2020年6月30日火曜日

満53 漕ぐといえば何?



■本日のお気に入り

影見れば波の底なるひさかたの空漕ぎわたるわれぞわびしき
紀貫之『土佐日記』

春浅き大堰の水に漕ぎ出だし三人称にて未来を語る
ルビ:大堰(おほゐ)
栗木京子

自転車に空気加えて麦秋のこの世ならざる穂波を漕げよ
塚本邦雄

自転車を漕ぐとき冬がはじまって目の中で雪とかしています
穂村弘手紙魔まみ』

さびしさに死ぬことなくて春の夜のぶらんこを漕ぐおとなの軀
内山晶太『窓、その他』 

ゆっくりとミシンを漕げばゆっくりと銀のお告げが滴りおちる
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』

三億年の歳月海を漕ぎいたる鮫の裸身のかなしき灰色
井辻朱美『水族』

以下の解説のなかにも、たくさんの歌を紹介しています。

「漕ぐ」という語を含む歌を集めてみた


本日の短歌データ総数 109,148首
うち「漕ぐ」歌は166首
何を漕ぐかというと、船(舟)と自転車が圧倒的に多い。
次いでぶらんこがやや多く、あとはほとんどばらばらである。
 船   60首
 自転車 51首
 ぶらんこ16首
 その他 39首

1 船を漕ぐ歌


◆古典和歌では「船」を漕ぐ
「漕ぐ」は大昔から和歌に使われてきた語だが、古典和歌のなかで漕がれるのは「船」だけであるようだ。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
額田王

空の海に雲の波たち月の舟星のはやしにこぎかへるみゆ
柿本人麻呂

◆近代の歌でも「漕ぐ」と言えば多くは「船」
舟は沖へうねりは磯へ空の下に行きちがひ行きちがひ浦わ漕ぎ出づ
※浦わ=浦廻・浦回 入り江。海岸の曲がりくねって入り組んだ所。
木下利玄

漕ぎめぐり「ありやせこりやせ」と櫂操る子月の下びに十四人なる
ルビ:櫂操(かいと)る
尾上柴舟『素月集』1936

◆「船」は現代の歌では少なめ
現代の歌では、言葉どおりに船を漕ぐ歌は少ない。現実に船を漕ぐことが少なくなったこともあるだろうが、歌の表現方法が変化してきている。

ゆるやかに漕ぎ出す舟は河口へと着く頃しずかに燃え尽きるだろう
ひぐらしひなつ『きりんのうた』

月下の浜に朽ちゆく船の影ぞ濃き漕ぎ出ずるなき一生悲しめ
佐佐木幸綱 『夏の鏡』

こぎのぼる舟の櫂の水の音の全自動洗濯機〈洗い〉へ進む
渡英子『みづを搬ぶ』

舟を漕ぐしぐさは羽ばたきのそれに似てるね こころ透きとおるのね
井上法子『永遠でないほうの火』

さかさまにペダルを漕げばあともどりできる白鳥ボートはすてき
山階基『風にあたる』

2 自転車を漕ぐ歌

「自転車」は近代短歌から詠まれだした。近代ではそう多くなかったが、現代短歌では超人気の題材で、詠まれる頻度は約242首に1首である。
一般的な歌集は200首から300首収録されているので、単純計算なら歌集1冊に1首はある、というぐらい多い。
自転車は自力で漕ぐ身近な乗り物で、日々の生き方、心の有り様などを重ねて詠むことができるからだと思う。自転車を詠む歌の中でも特に「自転車を漕ぐ」と書く場合は、地道に日々を生きる生活感覚を表しやすいようだ。
「船」を意識しているらしい歌も少なくない。

自転車を漕いでる風で泣けてくる映画一本見てへとへとだ
山川藍 『いらっしゃい』

とりあえず今日をサヴァイヴすることだ自転車をこぐ辻井竜一
辻井竜一 『遊泳前夜の歌』

わが妻のどこにもあらぬこれの世をただよふごとく自転車を漕ぐ
小池光 『思川の岸辺』

自転車を漕ぐ人の背が膨らんで加速してゆく時間と思う
坂井ユリ 「羽根と根」6号

いい事が飴玉のように在ればいい春に吹かれつつ漕げり自転車
花山周子 『林立』

川沿いに自転車を漕ぐカゲロウの大群に視界奪われながら
齋藤芳生 『桃花水を待つ』

水流が私に添いて来るように思わるるまで自転車を漕ぐ
永田紅 『春の顕微鏡』

喘ぎ、つつ、わが漕ぎ、ゆけば、自転車になりたい夏にさいなまれたい
佐藤弓生 『薄い街』

3 ぶらんこを漕ぐ歌

「ぶらんこ」は普通は子どもの遊具で、大人が乗るシチュエーションは、テレビドラマならほぼ傷心や孤独など、センチメンタルな場面である。
必ずしも暗い一方ではなく、追憶や郷愁をかきたてる面もあり('70年頃のフォークソングをちらっと想起させもして)、抒情的な救いを伴う。

公園で一番歳をとりやすきブランコよ秋の夜に漕ぎてみむ
栗木京子『けむり水晶』

ブランコを漕ぐといふ語のさみしくてどこの岸へもたどりつけぬ
林和清 『去年マリエンバートで』

ふららこという語を知りてふららこを親しく漕げば春の夕暮
大下一真『月食』

ブランコを思ひきり漕いだことはなく人生すなはち背中がこはい
今野寿美 『かへり水』

ブランコを漕ぎいだすとき視野に入る古代の空とオニクルミの木
永井陽子『樟の木のうた』

昏睡の湖に漕ぐぶらんこのちいさな靴が鼻先にきて
加藤治郎 『昏睡のパラダイス』1998

4 その他のものを漕ぐ歌

◆その他のものを漕ぐ歌には、上記の「船」「自転車」「ぶらんこ」以外の、三輪車、車椅子などを漕ぐ歌もあるが、「何を漕ぐか」を書かずに「漕ぐ」という動作に重点を置いて詠む歌がたくさん含まれている。

「漕ぐ」という動作には以下の特徴があって、それだけで一首が成立するのである。
  ・普通の前進よりも意欲的な前進である。
  ・一挙手一投足に抵抗を感じながら推進力を得る。
  ・たゆみなく反復動作をする。

ほの昏き体温の海漕ぎはじむかすかな星にまじり医者ゐぬ
浜田到『架橋』

熱ありて白川夜船を漕ぎゆけば沈没前の朝のひかりルビ:朝(あした)
堀田季何『惑亂』
※「船を漕ぐ」を居眠りなどの意味で用いた歌は、「船」60首に含めず「その他」とした。

わたしの腹の下にひろがる湖に革命がある雨が漕ぎくる
江田浩司

紙コップ熱きを妻に手渡せりキリンの首は秋風を漕ぐ
吉川宏志『夜光』

足たれて夕茜漕ぎ子どもらがひつそりとうたふ星ほろぶうた
米川千嘉子『葩ほどの』

天国を説く青年はビル街を漕いでゆく雨合羽濡らして
鯨井可菜子『タンジブル』

漕ぎ抜いて貯めたすべてのエナジーを散財させて風になりたり
武富純一『鯨の祖先』

オマケ

最後に、私のデータベースには俳句も少し入っているので、そこから少しだけピックアップしておく。


鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし  三橋鷹女 『白骨』

暗呪。沖から手が出て 夜を漕ぐ  寺田澄史

雪を漕いで来た姿で朝の町に入る 尾崎放哉

おしまい。

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