2020年9月30日水曜日

満58 「裏切り」は〝いきさつfree〟で

  「裏切る」という語を詠み込んだ短歌を集めてみた。


 裏切りにはふつういきさつがあるけれど、短歌に詠まれるときは、いきさつはあまり重要ではない。
 歌材としてみると、歌に詩情やドラマっぽさを添える、特別な素材であるようだ。


忙しい方のためのピックアップ

どんな歌があるかちょっと見たい方へ

ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも

北原白秋『桐の花』1913

天使らのコンタクトレンズ光りつつ降る裏切りし者の頭上に

穂村弘『シンジケート』1990

この子いつか吾を裏切らむ踏みつけむその日おそらくつん抜ける青

武下奈々子『不惑の鴎』1995

ずっともう裏切っている気がしている 助手席に海ばかりかがやく

江戸雪『百合オイル』1997

唐突に裏切りますが失くなった文庫の帯を探しに行きます

睦月都 2012年短歌研究新人賞応募作より

空中になにか浮かべるようにしてどうしてそんな裏切りかたを

土井礼一郎 「かばん」2019・12

お時間のある方は、続きも御覧ください。より多くの裏切りの歌があります。
「裏切り」という語への考察と、歌の解釈・鑑賞つきです。


裏切りってなんだろう


 「裏切り」にはピンからキリまであり、理由はさまざま、善悪もケースバイケースだ。

(1)信義違反としての裏切り

 一般的には、対人的社会的な信義違反のことだけれど、不正企業の内部告発のようなケースでは、裏切る側が正しい。また、悪人どうしの仲間割れみたいなこともある。

 保身のための裏切りなどは、人間の弱さを感じさせ、人間くさい本音として、やや肯定的に扱われることもある。

(2)結果が予想と異なる、という意味の裏切り

 信義違反でなくて、もっと軽い意味合いの「期待を裏切る」がある。

 これにも濃淡があるけれど、「事象が予想と違う結果になる」ことをさし、予想より結果が悪かった場合だけでなく、良い結果が出たときにも用いる。後者は明るい意外性を強めるニュアンスになる。


歌材としての「裏切り」の特徴

 
 「裏切り」という一語を歌に投入するだけで、ドラマっぽさを感じさせる効果がある。
 「ドラマっぽさ」は、あくまで「ぽさ」だが、いきさつの説明は抜きにして、心理的葛藤などの気配だけを付加できる、という、表現としての利便性があるのだ。
 
 現実世界には、許しがたい裏切りや不愉快な裏切りが多いけれども、短歌の中の「裏切り」はドラマっぽさゆえか現実感が薄く、そのかわりのように詩情とか風情とか、そういったものもじゅわっとジューシーに付加される。

いきさつfreeで読める


 裏切りの内容やいきさつには全くふれず、「裏切り」そのものの味わい、裏切り方、裏切りの検出みたいなところに力点を置く歌も珍しくない。
 さもありなん。裏切りのいきさつなんか説明したら長くてめんどくさい。作者も読者も、手っ取り早くポエジーを絞って飲みたい。「裏切り」という言葉はそれができる。

 連作に含まれていた歌では、いきさつは他の歌が説明していたから、この歌には含まない、というケースもある。
 が、そういう場合でも、「裏切り」の歌には魅力があって、読者は〝いきさつfree〟でも読めてしまう。

自分をナレーション

「裏切り」の歌を集めてみる前は、
「たぶん、自分が誰か(何か)を裏切る苦味みたいなものを詠む、じめっとした歌が多いだろう。」
だなんて予想していた。

 ところが、そういう歌は少なかったし、あまりじめじめしてもいない。

嘘つきて憎みてかつは裏切りて夕べざぶざぶ冬菜を洗ふ

河野裕子 『ひるがほ』1975

うらぎりをくり返し来し半生か内耳しびるるまで蝉しぐれ

加藤英彦『プレシピス』2020

  上の2首は、裏切りそのものでなく、それに対する自身の心の反応を実況している。
 この感じ、……そう、ドラマのナレーションだ。
 
(けなす意図はない。舞台で見得を切るような感じというか、短歌表現にはそういう種類のかっこよさで読ませる方法もあると本気で思っている。)

「裏切り」は短歌映えする

「裏切り」という語は〝短歌映え〟する。

 ドラマっぽいけれども、「裏切り」は、裏切るに至ったいきさつによって映えるのでなく、さまざまな裏切り方・裏切られ方の瞬間や、その前後の微妙なニュアンスを描くほうが〝短歌映え〟するみたいだ。

