2020年4月30日木曜日

狂歌では何を洗ってた?

先に「短歌のなかでは何を洗ってる」をアップしましたが、関連して、Robin D Gill さんより狂歌(一部英訳付き)が寄せられました。
(狂歌の掛詞には当時の人々にとって常識だった伝説や知識が盛り込まれており、なかなか読み解ききれません。汗)
以下、グリーンの文字はGill さんのコメント、ピンクの文字は高柳の補足などです。

--水は〝見ず〟にも人のカガミになるか。

顔の垢おとす朝けの手水鉢 水の皮むく薄氷かな
宗古堂河書『狂歌大観』
This morning, in order to wash off the crud on my face
I first had to clear away a thin ice skin on the basin.

Waking, I wash all that crud off my face just to be nice;
but, first, I must strip the basin of its thin skin of ice.
  * * * *

--和泉式部が晩年に隠居した誠心院、俗名「和泉式部寺」にあった「式部の井」を汲んでみて。(鈴木棠三著『狂歌鑑賞辞典』はうんと詳しい)

夜ごとに式部がそゝや洗ふらし結ぶ泉の水の臭さは
雄長老『狂歌大観』

Night after night, Shikibu her soso washes; my, how stinky
The Spring water she cups between her thumb and pinky!

ーー夢に出た熊野権現の歌徳級の答えで一件落着かと思われるが、残念ながら1589年成立の雄長老百の夏の歌中に上記も出た。
※「夢に出た熊野権現の歌徳級の答え」とは
『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』に覚讃という山伏が官職が上がらないのを憂えて、熊野十二所権現のひとつである若王子に歌を奉った話がある。
 山川のあさりにならでよどみなば流れもやらぬものや思はん
(山川が浅瀬にならずに淀んでしまうなら、流れも滞るように、私も阿闍梨になれずくよくよしてしまいます。) あさり=浅瀬のこと×阿闍梨=僧の官位
 すると夢で若王子がこのように返事。
 あさりにはしばしよどむぞ山川のながれもやらぬものな思ひそ
(阿闍梨にはしばらくなれないが、山川の流れがとまるように思い煩うな。 
なお、覚讃は後に出世できた。
  * * * *

寄衣祝
君が代は天の羽衣とき洗い打つとも減らぬ巌ならまし
真顔『江戸狂歌本選集』
--劫の巌に羽根を振れる飛ぶ早乙女でなく、洗濯になるがまさしく狂たる。
  * * * *

寄滝恋
うきことを聞ては耳を洗いけり枕に流すたきつ泪に
未得
Hearing sad things has a way of washing out nosey ears,
for down my pillow flows this gushing cataract of tears!
  * * * *

言う事を聞かぬ耳をも洗えがし泪は滝と落ちるものとて
青柳立門『江戸狂歌本選集』
Even ears that don’t eavesdrop may still need cleaning,
as my teary cataracts fall for not hearing anything.
  * * * *

忘られぬ香のつく袖をきぬ/\の涙に洗い流す苦しさ
紀寛『江戸狂歌本選集』
  * * * *

早茎を漬ける時分か重石を洗いあげ屋も抱へて置(く?)屋も
岸水『近世上方狂歌叢書』

頂を洗い流して振り乱す黒髪山の五月雨の頃
瀬田長橋『江戸狂歌本選集』
  * * * *

寄米神祇
お供えハきよく清めし洗いヨネ万の神たちきこしめせと申す
舎鳫 『近世上方狂歌叢書』
  * * * *


唐人はなにゆえ水で洗いけんさらても耳はつめたきものを
渓雲 『近世上方狂歌叢書』

星合も見えぬ斗の黒雲は天の川にも硯洗ふ歟
一好『狂歌大観』
--狂歌餅月夜 中の大勢の願乞となる短冊の数々を思えば「筆の嵐」英語でいえばwriting up a stormは、確実。
  * * * *

