鳩の声を詠む歌
こちらにはオノマトペを使わずに鳩の声を詠む歌を集めてみた。
鳩の声そのもの、そして鳩の声に関するさまざまな既存の表現も、追随したくなるような魅力を備えているようだ。
あまり意識されていないようだが、とにかく結果として「鳩の声」は歌の題材としてすごく好まれている。
だからすごくいっぱいあるので、以下、分類しながら、本日の気分でピックアップ。
鳩の声そのもの、そして鳩の声に関するさまざまな既存の表現も、追随したくなるような魅力を備えているようだ。
あまり意識されていないようだが、とにかく結果として「鳩の声」は歌の題材としてすごく好まれている。
だからすごくいっぱいあるので、以下、分類しながら、本日の気分でピックアップ。
●ポンプ感に注目して
分類とは別にぜひ注目して欲しいのが〝ポンプ感〟。
鳩があのくぐもった声を反復的に出す様子はさまざまに詠まれているが、〝ポンプで汲み上げるような感じ〟で詠む歌が複数あったことが興味深い。
分類に関係なく散らばっているので、ぜひ注目して欲しい。
●くぐもった声の印象
ルビ:秀【ほ】
恩田英明「e-文藝館=湖(umi)」(自薦)
●声をだす呼吸の印象
泥の玉産むやうなるこゑ 山鳩の息を大きく吸ひて吐きゐる
森岡貞香『黛樹』(短歌新聞社〈現代短歌全集〉 1987)
梨の木はみな背ひくし曇り日を玉嚥むごとく山鳩鳴けり
ルビ:背【せい】 嚥【の】
小島ゆかり『憂春』2005
泥の玉産むやうなるこゑ 山鳩の息を大きく吸ひて吐きゐる
森岡貞香『黛樹』(短歌新聞社〈現代短歌全集〉 1987)
梨の木はみな背ひくし曇り日を玉嚥むごとく山鳩鳴けり
ルビ:背【せい】 嚥【の】
小島ゆかり『憂春』2005
鳩の喉くるりと見えし一瞬にかなたかなたのよき日日の声
依田仁美『異端陣』2005地下深く汲みあげて来し水のごと雉鳩は啼く啼きてやまずも
三井ゆき『雉鳩』2003
これってポンプみたい。
●抑圧的・表面化しない何か
あね姦す鳩のくくもる声きこえ朝からのおとなたちの汗かき
平井弘『前線』1976
鳩の声のどこかなにかが狂ってて 真昼、君を押し倒すんだ
千種創一『砂丘律』2015
●眠い
野球場外野で草をむしろうよ土鳩が鳴けばわれらも眠し
永田紅『ぼんやりしているうちに』
●死への連想・死者との交信
郭公が鳴き山鳩が鳴くけさはことにも深く亡き母に詫ぶ
三井ゆき『雉鳩』2003
山鳩はこゑひくく啼く三年をまだ見つからぬ死者を呼ぶこゑ
本田一弘『磐梯』2014
まつしろなシーツちひさく畳まれて土鳩がひくく啼きはじめたり
前川佐重郎『孟宗庵の記』2013
生きかはり生きかはりても科ありや永遠に雉鳩の声にて鳴けり
生きかはり生きかはりても科ありや永遠に雉鳩の声にて鳴けり
ルビ:永遠【とは】
稲葉京子『槐の傘』1981
わが父よ汝が子はかくも疲れたり雪降るむこう山鳩の鳴く
岡部桂一郎『一点鐘』2002
●近くで鳴く・距離感
佐伯裕子『寂しい門』1999
鳩の声を「寂しい」と感じる人は少なくないだろうから、とくに分類項目とはしなくていいと思う。
それより、この歌で注目したのは鳩との距離だ。
近くにいる、ということに何か特別さを感じながら、あまり説明しないで提示する歌がときどきあるのだ。
近くにいる、ということに何か特別さを感じながら、あまり説明しないで提示する歌がときどきあるのだ。
作者は意識していないだろうが、「鳩」という題材にとって、距離は重要モチーフのひとつではなかろうか。
山鳩がわがまぢかくに啼くときに昼餉を食はむ湯を乞ひにけり
斎藤茂吉『白き山』
とおくの森から鳴くように山鳩の胸深いふくらみ
高橋みずほ『しろうるり』2008
山鳩がわがまぢかくに啼くときに昼餉を食はむ湯を乞ひにけり
斎藤茂吉『白き山』
とおくの森から鳴くように山鳩の胸深いふくらみ
高橋みずほ『しろうるり』2008
叙述以上に距離という要素が重要な歌で、この字足らずも、〝うまらない空間〟を感じさせる一定の効果がある。
この歌は、鳩が近くにいるとは言っていないが、「胸のふくらみ」という文言は、現実に見ているかもしれない近い視点を思わせる要素である。
しかし、どこにいても遠い感じがする鳩の声の趣を詠んでいるわけで、その声から発想した歌であれば、声を体から押し出すピストンみたいな胸の様子を幻視した歌とも思える。
作者が歌が詠んだ経過がどうであれ、歌が成立する過程でそれらは混じり合ったはず。
歌としての成立は、この実景と幻視とが双方から補い合う循環システムの成立そのものであり、それが歌を名歌にしている。
歌はこういう種類の循環システムによって成立することがある。
そのことが認知されないために、あっちだ、いやこっちだと不毛な議論がなされている場合があると思う。
●重要なことを言う・知らせる
鳴きやみて山鳩言へり人間は戦争が好き、死ぬのが嫌ひ
高野公彦『水の自画像』2021
鳩の声を詠むとき、不思議感やおごそかさが配合されていることも少なくない。
そして、確かに、あの反復的な鳴き方は、何か重大だことを言い放つ準備で言葉をくみあげているポンプを思わせる。
山鳩はくもりの中に来て鳴けりわが半生を語るがごとく
小池光『思川の岸辺』2015
わがよはひかたぶきそむとゆふかげに出でて立ちをり山鳩啼けり
宮柊二『日本挽歌』1953
山鳩が中途半端に鳴きやみてそののち深き昼は続きぬ
大辻隆弘『汀暮抄』2012
分類しにくかった歌を「そのほか」としてここに置いたが、いずれ他の要素と結びつきながら発展していく予感がある。
山鳩はくもりの中に来て鳴けりわが半生を語るがごとく
小池光『思川の岸辺』2015
わがよはひかたぶきそむとゆふかげに出でて立ちをり山鳩啼けり
宮柊二『日本挽歌』1953
山鳩が中途半端に鳴きやみてそののち深き昼は続きぬ
大辻隆弘『汀暮抄』2012
●そのほか
林道に青鳩が鳴き十和田湖の円錐空間に雲が湧きたつ
小島なお『展開図』
まなうらの鳩がうたうよ鳥の歌 僕らは括弧でくくれないから
白瀧まゆみ(出典調査中)
いつせいに鳴くことあらばおそろしき上野公園に群がれる鳩
花山多佳子『胡瓜草』2011
茶柱が立つてゐますと言つたとてどうとでもなし山鳩が鳴く
馬場あき子『あさげゆふげ』2018
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