2022年5月23日月曜日

満68 ~までが~だろうか

「どこまでが空だろう」というような 、
「~までが~だろうか」という構文の歌に興味を持った。
興味といっても、漠然とおもしろそうだと感じただけだが。
「○○までが△△だろうか」的な構文※を含む歌をテキスト検索した。

結果、87首発見。
※「○○まで△△」など、「だろう」と詠嘆しないものも含めていろいろ検索し、集まった結果から無関係なものを取り除いた。

(なお、川柳はそれなり見つけたが俳句は1句しか見つけられなかった。もともと手持ちデータが少ないせいかもしれないが。)

以下分類して歌を少しずつ例示します。 


■1 境界が不明確 15首

「○○までが△△だろうか」的な構文を含む歌には、境界が不明確であるという意味の歌がたくさんあった。

どこまでが空かと思い 結局は 地上スレスレまで空である
奥村晃作『空と自動車』2005※既刊歌集から自選された歌集。もと歌集は調査中

改札を出てから雨にぬれるまで駅はどこから終わるのだろう
吉田恭大『光と私語』2019

何時まで放課後だろう春の夜の水田(みずた)に揺れるジャスコの灯り
笹公人『真砂集』2017(1975年生まれ短歌アンソロジー)
※この歌は発表済みの作品からの自選されたもので、もと歌集調査中

どこまでがフードコートか僕たちの別れ話はのっぺりとして
小野田光『蝶は地下鉄をぬけて』2018

いつからが秋 いつまでが秋 部活終え夕闇を踏んで帰ろう
千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』2015

蝉声のどこまでがこの世であるか肩かけかばんよつと持ち上ぐ
ルビ:蝉声【せんせい】
澤村斉美「朝日新聞」夕刊2012/8/14

どこまでが空地か国の河川敷か 雪はひといろ闇もひといろ
ルビ:空地【あきち】
齋藤史(出典調査中)

どこまでがここなのだろうゑのころが笑つてゐて話はそこまで
平井弘『遣らず』2021


■2 自分の境界が不明確 10首


自分の境界が不明確であるような歌が10首もあった。
さっきの境界が不明確であるという歌は15首とは別カウントにした。

子がわれかわれが子なのかわからぬまで子を抱き湯に入り子を抱き眠る
河野裕子『桜森』1980

これはよく知られた歌。
「○○までが△△だろうか」という構文とは少し違うが、近いと思う。
他にもこういう感じの歌がある。

わたしの顔はどこまでものびるみじかいのは水彩画家のかいた虹だろ
望月裕二郎『ひらく』2009

走りながら飲み干す水ののみにくさ いつまでおれはおれなんだろう
虫武一俊『羽虫群』2016

爪までが私の城 宇宙中に冷えつつぞあるわが体温は
依田仁美『異端陣』2005

そんななか、やや気になるのが、「どこまでが私」(われ、ぼく、おれ)でで始まる歌だ。「自分の境界の不明確」を詠む10首中なんと6首もある。

どこまでがぼくなのだろう燻されたスーツのままでバスに揺られて
堀合昇平『提案前夜』2013 

この歌には「燻されたスーツのままでバスに揺られ」という具体的、個人的なことを入れてあり、スーツにしみこんだタバコ臭さが、身体の境界を思わせたり、夜通し他者とつきあったことも暗示するゆえに、どういう種類の不明確なのか、ほどよい曖昧さで絞り込んである。

だからこの歌は成功例だと思うが、「どこまでが私」は、多くの人がひとりでに思いついてしまうフレーズであるようだ。「耳どおりの良い普遍性」の気配もあるので要注意だと思った。(「耳どおりの良い普遍性」は末尾に詳述。)


■3 時間系(期限) 15首

「まで」が期限や時間の範囲を表すケース。個人的にお気に入りの歌が多い。
後述の地理的な「まで」に比べて少ないのは、この構文を時間に用いることが短歌の中では比較的の中では比較的新しいからではないかと思う。

いつまでが新婚だろう雪靴のように重たい一日の過ぐ
吉川宏志『夜光』2000

いま点けし蛍光灯の地震にゆれいつまでゆれているわれなのか
藤原龍一郎『19××』1997

朝刊が濡れないように包まれて届く世界の明日までが雨
𠮷田恭大『光と私語』2019

体感として猫は十人間は三十三歳までが不老だ
山川藍『いらっしゃい』2018

バス停はいつまでバスを待つのだろう茂みの中に半ば埋もれて
松村正直『風のおとうと』2017

鳥を飼うことのなかったいままでが切符だらけのひきだしにある
佐藤弓生『薄い街』2010

かすむ瞳の 否、此れまでが見えすぎてゐただけ ならば僕は黙るよ
光森裕樹『うづまき管だより』2012

一九八〇年から今までが範囲の時間かくれんぼです
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越しウサギ連れ』2001

