■お爺さんお婆さんを詠み込んだ短歌・俳句・川柳を抽出し、〝含有率〟を比較しました。
※含有率=各ジャンル全作品のなかの該当歌句の%のこと。
(2020年4月22日現在)
■爺婆は、別称(祖父・祖母・おじいさん・おばあさん・じーさん、ばーさん・じいちゃん・ばあちゃん・じいじ・ばあば等々思いつく限り)を含めて検索。
■短歌俳句川柳共通で、お婆さんのほうが多く詠まれている。
■川柳は爺婆含有率が高く、爺婆の差が小さい。
■俳句は爺婆率が極端に低く、特に爺が少ない。
しかもよく見たら、「婆」も、「卒塔婆」「湯婆」(とうば:湯たんぽのこと)「娑婆」「婆娑」(ばさ:舞人の衣の袖の翻るさま)など、ちっともおばあさんではないものが多く混じっていた。
なお、個人的な感覚だが、俳句に出てくる爺婆(祖父祖母は別)のイメージの詩的地位が、ゴキブリなみに低い気がする。扱いもステレオタイプだし、不愉快だな、なんだか。)
本日の気分で少しずつピックアップ
※数が多くて読みきれないため、ピックアップ時は「祖父」「祖母」を除外しました。
さらに、「お爺ちゃん、お婆ちゃん」「祖父祖母」と聞いて順当に思い浮かぶまっとうな歌をすべて退け、本日のなんとなくの好みで選びました。
■爺 短歌
孫は孫を自分で孫と呼ばないが〈爺〉は自分を呼ぶしかないか
奥村晃作
忍術をみせよと爺にせがみたり外面はしきり吹雪するなり
ルビ:外面(とのも)
小熊秀雄
じいさん動いてる歩道あるいてる子犬のような酸素をつれて
斉藤斎藤 『人の道 死ぬと町』2016
好々爺たれ灰色の帽子さえぼくはつばめになって見てぃる
土井礼一郎 「かばん」201812
だんごむしをバケツいっぱい集めたら誰にあげよう爺もおらんし
東直子 『青卵』
■爺 俳句
裂き燃やす絵本花咲爺冬 三橋敏雄 『まぼろしの鱶』
蝙蝠を吹き出す爺ののど佛 平畑静塔
■爺 川柳
タヌキの筋力お爺ちゃんの筋力 石田柊馬 「鹿首」14号
意地悪な爺いは辞書の上で死ね 中村冨二 『千句集』
おじいさんが触れると煙そっと立つ 平賀胤壽 「水摩」08年12月
■婆 短歌
早起きのぼくの彼女は寝る前に優しいばばあになる薬飲む
藤島優美 「かばん」2017・7
武蔵野の冬枯薄婆々に化けず梟に化けて人に売られたり
ルビ:冬枯薄(ふゆがれすすき)、婆々(ばば)
正岡子規
おばあちゃんほらねひばりがばらばらになってひかりにまじっていった
加藤治郎 『噴水塔』
引き出しを開けるとばあばが一生をかけて集めたこの世の袋
九螺ささら 『ゆめのほとり鳥』
わがゆめの髪むすぼほれほうほうといくさのはてに風売る老婆
山中智恵子 『みずかありなむ』
寝台の下から青白い紐が這出していつたといふのだ、此老婆は
前田夕暮 『水源地帯』1932
桃色の時のしずくを摘むように貝を拾ってゆく老婆あり
俵万智 『かぜのてのひら』
おばあちゃんのバイバイは変よ、可愛いの、「おいでおいで」のようなバイバイ
穂村弘 『手紙魔まみ』
ばあちゃんを探してオランウータンの棲む森深くゆく夢をみた
伊波虎英
■婆 俳句
月寒く風呂のなかから老婆の手 飯田龍太
婆は気味悪いもの、汚いもの、哀れなものと決めてかかっていて、
そのように描いて気が済んでいる、みたいな句が多くない?
それってなんだかなあ……。
■婆 川柳
思ったより大きいおばあさんの舌 山本忠次郎
霧がこわいのか強欲婆さんよ 石田柊馬
童話の川に老婆が流れ着く時代 瀧正治
反重力で階段あがるおばあさん 湊圭史
蛸焼きと署名して去る 月の老婆 中村冨二 『千句集』
霧の底は どんどんお婆ぁさんになる 中村冨二『千句集』
今日はこんなところで。
2021年5月3日追加
ばあちゃんの知恵袋の中じいちゃんの袋みたいなのずたずたにあり
相原かろ『浜竹』2019
てのひらに餌をのせつつ鳥を寄する老婆よ寺院のごとくに昏れぬ
葛原妙子『薔薇窓』
平泳ぎで七夕飾り掻き分けて老婆になってもわたしだろうな
工藤玲音『水中で口笛』
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