2023年9月15日金曜日

随時更新 ちょびコレ5 2023・06~

昨年暮れから休止していた「随時更新のちょびコレ」
ひさしぶりに再開です。

なんとなく見つけたちょっとした短歌コレクション。
ミニアンソロジーほどの歌数はない。
レア鍋賞ほど少なくもない……。
そんな感じのときここに書いておきます。

■……するだけの一日、……のみの日々
2023・9・14

「……するだけの一日」みたいな言い回しがあるが、
いかにも、虚しさやけだるさを安易に書きました、という歌になってしまいそうで、使いにくいフレーズだと思う。

しかし、歌人なら、そういうフレーズを自分なりにアレンジしたいと思うことがある。
この「いかにも感」を「手放しな表現」に転じるとか、「……だけの一日」がベタであるぶん、奇抜な表現を工夫するとか……。
そう思えて、検索してみた。

結果、「……だけの一日」に類する表現を含む歌は思いの外たくさんあった。
なかなかおもしろかった。
出典のあやしいもの等を除いてアップしておく。

小麦粉を無限に食べていくだけの動画のような一日でした。
土岐友浩『ナムタル』


海沿いにひるがえっているTシャツとただ吹くだけの風の一日
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』

何もしたくはない朝コーヒー一杯が冷めるのを待つだけの一日
石井僚一 第57回短歌研究新人賞受賞作2014

家へ帰るただそれだけがたのしみにてまた一日の勤めをはれり
ルビ:家【うち】、一日【いちにち】
筏井嘉一『荒栲』

新じゃがと新たまねぎがベランダで日焼けしていくだけのいちにち
山階基「風にあたる拾遺2010-2012」

うちにいるだけの休日めずらしくめずらしがっているうち終わる
山階基「風にあたる拾遺」(「未来」2016・6)

普通授業終了 連絡黒板に「式練」「学活」だけ並ぶ日々
千葉聡『飛び跳ねる教室』

直近の愛だけ思い出しながら生きていく日々それだけがいい
辻井竜一『遊泳前夜の歌』

日に三度飯食ひしのみにをはりぬとことしの夏を弔ふわれは
ルビ:飯【めし】
小池光『時のめぐりに』

同世代なる不安定要素のみ全身に溜め日々の飼育は
藤原龍一郎『切断』

終日を暗渠に水の流れゆく音 そう、流れゆくだけの音その
藤原龍一郎『19××』

老身に汗ふきいづるのみにてかかる一日何も能はむ
ルビ:老身【ろうしん】、一日【いちにち】、能【あた】
斎藤茂吉『つきかげ』

ビジネスに追はれ鯨にいやされる比率がかはるだけの毎日
荻原裕幸『デジタル・ビスケット』(『永遠青天症』)

何もない一日ばかりが玄関の郵便受けに溢れる四月
植松大雄『鳥のない鳥籠』

てのひらに掬へば零れゆくばかり水もま水のやうなる日々も
木下こう『体温と雨』

★なお、上記には含まれないが、「だけ」や「のみ」と「日」を使う構文でも、虚しさでなくて、充実感を表すケースがまれにある。
それは以下のような歌だ。

ごつごつのエゴン・シーレを見たるのみ冬の一日ここにきはまる
永井陽子『てまり唄』

猫らしくとびはね眠り食ふだけの毎日だけど幸福だつた
西田政史『ストロベリー・カレンダー』

これをタイプBとし、さっき上の方にあげたような虚しさを表すものをタイプAとしよう。
最初、BとAは異質だ、と思った。
しかし、考察には次のステップがあった。

虚しさとも充実感とも判別できない境地を表現する歌があることに気づいたのである。
両極が重なることこそが肝であるような歌が存在する。これをタイプCとしよう。

球速の遅さを笑い合うだけのキャッチボールが日暮れを開く
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』

いちまいの毛布洗いぬそれのみに四月の晴れのひと日つかいて
長谷川径子『固い麺麭』

空爆のけはひあらざるあをぞらのどこまでもあをばかりの一日
荻原裕幸『あるまじろん』

ゆびさしたほうにかならず星がある それだけがよく、それだけの日々
笹井宏之『てんとろり』


タイプCの存在に気づいてから読み直したら、上の方に並べたタイプAの歌にも、微弱なタイプCがあるような気がしてきた。

いずれにせよ、タイプCの発見が、今日の収穫である。

追記9/17
「だけ」「のみ」という語を使わないが、同じような意味合いの歌は、ほかにもいくらでもある。たまたま見つけたので追記しておく。

何もせずに過ぎてしまったいちにちのおわりににぎっている膝の皿
穂村弘『水中翼船炎上』


■黒い靴

2023・7・21

赤い靴は詠まれていそうだが、黒い靴も多少ありそうだと思って探してみた。
多少あった。
本日の闇鍋短歌総数125320首
うち黒い靴に言及している歌は、以下の7首。