上記の穂村の歌を見て以下のことを思った。
数学の公式と変数の関係を短歌にあてはめてみるなら、構文が公式、そこに嵌めてある単語が変数だ。
穂村の歌はデビュー当初から斬新さに魅了される人が多かった。
 
その新しさは、公式(言い回し)の新しさ、変数(詠み込む要素・語彙)にの新しさ、にとどまらなかったと思う。 
この歌を見ると、新しくないものの〝使い方〟〝組み合わせ方〟にも新しい面があったと思われてくる。
短歌では見かけないが「○○までが範囲」はごく普通の言い回しだし、「時間」は短歌では人気語である。「かくれんぼ」はややレアだが、寺山修司の「かくれんぼの鬼……」という超有名歌があり、短歌としてそう目新しい語ではない。
つまり、そのへんにあるものだけで、新しい歌を作ってみせたわけだ。
上記の歌は、「○○までが」を2022年現在の時点で集めたなかでも毛色が変わっているし、この踏み込み方はいまだにレアなままだ。追随を待ってそよぐフラッグみたいである。


■4 地理系(到達点・終着点・範囲など) 47首


「まで」を到達点や終着点のような意味で詠む歌がたくさんあり、実はこれがいちばん多かった。

ただし、多いのは分類が難しいせいともいえる。

ほぼ物理的地理的な意味だが例外もあるし、起点があれば範囲のニュアンスを帯びるとか、到達点でなくそこまでの距離や経過のほうが重要だとか、微妙な違いがあって線引しにくいのだ。

数は多いが印象に残る歌はなんとなく少ない印象。

歌が悪いわけでなく、詠み重なることで結果として値崩れするようにありふれてしまったのかもしれない。そういう現象もある。

以下は、そんな中で値崩れしない要素があると個人的に感じた歌。

いっぽんの紐が歩いて恋をして滅びるまでが文明である
松木秀『親切な郷愁』2013

星座全部うらがえるほど旅をして別れたまでが掛軸になる
我妻俊樹 (Twitter)@agtm_botより

水際に立ちつくすとき名を呼ばれ振り向くまでがたったひとりだ
虫武一俊『羽虫群』2016

(原形をたとえ留めていなくとも)おうちに帰るまでが遠足
龍翔『Delikatessen/Young,Cute』(発行所・年月不明)

ナースサンダルでどこまで行けるだろう会社を抜けだした日の夕闇
柴田瞳(出典調査中)

フロアまで桃のかおりが浸しゆく世界は小さな病室だろう
加藤治郎『マイ・ロマンサー』

すでに吾の非在なる世か目のまへのたんぽぽまでが無限に遠い
渡辺松男『雨(ふ)る』2016

罰という電車を待ったこの罪はどこまで行ける切符だろうか
木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』2016

以上


★耳どおりの良い普遍性

・短歌には独自と普遍の取り合わせが重要な場合が多い。
「ひとりでに思いついたこと」は、自分の独自な思いだと錯覚しがちだが、ちっとも独自でなくて普遍的なものである場合があって、これを取り違えるとバランスがおかしくなる。

・また、普遍性は本来良いものだが、「どこまでが私」には、〝耳通りの良い普遍性〟に陥りそうな気配がある。

「耳通りの良い普遍性」の欠点は、見た目かっこいいけれど実は本質に迫らずに、何か深遠なことを言った気分を味わえることだ。

(本質に迫れば必ずどこか角がたつ。世界は矛盾に満ちていてみんな多かれ少なかれその矛盾に順応して生きているわけで、本質に迫ると必ず自他、誰かの足元が危うくなる。「耳通りの良い普遍性」なら、その危険を冒さずに済む。)

「耳通りの良い普遍性」をプラシーボで終わらせないために、個別のこと、具体的なこと、独自なことと組み合わせるなどして、何らかの踏み込みが必要だと思った。

なお、「耳通りの良い普遍性」が好きな人も多い。また、それが必要な場面もある。「何らかの踏み込み」をうんとさりげなくしておくことで、平場でも、本音を言いにくい場面でも通用するよう汎用性が高まる。


