2024年3月16日土曜日

随時更新 短歌マッチング 並べて読みたい歌

まったく別々に詠まれた2首に、

もしかして本歌取り?と気になった、
歌合せだったらいい勝負じゃんと思えたり、
時を超えて応答しているみたいだったり、
歌人の個性の違いを感じておもしろかったり、
同じ作者の作なら進化や変化を感じたり、

することがあります。

とにかく並べて読むだけで〝批評マインド〟が刺激される。
そういうセットがときどきあるので、見つけたらとりあえずここに書きとめます。

ただし、私は、
優劣には興味がない。
歌を並べて優劣を決めたいわけではない。
そこのところ、よろしくおねがいします。

▼2024/4/7
■ぴゅーんとすべる石鹸

掌を滑りタイルを打ちて己れ跳び身を隠したり固き石鹸
ルビ:掌【て】 己【おの】
奥村晃作『鴇色の足』

石鹸がタイルを走りト短調40番に火のつくわたし
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』

「石鹸」を詠む歌はmyデータベースに80首ほどある。「泡」や「洗うこと」、そして「香」を詠む歌が圧倒的に多い。滑ってぴゅーんと走るところを詠むのは珍しい。
短歌は悲しいこととか深刻なこととかを詠む傾向があって、日常にあるこういう明るい出来事は歌に詠まれにくいようだ。

★剥く石鹸
ついでに、やや珍しいシチュエーションは、包み紙を剥きながら何か考える、というもの。4首あった。

アトミック・ボムの爆心地点にてはだかで石鹸剥いている夜
穂村弘『ラインマーカーズ』

石鹸の紙を破れば或る島の或る安宿へ記憶は帰る
千種創一『千夜曳獏』

あの紅い職場に戻されたくはない十年前の石鹸を剥く
小野田光『蝶は地下鉄をぬけて』

石鹸を覆ふ薄紙破りつつ(ささやかに)きのふは消ゆるもの
田口綾子「詩客」2011年11月


なお、もともと珍しい行為(石鹸を食べるとか)を詠む歌は、少なくて当たり前だから
ここでは拾わず、別の機会に譲る。

★石鹸+心臓
もうひとつついでに、「石鹸+心臓」という取合せの歌が2首あったので書いておく。

首に掛けた紐付き石鹸弾むのを奪う心臓奪うみたいに
穂村弘『ドライ ドライ アイス』

心臓をさわってみたいあたらしい牛乳石鹸おろす夕刻
田丸まひる『ピース降る』

「石鹸+心臓」が2首あるなら、形状の類似から「たまご」に結びつける歌がけっこうあるだろう、と思ったが、それは1首しかなかった。

鳥の絵のゑがかれてゐる石鹸を使ひへらして棄つその鳥卵を
西王燦『バードランドの子守歌』

▼2024/3/16
■床屋の椅子に座った姿


理髪店の椅子に乗っている人の姿は、ちょっと独特で、シルエットにしたら何か別のものに見えそうだ。
そういうことを詠む歌はないかな、と思って探したところ(ゆきあたりばったりで探しただけですが、)以下2首を発見。

理髪師に髭そられつつうとうとと意識は妙義山の奇岩へとびぬ
ルビ:妙義山【めうぎ】
渡辺松男『時間の神の蝸牛』

確かに! 
床屋の椅子に人が乗った姿は、シルエットが妙義山の奇岩(にょきにょきと大きな岩が生えている)に似ている気がします。

理髪屋の夏の白布につつまれてわたしは王のミイラであった
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』

これも、ただただすごくわかる、って感じ。

★ポイントが2つ
①すごくありきたりな驚きですが、同じ床屋の椅子でも、人によって連想や見立てかたが違うもんだなあ、と感心した。
②どちらも、かすかながら厳かな連想で「死」のイメージを含んでいる。
たった2首見つけた段階で、たんなる偶然だと思いますが。
※杉崎の歌はミイラだし、渡辺のほうは直接的でなはないけれど、石といえばお墓っぽいし、にょきにょきの奇岩たちは石にされた人か、強い思いをいだく魂が石化したか、みたいな連想を促しますから。

■動物の移動

移動が当たり前の生物は多い。渡り鳥はその代表で、本能にプログラミングされているが、そうでない動物も、餌場など何かを求めて、ぞろぞろ移動することがあるようだ。
たまたま見かじったテレビで、ゾウの家族が季節で移動しているところを見たことがある。たぶん餌のためだろうけど、じっとしているのは退屈だから、という動機もあるのではなかろうか。

