もしかして本歌取り?と気になった、
歌合せだったらいい勝負じゃんと思えたり、
とにかく並べて読むだけで〝批評マインド〟が刺激される。
そういうセットがときどきあるので、見つけたらとりあえずここに書きとめます。
▼2024/4/7
■ぴゅーんとすべる石鹸
「石鹸」を詠む歌はmyデータベースに80首ほどある。「泡」や「洗うこと」、そして「香」を詠む歌が圧倒的に多い。滑ってぴゅーんと走るところを詠むのは珍しい。
短歌は悲しいこととか深刻なこととかを詠む傾向があって、日常にあるこういう明るい出来事は歌に詠まれにくいようだ。
▼2024/3/16
■床屋の椅子に座った姿
そういうことを詠む歌はないかな、と思って探したところ(ゆきあたりばったりで探しただけですが、)以下2首を発見。
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』
これも、ただただすごくわかる、って感じ。
★ポイントが2つ
②どちらも、かすかながら厳かな連想で「死」のイメージを含んでいる。
たった2首見つけた段階で、たんなる偶然だと思いますが。
■動物の移動
それはともかく、さっきの歌のついでに目に入ったこれも、おもしろいと思った。
動物の移動には何らかの危険があるけれど(動かなくてもあるけれど)、
いつも何らかの理由・動機みたいなものを見つけては、何かを目指して移動しようとするサガというか、生きているということがイコールそれなのか、
みたいなことを感じた。
▼2024/03/06
■自分用の雲が一つ
桐咲きてわれのみに訃であるやうな雲とおもひぬひとつ浮雲休日のしずかな窓に浮き雲のピザがいちまい配達される
言いたいことは特にないのですが、
ふと、
雲を詠む歌には「我」が詠み込まれやすい気がして、
■自分を産んだ母について
このテーマの歌集めてみよう。おいおい。
▼2023/12/04
■乗せてくれない列車の拒絶感
中澤系『uta0001.txt』2004
山下一路『スーパーアメフラシ』2018
あるいは、世の中の変化が必然的に歌人にこういう歌を詠ませることもある、とも思えます。
とにかく、
似た題材・似たテーマで詠まれた歌どうしは応答する。
このことが重要です。
乗れない特快などに通過され見送る、という物理的体感や心理体験は、どのように詠まれているか気になって、特急・特快・快速・急行のいずれかを含む歌を検索しました。
以下のようになりました。
・列車内の体感や視覚表現と思われる歌 22首
★うち「乗れない列車」を詠む歌
しかし、「乗れない列車」という屈折は既に意識されており、「乗る」「乗っている」ことを詠む歌も、「乗れない」場合があることが無意識にも踏まえられている感じを受けるものがあります。
列車に乗る乗らないは普通ならこちらの自由ですが、この「おとなしく乗る」は、乗せてくれない場合があること、列車側に主導権がある場合があることを踏まえての駆け引きだと思います。
この安心感は、乗れなかった人には得られないものであって、屈折と呼ぶにはかぎりなく薄いけれど、乗れた乗れないのコントラスト感を、わずかにかすめていると思います。
▼2021/12/22
■そのとき青いものがこぼれる……
★赤いものがこぼれる
赤いものがこぼれたら血みたいだし、黄色いものだったら……、なんて思わなくもないので、ついでにちょっと探してみた。
セットではないけれどピックアップ。
赤と同様
▼2021/12/20
■鳥のむくろと人体
▼2021/12/20
■目を閉じて自らに
九螺ささら『ゆめのほとり鳥』2018
眼球をうずめるように閉ざしつつ自慰をするときだけを信じる
石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』2017
▼2021/12/5
■食物連鎖の上位者
笹井宏之『ひとさらい』2011
次々と蟹をひらいてゆく指の濡れて匂えり胸の港も
北山あさひ 『崖にて』2020
生物を食べることについて、新たな詩情が開拓されている気がする。
魚などを食物連鎖の上位者として食べる場面をときどき見かけるようになった。エビやカニは手足があるぶん、食べ方の残酷さが強まるようだ。
(鶏の唐揚げも、弱肉強食的な感覚をほんの少し暗示する傾向がある。)
▼2021/12/03
■胸の中の桜
君はしゃがんで胸にひとつの生きて死ぬ桜の存在をほのめかす
■洗濯機のなかでまわるもの
光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』
洗濯機のなかにはげしく緋の布はめぐりをり深淵のごときまひるま
真鍋美恵子『真鍋美恵子全歌集』
■「桜」と「君」
佐佐木幸綱『アニマ』
君はしゃがんで胸にひとつの生きて死ぬ桜の存在をほのめかす
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』2013
■金魚すくい
伊波真人『ナイトフライト』2017
飲み込んだ夢にふくれる縁日の金魚すくいの袋のように
山階基「風にあたる拾遺2015-2016」(出典調査中)
■青インキと他人
松村正直『風のおとうと』
青きインク吸ひたる紙がなまなまと机【き】にあり人はわれを妬めり
真鍋美恵子
■冷蔵庫の気分
冷蔵庫はよく詠まれる題材。冷蔵庫の音などに気分を投影することがよくあります。
三井ゆき『天蓋天涯』
春暁にほのぐらく浮く冷蔵庫唸りあげをり鶏卵を抱き
黒瀬珂瀾『空庭』2009
■冷蔵庫の卵置き場
冷蔵庫の卵に生と死を洞察するような感慨を添えるのもよく見かけます。卵の置き場が決まっていることを特に意識した歌も数ありますが、この2首をあげておきます。
林和清(出典調査中)
冷蔵庫には卵のための指定席秋のコンサートが始まるらしい
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010
冷蔵庫の卵は生まれず食べられるものだがら、多く憐れむ感じで詠まれますが、杉崎の歌はその上で、むしろ「そんな卵たちだから特等席」みたいな、救いのあるイメージで捉えてあげている気がします。
■夏冬のだいこん
塚本邦雄『日本人靈歌』1958
電車の外の夕方を見て家に着くなんておいしい冬の大根
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』2012
■仰向けに寝て空を見る
空に吸はれし
十五の心
石川啄木 『一握の砂』
Tシャツを脱いで暮れゆく空を見て寝ころぶ レゴのかけらのように
千葉聡『微熱体』2000
もしかすると歌人なら一生に一度は詠むんじゃないか、と思えるほど好まれて詠まれているシチュエーション。それだけに自分らしさを大切に詠まれていると思います。
他にもいくつも見つけてしまったので、少しだけ書いておきます。
中城ふみ子『乳房喪失』
さくらさくさくらさくさく仰向けに寝て手を空へ差し出すように
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013
2023・7・28
■君もしくはあなたがちょっと乱暴(植物などに対して)を働くのを見ている
雨つぶを散らしてきみは力ある葡萄の房をひきおろしたり