2020年4月23日木曜日

満52 短歌のなかで何を洗ってる?

 

短歌には何かを洗うことを詠む歌がたくさんある。
本日の闇鍋短歌データ
107,992首
うち、何かを洗う歌430首
あった。

ただし、短歌では「光に洗われる」などの表現もある。430首にはそういう歌も含まれている。








現実生活でもっとも頻繁に洗うのは手だろうか。
身体の他の部分も入浴で洗う。
衣類も、食材や食器も日常的に洗う。
そのほか、日用品・道具類(部屋の中では、灰皿、カーテン、マット、外では車や自転車等々)ペットなどの動物も洗う。

■数えてみました

短歌の中では何を洗っているのか調べてグラフにまとめた。
検索文字列は、「洗う」「洗ふ」(活用形、かな表記含む)および「洗濯」。
これらの文字列を使わずに洗うことを詠んだ歌もありえるが、抽出していない。



というわけで、身体を洗う歌がダントツだった。

※「洗濯・衣類」についての線引
 「洗濯機」という語を含む歌については、中の衣類に言及する場合と、「夜中に回す」など人が洗濯する行為を詠む場合は含めた。一方、「音が大きい」「揺れる」など、洗濯機の様子を詠んでいる歌は除外した。
 「洗濯物」という語を含む歌は、「洗濯物をする」という場合はカウントしたが、洗ったあとのものは除外した。

身体部位などの内訳も表にまとめた。


※「頭・髪」は「洗い髪」を含まない。
 「洗う」ことでなく、濡れ髪の抒情的表現が中心だからである。

短歌映え

現実と短歌は同じではないことが多い。
歌に詠もうと思わなければ詠まないわけで、あまり意識していなくても、インスタ映えならぬ「短歌映え」する題材を選んでいるのだろう。

●身体
手指と頭や髪を洗う歌が拮抗しているのはおそらく「短歌映え」が関与しているだろう。
実際には手を洗う機会の方が多いけれども、頭を洗うことのほうが短歌に詠みたくなる要因が強いということだ。

●日用品・道具
日用品というのはやや変だが、「浴槽」「車」が6首、「自転車」3首。その他は硯2首筆2首、あとはバラバラだった。

●動物
ペットの犬猫が多いかと思ったが、ぜんぜん身近にいない「馬」が19首中9首と、約半分を占めている。
ただし、塚本邦雄の歌がそのうち3首を占めるのだが、それを差し引いても「馬を洗う』歌は多い。
塚本の馬を洗う有名な次の歌によって、馬は「短歌映え」する動物という特殊な地位を得たのではないだろうか。
 馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ  塚本邦雄



■歌をピックアップ

といってもすごい数なので、私の本日の好みで、深く考えずに選びます。

身体

あおむけに髪洗われて泡のなか私の頭蓋の形を思う
俵万智『かぜのてのひら』

二百株の牡丹みにゆくはつなつの電車の光に膝洗われて
梅内美華子『若月祭』

みっきみっきみっきみっきみっきまうすさむい介護のひとが頭皮を洗う
加藤治郎『ニュー・エクリプス』

白髪を洗ふしづかな音すなり葭切やみし夜の沼より
ルビ:葭切(よしきり)
寺山修司『田園に死す』

陰茎のあをき色素はなに故ぞ梅雨ふかきころ湯殿に洗ふ
ルビ:梅雨(つゆ) 湯殿(ゆどの)
岡井隆 『人生の視える場所』

海ではなく大都市に流れ着くことのどうしようもなき両手を洗う
齋藤芳生『桃花水を待つ』

野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり
野口あや子

傷付ける音を発した声帯をざぶざぶ洗うファンタオレンジ
木下龍也『つむじ風、ここにあります』

父はむかしたれの少年、浴室に伏して海驢のごと耳洗ふ
ルビ:海驢(あしか)
塚本邦雄

たれかいま眸洗へる 夜の更に をとめごの黒き眸流れたり
葛原妙子『葡萄木立』

告白をするなら顔を洗はずに歯を磨かずにゆふぐれがきた
吉岡生夫

傷口を洗うさびしさ除雪車はハンブルク空港をめぐりぬ
中沢直人『極圏の光』

日用品・道具

水散らし洗うバスタブ深きよりもっと楽しめという声は無し
加藤治郎『昏睡のパラダイス』

浴槽をさかさになつて洗ひゐるこのままかへらうあたたかい海へ
福井和子『花虻』

クリトリスほどのゆめありベランダで麻のバッグをがしがし洗う
雪舟えま『たんぽるぽる』

筆先を水で洗へばおとなしく文字とならざる墨流れたり
大口玲子『トリサンナイタ』

薬壜洗ひ干されてゐたりけりまるでからだのないひとのやう
吉田隼人「率」2号

試験管のアルミの蓋をぶちまけて じゃん・ばるじゃんと洗う週末
永田紅『ぼんやりしているうちに』

夏川にきて洗われる消防車赤くなければならぬごとくに
杉﨑恒夫 「かばん」1991・08
(消防車を日用品というのは変ですが「車」つながりでここに分類してました。)