硯石あらう折から雨雲の墨を流すなほし合の空 春窓亭梅風 新鮮百
  * * * *

いにしへを恋て硯も洗ふほど涙かきやるふみ月の空 飯盛 『江戸狂歌本選集』
鐘部
  * * * *

湯ともなる物とてきけばほん脳(まま)の汚れを洗ふ暁の鐘 橘洲『江戸狂歌本選集』
  * * * *

糠星も見えぬ今宵の天の川水で洗ふか光る月影 凹『江戸狂歌本選集』
  * * * *

万劫亀の背中をば 沖の波こそ洗ふらめ いかなる塵の積もりゐて 蓬莱山と高からん
That Kalpa Turtle – is the mire on its back not washed by the ocean?
For it to grow as high as Mount Merhu, now, that’s an odd notion!
  * * * *


末の山波やこし湯をさすならん松のふぐりを洗う気色は
木端『近世上方狂歌叢書』
--泉岳寺 義士四十七人の石塔 28首より
  * * * *

首洗う井戸を覗けば影映る世の武士のかゝみなるらん
呉竜軒愛成『江戸狂歌本選集』
--紅葉の血汐もあると思えば…
  * * * *

何所に泊まりて
洗足の盥にうつる富士の山かきまわしたる田子の浦波
無為楽『近世上方狂歌叢書』
--落ちが解らない。盥の中に洗う足の裏しかない、芦の浦のない所?
  * * * *

滴ほども呑み込まぬのは砕き寄る耳をも滝に洗う心か
本末『近世上方狂歌叢書』
  * * * *

2020年4月26日日曜日

ミニ23 マスクのイメージ(たぶん過去になる)


マスクは新型コロナウイルス(COVID コビット-19)のパンデミックで存在感を高めました。

コロナ以後の歌はこれから詠まれるわけで、将来比較しやすいように、今までに詠まれたマスクのを集めておきます。

東北震災の歌を散見します。
以前なら衝撃的光景だったものが、もはや全国的な日常風景になってしまった、
という変化を感じます。



中にこういう歌があった!予言みたい。

むかしむかし優しいガーゼ くりかへし洗ひしマスク持たされてゐき
目黒哲朗「詩客」2013-06-14


■ピックアップ

・感染防止用のマスクだけでなく、「面」という意味のマスクも混入しています。


あたたかいマスクの中で吸って吐くかぎり誰にも感染しない
木村友 第63回角川短歌賞予選通過作「オフライン」

鳥去にてなにの音なき林道白きマスクの女が来る
ルビ:去(い) 林道(はやしみち) 来(きた)
尾上柴舟

豚舎にむら雲おほふニンゲンはさらに鬼めき白マスクする
こずえユノ「かばん」新人特集号2010年12月

口の中にゴキブリが入ってこないようにマスクをして眠ります
穂村弘『ラインマーカーズ』

ものいへばいのちふるふる国にしてマスクの下にせく言の葉は
佐藤元紀

青春はまこときずつきやすくあれ ガーゼマスクの唇かわけるを
村木道彦

持つものは失はぬこと良しといふ大きなマスクの歯科医壮年
百々登美子『風鐸』

脱ぎました銀行強盗用マスクいくらなんでもペンギンは嫌
しんくわ『しんくわ』

面展百のマスクのならぶときあらはれたりし二百の虚空
米川千嘉子『一葉の井戸』

デンジマスク作り終えたる青年のハンダゴテ永遠に余熱を持てり
ルビ:永遠(とわ)
笹公人『抒情の奇妙な冒険』

おそろいのガーゼマスクでデートする恋人たちの感染列島
柴田瞳

避難民となりてさまよふ仙台駅東口みなマスクしてをり
大口玲子

眉毛だけ描いておほきなマスクかけ余震のつづく街へいでゆく
小林幸子『水上の往還』

白濁のマスクのしたにひりひりと湿る鼻先 急行がくる
堀合昇平『提案前夜』2013

マスクしてみな梟のやうに黙つて 前代未聞もつぎつぎ忘る
米川千嘉子『吹雪の水族館』

マスクして顔半分を覆つてなほ人間として歩まむとせり
目黒哲朗『VSOP』

マスクになぞらえる腹部にたくさん星の刺さった両手
瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end,』2016

