ミニアンソロジーにしたいけれど、そこまでの歌数がない。でも、レア鍋賞ほど少ないわけでもない……。
そんな感じのときここに書いておきます。
■2022・5・17 ○○までが△△だろう
「○○までが△△だろう」「までが なのか」という構文、おもしろそう。
題詠に良さそうじゃないですか?
いつまでが新婚だろう雪靴のように重たい一日の過ぐ
吉川宏志『夜光』2000
どこまでがぼくなのだろう燻されたスーツのままでバスに揺られて
堀合昇平『提案前夜』2013
いつまでが湯上がりだろう室温の野菜ジュースに濡れるストロー
山階基『風にあたる』2019
どこまでがここなのだろううゑのころが笑つてゐて話はそこまで
平井弘『遣らず』2021
こんど時間があるときじっくり探してみよう。
■2022・5・19 かくれんぼ
短歌データ122,606首中に「かくれんぼ」を詠み込んだ歌は18首。
「かくれんぼ」といえば寺山修司の有名な歌がある。
かくれんぼの鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭
寺山修司『田園に死す』1965
他の用例もあわせて、「かくれんぼ」という詩的アイテムは〝光と影のちょうつがい〟になる。明るい日常世界とそうでない世界、生と死。たとえば戦争から帰ってこない人、幼い死者などの疎外感や寂しさをあらわす傾向があると思う。
かくれんぼ鬼の仲間のいくたりはいくさに出でてそれきりである
山崎方代(1014ー1985)『こんなもんじゃ』2003
血まみれに蜻蛉の群れる高みより子はもどされてくる かくれんぼ
平井弘『前線』1976
有名な歌があるとそこに使われた単語の使用率が高まる傾向があるので、追随して詠まれていそうだと思ったが、その割には少なかった。
寺山の『田園に死す』は1965年の刊行だし、その後、「かくれんぼ」という言葉に、異なる詩情は開拓されていないか、という目で探してみた。
一九八〇年から今までが範囲の時間かくれんぼです
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越しウサギ連れ』2001
見つからぬためではなく見つかるという喜びのためのかくれんぼ
俵万智『未来のサイズ』2020
山々で指をかついでかくれんぼ
阿部完市『絵本の空』
■2022・5・17 のんのん
「のんのん」というオノマトペ、どうも意味が曖昧だ。
お祈りの対象を「のんのんさま」という場合があり、仏壇に手を合わせるときなどに、子どもに「のんのん」と教える。
この「のんのん」は、お祈りの動作と祈る心のさまを表しているだろう。
よもぎは白い葉裏をみせて水に浮く のんのんさまのにおいのお部屋
東直子『青卵』
ネット辞書を調べてびっくり。
以下のように、いっぱしの意味があったのに、私がちっとも知らなかったということに。
むちむちの無知。
●精選版 日本国語大辞典「のんのん」の解説
のんのん〘副〙 (「と」を伴って用いることもある)
① 深い川や大量の水がながれるさまを表わす語。
※玉塵抄(1563)四「ふかい水は声ものんのんと流れておともせぬぞ」
② 勢いのよいさまを表わす語。
※思ひ出(1933)〈太宰治〉一「裏の空屋敷には色んな雑草がのんのんと繁ってゐたが」
※大菩薩峠(1913‐41)〈中里介山〉東海道の巻「あとはひっそりとして百匁蝋燭の炎がのんのんと立ちのぼる」
のんのん〘名〙
① =のの
② ともしび、あかり、灯明、また、それらが明るく燃えることをいう、幼児語。
短歌の用例をさがしてみた。
のんのんとわたしのなかに蠢いている大阪よ木津川安治川
江戸雪『昼の夢の終わり』
おお確かに! これは水流の勢いのオノマトペだ。
来世など知らず解せず土は土春のんのんと迫り来るなり
松木秀『RERA』
花冷えの夜にのんのんずいずいと飲みてあやしき混沌に入る
傍点:のんのんずいずい
高野公彦『水苑』2000
この2首の「のんのん」も、勢いを表していると思う。
じゃあこれは?