2022年5月20日金曜日

雑コレ 「空」を含む歌集名

「空」は短歌によく詠まれるが、歌集のタイトルにもよく使われている。

ちゃんと調べたわけではないが、歌集名によく使われる語の少なくともトップ3には入るだろう。

だから何。
いやなんでもない。
ただ集めて並べてみました。

これから歌集を出す人で「空」という字を使いたい場合は、参考にしてください。
※なお、ここには入れませんでしたが、「空間」もやや人気があるようですよ。



『2月31日の空』

『あかがねの空』

『ありふれた空』

『いつも空をみて』

『うはの空』

『ここからが空』

『そこらじゅう空』

『ドームの骨の隙間の空に』

『まだ空にゐる』

『ゆきあひの空』

『欝と空』

『夏空の櫂』

『夏空彦』

『架空線』

『架空荘園』

『柿の消えた空』

『虚空の橋』

『虚空日月』

『矩形の空』

『空に吸はるる』

『空とぶ女友達』

『空と自動車』

『空には鳥語』

『空には本』

『空に響る樹々』

『空に水音』

『空の花花』

『空の空』

『空の色』

『空の鳥』

『空は卑怯だ』

『空を仰ぐ』

『空を指す枝』

『空を忘れず』

『空を鳴らして』

『空閑風景』

『空合』

『空襲ノ歌』

『空庭』

『空夜』

『十三月の空』

『星座空間』

『青みゆく空』

『大空の干瀨』

『天空』

『天空のかすみ草』

『天空の地図』

『濃藍の空』

『微笑の空』

『夜空の水無川』

『陸離たる空』

『壺中の空』

『鬱と空』


「空」ではないけれど、過去に出た有名な歌集と同じタイトルの歌集が発行されることがあります。
先行歌集を意識した内容か、と思って読んでみると関係なさそう。

単に知らなかっただけ?
出版社さんも教えてあげればいいものをまさか編集者まで無知だったり?

無知でもいい。今どきはネットという便利なものがある。
念のためスマホでちょいちょいと検索してみればいいじゃないの、
なあんて思ってしまいます。

2022年5月18日水曜日

随時更新 ちょびコレ2 2022/5

 ここは、日々なんとなく見つけたちょっとした短歌コレクションの置き場です。


ミニアンソロジーにしたいけれど、そこまでの歌数がない。でも、レア鍋賞ほど少ないわけでもない……。

そんな感じのときここに書いておきます。


■2022・5・17 ○○までが△△だろう

「○○までが△△だろう」「までが なのか」という構文、おもしろそう。
題詠に良さそうじゃないですか?

いつまでが新婚だろう雪靴のように重たい一日の過ぐ
吉川宏志『夜光』2000

どこまでがぼくなのだろう燻されたスーツのままでバスに揺られて
堀合昇平『提案前夜』2013 

いつまでが湯上がりだろう室温の野菜ジュースに濡れるストロー
山階基『風にあたる』2019

どこまでがここなのだろううゑのころが笑つてゐて話はそこまで
平井弘『遣らず』2021

「○○まで/△△だろ」「○○まで/△△なの」で探すと、もっとたくさん出てくると思う。
こんど時間があるときじっくり探してみよう。

■2022・5・19 かくれんぼ

短歌データ122,606首中に「かくれんぼ」を詠み込んだ歌は18首。

「かくれんぼ」といえば寺山修司の有名な歌がある。

かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭
寺山修司『田園に死す』1965

他の用例もあわせて、「かくれんぼ」という詩的アイテムは〝光と影のちょうつがい〟になる。明るい日常世界とそうでない世界、生と死。たとえば戦争から帰ってこない人、幼い死者などの疎外感や寂しさをあらわす傾向があると思う。

かくれんぼ鬼の仲間のいくたりはいくさに出でてそれきりである
山崎方代(1014ー1985)『こんなもんじゃ』2003

血まみれに蜻蛉の群れる高みより子はもどされてくる かくれんぼ
平井弘『前線』1976

有名な歌があるとそこに使われた単語の使用率が高まる傾向があるので、追随して詠まれていそうだと思ったが、その割には少なかった。

寺山の『田園に死す』は1965年の刊行だし、その後、「かくれんぼ」という言葉に、異なる詩情は開拓されていないか、という目で探してみた。

一九八〇年から今までが範囲の時間かくれんぼです
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越しウサギ連れ』2001

見つからぬためではなく見つかるという喜びのためのかくれんぼ
俵万智『未来のサイズ』2020

俳句はしろうとですが、この句がイチオシ。
山々で指をかついでかくれんぼ
阿部完市『絵本の空』

■2022・5・17 のんのん

「のんのん」というオノマトペ、どうも意味が曖昧だ。
お祈りの対象を「のんのんさま」という場合があり、仏壇に手を合わせるときなどに、子どもに「のんのん」と教える。
この「のんのん」は、お祈りの動作と祈る心のさまを表しているだろう。

