短歌に詠む題材としての「水槽」
水槽を割って魔法を解いた もう因果関係のない胸と空
兵庫ユカ『七月の心臓』
ひと束の意識を燃せば水槽にみぞれのように生まれる気泡
笹井宏之『てんとろり』
水槽を詠む歌はなかなか魅力的である。
冒頭にあげたのは私のお気に入りの歌。
水槽を詠む歌はこのごろ増えてきている気がするので、ちょっと調べてみた。
■「水槽」という題材は、やや人気が出始めている
「水槽」が歌に詠まれる頻度は0.07%。
これはそこそこ多めだと思う。
また、近代歌人の歌では見られなかったので、題材として新しい。
似たものの頻度も調べてみた。
「檻(ケージ含む)」0.06% これは近い。
以下はケタ違い。
「虫かご(別表記含む)」0.007%
「犬小屋」0.008%
他にも比較の基準となるよう、家具などの頻度を調べてみると、
「電話」0.36% 大人気。
「冷蔵庫」0.12%。
「たんす(別表記含む)」0.03%
「洗濯機」0.04%
「掃除機」0.02%
「水槽」の0.07というのは、
そこそこ詠まれているほうだと思う。
歌に詠まれるかどうかは、身近でよく目にするかどうかでなく※、「歌に詠みたい」と思うかどうかで決まる。
つまり、「水槽」が創作意欲をそそる度合いは、創作意欲をそそる度合いが「たんす」以上、「冷蔵庫」未満だということだ。
(※身近でよく目にするものが歌に多く詠まれる、と思われがちだが、目するかどうかはあまり関係ない。ちなみに「財布(別表記含む)」が詠まれる頻度は0.03%である。)
■ 歌人を詠みたい気持ちにさせる要素とは?
1 水槽の中のものの動きや姿に魅力がある
2 水槽は、二つの世界が隣接している状況である
(1)別環境の世界の隔てられ方の微妙さ
外からも内からもお互いが見えている。
見る人の顔がガラスに映ることもある。
二つの世界を隔てるのはガラスという壊れやすいものである。
(2)外側の世界のほうが圧倒的に優位
体積が圧倒的に外側が大きい。
内側のものは、閉じ込められ、生かされている。
ガラスが壊れれば内側の生物は生きられない。
(「虫かご」の虫はチャンスがあれば逃げおおせる。)
(3)小さな世界での争いや死骸を目撃しやすい。
世の中の縮図のように見える。
水槽の中のものの動きや姿を描写する
A 中のものの描写に重点がある歌
ほの暗き水槽の壁にたくさんの吸盤つけて蛸、瞑想す
やわらかく白い体をひるがえしゆっくり沈む水槽のエイ
小島なお『乱反射』
午後四時の鈍きいなづま水槽の隅にさかなの眼あつまる
ルビ:鈍【にぶ】
小島ゆかり『憂春』
水槽の水の裏にも春が来てめだかの動き素早くなりぬ
高野公彦『流木』
縫いぐるみを脱ごうとしない水槽のジュゴンはきっと恥ずかしがり屋
杉﨑恒夫『パン屋のパンセ』
ひるがえってもひるがえっても水槽のメダカ光を抜け出でられず
入谷いずみ『海の人形』
B 中のものを描写だが、見ている人の気分などにもやや重点をおく歌
ふりむけば足音も無くペンギンが立っていた水槽のうちがわ
鯨井可菜子『タンジブル』
ざりがにの眠りを見たの横むきに浮いて眠るの深夜の水槽
岸原さや『声、あるいは音のような』
水槽をたどれば指に寄ってくるグッピーは十匹の暗さを成せり
梅内美華子
『横断歩道(ゼブラゾーン)』
生餌という命もありて水槽に小赤百匹千五十円
関野裕之『石榴を食らえ』
水そうの中は平和な世界ですおぼえてますか食物連鎖
ながや宏高
「かばん新人特集号」2015年3月
c 水槽を見ている人のしぐさ等の描写に重点をおく歌
背を向けるといふのではなく昼深き水槽の魚忘れるやうに
魚村晋太郎『銀耳』
ざりがにが三匹減った水槽を指をまるめて見ているばかり
加藤治郎
金魚鉢をのぞく少女の眼球がガラス一杯に拡がりてゆく
楠誓英『青昏抄』
二つの異種の世界の隣接を意識する
A 水槽に顔を映す、話しかける
水槽へのささやかなアプローチを詠む歌も多い。
汗だくのわが顔うつる水槽をすずしき色の魚のよぎれる
宇佐美ゆくえ『夷隅川【いすみかわ】』
外側の熱さと水槽の中の涼しさの対比。
「汗だく」の水気の効果が意外に重要だと思う。
外と内の水量の違いは、世界の質の違いを表して対比の効果を高める一方、外側にも水があるという点は、二つの世界の共通点でもある。
お嬢さんの金魚よねと水槽のうへから言へりええと言つて泳ぐ
河野裕子『歩く』
水槽を泳ぎ疲れた金魚には恋人の目の小ささを言う
鈴木晴香『夜にあやまってくれ』
金魚鉢の隅で溺れているような顔だ笑えているにしたって
田丸まひる『硝子のボレット』
B 水槽を見て考えること
水槽を見ると、思わず何か考えてしまうのか?