でこぼこの花梨頭といふ言葉 のんのんとしてくわりんは実る
ルビ:花梨頭【くわりんあたま】
小島ゆかり『憂春』
これは花梨が実る生命力の勢いのよさだけでなく、「灯る」感じも混ざった表現だと思う。
祈りの意味も混じっているかな。
ところで、ドリフターズの「いい湯だな」の囃子言葉に「ビバノンノン」というのがある。
「ビバ」はおそらくイタリア語やスペイン語の「VIVA」(万歳)みたいな感じだが、「ノンノン」は何だろう。
否定の「ノン 」ではなんだか意味が通らない。
たぶん「のんびり」の「のん」だ。
たぶん「のんびり」の「のん」だ。
それなら「のんびり万歳」になる。
■2022・5・10 おーい
「おーい」という呼びかけを詠み込んだ短歌を検索したら、11首とけっこうあった。透明な肉片、おおーいでてこいよ君と余白を嗅ぎたい
江田浩司(出典調査中)
犬の名を呼べども虚空8月の「さくらさくらさくらおーい!」
杉山モナミ ブログ「b軟骨」2010/11
オンライン舞台のラストに「おーい!」×「おーい!」 オハナシのせいにして手を振る
杉山モナミ 「かばん」2021・11
何年ぶりだろう活惚 おーいおーい記憶の井戸ゆ顕つ太鼓持ち
ルビ:活惚(かっぽれ) 顕(た)
佐佐木幸綱 『はじめての雪』
パソコンの前でときをり揺れながらおーいおーいとお茶に呼ばるる
田村元『北二十二条西七丁目』2012
あたしまだ青春するよ おーいおーい、そちらはいかが 返答はない
柴田瞳(出典調査中)
どの部屋を歩いてみてもどこにもいないおーいと呼んでも答えてくれない
加藤克己『游魂』
おーいと呼んでこたえなくふりかえり顔みせくるることさえあらぬまひるわが庭
加藤克巳『游魂』
どのように呼んでも返事のない雲は朝の息子のようなり おーい
田中教子『中つ國より』2013
おーいそこの後頭部たちが青空を見上げるような一語放てり
棉くみこ「かばん」時期不明
スカイプに現れるとき青リンゴみたいな顔でおーいと言う人
中山かれん「外大短歌」7号
俳句
おーいおーい命惜しめといふ山彦
山川蝉夫(高柳重信)(山川蝉夫句集補遺句集以後)
川柳
オーイオーイと叫びつづけている今も 松永千秋
■2022・5・6 男らしさ
本来良い意味であるはずなのに、短歌の中ではなんとなく悪いイメージで詠まれる概念、というものがある。
たとえば「正義」。本来良いものであるはずなのに、悪用して振りかざすなどする輩が多いのか、もはや懐疑的文脈でしか詠まれない。
「男らしさ」も同様だ。この概念に不快感があったり苦しめられたりするケースが多いのだろう。
ただ、ジェンダー的言辞には比較的敏感である私でも、現実の中でたまに、「男らしい人だな」と好印象を持つ場合がある。プレッシャーでも差別でもなく純粋な「男らしさ」という良さはきっとあるだろう。
ともあれ、「男らし」という文字列で検索してみたら、
本日の「闇鍋」短歌データ122,606首のなかに7首あった。
その中から好みの歌をピックアップ。
本当の男らしさを思うとき階段が逆流をして来る
吉野裕之『空間和音』
唯一の男らしさが浴室の排水口を詰まらせている
虫武一俊『羽虫群』
この2首は、純粋な良い意味での「男らしさ」ではないけれど、「男らしさ」というものに対する気持を、自分の言葉で表現している。
魚群がぎょっぐーん!って迫る水槽のふたりってばかみたいゆめみたい
石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』2017
ばかみたいに鮮やかだった。君のいない世界へ金属探知機ぬければ
ルビ:金属探知機【セキュリティーゲート】
千種創一『砂丘律』2015
ばかみたいに癒着している卵巣のモノクロームがきらきら痛い
田丸まひる 『ピース降る』2017
ティッシュ配る姿ばかみたいに見ていたわフードに猫が重たかったわ
飯田有子『林檎貫通式』2001
柚子の皮刻む大きな俎板でほんとうにばかみたい自由で
兵庫ユカ(「七月の心臓の栞」歌集以降作品抄三十首)2006
お茶漬けのあられ浮いててばかみたい会いたさはひどく眩しい梯子
北山あさひ 『崖にて』2020
ばかみたいってことの奇跡になんとなく気づいて水風船が割れない
櫻井朋子 『ねむりたりない』2021
ついでに「女らし」も探してみたら2首しかなく、それは私の好みといえる歌ではなかった。
■2022・5・4 ばかみたい
「ばかみたい」というフレーズを詠み込んだ歌は、本日の「闇鍋」短歌データ122,363首のなかに15首と、意外にあった。
「ばか」には「ばかでかい」などの強調の用法があり、「すごく」という意味で使う「ばかみたい」が少なくないようだ。
自分に対して自嘲としてつぶやくシチュエーションも散見したが、ただそう書いただけでは歌として物足りない。プラスアルファで読ませるネタだ。
もう悲しむのもばかみたい焼きそばは大失敗がないから好きだ
山階基『風にあたる』2019
魚群がぎょっぐーん!って迫る水槽のふたりってばかみたいゆめみたい
石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』2017
ばかみたいに鮮やかだった。君のいない世界へ金属探知機ぬければ
ルビ:金属探知機【セキュリティーゲート】
千種創一『砂丘律』2015
ばかみたいに癒着している卵巣のモノクロームがきらきら痛い
田丸まひる 『ピース降る』2017
ティッシュ配る姿ばかみたいに見ていたわフードに猫が重たかったわ
飯田有子『林檎貫通式』2001
柚子の皮刻む大きな俎板でほんとうにばかみたい自由で
兵庫ユカ(「七月の心臓の栞」歌集以降作品抄三十首)2006
お茶漬けのあられ浮いててばかみたい会いたさはひどく眩しい梯子
北山あさひ 『崖にて』2020
ばかみたいってことの奇跡になんとなく気づいて水風船が割れない
櫻井朋子 『ねむりたりない』2021
余計なことだが、現実生活ではどういうとき「ばかみたい」と言うのだろう。
私の生活実感としては、自分のポカミスや場の空気の読み違えての失敗などで、自分に対して使うだけでなく、ニュースでくだらない犯罪を見聞きしたなど、他人の愚かさに対しても「ばかみたい」とつぶやく。つまり自他半々だと思う。
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