■すっぽかす
2020年9月20日
「すっぽかす」という語を含んだ歌は以下の1首しかなかった。
虫武一俊『羽虫群』
■金太郎飴
2020年3月26日
「金太郎飴」という語を含んだ短歌は以下2首しかなかった。
こずえユノ「かばん新人特集号」2010・12
小野田光『蝶は地下鉄をぬけて』
高柳蕗子の短歌評論ブログ「ひょーたん」です。 テーマ別短歌コレクション。短歌の評論に関わる雑メモなど。ロビン・D・ギルさんにご協力いただいた狂歌コーナーも。#短歌評論 #高柳蕗子 #ひょーたん
2020年9月20日
「すっぽかす」という語を含んだ歌は以下の1首しかなかった。
2020年3月26日
「金太郎飴」という語を含んだ短歌は以下2首しかなかった。
データベース闇鍋を使って短歌などを検索していると、「え、こんなフツーの言葉があんまり短歌に使われていない?」と驚くことがあります。
そこで、用例が一首しかない場合を「ワン鍋賞」、二首しかない場合を「ニャン鍋賞」として讃えることにしました。
また、用例が3首以上でも、普通はよく使う語なのに、そのわりには歌にはあまり詠まれていない、という場合も、「レア鍋賞」として、ここにご紹介することにします。
ついでに、一般に使う語なのに短歌にまだ使われていないような単語をみつけたら書き留めておきます。
短歌という定型詩は、一三〇〇年以上の伝統を背負う円熟した詩型だと思われがちですが、実は短歌はまだ幼く、日本語を使いこなせていない。実はカタコト状態なのです。
日本語の言語活動の現場を見渡すと、短歌はほんの一角を占めているだけであり、そこで使える語彙がかたよっているし、単語レベルで見ても、ある単語に意味がいくつもある場合に、短歌に用いられているのはその一部だけ、というふうに偏っていることが少なくないのです。
短歌は、古典時代から少しずつ、ほんとに少しずつ、使える言葉や意味を増やしてきていていますが、まだまだ「完成された詩型」ではないのです。
それなのに、短歌という詩型は、完成されたものとして敬われてしまう面があります。
江戸時代には「歌道」として敬われ、当時の新ジャンル、俳諧や川柳の基礎的教養と位置づけられました。(ゆえに過去を踏襲することが重視され短歌は何百年も停滞した、と学校で習った。)
今でも、短歌に冠する言説において、伝統など、あたかも短歌には堂々とふりかぶる権威があるかのような言い回しを見かけますが、過去の成果がどんなにたくさんあったって、まだまだ足りない。過去を地固めしつつ、あくまで謙虚に、新しいことを取り入れることが大事であると思います。
魚の腹にぎっしり詰まる卵みたいだな。
ホチキスに針を入れていて卵巣を思い浮かべた。
こういうふうに無機質のものが生体と結びつくと、ちょっと詩情をそそられる。短歌に詠まれやすいんじゃないか、と思って、データベースを検索してみた
そのなかから本日の好みで少しピックアップする。
おとな海老ミソで壊れホチキスが針を吐くのだ五月の怒涛 和合亮一
何がどうしたと散文のように読むことが出来ない歌だ。歌が冒頭からそういう読み方を拒否している。そのかわり、この文字数では通常言い切れないことが盛られているようだ。
窓という窓から月は注がれて ホッチキスのごときくちづけ 穂村弘
本日の闇鍋短歌総数 111,431首
うちホチキスを詠む歌 21首
テキスト検索
検索文字列:ホチキス・ホッチキス・ステープ(ステープル・ステープラー)
ホチキス 14、ホッチキス 7、ステープは該当なし