく「菊」と「眠」はいい取り合わせかと思いましたが、そう思うのは私だけかい。(笑)


★余計なこと

短歌じゃないけど、高浜虚子のこの句も釣れちゃいました。(笑)


金亀子擲つ闇の深さかな
ルビ:金亀子【こがねむし】 擲【なげう】
高浜虚子

抱卵魚