ただし、「靴」という語を使わず「黒いパンプス」などと書いてある場合は抽出されていない。

一足の黒靴がならぶ真上より大きな足が下りて来たる
山崎方代『こんなもんじゃ』

旧臘ふたり明けて三たりの弔いに行きし黒靴かぜに当ておく
※旧臘=前年の十二月
久々湊盈子『鬼龍子』2007

芭蕉の墓割れて接着されてをり黒き革靴にてわれは立ちをり
渡辺松男『雨(ふ)る』2016

湖にこれから入るかのようにあなたは黒い靴を脱ぎ、寝る
千種創一『千夜曳獏』

カブトの靴クハガタの靴黒と茶のおほき革靴荷をはみ出しぬ
米川千嘉子『吹雪の水族館』

アカシアの木下に待っている父の海石のごとき黒い革靴
ルビ:海石【いくり】
小島なお『展開図』

父は老いをしずかに踏みぬ黒き靴光らせながら曲がる踊り場
中山洋祐「詩客」2012-09-07


それぞれに良さは感じる。

しかし、
「黒靴」のイメージ(あまり意識化していなかったが漠然とある既存のイメージ)を、
「思いっきりつゆだく」に感じさせたり、「超えた!」と驚かしたり、のどちらも見当たらない。

「そこそこ良い」っていうのは、私が詩歌に求めるものではないけれど。むろん「良い」ほうに位置づけられるだろう。

ファッションの通販の冊子をみていたら、「きれいめ」という言葉に遭遇した。
この社会には「きれいめ」程度の服装がふさわしい場面があるだろう。
で、短歌にも「良いめ」程度の歌がふさわしい場面が、たぶんあるのだろう。


なお、赤い靴も、思ったほどには詠まれていないようだ。
「靴」と言わずスニーカーなどと言っているケースは抽出されない。

赤い靴の丸いつまさき海を向く深くにごりてブイの浮く海
東直子『青卵』

人身御供にされた少女の赤い靴葬るように靴を包んだ
東直子「短歌研究」2015・3

脱ぎ散らす赤いミュールの靴底に貼りついていた蝶の片羽
入谷いずみ『海の人形』

どろんこの水はねあげる長靴はツヤツヤ赤くお気に入りなの
榎田純子『リズムみそひと』

切り捨てて憧れだけが遠ざかる二本の脚よ赤き靴履け
有沢螢『致死量の芥子』

赤い靴が傘をはみ出し前へ出る濡れながら出るわたしの靴が
中津昌子『むかれなかった林檎のために』

赤イ靴ノオトコ入要アリタリア桜ノ季節ニチルドデ送レ
蔦きうい「レ・パピエ・シアン」75号2005.4

赤と青の子供の靴が落ちてゐる旧き館の格子のまへに
服部崇『ドードー鳥の骨』2017

おんぶしてやれば膝から下だけではね回る魔法の赤い靴
原浩輝「かばん」2000・6


なお、青い靴を詠んだ歌はこれ一首だった。

イタリイといふうす青き長靴のもう片方を片手に提げて
紀野恵『フムフムランドの四季』

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■家を壊す+空
2023・6・28

 家を壊す場面って、なんか空を意識しないかな。
 ふとそんな気がして、探してみたところ以下4首を見つけました。

家ひとつこわれてのちを空中に浮かびつづけるしかくいひかり
佐藤弓生 『眼鏡屋は夕ぐれのため』

壊されてゆくとき家の内臓が空に呑まれているのが見える
土井礼一郎 『義弟全史』

わが家を壊す朝に散りたまる玻璃あり青き空を映して
佐伯裕子 (出典調査中)

壊さるる空き家のなかの落書きの麒麟があふぐ初めての空
渡辺南央子 『天空のかすみ草』

屋根や天井がなくなるから、空が見える。
今まで屋内にあったものが空にさらされる。
家は生き物に準ずる感じ。魂が昇天する。

とりまとめると、そういう感じであるようです。

「空」と言っていないけれど、次の2首もその仲間。

はじめてのそして最後の夕日浴び解体家屋はからだを開く
勺禰子『月に射されたままのからだで』

空き屋なる家を毀てるふる雨に昭和残像の便器がのぞく
池田裕美子 『時間グラス』


そうなると気になるのは、家を壊す歌で「空」が出て来ない歌です。
どんなことを書くんでしょう?

路地奥の家なれば機械入れられず解体は人の手もて行う
奥村晃作『キケンの水位』

どつしりと大樹のやうに建つ家を壊さむとする重機に礼す
ルビ:礼【ゐや】
大西久美子『イーハトーブの数式』

雲の崖ゆ風なだれ来よ家毀す犯意にわれの革るべし
ルビ:革【あらたま】る
春日井建『青葦』

家ひとつ取り毀された夕べにはちひさき土地に春雨くだる
小池光『日々の思い出』

け‌ふ‌に‌か‌け‌て‌と‌り‌毀‌す‌家‌か‌ら‌忘‌れ‌ず‌に‌も‌ち‌だ‌さ‌れ‌る‌死‌者‌の‌も‌の
平井弘『振りまはした花のやうに』

壊れたる家を素手もてなほ壊すあの日の父の怖ろしかりき
逢坂みずき『まぶしい海』

なるほどなあ。
いろいろあるけれど、「家」を壊すことに「加害」であるような感じを抱いている歌がいくつか。

2023・07・07 追加

においごと家屋は解体されてゆく記録されない巣穴の記憶
雛河麦「かばん」202306

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