食器
わが内に越境者一人育てつつ鍋洗いおり冬田に向きて
寺山修司

何もない一日 雲を泡立てて貝殻模様のカップを洗う
中家菜津子『うずく、まる』

散る花の数おびただしこの世にてわたしが洗ふ皿の数ほど
小島ゆかり『憂春』

大好きと中好き小好きなどがある今は小好き食器を洗う
石狩良平 かばん」2018・6

怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい
東直子『青卵』

衣類・洗濯

かへるでの赤芽萌えたつ頃となりわが犢鼻褌をみづから洗ふ
※犢鼻褌(たふさぎ)=ふんどし
斎藤茂吉『小園』

洗いすぎてちぢんだ青いカーディガン着たままつめたい星になるの
北川草子『シチュー鍋の天使』

二回着て二回洗えばぼんやりとわがものになる夏服である
山階基『風にあたる』

洗濯機のなかにはげしく緋の布はめぐりをり深淵のごときまひるま
真鍋美恵子 『真鍋美恵子全歌集』

くつしたの形てぶくろの形みな洗はれてなお人間くさし
永井陽子『小さなヴァイオリンが欲しくて』

食材・食物

嘘つきて憎みてかつは裏切りて夕べざぶざぶ冬菜を洗ふ
河野裕子『ひるがほ』

レモンからレモンという名剥脱し冷たき水で洗いいるかな
大滝和子『人類のヴァイオリン』

春の雪うすむらさきに日暮れつつくりくりと粒のしじみを洗ふ
小島ゆかり『憂春』

動物

馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ
塚本邦雄『感幻樂』

もらわれてゆく麒麟なり仲間から引き離されて洗われており
中沢直人『極圏の光』

モップもて鰐の背中を洗ふ人ありて音なし記憶の中に
高野公彦

永遠をみた眸の色か洗われて洗濯籠に運ばれる犬
穂村弘『シンジケート』

内面(心など)

けふと明日のあはひの闇はわがいのち洗ふが如く深く閉せり
高野公彦

あわゆき、B級走馬灯が録画されてる脳を洗うあわゆき
笹井宏之『ひとさらい』

無名なる死者らあまねく万巻の紙背にありて洗う血で血を
山田消児『見えぬ声、聞こえぬ言葉』

建物
くじらより大きなビルの眼を洗う文明の飼育係となって
植松大雄『鳥のない鳥籠』

清吉が
校長となりし
学校は
朝の黄雲に洗はれてあり 宮沢賢治

父の墓洗いきよめて秋日や主語述語ある世界をあゆむ
大滝和子『竹とヴィーナス』


ひねもすを雨に洗われ新宿はしばし真珠のやどりとぞなる
佐藤弓生『薄い街』

スコールが路面を洗う裏路地にスベテノ夢ヨハジケテオクレ
天道なお『NR』

その他いろいろ

いたづらにものをおもふにまさらむと思へどもものを洗ふさびしさ
三ケ島葭子 『三ケ島葭子全歌集』

泣きながらあなたを洗うゆめをみた触角のない蝶に追われて
東直子『愛を想う』

月を洗えば月のにおいにさいなまれ夏のすべての雨うつくしい
井上法子『永遠でないほうの火』

刃のごとくつめたくあつくわれらまたひるがへり秋のつばさを洗ふ
山中智恵子 『短歌行』

抱きたいといえば笑うかはつなつの光に洗われるラムネ玉
穂村弘『シンジケート』

大雨が空を洗ひてのちのこと芭蕉がまたしても旅に出る
永井陽子『モーツァルトの電話帳』



2021年5月3日追加


向日葵を描いた絵筆を洗うとき雲がひろがるようににごる
加藤治郎『ハレアカラ』

手洗いを丁寧にする歌多し泡いっぱいの新聞歌壇
俵万智『未来のサイズ』

腕時計の機械のなかの螺子洗う仕事思えり落ち葉降る道
小島なお『展開図』

あけがたの空気を洗ふ折ふしの遠音近音のやまばとのこゑ
高野公彦『水苑』2000

子どもらの耳くりくりと洗ひしを手は覚えをりあさりを洗ふ
小島ゆかり『純白光』

夕べにはあなたも寂しくなるだらう 匙とふやさしきかたちを洗ふ
木下こう『体温と雨』

バケツの中に水着洗えば匂いたつ塩素 もっと苦しめという
梅内美華子『横断歩道(ゼブラ・ゾーン)』

網戸には小人が千人住んでゐて晴れた日に洗ふ千人の家
佐藤モニカ『夏の領域』

消防車を横から洗う消防士 春の夕べのやさしい水で
工藤吉生 作者ブログより

細胞よ全部忘れろ入れ替われ短い爪で頭を洗う
山川藍『いらっしゃい』











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