それはともかく、さっきの歌のついでに目に入ったこれも、おもしろいと思った。

ゆく雁のゆめなる列は富士へ飛び通過するとき富士透けてみゆ
渡辺松男『時間の神の蝸牛』

「ゆく雁のゆめなる列は富士へ飛び」というフレーズ。
人が雁の列を夢想しているのだろうか。でも、雁たちの夢のなかの飛行みたいにも思える。

先日、別のコーナーでとりあげたこの歌も
ちょっと共通点がありそうだ。

牛たちの立ち泳ぎのような 窓外の真夏の雲がギリシアへわたる
井辻朱美「かばん」2023・12

牛たちが立ち泳ぎしていく姿もおもしろいし、「ギリシアへわたる」という部分にもくすぐられる。そういえばギリシャ神話にはミノタウロスが出てくるなあとか、牛にしてみたら観光とか聖地巡礼とかしたくなるのではないかしら、とか。

 動物の移動には何らかの危険があるけれど(動かなくてもあるけれど)、
いつも何らかの理由・動機みたいなものを見つけては、何かを目指して移動しようとするサガというか、生きているということがイコールそれなのか、
みたいなことを感じた。

▼2024/03/06
■自分用の雲が一つ

桐咲きてわれのみに訃であるやうな雲とおもひぬひとつ浮雲
渡辺松男『時間の神の蝸牛』

休日のしずかな窓に浮き雲のピザがいちまい配達される
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』

性格の違う人が同じようなことを詠んでいるな、と、ただそれだけで、
言いたいことは特にないのですが、

ふと、
雲を詠む歌には「我」が詠み込まれやすい気がして、
(それもほぼ確信に近い感じで)
でも、念の為に調べてみたら……。

本日の闇鍋 短歌データ 127,830首
うち、「雲」という字を含む短歌 2,117首
「雲」と「我」(わたし、吾などの別表記に、僕、俺を加えた)を含む短歌は188首。
てことは、「雲」を詠む歌の8.9%に「我」が詠み込まれている。

一方、全短歌127,830首のうち「我」を含むのは15,174首。
てことは、全短歌のうち「我」は11.9%に含まれている! 
こっちのほうが多いじゃないの!!!

調べてみてよかった。くわばらくわばら。
結局、カンは、当てずっぽより多少マシ、程度のものなんですね。
どなたさまも気をつけよう。

■自分を産んだ母について

ひたすらに雪融かす肩 母よ 僕など産んでかなしくはないか
吉田隼人「早稲田短歌」43号 2014・3

母さんがおなかを痛めて産んだ子はねんどでへびしか作りませんでした
伊舎堂仁『トントングラム』2014

性格の違う人が同じようなことを詠んでいるな、と、ただそれだけですが、好対照。
このテーマの歌集めてみよう。おいおい。

▼2023/12/04
■乗せてくれない列車の拒絶感


3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
中澤系『uta0001.txt』2004

特快はもうありません酸素ボンベわすれた人は帰ってください
山下一路『スーパーアメフラシ』2018

山下の歌、中澤の歌を意識して詠まれた可能性があります。
でもまったく偶然に、共通性のある歌が詠まれることもあるし、
あるいは、世の中の変化が必然的に歌人にこういう歌を詠ませることもある、とも思えます。
とにかく、
作者が意識しようがしまいが、偶然だろうが必然だろうが、
似た題材・似たテーマで詠まれた歌どうしは応答する。

このことが重要です。

【ついでにちょっと考察】
 乗車中の列車内の事象を詠む歌なら、一般列車も含めてたくさんありますが、「特急・特快・快速・急行」niは、「乗れない列車」の「通過待ち」ということがあります。
 乗れない特快などに通過され見送る、という物理的体感や心理体験は、どのように詠まれているか気になって、特急・特快・快速・急行のいずれかを含む歌を検索しました。
 該当歌は63首あり、内容を車内か車外かでざっと分けてみると、
(内外の区別が微妙なものもありますが)
以下のようになりました。

 ・列車の体感や視覚表現と思われる歌 22首
 ・列車の体感や視覚表現と思われる歌 31首
  ★うち「乗れない列車」を詠む歌
 ・その他(内外の区別なしor不明) 10首

 列車外に身をおいて詠む歌にも、外観を詠んだり遠景として詠んだりとさまざまあって、「乗れない列車」として拒絶的な感覚を詠む歌は少数でした。(意外でした。)
 しかし、「乗れない列車」という屈折は既に意識されており、「乗る」「乗っている」ことを詠む歌も、「乗れない」場合があることが無意識にも踏まえられている感じを受けるものがあります。

けものみちは優しくわらう三鷹駅快速電車におとなしく乗る
風野瑞人「かばん」2018・2
 「おとなしく乗る」には、かすかに、屈折した駆け引き感があります。
 列車に乗る乗らないは普通ならこちらの自由ですが、この「おとなしく乗る」は、乗せてくれない場合があること、列車側に主導権がある場合があることを踏まえての駆け引きだと思います。