笑い声まだ響いてる ミル・マスカラスの覆面が剥された夜
ルビ:覆面【マスク】
穂村弘『ドライ ドライ アイス』1992

青春の太田雄貴だマスクしてスイッチ・オンを待つ扇風機
吉岡生夫 「詩客」2012-08-31

ナウシカのようなマスクね、そうだねとほほえみあって早める歩み
天野慶 「詩客」2012-11-09

紙マスクの紐にゆがめる耳たぶの横顔見えてひとは眠りぬ
大辻隆弘 「詩客」2013-01-04

マスクのうへ眼鏡くもつて見えないがわたしのところお帰りなさい
目黒哲朗「詩客」2013-06-14

一日中口づけていた 使い捨てマスクの裏に薄き口紅
前田康子『窓の匂い』

雪深き夜の電話に郡山過ぎるときマスクして眼を閉じよと言われき
田中濯

ごみ箱のなかでマスクが似たような折れかたをして重なっている
谷川電話『恋人不死身説』

顔面を覆ふマスクにおおはれて朝のホームに竝ぶ無名者
ルビ:竝(なら)
小池光『時のめぐりに』

こぼれゆく 君の非侵襲的陽圧換気のマスクから空気漏れ 時の砂
ルビ:非侵襲的陽圧換気(NPPV)
吉岡太朗『世界樹の素描』2019

みんなまけみんなまけぺらぺらのマスクに顔を包んであゆむ
加藤治郎『しんきろう』2012



ま、こんなところです。

2020年4月23日木曜日

満52 短歌のなかで何を洗ってる?

 

短歌には何かを洗うことを詠む歌がたくさんある。
本日の闇鍋短歌データ
107,992首
うち、何かを洗う歌430首
あった。

ただし、短歌では「光に洗われる」などの表現もある。430首にはそういう歌も含まれている。








現実生活でもっとも頻繁に洗うのは手だろうか。
身体の他の部分も入浴で洗う。
衣類も、食材や食器も日常的に洗う。
そのほか、日用品・道具類(部屋の中では、灰皿、カーテン、マット、外では車や自転車等々)ペットなどの動物も洗う。

■数えてみました

短歌の中では何を洗っているのか調べてグラフにまとめた。
検索文字列は、「洗う」「洗ふ」(活用形、かな表記含む)および「洗濯」。
これらの文字列を使わずに洗うことを詠んだ歌もありえるが、抽出していない。



というわけで、身体を洗う歌がダントツだった。

※「洗濯・衣類」についての線引
 「洗濯機」という語を含む歌については、中の衣類に言及する場合と、「夜中に回す」など人が洗濯する行為を詠む場合は含めた。一方、「音が大きい」「揺れる」など、洗濯機の様子を詠んでいる歌は除外した。
 「洗濯物」という語を含む歌は、「洗濯物をする」という場合はカウントしたが、洗ったあとのものは除外した。

身体部位などの内訳も表にまとめた。


※「頭・髪」は「洗い髪」を含まない。
 「洗う」ことでなく、濡れ髪の抒情的表現が中心だからである。

短歌映え

現実と短歌は同じではないことが多い。
歌に詠もうと思わなければ詠まないわけで、あまり意識していなくても、インスタ映えならぬ「短歌映え」する題材を選んでいるのだろう。

●身体
手指と頭や髪を洗う歌が拮抗しているのはおそらく「短歌映え」が関与しているだろう。
実際には手を洗う機会の方が多いけれども、頭を洗うことのほうが短歌に詠みたくなる要因が強いということだ。

●日用品・道具
日用品というのはやや変だが、「浴槽」「車」が6首、「自転車」3首。その他は硯2首筆2首、あとはバラバラだった。

●動物
ペットの犬猫が多いかと思ったが、ぜんぜん身近にいない「馬」が19首中9首と、約半分を占めている。
ただし、塚本邦雄の歌がそのうち3首を占めるのだが、それを差し引いても「馬を洗う』歌は多い。
塚本の馬を洗う有名な次の歌によって、馬は「短歌映え」する動物という特殊な地位を得たのではないだろうか。
 馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ  塚本邦雄