 「裏切り」という概念そのものをイメージを詠む歌さえあるが、とにかく「裏切り」の歌は、この歌をわかりたい、読み解きたいと感じさせる。

 インスタグラムにアップするための良い写真が撮れる場所やものを〝インスタ映えする〟という。
 それに準じて、「短歌に詠むといい歌になる」ということを〝短歌映えする〟と私は呼んでいる。
 全くけなす意図はない。古典和歌の歌枕は〝和歌映え〟するゆえに詠まれたのであり、多くの詩情を獲得した。

・蝶が花から飛び立つような唐突さ


唐突に裏切りますが失くなった文庫の帯を探しに行きます

睦月都 2012年短歌研究新人賞応募作より

 これは〝振る〟場面だと思う。
 そうは書いてないが、蝶が花から飛び立つところがなぜか目に浮かぶ。
 こういうふうに「唐突に裏切る」のも〝あり〟だろう。

(だって別れ話はどのように切り出そうとも、結局うだうだ2時間3時間、相手はちっとも納得しないでしょうが。)

 相手は、去り際の言葉「失くなった文庫の帯を探しに」の意味がわからずきょとんとするだろう。そのすきにふわっと逃げちゃう。

 しかもこの歌、ドラマ性のご利益だけでなく、言葉の暗示力を使ってもうひと味出していて、一粒で二度おいしいのだ。

 「失くなった文庫の帯を探しに」は、中断していた元の生活に戻る、という意味合いだろうか。

 だが、探すのは読みかけの本そのものや本の栞ではない。
 本の帯を探すというのは、本を購入した新しい状態にまでリセットする、つまり、
「あなたを振るだけじゃないのよ、もっと前からチャラにするの。そういう一身上の都合で別れるのよ」
というニュアンスが醸し出されている。

・助手席の海


ずっともう裏切っている気がしている 助手席に海ばかりかがやく

江戸雪『百合オイル』1997

 誰が何を裏切ると書いてない。
 が、「助手席に海ばかりかがやく」は、そこに誰も乗せていない、ということをそれとなく強調しているだろう。
※古歌のレトリックで、「誰も来ない」と言うかわりに「風が訪れる」と言う、というのがある。この歌も、不在だといわずに「海がかがやく」と言っているのだと思う。

 この人物は、
「いま一人でドライブを楽しんでいる自分は、いつも心のどこかで、誰か、あるいは何かから開放を求めやまずにいる。
それはいわば、心の助手席にいつも〝不在〟という裏切りを乗せていることなんだ。」
と考えている。ーーそういう歌だと思う。

 

・ヤジウマのブーイング?


天使らのコンタクトレンズ光りつつ降る裏切りし者の頭上に

穂村弘『シンジケート』

 解釈が分かれそうな歌だが、私の解釈はこうだ。

 この人の言動が天使たちの期待を裏切り、天使たちがいっせいにまばたきをしてコンタクトレンズをぱらぱら落としちゃった。ーーいわば美しいブーイングである。

 (別解釈もある。天使の期待を裏切るのでなく、この人は地上でなんらかの裏切り行為をしたのを天使が見ていた、とも考えられる。
 でも……。

 ーー天使の目から降るものというと、涙を想像しがちだ。
 が、この歌では、涙でなくコンタクトレンズにすることで少し即物的になり、天使のまなざしにややヤジウマ性を帯びさせていないだろうか。ーー

 こういうひそかな効果こそ活かす解釈をしなくちゃ、でしょ?)

 天使らのコンタクトレンズがきらきら降り注ぐ光景は、落胆で舞い散らせるハズレ馬券的なものでありつつ、その一方で、きらきらしてくす玉を思わせる美しさもあるゆえに、祝福・称賛の裏返しのブーイングではないかしら、

 と、私は読み解く。


・自分が自分を裏切る


 自分が自分の心に裏切られる、というレトリックは、近代の歌人が早々と使った。

ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも

北原白秋『桐の花』1913

 自分の予想を裏切って自分が変化してしまった、という意味の裏切り。

 つまり、自分が「君」を裏切るのではないよ。自分の恋心がはからずもどっかへ行っちゃったんだ、というとぼけた言い方がおもしろい。

(昔の男は浮気も甲斐性のうちで、気まぐれも許される、という〝文化〟があったらしいし、しかも白秋だから通用する面もあるのだろう。いま凡人が真似すると痛い目をみるかもしれない。)


