2024年9月1日日曜日

ちょびコレ33 『義弟全史』その2 お迎え方式マッチング

 「お迎え方式マッチング」とは?

 ときどき並べて読みたい歌というのがあります。

 題材とテーマが似ている歌を、別の作者が別の場所で別の発想で詠む。そんな偶然がしょっちゅうあって、新しく詠まれた歌を、同類や家族のような仲間が出迎えるんだったらいいな、と想像したくなります。

 ところで防災の日は、訓練で、親や保護者が学校へ児童を迎えにいきますよね。
いちど孫を迎えに行ったことがあります。
 学年・クラスごと担任の先生のもとに子どもたちが集まっている。保護者たちは、先生に名を告げて子どもを連れて帰るのです。

 「短歌さんたちがめぐりあう場」として、前回までは「交霊場」という設定にしましたが、今回は、新しく出た歌集の歌を先輩歌が迎えに来る、という設定にしてみます。

(どーだっていいだろ? いえいえ、設定によって発想が根本から変わり、新しい考えが生じることがあると思いますよ。)

そして、担任の先生役は以下の三人半です。
まちがって他人に子どもを渡してはいけないから、迎えにきた歌と迎えられる歌との類縁関係を吟味します。

 その際、彼らはいろいろぶっ飛んだことを言うかもしれません。作者の意図や一般通念とかけ離れる解釈を加えるかもしれませんが、その点は適当に聞き流してください。

【世話役たち】書体を変えています

 担任(外見は鹿。このシリーズではふだん司会役をしているため花子はシカちゃんと呼んでいる。
 ・アシ副担任。アシスタント。外見はアシカ。
 鱶助(ふかすけ 短歌深読みサポートAI)
    +鱶助のマスコットである花子(棘バラ。非常に口が悪い。)

【ご注意】 
 
歌自身が降臨する、という設定です。(歌の作者は無関係。参加しません。)
 歌自身が自解することはありません。
歌はそれ自身の言葉以外を語れない。ここではそういう設定になってます。

 では、とざいとーざーい


■やかましい自我がほどよく休止


▲わが屋戸のいささ群竹吹く風の音もかそけきこの夕べかも
ルビ:屋戸【やど】
大伴家持『万葉集』

担任「はい。え!  驚きました。はるかなる万葉時代よりお見えのようです。
 えーと、どのお子さんのご先祖様でしょうか。」

▼頬杖をついて居眠るアパートの外に小さな世界が集う
土井礼一郎『義弟全史』

担任「な、なるほど。雰囲気が似ています。しかし、静かに過ごす窓辺のシチュエーションはすごく多くの歌に詠まれてますよね。短歌以外でも『蛍の光窓の雪』とか。」

鱶助「[いささ群竹]を吹く風は、普通ならほとんど関知しないほどにかそけきもの。それは、脳内のやかましい自我がほどよく休止していなければ感知できない。
土井の歌では、[頬杖をついて居眠る]というニュートラルな待ち受け状態になった一瞬、[小さな世界が集う]ことを感受可能な〝自然体〟になったのだ。

アシ「頬杖をついて居眠る、は、ふと弥勒菩薩を思わせますよね。静かな窓辺というのは、人を少し神仏に近づける。この風格、大伴家持さまの血を受け継いでおいででしょう。」

花子「あのね、土井さんは虫好きなんですって。それで土井短歌にはときどき『虫詠み』というおまけステージがあるのよ。
秋の虫の音を聞いてるような感じ。虫たちはそれぞれの種族ごとに世界を持っている。それをうつらうつらしながら聞いている。なかなか風情があるじゃないの。」

担任「では『わが屋戸のいささ』さま。どうぞ『頬杖をついて』ちゃんをお連れください。よろしくお願いします。」

■幸せは内臓に宿る?