■歌をピックアップ

といってもすごい数なので、私の本日の好みで、深く考えずに選びます。

身体

あおむけに髪洗われて泡のなか私の頭蓋の形を思う
俵万智『かぜのてのひら』

二百株の牡丹みにゆくはつなつの電車の光に膝洗われて
梅内美華子『若月祭』

みっきみっきみっきみっきみっきまうすさむい介護のひとが頭皮を洗う
加藤治郎『ニュー・エクリプス』

白髪を洗ふしづかな音すなり葭切やみし夜の沼より
ルビ:葭切(よしきり)
寺山修司『田園に死す』

陰茎のあをき色素はなに故ぞ梅雨ふかきころ湯殿に洗ふ
ルビ:梅雨(つゆ) 湯殿(ゆどの)
岡井隆 『人生の視える場所』

海ではなく大都市に流れ着くことのどうしようもなき両手を洗う
齋藤芳生『桃花水を待つ』

野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり
野口あや子

傷付ける音を発した声帯をざぶざぶ洗うファンタオレンジ
木下龍也『つむじ風、ここにあります』

父はむかしたれの少年、浴室に伏して海驢のごと耳洗ふ
ルビ:海驢(あしか)
塚本邦雄

たれかいま眸洗へる 夜の更に をとめごの黒き眸流れたり
葛原妙子『葡萄木立』

告白をするなら顔を洗はずに歯を磨かずにゆふぐれがきた
吉岡生夫

傷口を洗うさびしさ除雪車はハンブルク空港をめぐりぬ
中沢直人『極圏の光』

日用品・道具

水散らし洗うバスタブ深きよりもっと楽しめという声は無し
加藤治郎『昏睡のパラダイス』

浴槽をさかさになつて洗ひゐるこのままかへらうあたたかい海へ
福井和子『花虻』

クリトリスほどのゆめありベランダで麻のバッグをがしがし洗う
雪舟えま『たんぽるぽる』

筆先を水で洗へばおとなしく文字とならざる墨流れたり
大口玲子『トリサンナイタ』

薬壜洗ひ干されてゐたりけりまるでからだのないひとのやう
吉田隼人「率」2号

試験管のアルミの蓋をぶちまけて じゃん・ばるじゃんと洗う週末
永田紅『ぼんやりしているうちに』

夏川にきて洗われる消防車赤くなければならぬごとくに
杉﨑恒夫 「かばん」1991・08
(消防車を日用品というのは変ですが「車」つながりでここに分類してました。)

食器
わが内に越境者一人育てつつ鍋洗いおり冬田に向きて
寺山修司

何もない一日 雲を泡立てて貝殻模様のカップを洗う
中家菜津子『うずく、まる』

散る花の数おびただしこの世にてわたしが洗ふ皿の数ほど
小島ゆかり『憂春』

大好きと中好き小好きなどがある今は小好き食器を洗う
石狩良平 かばん」2018・6

怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい
東直子『青卵』

衣類・洗濯

かへるでの赤芽萌えたつ頃となりわが犢鼻褌をみづから洗ふ
※犢鼻褌(たふさぎ)=ふんどし
斎藤茂吉『小園』

洗いすぎてちぢんだ青いカーディガン着たままつめたい星になるの
北川草子『シチュー鍋の天使』

二回着て二回洗えばぼんやりとわがものになる夏服である
山階基『風にあたる』

洗濯機のなかにはげしく緋の布はめぐりをり深淵のごときまひるま
真鍋美恵子 『真鍋美恵子全歌集』

くつしたの形てぶくろの形みな洗はれてなお人間くさし
永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』

食材・食物

嘘つきて憎みてかつは裏切りて夕べざぶざぶ冬菜を洗ふ
河野裕子『ひるがほ』

レモンからレモンという名剥脱し冷たき水で洗いいるかな
大滝和子『人類のヴァイオリン』

春の雪うすむらさきに日暮れつつくりくりと粒のしじみを洗ふ
小島ゆかり『憂春』

動物

馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ
塚本邦雄『感幻樂』

もらわれてゆく麒麟なり仲間から引き離されて洗われており
中沢直人『極圏の光』

モップもて鰐の背中を洗ふ人ありて音なし記憶の中に
高野公彦

永遠をみた眸の色か洗われて洗濯籠に運ばれる犬
穂村弘『シンジケート』

内面(心など)