よもぎは白い葉裏をみせて水に浮く のんのんさまのにおいのお部屋
東直子『青卵』

ネット辞書を調べてびっくり。
以下のように、いっぱしの意味があったのに、私がちっとも知らなかったということに。
むちむちの無知。

●精選版 日本国語大辞典「のんのん」の解説
のんのん〘副〙 (「と」を伴って用いることもある)
① 深い川や大量の水がながれるさまを表わす語。
※玉塵抄(1563)四「ふかい水は声ものんのんと流れておともせぬぞ」
② 勢いのよいさまを表わす語。
※思ひ出(1933)〈太宰治〉一「裏の空屋敷には色んな雑草がのんのんと繁ってゐたが」
※大菩薩峠(1913‐41)〈中里介山〉東海道の巻「あとはひっそりとして百匁蝋燭の炎がのんのんと立ちのぼる」
のんのん〘名〙
① =のの
② ともしび、あかり、灯明、また、それらが明るく燃えることをいう、幼児語。

短歌の用例をさがしてみた。

のんのんとわたしのなかに蠢いている大阪よ木津川安治川
江戸雪『昼の夢の終わり』

おお確かに! これは水流の勢いのオノマトペだ。

来世など知らず解せず土は土春のんのんと迫り来るなり
松木秀『RERA』
花冷えの夜にのんのんずいずいと飲みてあやしき混沌に入る
傍点:のんのんずいずい
高野公彦『水苑』2000

この2首の「のんのん」も、勢いを表していると思う。
じゃあこれは?

でこぼこの花梨頭といふ言葉 のんのんとしてくわりんは実る
ルビ:花梨頭【くわりんあたま】
小島ゆかり『憂春』

これは花梨が実る生命力の勢いのよさだけでなく、「灯る」感じも混ざった表現だと思う。
祈りの意味も混じっているかな。

ところで、ドリフターズの「いい湯だな」の囃子言葉に「ビバノンノン」というのがある。
「ビバ」はおそらくイタリア語やスペイン語の「VIVA」(万歳)みたいな感じだが、「ノンノン」は何だろう。
否定の「ノン 」ではなんだか意味が通らない。
たぶん「のんびり」の「のん」だ。
それなら「のんびり万歳」になる。


■2022・5・10 おーい

「おーい」という呼びかけを詠み込んだ短歌を検索したら、11首とけっこうあった。


透明な肉片、おおーいでてこいよ君と余白を嗅ぎたい
江田浩司(出典調査中)

犬の名を呼べども虚空8月の「さくらさくらさくらおーい!」
杉山モナミ ブログ「b軟骨」2010/11

オンライン舞台のラストに「おーい!」×「おーい!」 オハナシのせいにして手を振る
杉山モナミ 「かばん」2021・11

何年ぶりだろう活惚 おーいおーい記憶の井戸ゆ顕つ太鼓持ち
ルビ:活惚(かっぽれ)  顕(た)
佐佐木幸綱 『はじめての雪』

パソコンの前でときをり揺れながらおーいおーいとお茶に呼ばるる
田村元『北二十二条西七丁目』2012

あたしまだ青春するよ おーいおーい、そちらはいかが 返答はない
柴田瞳(出典調査中)

どの部屋を歩いてみてもどこにもいないおーいと呼んでも答えてくれない
加藤克己『游魂』

おーいと呼んでこたえなくふりかえり顔みせくるることさえあらぬまひるわが庭
加藤克巳『游魂』

どのように呼んでも返事のない雲は朝の息子のようなり おーい
田中教子『中つ國より』2013

おーいそこの後頭部たちが青空を見上げるような一語放てり
棉くみこ「かばん」時期不明

スカイプに現れるとき青リンゴみたいな顔でおーいと言う人
中山かれん「外大短歌」7号

俳句
おーいおーい命惜しめといふ山彦
山川蝉夫(高柳重信)(山川蝉夫句集補遺句集以後)

川柳
オーイオーイと叫びつづけている今も 松永千秋



■2022・5・6 男らしさ

本来良い意味であるはずなのに、短歌の中ではなんとなく悪いイメージで詠まれる概念、というものがある。

たとえば「正義」。本来良いものであるはずなのに、悪用して振りかざすなどする輩が多いのか、もはや懐疑的文脈でしか詠まれない。

「男らしさ」も同様だ。この概念に不快感があったり苦しめられたりするケースが多いのだろう。
ただ、ジェンダー的言辞には比較的敏感である私でも、現実の中でたまに、「男らしい人だな」と好印象を持つ場合がある。プレッシャーでも差別でもなく純粋な「男らしさ」という良さはきっとあるだろう。