あたたかき自分の髪に顔を入れ快速電車に眠り続ける
前田康子『窓の匂い』2018
 こちらの歌の「快速電車に眠り続ける」には、目的地までの長距離を乗り降りなしでまとまった時間安心して眠れる、という安心感がある思います。
 この安心感は、乗れなかった人には得られないものであって、屈折と呼ぶにはかぎりなく薄いけれど、乗れた乗れないのコントラスト感を、わずかにかすめていると思います。


▼2021/12/22
■そのとき青いものがこぼれる……


よあけぼくらのシーツのうへに真青の魚が一匹こぼれてゐたか
塚本邦雄『透明文法』1975

ただ一度かさね合わせた身体から青い卵がこぼれそうです
東直子『青卵』2001

2022・4・17追記
青いものがこぼれる歌

「そのとき」じゃなく青いものがこぼれる歌もときどきあります。セットじゃないけど書いておきます。

銀行の窓の下なる/舗石《しきいし》の霜《しも》にこぼれし/青インクかな
石川啄木『一握の砂』

死もて師はわれを磨かむ秋天の青こぼれたるごとき水の辺
大塚寅彦『夢何有郷』2011

青きミルク卓にこぼれて妹が反戦をいう不可思議な朝
大野道夫『秋階段』1995


こういうのも。
信号としての役目を終えてからこぼれるような青、赤、黄色
伴風花 『イチゴフェア』


★赤いものがこぼれる
赤いものがこぼれたら血みたいだし、黄色いものだったら……、なんて思わなくもないので、ついでにちょっと探してみた。
セットではないけれどピックアップ。

根釧原野の霧の渦よりこぼれくる赤い鶴の頭泪のごとし
ルビ:根釧【こんせん】 頭【づ】
日高堯子(出典調査中)

草の実の赤くこぼれて原稿を夢の中では夢のように書く
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』2013

★黄色いものがこぼれる
 赤と同様
こころもち黄なる花粉のこぼれたる薄地のセルのなで肩のひと
北原白秋『桐の花』1913

前をゆく中年男女離れつつ添いつつこぼれくる黄のひかり
東直子『十階』

▼2021/12/20
■鳥のむくろと人体

以下2首、内容は違うんだけど。

我を生みしはこの鳥骸のごときものかさればよ生れしことに黙す
ルビ:鳥骸【てうがい】・生【あ】
斎藤史

ねむりゆく私の上に始祖鳥の化石のかたち重ねてみたり
杉崎恒夫『パン屋のパンせ』


▼2021/12/20
■目を閉じて自らに

存在維持発電だけをするために目蓋を閉じて自分に沈む
九螺ささら『ゆめのほとり鳥』2018

眼球をうずめるように閉ざしつつ自慰をするときだけを信じる
石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』2017

▼2021/12/5

■食物連鎖の上位者

あまえびの手をむしるとき左胸ふかくでダムの決壊がある
笹井宏之『ひとさらい』2011

次々と蟹をひらいてゆく指の濡れて匂えり胸の港も
北山あさひ 『崖にて』2020


生物を食べることについて、新たな詩情が開拓されている気がする。
魚などを食物連鎖の上位者として食べる場面をときどき見かけるようになった。エビやカニは手足があるぶん、食べ方の残酷さが強まるようだ。
(鶏の唐揚げも、弱肉強食的な感覚をほんの少し暗示する傾向がある。)

▼2021/12/03

■胸の中の桜


わが胸をのぞかば胸のくらがりに桜森見ゆ吹雪きゐる見ゆ
河野裕子『桜森』1980

君はしゃがんで胸にひとつの生きて死ぬ桜の存在をほのめかす
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』2013

■洗濯機のなかでまわるもの

ドラム式洗濯機のなか布の絵本舞はせて夏をうたがはずあり
光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』

洗濯機のなかにはげしく緋の布はめぐりをり深淵のごときまひるま
真鍋美恵子『真鍋美恵子全歌集』


■「桜」と「君」

君の内部の青き桜ももろともに抱きしめにけり桜の森に
佐佐木幸綱『アニマ』

君はしゃがんで胸にひとつの生きて死ぬ桜の存在をほのめかす
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』2013

■金魚すくい

夏の夜のすべての重力受けとめて金魚すくいのポイが破れる
伊波真人『ナイトフライト』2017

飲み込んだ夢にふくれる縁日の金魚すくいの袋のように
山階基「風にあたる拾遺2015-2016」(出典調査中)