けふと明日のあはひの闇はわがいのち洗ふが如く深く閉せり
高野公彦

あわゆき、B級走馬灯が録画されてる脳を洗うあわゆき
笹井宏之『ひとさらい』

無名なる死者らあまねく万巻の紙背にありて洗う血で血を
山田消児『見えぬ声、聞こえぬ言葉』

建物
くじらより大きなビルの眼を洗う文明の飼育係となって
植松大雄『鳥のない鳥籠』

清吉が
校長となりし
学校は
朝の黄雲に洗はれてあり 宮沢賢治

父の墓洗いきよめて秋日や主語述語ある世界をあゆむ
大滝和子『竹とヴィーナス』


ひねもすを雨に洗われ新宿はしばし真珠のやどりとぞなる
佐藤弓生『薄い街』

スコールが路面を洗う裏路地にスベテノ夢ヨハジケテオクレ
天道なお『NR』

その他いろいろ

いたづらにものをおもふにまさらむと思へどもものを洗ふさびしさ
三ケ島葭子 『三ケ島葭子全歌集』

泣きながらあなたを洗うゆめをみた触角のない蝶に追われて
東直子『愛を想う』

月を洗えば月のにおいにさいなまれ夏のすべての雨うつくしい
井上法子『永遠でないほうの火』

刃のごとくつめたくあつくわれらまたひるがへり秋のつばさを洗ふ
山中智恵子 『短歌行』

抱きたいといえば笑うかはつなつの光に洗われるラムネ玉
穂村弘『シンジケート』

大雨が空を洗ひてのちのこと芭蕉がまたしても旅に出る
永井陽子『モーツァルトの電話帳』



2021年5月3日追加


向日葵を描いた絵筆を洗うとき雲がひろがるようににごる
加藤治郎『ハレアカラ』

手洗いを丁寧にする歌多し泡いっぱいの新聞歌壇
俵万智『未来のサイズ』

腕時計の機械のなかの螺子洗う仕事思えり落ち葉降る道
小島なお『展開図』

あけがたの空気を洗ふ折ふしの遠音近音のやまばとのこゑ
高野公彦『水苑』2000

子どもらの耳くりくりと洗ひしを手は覚えをりあさりを洗ふ
小島ゆかり『純白光』

夕べにはあなたも寂しくなるだらう 匙とふやさしきかたちを洗ふ
木下こう『体温と雨』

バケツの中に水着洗えば匂いたつ塩素 もっと苦しめという
梅内美華子『横断歩道(ゼブラ・ゾーン)』

網戸には小人が千人住んでゐて晴れた日に洗ふ千人の家
佐藤モニカ『夏の領域』

消防車を横から洗う消防士 春の夕べのやさしい水で
工藤吉生 作者ブログより

細胞よ全部忘れろ入れ替われ短い爪で頭を洗う
山川藍『いらっしゃい』











2020年4月22日水曜日

50 短歌俳句川柳に出てくる爺ちゃん婆ちゃん





■お爺さんお婆さんを詠み込んだ短歌・俳句・川柳を抽出し、〝含有率〟を比較しました。

※含有率=各ジャンル全作品のなかの該当歌句の%のこと。
(2020年4月22日現在)





■爺婆は、別称(祖父・祖母・おじいさん・おばあさん・じーさん、ばーさん・じいちゃん・ばあちゃん・じいじ・ばあば等々思いつく限り)を含めて検索。

■短歌俳句川柳共通で、お婆さんのほうが多く詠まれている。

■川柳は爺婆含有率が高く、爺婆の差が小さい。

■俳句は爺婆率が極端に低く、特に爺が少ない。

 しかもよく見たら、「婆」も、「卒塔婆」「湯婆」(とうば:湯たんぽのこと)「娑婆」「婆娑」(ばさ:舞人の衣の袖の翻るさま)など、ちっともおばあさんではないものが多く混じっていた。

なお、個人的な感覚だが、俳句に出てくる爺婆(祖父祖母は別)のイメージの詩的地位が、ゴキブリなみに低い気がする。扱いもステレオタイプだし、不愉快だな、なんだか。)


本日の気分で少しずつピックアップ
※数が多くて読みきれないため、ピックアップ時は「祖父」「祖母」を除外しました。
 さらに、「お爺ちゃん、お婆ちゃん」「祖父祖母」と聞いて順当に思い浮かぶまっとうな歌をすべて退け、本日のなんとなくの好みで選びました。