ともあれ、「男らし」という文字列で検索してみたら、
本日の「闇鍋」短歌データ122,606首のなかに7首あった。
その中から好みの歌をピックアップ。


本当の男らしさを思うとき階段が逆流をして来る
吉野裕之『空間和音』


唯一の男らしさが浴室の排水口を詰まらせている
虫武一俊『羽虫群』

この2首は、純粋な良い意味での「男らしさ」ではないけれど、「男らしさ」というものに対する気持を、自分の言葉で表現している。

ついでに「女らし」も探してみたら2首しかなく、それは私の好みといえる歌ではなかった。


■2022・5・4 ばかみたい

「ばかみたい」というフレーズを詠み込んだ歌は、本日の「闇鍋」短歌データ122,363首のなかに15首と、意外にあった。

「ばか」には「ばかでかい」などの強調の用法があり、「すごく」という意味で使う「ばかみたい」が少なくないようだ。

自分に対して自嘲としてつぶやくシチュエーションも散見したが、ただそう書いただけでは歌として物足りない。プラスアルファで読ませるネタだ。


もう悲しむのもばかみたい焼きそばは大失敗がないから好きだ
山階基『風にあたる』2019

魚群がぎょっぐーん!って迫る水槽のふたりってばかみたいゆめみたい
石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』2017

ばかみたいに鮮やかだった。君のいない世界へ金属探知機ぬければ
ルビ:金属探知機【セキュリティーゲート】
千種創一『砂丘律』2015

ばかみたいに癒着している卵巣のモノクロームがきらきら痛い
田丸まひる 『ピース降る』2017

ティッシュ配る姿ばかみたいに見ていたわフードに猫が重たかったわ
飯田有子『林檎貫通式』2001

柚子の皮刻む大きな俎板でほんとうにばかみたい自由で
兵庫ユカ(「七月の心臓の栞」歌集以降作品抄三十首)2006

お茶漬けのあられ浮いててばかみたい会いたさはひどく眩しい梯子
北山あさひ 『崖にて』2020

ばかみたいってことの奇跡になんとなく気づいて水風船が割れない
櫻井朋子 『ねむりたりない』2021

余計なことだが、現実生活ではどういうとき「ばかみたい」と言うのだろう。
私の生活実感としては、自分のポカミスや場の空気の読み違えての失敗などで、自分に対して使うだけでなく、ニュースでくだらない犯罪を見聞きしたなど、他人の愚かさに対しても「ばかみたい」とつぶやく。つまり自他半々だと思う。

