2020年6月30日火曜日

青002 白昼の海古びし青き糸のごとたえだえ響く寂しき胸に 若山牧水


糸電話みたいだね


白昼の海古びし青き糸のごとたえだえ響く寂しき胸に
ルビ:白昼【ひる】
若山牧水 『海の声』1908年

海が胸に響くだけなら驚かないけれど、「古びし青き糸のごとたえだえ」っていう響き方の表現、手作り感がすごい。
これは普通の〝いい歌〟なんかじゃない。

※ちなみに普通のいい歌〟はこういうもの。
あら野来てさびしき町を過ぎしかば津軽の海は目に青く見ゆ  古泉千樫

普通の〝いい歌〟を超える歌を迎えうつのが鑑賞の醍醐味だ


『海の声』にはたくさん海が詠まれている。
有名な〝いい歌〟がたくさん含まれているが、私は〝いい歌〟にあまり興味がない。
個人的に注目しているのは、この「糸」である。
海と自分が糸電話で結ばれているかのようではないか。

自分と海とを糸電話的に結びつけるのは、かなり独自で、普通の〝いい歌〟をひそかに超えるスペシャルな要素だ。
通りの良い抒情に収まりにくいものを、怖じず臆せず、自分を信じて書き放っている。


しかも、この青い「糸」は人と海を結ぶにとどまらず、天に通じ、風にも交じり、世界をめぐるものへと、イメージが発展する可能性をも胚胎していたようだ。

わが胸ゆ海のこころにわが胸に海のこころゆあはれ糸鳴る

一すぢの糸の白雪富士の嶺に残るが哀し水無月の天

聳やげる皐月のそらの樹の梢に幾すぢ青の糸ひくか風
(すべて『海の声』より)

現在の短歌には、人や地上の事象が空との青い血縁で結ばれているかのようなイメージを前提にして(そうと意識はされていないようだが)、詠まれている歌がしばしばある。

その始まりは牧水かもしれない。
以下の歌は、この系譜のどこかに位置づけられないだろうか。
深読みであることは承知しているが、普通の〝いい評〟なんかもう見飽きてない?

青水泡こととふごとくうるはしきゑまいぞ過ぎし遠き電話に
ルビ:青水泡(あをみなわ)
山中智恵子『青章』

眼下はるか紺青のうみ騒げるはわが胸ならむ 靴紐結ぶ
福島泰樹

湖からぼくに届いた一通の青い手紙が流れはじめる
俵万智『チョコレート革命』

ではまた。

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