■青インキと他人

本当か嘘かはひとが決めること紙にインクはあおくにじんで
松村正直『風のおとうと』

青きインク吸ひたる紙がなまなまと机【き】にあり人はわれを妬めり
 ルビ:机【き】
真鍋美恵子

■冷蔵庫の気分

冷蔵庫はよく詠まれる題材。冷蔵庫の音などに気分を投影することがよくあります。

生み落とす氷の音をひびかせてほがらかなりき夜の冷蔵庫
三井ゆき『天蓋天涯』

春暁にほのぐらく浮く冷蔵庫唸りあげをり鶏卵を抱き
黒瀬珂瀾『空庭』2009


■冷蔵庫の卵置き場

冷蔵庫の卵に生と死を洞察するような感慨を添えるのもよく見かけます。卵の置き場が決まっていることを特に意識した歌も数ありますが、この2首をあげておきます。

はじめから孵らぬ卵の数もちて埋めむ冷蔵庫の扉のくぼみ
林和清(出典調査中)

冷蔵庫には卵のための指定席秋のコンサートが始まるらしい
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010

冷蔵庫の卵は生まれず食べられるものだがら、多く憐れむ感じで詠まれますが、杉崎の歌はその上で、むしろ「そんな卵たちだから特等席」みたいな、救いのあるイメージで捉えてあげている気がします。


■夏冬のだいこん

夏大根に家中の口しびれつつ今日終る 国歌うたはず久し
塚本邦雄『日本人靈歌』1958

電車の外の夕方を見て家に着くなんておいしい冬の大根
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』2012


■仰向けに寝て空を見る

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五の心
 ルビ:不来方【こずかた】/十五【じふご】
石川啄木 『一握の砂』

Tシャツを脱いで暮れゆく空を見て寝ころぶ レゴのかけらのように
千葉聡『微熱体』2000

もしかすると歌人なら一生に一度は詠むんじゃないか、と思えるほど好まれて詠まれているシチュエーション。それだけに自分らしさを大切に詠まれていると思います。

他にもいくつも見つけてしまったので、少しだけ書いておきます。

音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪はれてゐる
中城ふみ子『乳房喪失』
さくらさくさくらさくさく仰向けに寝て手を空へ差し出すように
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013

2023・7・28

■君もしくはあなたがちょっと乱暴(植物などに対して)を働くのを見ている

ありそうで意外に少ないシチュエーションです。

ぴかぴかの顔であなたは園庭のヤブガラシさえほどいてしまう
土井礼一郎『義弟全史』

雨つぶを散らしてきみは力ある葡萄の房をひきおろしたり
加藤治郎『昏睡のパラダイス』


2024年3月6日水曜日

ミニ63 ・・・と数える

2022年3月24日

一つ二つ「と数える」短歌を探してみた。

ただ数える歌ではなく「と」が重要。

「を数える」は対象外として、「と数え」「とかぞえ」「とかぞへ」というテキストで検索した。

他のいいかたをしたものは抽出できていない。


秋の雲「ふわ」と数えることにする 一ふわ二ふわ三ふわの雲

吉川宏志『曳舟』


母を一疋二疋とかぞえやるせなしこの山毛欅の蝉かの楢の蝉

渡辺松男(出典調査中)    ※山毛欅=ぶな


きみたちも1鳩2鳩とかぞへなさい溶けてしまつてゐてもです

平井弘『遣らず』2021


人の死をひとつふたつと数えきて童の歌のななつで終わる

関野裕之『石榴を食らえ』2016


闇だろう 湯船に沈む悲鳴さえ一つ、二つと数えることは

鈴木智子『砂漠の庭師』2018


友の歯をひとつふたつとかぞへつつ白木の箸にひろふ火葬場

小熊秀雄(出典調査中)


数える歌にはおもしろいものが多いし、変わったものを数える歌もあるが、今回は「と数える」のみとした。他の数える歌も別の機会に集めてみたい。



2023年10月18日追記

【1・2と】

人間をいちまいにまいと数へをりフリーキックの撃たるる先の
大松達知『アスタリスク』

砂潜るわれが貝ならあふぎみて鯨は一羽二羽と数へむ
睦月都 短歌・2018年10月号


【ほか】

原発も棺も一基と数へゐるこの世の夜をひたに眠りぬ
飯田彩乃『リヴァーサイド』2018

一隻と数えたくなる雨の日のカラスはふいに首伸ばし喚ぶ
富田睦子『風と雲雀』2020

春ならば抱きしめていいことにする玉と数える野菜のことを
山階基『風にあたる』2019


2024年3月6日追記
【ちがうけど近い】

電柱はそっとかぞえてゆきましょう それがメッセージとなるまえに
杉山モナミ「かばん」2004・6