からっぽの水槽に水を張ることを弔いににてると笑う放課後
山崎聡子『手のひらの花火』
未知は救ひ 夏ふかくなり水槽に豆腐傷つきあひつつ沈む
塚本邦雄『日本人靈歌』
水槽が聞こえるベッドが与えられ夜は飼われる側の生活
初谷むい『花は泡』
ひとりならこんなに孤独ではないよ水槽で水道水を飼う
木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』
This video has been deleted. そのようにメダカの絶えた水槽を見る
岡野大嗣『サイレンと犀』2014
竜殺しのあまたの神話を思いつつエイのはばたく水槽すぎぬ
井辻朱美『水族』
c 内と外との微妙な関係
水槽の内と外とは別世界で関わりにくい。関係のなさ、関係の微妙さを扱う歌群がある。
水槽に舶来のメダカ覗くとき街の四方を風が区切れり
田村元『北二十二条西七丁目』2012
四角く区切られた水槽のメダカを見たとき、自分の街が水槽のように四角く風に区切られている図を思い浮かべた。「舶来のメダカ」の「遠くから小さなものが自分の意志でなく連れてこられた」という心細い境遇に、なんとなく、自分のなかにある似たような心細さが喚起されたのだろう。
ビルが爆ぜる画を見ていたら水槽のイソギンチャクにびっしりと泡
ルビ:画【え】
久真八志「かばん」2013年8月
ビル爆破の映像をこれといって何を感じることもなく見ていたが、ふと目を移した水槽のイソギンチャクに泡がこびりついていた。自分は気づかなかったが、イソギンチャクが自分のかわりにぞっとして反応したかのようだ。--とまではっきりとは言わない。
自分の心情等を何かに投影する歌は多いが、その中に、このように、何かを見て自覚していない心情に気づく歌もある。予期しないところに鏡があって「あらあの人、セーターが裏返し。私か。」と気づくような感じ。
あるいは、自分の脳を水槽に預けてあるような感じともとれる。
ひと束の意識を燃せば水槽にみぞれのように生まれる気泡
笹井宏之『てんとろり』
意識を燃やすのは水槽の外の自分だが、水槽の気泡に連動している点が、上の歌と少し共通する。
「この現実」は実験室の水槽の一つの脳が見つづけている夢
九螺ささら『ゆめのほとり鳥』
水槽を割って魔法を解いた もう因果関係のない胸と空
兵庫ユカ『七月の心臓』
比喩として水槽やその中のものに言及する
ピアスとは浮力を殺すため垂らす錘だれもが水槽の中
山田航『水に沈む羊』
水槽のまぐろみたいに歴史から忘れ去られてゆくさやうなら
西田政史『ストロベリー・カレンダー』
みづくさのそやそや揺るる水槽のごときこころをたづさへてゆく
田口綾子『かざぐるま』
水槽をよぎる熱帯魚のようにゆるりと君に寄せる耳たぶ
鈴木晴香『夜にあやまってくれ』
水槽に助詞や形容詞を放ち短歌のようなものをそだてる
笹井宏之『てんとろり』
夜と呼ぶ水槽にいまわれらゐて唇はつけたりつけなかつたり
飯田彩乃『リヴァーサイド』
そのほか
金魚鉢の歌
私には私が必要だったのです金魚鉢のように悲しかったです
三好のぶ子「かばん」2002年12月
不完全なる存在を梅雨闇の金魚鉢にも感じていたる
藤原龍一郎『切断』
金魚鉢の金魚横から斜めから上からぐわんとゆがんでる冬
穂村弘『水中翼船炎上中』
虫かごの歌
虫籠を開け放つように兄は売る蒐集したる記念切手を
沼尻つた子『ウォータープルーフ』
開け放つ虫かごよりぞ十方にいきもののがれしたたるみどり
玉井清弘『風筝』
今日はこのへんでおしまい。