2022年5月15日日曜日

ミニ68 揉む

揉む歌ピックアップ


ざわめく樹海の緑もみくちゃの心臓ひとつかかえていたる
加藤克巳『球体』1969

揉みあへる樹の若緑わが生れし日の風いまはいづくさまよふ
大塚寅彦『ガウディの月』

窓に近き一樹が闇を揉みいたりもまれてはるか星も揺らぎつ
永田和宏『黄金分割』197

ブランコの鎖の間に星揺るる疲れし君の肩揉みおれば
吉川宏志『青蝉』1995

元旦に明るい色の胴体を揉めばぶよぶよするヤマト糊
穂村弘『水中翼船炎上中』2018


興味がありましたら、以下をご覧ください。
 *  *  *


「撫でる」と「さする」はどう違うかと外国の人に聞かれて困ったことがあるが、「揉む」ならそれほど説明に困らないだろう。

マッサージなど、対象が変形するほど力を入れて押したり掴んだりすることですよ、とか。

「揉む」という語を含む歌は、本日の全短歌データ122,604首中に94首あった。

揉む対象はさまざまだが、〝何が〟揉むかで分類すると(比喩的表現も含めて)次の結果だった。

○32首 手

 マッサージなど、手と書いてない場合も、肩揉みなどは普通は手で揉むだろうと推察。

 また「足で揉む」「電気あんま」(どちらもレア)も「手で揉む」に準ずると考えてここに含めた。


○24首 風

 風が草木などを揉むという表現が多い。

 「木が闇を揉む」は風による現象とやや狭くとらえてここに含めた。
 「闇が揉む」「空が揉む」各1首、近いかもしれないがここには含めなかった。


○13首 水

 海や河などの情景で「水」と書いてなくても水に揉まれると推察されるケースを含む。また「雨が揉む」も、やや異なるがここに含めた。


○4首 人ごみ

 表現はいろいろだが要するに混雑した状態で揉まれる歌。


○3首 揉み合う

 相互に揉み合う。喧嘩など。人どうしとはかぎらない。


○そのほか
 何が揉んでいるのか不明確な表現など、分類しづらいもの。


○独立語
「揉む」という動詞でなく、「錐揉み」「揉め事」という独立した語も使われていた。


全部は多すぎるので、少しずつ紹介します。


手が揉む



月光をもろ手ざわりに揉みしだく
菊ならば菊におい立つまで
奥田亡羊『花』2021

ブランコの鎖の間に星揺るる疲れし君の肩揉みおれば
吉川宏志『青蝉』1995

「灰皿」はなくなるとしても「揉み消す」は生き残るだろうこの先の辞書も
京表楷『ドクターズ・ハイ』2006

腹をもむ いきなり宇宙空間に放り出されて死ぬ気がすんの
工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』2020

まもりゐの縁の入り日に飛びきたり蠅が手をもむに笑ひけるかも
斎藤茂吉『赤光』1913

揉みしだくよもぎのみどりかをる掌に五月よきみよ応へくるなし
小池光『バルサの翼』1978

元旦に明るい色の胴体を揉めばぶよぶよするヤマト糊
穂村弘『水中翼船炎上中』2018




風が揉む


ざわめく樹海の緑もみくちゃの心臓ひとつかかえていたる
加藤克巳『球体』1969

ひるがえる風に揉まれて消えし蝶伝えよ世界の裏なる紅葉
永田和宏(出典調査中)

窓に近き一樹が闇を揉みいたりもまれてはるか星も揺らぎつ
永田和宏『黄金分割』1977

揉まれつつ夜へ入りゆく新緑のさみどりの葉のねたましきかな
岡井隆『眼底紀行』1967

鋭い声にすこし驚く きみが上になるとき風にもまれゆく楡
加藤治郎『サニー・サイド・アップ』1987

あらしのあと木の葉の青の揉【も】まれたるにほひかなしも空は晴れつつ
古泉千樫『屋上の土』1928

揉みあへる樹の若緑わが生れし日の風いまはいづくさまよふ
大塚寅彦『ガウディの月』2003

若葉風揉み来る見ればおそらくは田には蛙の眼光るらし
北原白秋『白南風』1934



水が揉む


あたらしき雪平鍋に滾りつつ湯は芽キャベツのさみどりを揉む
花山多佳子『晴れ・風あり』2016

雨の揉む百房 ひとは貴腐の香をこころに生【あ】れしめてぞ死すべき
大塚寅彦(出典調査中)

暗渠の渦に花揉まれをり識らざればつねに冷えびえと鮮(あたら)しモスクワ
塚本邦雄『装飾楽句』1956

河骨のもまれあらがふ夏の川私が誰かわからなくなる
嶋田恵一「かばん新人特集号」2015/3




その他


二千年闇に揉まれて青白き翡翠勾玉凹のやさしさ
佐佐木幸綱『アニマ』1999

太古には鉱物のように青くありエビやエミュウを揉んでいた空
井辻朱美『水晶散歩』2001

肘から先ぷらぷらになりしとおもふとき錐揉みながら睡が押し寄す
ルビ:錐揉(きりも) 睡(すい)
小池光(出典調査中)

揉め事をひとつ収めて昼過ぎのねじれたドーナツを買いに行く
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』2013

薔薇の花びらの揉みあふ廃園に情熱の冥きつちふまずあり
尾崎まゆみ『明媚な闇』2011

胸分(むなわ)けに行くスクランブル交差点ひとりひとつのこころもみくちや
小島ゆかり『泥と青葉』2014

学級委員みたいに理屈こねながら、こねながら揉む小ささが良い
ナイス害  サイト「うたの日」より


揉むのは本来「手」であって、「風」や「水」が揉むというのは比喩。
素敵な比喩だが、こんなに多く詠まれてしまっていては、の詩歌っぽすぎて、もはや安易に使えない。
風や水が揉むと書く場合には、逆にその詩歌っぽさを活かすぐらいの意識が必要かも。



2022年5月10日火曜日

満67 鳩の声(オノマトペ以外)


鳩の声を詠む歌


ミニアンソロジーにした鳩の声のオノマトペもおもしろかったが、鳩の声そのものが詩心を刺激するらしいと思えてきた。
こちらにはオノマトペを使わずに鳩の声を詠む歌を集めてみた。

鳩の声そのもの、そして鳩の声に関するさまざまな既存の表現も、追随したくなるような魅力を備えているようだ。
あまり意識されていないようだが、とにかく結果として「鳩の声」は歌の題材としてすごく好まれている。
 