■爺 短歌

孫は孫を自分で孫と呼ばないが〈爺〉は自分を呼ぶしかないか
奥村晃作

忍術をみせよと爺にせがみたり外面はしきり吹雪するなり
ルビ:外面(とのも)
小熊秀雄

じいさん動いてる歩道あるいてる子犬のような酸素をつれて
斉藤斎藤 『人の道 死ぬと町』2016

好々爺たれ灰色の帽子さえぼくはつばめになって見てぃる
土井礼一郎 「かばん」201812

だんごむしをバケツいっぱい集めたら誰にあげよう爺もおらんし
東直子 『青卵』

■爺 俳句

裂き燃やす絵本花咲爺冬 三橋敏雄 『まぼろしの鱶』

蝙蝠を吹き出す爺ののど佛 平畑静塔


■爺 川柳

タヌキの筋力お爺ちゃんの筋力 石田柊馬 「鹿首」14号

意地悪な爺いは辞書の上で死ね 中村冨二 『千句集』

おじいさんが触れると煙そっと立つ 平賀胤壽 「水摩」08年12月


■婆 短歌

早起きのぼくの彼女は寝る前に優しいばばあになる薬飲む
藤島優美 「かばん」2017・7

武蔵野の冬枯薄婆々に化けず梟に化けて人に売られたり
ルビ:冬枯薄(ふゆがれすすき)、婆々(ばば)
正岡子規

おばあちゃんほらねひばりがばらばらになってひかりにまじっていった
加藤治郎 『噴水塔』

引き出しを開けるとばあばが一生をかけて集めたこの世の袋
九螺ささら 『ゆめのほとり鳥』

わがゆめの髪むすぼほれほうほうといくさのはてに風売る老婆
山中智恵子 『みずかありなむ』 

寝台の下から青白い紐が這出していつたといふのだ、此老婆は
前田夕暮 『水源地帯』1932

桃色の時のしずくを摘むように貝を拾ってゆく老婆あり
俵万智 『かぜのてのひら』

おばあちゃんのバイバイは変よ、可愛いの、「おいでおいで」のようなバイバイ
穂村弘 『手紙魔まみ』

ばあちゃんを探してオランウータンの棲む森深くゆく夢をみた
伊波虎英


■婆 俳句

月寒く風呂のなかから老婆の手 飯田龍太

 婆は気味悪いもの、汚いもの、哀れなものと決めてかかっていて、
 そのように描いて気が済んでいる、みたいな句が多くない?
 それってなんだかなあ……。


■婆 川柳

思ったより大きいおばあさんの舌 山本忠次郎

霧がこわいのか強欲婆さんよ 石田柊馬
童話の川に老婆が流れ着く時代 瀧正治

反重力で階段あがるおばあさん 湊圭史

蛸焼きと署名して去る 月の老婆 中村冨二 『千句集』
霧の底は どんどんお婆ぁさんになる 中村冨二『千句集』

今日はこんなところで。


2021年5月3日追加


その後データベースに収録したデータから、少し追加します。


ばあちゃんの知恵袋の中じいちゃんの袋みたいなのずたずたにあり
相原かろ『浜竹』2019

てのひらに餌をのせつつ鳥を寄する老婆よ寺院のごとくに昏れぬ
葛原妙子『薔薇窓』

平泳ぎで七夕飾り掻き分けて老婆になってもわたしだろうな
工藤玲音『水中で口笛』










2020年4月10日金曜日

桜が咲くまで 写真集

家から自転車で15分ほどのところに、きれいな桜並木があります。
新年早々に骨折してようやく回復。
リハビリの仕上げに、一日置きに撮影に行くことにしました。

2020・3・13

目の高さより少し上にあるかわいい蕾。
これからこの子を応援しよう。

2020・3・15

昨日すごく気温が低かった。
そのせいだろう。あまり変化がない。

2020・3・17

蕾ちゃんが無くなっている!
誰かが折って持って行っちゃった。
違う蕾ちゃんに変更します。

2020・3・19

ピンク色がところどころに見える。
「うん!」と力を入れて紅潮したこぶしみたい。

2020・3・21

ところどころ白く開いた。
あら、鼻ちょうちんみたいなあれは、レジ袋ですね。
昨日のものすごい強風で吹き上げられたのか。

2020・3・23

まだつぼみが残っています。
もう一段階ありそう。

残念ながらこのあと忙しくなって、見に行けなくなってしまいました。
そのうえ3月29日は雪まで降った。
家の近所の桜で代用します。


4月10日 葉の緑が混じってきましたが、これもきれい。