アンパンの幸福感をふくらます三分の空気と七分のアンコ
杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』2010

担任「はい。どのお子さんをお迎えに?」

はらわたを開けばピンポン球ほどの水胞としてしあわせはある
土井礼一郎『義弟全史』2023

担任「こ、これは確かにそっくりな。
でも土井さんの歌のほうはとてつもなく不気味です。他人の空似ってことはないでしょうか。」

鱶助「この二首は、どちらも[しあわせが身の内側にあり、視認できる」というレアな着想をしている。この点はもうイメージの遺伝子レベルの一致と思って良い。」

アシ「土井さんの歌は魚を思わせるから、どちらも食べ物を詠んでいますね。
で、違うのは、杉崎さんの歌の[しあわせ]は、アンパンを食べる人も味わうことができるけれど、土井さんの歌の[しあわせ]の水疱は、捌いた段階で消えてしまい、食べる人には届かない、ということです。」

担任「その違いは重要ですが、イメージの遺伝子レベルの一致は変わらないと思います。どうぞ、『はらわたを開けば』ちゃんをお連れください。」

■詩情のビフォー・アフター

▲海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
寺山修司『われに五月を』1957

担任「こ、これはまた超有名な……。お探しはどの子ですか。」

▼どうしても泣くならここで 海ほどにひろい帽子をかぶってみせる

土井礼一郎『義弟全史』2023


担任「たしかに、ところどころ掠っていますね。」

アシ「『海を知らぬ少女』も『どうしても泣くなら』も、二人の登場人物がいて(たぶん男女で)すよね。
で、前者の方は、
少女に海を説明するために、[こーんな]とか言って手を広げて話している初々しい場面の回想かと思いますが、この歌は非常に知られ、詩情セット[帽子+海+広い+少年少女の初々しさ]的に、短歌の世界で咀嚼・消化されてきたと思うんです。そして、」

花子「そして、土井さんの歌のほうは、その少年も少女ももう大人になってるみたい。
男の人が、泣いている女の人を慰めるために、少年少女みたいな無邪気を演出して、麦藁帽子をかぶってみせてる。そういう場面みたい。」

鱶助「ただし、これは約70年の時を経た詩情のビフォー・アフターだ。人のビフォー・アフターではない。
[帽子+海+広い+少年少女]の詩情が既存のものとして確立したから、『海ほどにひろい帽子をかぶってみせる』という演出によって、少年少女時代の初々しさの詩情を喚起できる。そういう種類のビフォーアフターだ。」

担任「なるほど。それも詩歌的血縁のひとつでしょうね。では、『どうしても泣くなら』ちゃんをお連れください。」

■ビフォー・アフター その2

星空がとてもきれいでぼくたちの残り少ない時間のボンベ
杉崎恒夫『パン屋のパンせ』

担任「はい。どの子の保護者さまですか?」

▼もうなにも見えなくなった僕の住む家に小さな蛍飛び交う
土井礼一郎『義弟全史』

担任「えーと、どのようなご縁なのでしょう?」

アシ「まず雰囲気が似ています。
『星空が』の歌はまだいちおうこの世界が残っていますけど、『もうなにも』のほうは世界がほぼ終わってしまった感じ。星空が、わずかなホタルになっちゃった。
つまり、これもビフォーアフター的なご縁でしょうね。

担任「それだけでは、他人の空似かもしれませんよ。」

鱶助「どちらも、終焉を静かに受け入れていて、情によるエネルギーを使わずに詠んでいるところも通じ合う。」

担任「そうですか。では、『もうなにも』ちゃんをお連れください。

花子「ついでに言うと、土井さんのこの歌は、最初に帰った『頬杖をついて居眠る』の歌の数年後ってかんじでもあるわよ。」

担任「家系図のどこかでつながるかも。門を出て右に行ってみてください。追いつけますよ。」


■家がこわれるとき


家ひとつこわれてのちを空中に浮かびつづけるしかくいひかり
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』2006

担任「はい。お探しはどの子でしょうか。」

壊されてゆくとき家の内臓が空に呑まれているのが見える
土井礼一郎『義弟全史』2023

担任「内容はほんとに似ています。昇天する感じも共通してて、トシの離れた双子というか。」

アシ「トシの離れた双子? それなんか変。」

花子「この二つの歌は、別の日にした同じケーキの食レポみたい。」

鱶助「『家ひとつこわれ』の方は魂的なものがしばらく漂う、そういった余韻を詠んでいる。
壊されてゆくとき』のほうは、『内臓』と言うことで家が生き物化する。『内臓』だから気味悪いはずなのに、なぜか気味悪さよりも、昇天するらしいことに救いを感じてほっとする。その一方、空は『昇天』を受け入れているのでなく、ただ何でも回収する究極の穴のような、そういう意識のズレもおもしろいと思う。」