だからすごくいっぱいあるので、以下、分類しながら、本日の気分でピックアップ。


●ポンプ感に注目して

分類とは別にぜひ注目して欲しいのが〝ポンプ感〟。

鳩があのくぐもった声を反復的に出す様子はさまざまに詠まれているが、〝ポンプで汲み上げるような感じ〟で詠む歌が複数あったことが興味深い。

分類に関係なく散らばっているので、ぜひ注目して欲しい。

●くぐもった声の印象

くくみ鳴く鳩を蔵して枝枝は秀にむらさきに花房けぶる
ルビ:秀【ほ】
恩田英明「e-文藝館=湖(umi)」(自薦)

●声をだす呼吸の印象

泥の玉産むやうなるこゑ 山鳩の息を大きく吸ひて吐きゐる
森岡貞香『黛樹』(短歌新聞社〈現代短歌全集〉 1987)

梨の木はみな背ひくし曇り日を玉嚥むごとく山鳩鳴けり
ルビ:背【せい】 嚥【の】
小島ゆかり『憂春』2005

鳩の喉くるりと見えし一瞬にかなたかなたのよき日日の声
依田仁美『異端陣』2005

地下深く汲みあげて来し水のごと雉鳩は啼く啼きてやまずも
三井ゆき『雉鳩』2003

これってポンプみたい。


●抑圧的・表面化しない何か

あね姦す鳩のくくもる声きこえ朝からのおとなたちの汗かき
平井弘『前線』1976

鳩の声のどこかなにかが狂ってて 真昼、君を押し倒すんだ
千種創一『砂丘律』2015

何か常ならぬものが表面化しないままみなぎってきちゃう感じ。


●眠い

野球場外野で草をむしろうよ土鳩が鳴けばわれらも眠し
永田紅『ぼんやりしているうちに』


●死への連想・死者との交信

郭公が鳴き山鳩が鳴くけさはことにも深く亡き母に詫ぶ
三井ゆき『雉鳩』2003

山鳩はこゑひくく啼く三年をまだ見つからぬ死者を呼ぶこゑ
本田一弘『磐梯』2014

まつしろなシーツちひさく畳まれて土鳩がひくく啼きはじめたり
前川佐重郎『孟宗庵の記』2013

生きかはり生きかはりても科ありや永遠に雉鳩の声にて鳴けり
ルビ:永遠【とは】
稲葉京子『槐の傘』1981

わが父よ汝が子はかくも疲れたり雪降るむこう山鳩の鳴く
岡部桂一郎『一点鐘』2002


●近くで鳴く・距離感

おそろしく寂しいというかたわらにいるのに土鳩も鳴いているのに
佐伯裕子『寂しい門』1999

鳩の声を「寂しい」と感じる人は少なくないだろうから、とくに分類項目とはしなくていいと思う。
それより、この歌で注目したのは鳩との距離だ。
近くにいる、ということに何か特別さを感じながら、あまり説明しないで提示する歌がときどきあるのだ。
作者は意識していないだろうが、「鳩」という題材にとって、距離は重要モチーフのひとつではなかろうか。

山鳩がわがまぢかくに啼くときに昼餉を食はむ湯を乞ひにけり
斎藤茂吉『白き山』

とおくの森から鳴くように山鳩の胸深いふくらみ
高橋みずほ『しろうるり』2008

叙述以上に距離という要素が重要な歌で、この字足らずも、〝うまらない空間〟を感じさせる一定の効果がある。
この歌は、鳩が近くにいるとは言っていないが、「胸のふくらみ」という文言は、現実に見ているかもしれない近い視点を思わせる要素である。
しかし、どこにいても遠い感じがする鳩の声の趣を詠んでいるわけで、その声から発想した歌であれば、声を体から押し出すピストンみたいな胸の様子を幻視した歌とも思える。

作者が歌が詠んだ経過がどうであれ、歌が成立する過程でそれらは混じり合ったはず。
歌としての成立は、この実景と幻視とが双方から補い合う循環システムの成立そのものであり、それが歌を名歌にしている。

歌はこういう種類の循環システムによって成立することがある。
そのことが認知されないために、あっちだ、いやこっちだと不毛な議論がなされている場合があると思う。


●重要なことを言う・知らせる


鳴きやみて山鳩言へり人間は戦争が好き、死ぬのが嫌ひ
高野公彦『水の自画像』2021

鳩の声を詠むとき、不思議感やおごそかさが配合されていることも少なくない。
そして、確かに、あの反復的な鳴き方は、何か重大だことを言い放つ準備で言葉をくみあげているポンプを思わせる。

