2022年4月6日水曜日

ミニ65 魚と眠り

 「魚」と「眠る」という言葉は付きやすくないかしら??

魚が眠るとか、誰かの眠りに魚が関わるとか、登場の仕方はいろいろですが、「眠り」に関する歌にはなんだかんだと「魚」が出てきやすい気がしています。

「眠る」は、詩歌的文脈においては何にでも付く万能語だから、ことさら「魚」と相性がいいわけではないのかもしれないけど、気になるから、ちょっと集めてみようかな。

(検証結果は末尾のほうに。)


というわけで、「眠」or「ねむ」×「魚」or「さかな」という組み合わせで検索し、読んでみて、違うものを取り除く※、という方法で集めてみました。

他の表現で魚と眠りを詠んだ歌は対象外。

※取り除いた歌の例

君ねむるあはれ女の魂のなげいだされしうつくしさかな
前田夕暮『収穫』


■本日の闇鍋

 短歌総数 121,571首

 うち 「さかな」or「魚」を含む歌 1240首
 (なかには多少「寒さかな」みたいなのが含まれる)

 うち、「眠」or「ねむ」×「魚」or「さかな」の歌 28首

 つまり、魚の歌の約2・25%。

あら、意外に少ないじゃないの。

以下にピックアップします。


■何かが眠っている歌に魚が出てくる例


古代魚のほおぼねをめぐる泡に触れねむっていたい水玉サンダル
井辻朱美『クラウド』2014

発熱する君かねむれぬ雨の夜に金魚のにほひふとたちきたる
永井陽子『樟の木のうた』1983

泥の中の肺魚のごとく眠りゐる人らに淡く外光の射す
花山多佳子 『胡瓜草』2011

卵を持つ魚が遡上する夜を爪先そろへ眠りゆきたり
角宮悦子『ある緩徐調』1974

赤子まだ知らずこの世の底知れぬ泥のねむりに棲む六六魚
小島ゆかり 『六六魚』2018
※六六魚(りくりくぎょ)は鯉の異名。首から尾にいたるまで鱗が三十六あるからだという。

みづうみのなみの入りくる床下に魚むれてをり漁夫ねむるころ
松平修文『水村』1979

魚のごと醜しといはれひたねむる歳月みづのきららかさにて
水原紫苑『くわんおん(観音)』1999

深海魚にキスするときの顔をしてわたしの中で眠らないでよ
田丸まひる『硝子のボレット』2014

薬にてねむる日ながくつづく吾のゆめのをりをり死魚野におとす
渡辺松男『雨(ふ)る』2016

布に包まれしひとびと眠る春 壜よりあふれだす稚魚ありぬ
東直子『青卵』2001

川底で光るジュースの空き缶は魚の夢を抱いて眠る
伊波真人『ナイトフライト』2017

果実幾万白き袋につつまれて夜は魚卵と同じねむりす
齋藤史『密閉部落』1959

魚けもの人も淋しき春の血を溜めてねむらむ夜空がひらく
河野愛子(出典調査中)

■魚が眠っている例


奥さんになるヒトはわが胃に眠る肺魚を突く殺さぬほどに
ルビ:突【つつ】
染野太朗『あの日の海』

どろ沼の泥底ふかくねむりをらむ魚鱗をおもふ眞夜なかなり
ルビ:泥底【どろぞこ】 魚鱗【うろくづ】
前川佐美雄 『植物祭』1930

夜の底に肺魚は眠りこけていて混沌としてその前にいる
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』

東京市と呼べば親しき川魚の眠りにわれは落ちて行くなり
田村元『北二十二条西七丁目』2012

海に魚ねむりて遠い声をきく〈わたしの鈴を探してください〉
東直子『青卵』2001


★泥の中で眠る

深い眠りのことを「泥のように眠る」という既存の言い回しがあるけれど、そのせいなのか、28首中「泥」に言及する歌3首、そして肺魚※に言及する歌も3首あった。

「泥」or「肺魚」の歌は1首重複しているため5首で、すべて上に掲出したなかに含まれています。

※肺魚は「夏眠」という習性で、泥の中で眠ることがあると知られている。(地中で、粘液と泥からなる被膜に包まった繭状態で眠る。)


■「眠る+魚」は多くなかった


で、「眠る+魚」は多いのかどうか。これではわからないので、かんたんに他のものと比べてみる。

「犬」を含む歌 908首(え、犬の歌より魚の歌のほうが多いのか。)
うち「眠orねむ」+「犬」=35首 3.85%

 猫は絶対多いのと思うのでやめた。

「鳥」を含む歌 2117首
うち「眠orねむ」+「鳥」の歌 60首 2・83%

あらま、魚の例より多いじゃないの。
わたしのカンは大ハズレでした。

ついでに、ぜんぜん違うものも。

「菊」を含む歌 238首
うち「眠orねむ」+「菊」の歌 1首だけ

なんとなく「菊」と「眠」はいい取り合わせかと思いましたが、そう思うのは私だけかい。(笑)


★余計なこと

短歌じゃないけど、高浜虚子のこの句も釣れちゃいました。(笑)


金亀子擲つ闇の深さかな
ルビ:金亀子【こがねむし】 擲【なげう】
高浜虚子

抱卵魚





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