・裏切られて恨む


 ありそうですごく少ないのが、裏切られて相手を恨む歌だ。
 これはやっと見つけた超レアものである。

うらぎりの君のにくさに草の実をつぶせばあかき血のながれたり

小熊秀雄

 ストレートな歌だ。裏切りをこういうスタンスでとらえる歌は、なぜかほんとに珍しい。

・裏切られる予感

裏切られる予感を詠む歌も、たまにあるが少ない。


この子いつか吾を裏切らむ踏みつけむその日おそらくつん抜ける青

武下奈々子『不惑の鴎』1995
 
 いつか子どもに裏切られる、踏みつけにされる。
 「つん抜ける青」とは悲しみに刺し貫かれることを表現しているだろう。〈青〉はいわば刃である。その出来事は、このように予想しておいてもなお青天の霹靂であるはずだ。

 「青」の強調は、青空のように人智を超越したイメージを添え、避けがたいことだとの暗示効果が少しあると思う。

 また、短歌ではコトダマ意識が働いて、言葉にしたくないものを詠む場合、禍(まが)事を中和する要素も入れておきたくなわけだが、この歌の「青」の刃は、厳しく悲しい不可避のものを表しつつ、同時に中和してもいるだろう。

 「裏切らむ踏みつけむ」という非道は流血(赤)を連想しやすいが、それを逆の色、底なしの蒼穹へと突き上げて、相殺吸収させる効果があると思う。

・死という裏切り


六月の挽歌うたはば開かれむ裏切りの季節ひとりの胸に

黒田和美『六月挽歌』2001

 伴侶など大切な人が自分より先に亡くなることは「裏切り」の一種と言えるかもしれない。

 こういう「裏切り」は、日本的なレトリックであるらしい。
 知り合いの中国人が、「この秋、妻に死なれまして……」という受け身表現に驚かされた、と言っていた。妻がその人を苦しめる目的で、あてつけ自殺みたいなことをしたのか、と思ったそうだ。
 
 なお、上記は、この歌1首だけを〝いきさつfree〟で読んでみて、いちばん妥当と思われる解釈を披露したわけだが、個々の事情は千差万別。作者の意図とは全然違う解釈をした可能性もある。

いきさつfreeとは


 さっきも書いたが、「裏切り」を詠む歌は、〝いきさつ〟よりも、裏切り方、裏切りの気配などの微妙なところに力点を置く歌が少なくない。

 それどころか、もとから〝いきさつfree〟で書かれたらしい歌もいっぱいある。
 いきさつから触発されて歌を詠むことはよくあるが、言葉が歌人をそそってさまざまなイメージを発掘させる、というケースもよくある。
 「裏切り」は特に後者の傾向が強いのではないだろうか。

 また、短歌という詩型は1首で独立できることが強みなのであって、連作のなかで説明的な役割しかないような歌は長い時を経てしだいに消えてゆき、〝いきさつfree〟で読める歌が生き残っていく。そういう傾向もあると思う。

 極端に言えば、作者といういきさつから解放されるとき、いわば年季明けを、歌たちは何百年でも待つのではなかろうか。


・平穏を破る


どこかで鏡が割れ――水は裏切り少女の腕空に垂れる

ルビ:腕【ただむき】

前田透『前田 透全歌集』1984

 はてな。「鏡が割れ」と「水は裏切り」はどう結びつくのだろう。

 鏡と水とは、実景として、水面は空を映す鏡になり、天地の青は静かに向き合う、という縁があるし、加えて、「明鏡止水」という言葉上の縁もある。
 ※明鏡(曇りのない鏡)のように邪念がなく、「止水」(静止した水)のように落ち着いているという、ふたつの比喩を取り合わせた熟語で、鏡と水が関連付けられている。

 「鏡が割れ」は天地の平穏が破られることを意味し、「水は裏切り」は鏡のようだった水面が波立つことを表していると思う。
 水面に何が起きたのか?