山鳩はくもりの中に来て鳴けりわが半生を語るがごとく
小池光『思川の岸辺』2015

わがよはひかたぶきそむとゆふかげに出でて立ちをり山鳩啼けり
宮柊二『日本挽歌』1953

山鳩が中途半端に鳴きやみてそののち深き昼は続きぬ
大辻隆弘『汀暮抄』2012


●そのほか

分類しにくかった歌を「そのほか」としてここに置いたが、いずれ他の要素と結びつきながら発展していく予感がある。

林道に青鳩が鳴き十和田湖の円錐空間に雲が湧きたつ
小島なお『展開図』

まなうらの鳩がうたうよ鳥の歌 僕らは括弧でくくれないから
白瀧まゆみ(出典調査中)

いつせいに鳴くことあらばおそろしき上野公園に群がれる鳩
花山多佳子『胡瓜草』2011

茶柱が立つてゐますと言つたとてどうとでもなし山鳩が鳴く
馬場あき子『あさげゆふげ』2018








ミニ67  鳩の声(オノマトペ)

鳥の鳴く声はいろいろなオノマトペで歌に詠まれる。

今回は鳩の声のオノマトペ歌を集めてみた。
(オノマトペ以外の鳩の声の歌はこちら)

(「鳩」の文字を含む歌で、鳩の声らしい「ぽっぽ」などのオノマトペの文字列のある歌を検索した。
その方法で以下の歌を見つけたが、独創的なオノマトペは検索しにくいので、見落としがあると思う。)


日もすがらひと日監獄の鳩ぽつぽぽつぽぽつぽと物おもはする
ルビ:監獄【ひとや】
北原白秋『桐の花』1913

来て見れば監獄署の裏に日は赤くテテツプツプと鳩の飛べるも
北原白秋『桐の花』1913

ツチヤクンクウフクと鳴きし山鳩はこぞのこと今はこゑ遠し
土屋文明『山下水』1948

土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ
河野裕子『ひるがほ』1975

斑鳩きてぽぽうと鳴けば幾時代過ぎたるならむ頬づゑをとく
ルビ:斑鳩(いかる)
川野里子『五月の王』1990

山鳩のこゑに似るとふ日本語よほーほろほーほろ愛し日本語
ルビ:愛【かな】
小島ゆかり 『ヘブライ暦』1996

れれ ろろろ れれ ろろろ 魂なんか鳩にくれちゃえ れれ ろろろ
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998
(これは厳密にいって鳩の声じゃないかも)

電線に逆光の鳩一羽ゐてポーポーポポーが空に吸はるる
ルビ:空【くう】
小潟水脈『空(くう)に吸はるる』2003

ほうと鳴きほうほうと鳴く山鳩はみづからに命を絶つこと知らず
外塚喬『漏告』2007

ろうすくう、ろうすくうると啼きながら飛び立つ鳩の群れに混じりぬ
中沢直人『極圏の光』2009

山鳩のでいでいぽぽと啼くこゑのあけがたはみえぬ巡礼のゆく
渡辺松男『蝶』 2011

あさけよりも息ぐるしくも山鳩のぶふばふうぼぼぐふばふうぼぼ
渡辺松男『雨(ふ)る』2016

東洋の朝の果たてのひだまりにポオクルックポオ鳩の九重奏
ルビ:九重奏【ノネット】
富田睦子(出典調査中)

雉鳩のほうほうほろと鳴くこゑに冬の曇りは繭ごもりたり
影山一男(出典調査中)




●変わったものを発見!


春風のなかの鳩らが呟けりサリンジャーは死んでしまった
小島なお『サリンジャーは死んでしまった』2011




●オマケ 鳴く声以外の鳩のオノマトペ

良きことのあるとぞ鳩ら向きかふるわつしよわつしよと桃色の足
米川千嘉子 『一葉の井戸』2001

鳩の足赤いまばらな人影のなかをひたひたひたひたあかい
本田瑞穂『すばらしい日々』2004

体温の高き生き物ふくふくと鳩は廃ビルに巣をかけ殖える
齋藤芳生『桃花水を待つ』2010

次々とお墓にふれる子どもらの鳩の部分がふぁーんとひかる
笹井宏之 『ひとさらい』2011

ほろほろと日照雨に濡れて鳩あるく鳩はピカソに愛された鳥
小島なお 『展開図』2020

青虹のうなじ光りつつどの鳩もびくりびくりとすぐに驚く
小島ゆかり (出典調査中)