2023年7月21日金曜日

ちょびコレ18 黒い靴

   「ちょびコレ」とは、

「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、

「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。


(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)


■黒い靴

赤い靴は詠まれていそうだが、黒い靴も多少ありそうだと思って探してみた。

多少あった。
本日の闇鍋短歌総数125320首
うち黒い靴に言及している歌は、以下の7首。

ただし、「靴」という語を使わず「黒いパンプス」などと書いてある場合は抽出されていない。

一足の黒靴がならぶ真上より大きな足が下りて来たる
山崎方代『こんなもんじゃ』

旧臘ふたり明けて三たりの弔いに行きし黒靴かぜに当ておく
※旧臘=前年の十二月
久々湊盈子『鬼龍子』2007

芭蕉の墓割れて接着されてをり黒き革靴にてわれは立ちをり
渡辺松男『雨(ふ)る』2016

湖にこれから入るかのようにあなたは黒い靴を脱ぎ、寝る
千種創一『千夜曳獏』

カブトの靴クハガタの靴黒と茶のおほき革靴荷をはみ出しぬ
米川千嘉子『吹雪の水族館』

アカシアの木下に待っている父の海石のごとき黒い革靴
ルビ:海石【いくり】
小島なお『展開図』

父は老いをしずかに踏みぬ黒き靴光らせながら曲がる踊り場
中山洋祐「詩客」2012-09-07


それぞれに良さは感じる。

しかし、
「黒靴」のイメージ(あまり意識化していなかったが漠然とある既存のイメージ)を、
「思いっきりつゆだく」に感じさせたり、「超えた!」と驚かしたり、のどちらも見当たらない。

「そこそこ良い」っていうのは、私が詩歌に求めるものではないけれど。むろん「良い」ほうに位置づけられるだろう。

ファッションの通販の冊子をみていたら、「きれいめ」という言葉に遭遇した。
この社会には「きれいめ」程度の服装がふさわしい場面があるだろう。
で、短歌にも「良いめ」程度の歌がふさわしい場面が、たぶんあるのだろう。


なお、赤い靴も、思ったほどには詠まれていないようだ。
「靴」と言わずスニーカーなどと言っているケースは抽出されない。

赤い靴の丸いつまさき海を向く深くにごりてブイの浮く海
東直子『青卵』

人身御供にされた少女の赤い靴葬るように靴を包んだ
東直子「短歌研究」2015・3

脱ぎ散らす赤いミュールの靴底に貼りついていた蝶の片羽
入谷いずみ『海の人形』

どろんこの水はねあげる長靴はツヤツヤ赤くお気に入りなの
榎田純子『リズムみそひと』

切り捨てて憧れだけが遠ざかる二本の脚よ赤き靴履け
有沢螢『致死量の芥子』

赤い靴が傘をはみ出し前へ出る濡れながら出るわたしの靴が
中津昌子『むかれなかった林檎のために』

赤イ靴ノオトコ入要アリタリア桜ノ季節ニチルドデ送レ
蔦きうい「レ・パピエ・シアン」75号2005.4

赤と青の子供の靴が落ちてゐる旧き館の格子のまへに
服部崇『ドードー鳥の骨』2017

おんぶしてやれば膝から下だけではね回る魔法の赤い靴
原浩輝「かばん」2000・6


なお、青い靴を詠んだ歌はこれ一首だった。

イタリイといふうす青き長靴のもう片方を片手に提げて
紀野恵『フムフムランドの四季』

2023・7・21

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