 少女の腕が鏡のような水面を割った。
  ーーこれは背泳の伸ばした腕が垂直になる瞬間を捉えたのだと思う。「少女の腕」が「空に垂れる」とは、その描写ではなかろうか。
 冒頭に「どこかで」とあるので、天地の平穏を破る少女の腕は、イメージ世界のどこかに感じられる気配であるのだろう。


・なりゆきの軌跡


空中になにか浮かべるようにしてどうしてそんな裏切りかたを

土井礼一郎 「かばん」2019・12


 「空中になにか浮かべるように」は裏切りの描写としてすごくおもしろいし、「どうしてそんな裏切りかたを」というリアクションも絶妙だ。
 妙な心のなりゆきで変なふうに裏切ったような裏切り、その〝なりゆきの軌跡〟を目で追うような歌である。

 例えば、道を歩いていて転ぶとして、原因に対して相応の転び方をするとは限らない。
「つまづいただけで、なんでそんな転び方になっちゃったの」
というようなケースがあるだろう。
 (おもしろ画像のテーマに「どうしてそうなった」というのがありますね。)

 「裏切り」にも、「なんでそんな裏切り方になっちゃったの」という、はたから見ても本人にとっても、思いがけないようなケースがあるはずだ。

・コントラスト


裏切りの痛みをここへ置かせてよレンブラントの光と影よ

柴田瞳 

「裏切りの痛み」が物体みたいでおもしろいが、さて、どうしてそこに置きたいのだろう?

 この歌の「裏切りの痛み」は、裏切った側の痛みか裏切られた側のそれかわからない。片側から見る視点ではないらしい。
 裏切りの痛みには、裏切る側、裏切られる側というコントラストがある。それが光と影のコントラストに似つかわしい。
 ーーそういうことだろうか。


  *  *  *

こんな調子でコメントしていたらきりがないので、以下は、いろいろな裏切りの歌を列挙するだけにします。
(読み解きに苦労しそうな歌も混じっています。)
見つけた順です。

共犯でいてほしかった予測線をまぶしいほうにうらぎるときは

兵庫ユカ『七月の心臓』

企みを裏切る強さ 浜辺ならお城が砂に戻るまで踏む

田中ましろ 『かたすみさがし』2013

緯度を引く気持ちで宝石をたべて悲しむ人々を裏切るように所以を知らせる

瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end,』2016

雨を見てはおる半袖カーディガンそうしてずっと裏切ってきた

野口あや子

舞う砂がレンズの動きを奪うのに似た裏切りといまさら気づく

千種創一『砂丘律』2015

二番目の月を目指して水鳥は飛び立ってゆく裏切ってゆく

本多忠義『禁忌色』

裏切りの朝の香りはドロップの缶にそれだけ残した〈はっか〉

穂村弘『シンジケート』1990

桃むく手美しければこの人も或はわれを裏切りゆかん

真鍋美恵子 『玻璃』1958

ゆつくりとひとを裏切る 芽キャベツのポトフで遅い昼をすませて

魚村晋太郎『銀耳』2004

好きな色は青と緑と言うぼくを裏切るように真夏の生理

松野志保『Too Young to Die』2007

肉眼のあざやかにうらぎられるを内科医であることのさびしさ

岡井隆『岡井隆歌集 (現代詩文庫)』2013(『天河庭園集[新編]』)

蓮田に雨 明日わが心うらぎらむ言葉たまゆら花の間に顕つ

塚本邦雄『蒼鬱境』1972

久々に人間らしいことをした 衝動買いに、昼寝、裏切り

辻井竜一『遊泳前夜の歌』2013


本日はこのへんで。


補足

俳句

裏切者それは見事に日焼けして 鈴木六林男 『賊』

脳裏にやけどするまっさらな母への裏切り 種田スガル『超新撰21』


川柳

転向を拒んで妻に裏切られ 鶴彬

裏切って花屋の花をみな買おう 定金冬二『無双』


なぜか俳句が少ない

「裏切り」という語の使用率のジャンル比較をしたところ、俳句だけ極端に少なくて驚いた。


短歌109891首中1665首  1/1665首(0.06%)

俳句27961句中6句 1/4660句 (0.02%)

川柳11681句中8句 1/1460句 (0.07%)


・代表的定型詩3つの近現代作品で「裏切り」という語を含む割合を比べると、俳句だけ極端に少なくて、約28000句の中にたった6句しかなかった。

・しかも、そのうちの2句は高柳重信、パパのじゃないの。
 「名句があると、そのなかの単語は後続して使用頻度が高まるはず。パパの〈裏切りだ/何故だ/薔薇が焦げてゐる〉は名句じゃないんだね。」
 ーーと言ったらパパがおもしろがりそう。

川柳も多くはない


・それを言うなら川柳も8句中の4句は定金冬二。
 俳句も川柳も、短歌ほどには「裏切り」を詠んでいないようです。




自分用のメモ:
 俳句川柳のデータは現在整理中で古典が混入している。ジャンル比較は大雑把に古典を取り除いて算出した。



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