斎藤茂吉『寒雲』
「私が知るわきゃないじゃん!」
■末尾の何故など
疑問文のかたちの歌がよくある。
作者or歌の主体の心情の表現であって、べつに私に問いかけているわけではない。
秋茄子を両手にを乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る 』
しかし、冒頭にあげたように、歌の末尾で「何故」「何」「誰」などと問いかけて終わる場合、私に聞いているわけではないと知りつつも、丸投げされた感じがして、
「知るわきゃないじゃん」
と思ってしまう。
個人的にはこっそり、この〝丸投げされ感〟を楽しんでいる。
ものすごくたくさんあるので、目に入るなかからランダムに少しあげておこう。
五角いとも三角いとも言えぬまま四角いだけが言えるのはなぜ
松木秀『RERA』
おびただしきは家の百円ライター赤き色を好むは何
高瀬一誌『レセプション』
無意識に左手のフォークを落したる一瞬を目ざとく見たりしは誰
ルビ:左手(さしゅ)
木俣修『昏々明々』
とんとん、と階段の音あれは母あれは弟そして誰
青井硝子「早稲田短歌」44
喧嘩せうと思ふ心を圧ふるな圧ふるなとぞささやくは誰
ルビ:圧(おさ)
窪田空穂『濁れる川』
をなもみを背につけたる少女あり冬の片恋なさむは誰ぞ
ルビ:背(せな)
坂井修一『ラセン』
(ワープなんてできるはずない)ねえ、そこでトロイメライを弾いてるのだれ
鈴木貴大「早稲田短歌」43
試験管を持ち歩むときライナア・アリア・リルケを憶ふは何ゆゑ
宮柊二
暁の寺【ワット・アルン】揺らめく彼方一瞬の眩みによぎる残像は誰
天道なお『NR』
羅漢寺の十六羅漢なき親におもざし似たる羅漢名は何
与謝野鉄幹
たくさんありますが、このへんで。
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