担任「えーと、とにかくもう、すごい血縁者ですよね。どうぞお連れください」

■殺しと成長

男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる
平井弘『前線』1976

担任「はい。こ、これはまた、よく知れ渡ったお歌ですね。どのお子さんをお探しですか?」

だれしもが早くおとなになりたきにごきぶり殺せいいから殺せ
土井礼一郎『義弟全史』2023

担任「あー、なるほど。」

アシ「平井さんは戦時下の銃後の世界の恐ろしさを描くことで知られてて、不気味なこの歌『男の子なる』はあまりにも有名です。」

花子「どちらも銃後の世界なんだと思う。でもこの二つから想像される戦時下の性質が違う、感じ……。」

アシ「変なことを言いますが、土井さんの方は普通に言う戦時下ではないのかも。目に見える戦争はしていない。だから戦時下じゃないが、戦時下より心が荒れるような状況下にあるのかも。」

鱶助「とにかく、この2首は同じ遺伝子を備えている。それはもう疑えない。」

担任「なるほど。では『男の子なる』さま。『だれしもが早く』ちゃんをお連れください。お気をつけて。」

■ぜんぜん違うぞ!

眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし後王子死す
ルビ:誦(よ)
岡井隆『斉唱』1956

担任「はい。どの子の保護者さんですか。」

ねむるということばばかりを振りかざし童話のなかの人は死にゆく
土井礼一郎『義弟全史』

担任「こ、これは。
材料は重なっていますが、どうなんでしょう。内容はすごく違うような。」

花子「見た目はあきらかに同族。だけど極端につっぱっている。まさかと思うがやっぱり同族。みたいなことをおっしゃりたくておいでになったのでは?」

司会「そういうお迎えもありでしょうか。」

アシ「『眠る』『童話』『死』という三枚のイメージカードセットをシャッフルして、繋ぎ直して歌を詠みなさい、という課題で作ったら、こういうふうなり得ますよね。
 なんていうか、そうだ! 遺伝子をちょっと組み替えた新種。」

鱶助「つまり、他人の空似とは違う。家族だが似ていない。」

花子「家族のそらにず、かな。」

担任「わかりました。そういうこともある、ということで、どうぞお連れくださいませ。」

■植物に加害する

雨つぶを散らしてきみは力ある葡萄の房をひきおろしたり
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

担任「おやおや、どのお子さんの保護者さんでしょう。」

ぴかぴかの顔であなたは園庭のヤブガラシさえほどいてしまう
 土井礼一郎『義弟全史』

担任「縁は強い。でもキャラはずいぶん違いますね。
『雨つぶを散ら』す『きみ』はちょっとワイルドで魅力的な女性。それに対して、『ぴかぴかの顔でヤブガラシさえほどく』は、……これはどういうキャラでしょうか。」

アシ「ヤブガラシといえば、絡みついて蔓延する困った雑草ですよね。
でも、普通の雑草退治、除草剤をまくとか焼き払うとかでなく、『ほどく』というすごく知的な対処法をとることが新しいです。」

担任「そうですね。環境に優しいし、なんというか、この方法だと、ヤブガラシをメンタルで打ち負かして面目を失わせるような……。」

花子「普通に考えれば申し分のない対処なんだけど、でもこの歌は、手放しに肯定してはいないのよ。
ぴかぴかの顔であなたは……ほどいてしまう』には、ほんの微かに、『ぴかぴか得意げだね』っていうのニュアンスがある。
 絡むヤブガラシは庭園にとってまさにカラミティー(calamity・惨禍)。で、ほどくという方法は逆カラミティー。毒をもって毒を制す、みたいに、相手と同じ力で退治したことに、ちょっと引っかかりを感じている気がするの。」


担任「なるほど。ま、違いはあっても、個性の異なるご家族でしょう。ということで、どうぞお連れください。」



担任「さて、今日はここまでとしましょうか。
 また次の機会もあると思います。ではでは。」


2024・8・31


なお『義弟全史』その1も、こことはやや異なりますが、歌を比較しながら深く詠み込んでいく方式です。よろしかったら御覧ください。

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