ものみなの青きふるさと老いてなほ親いますゆゑかなしきふるさと
岡野弘彦『石打てば石』1976
無音の迫力!
ぱっと見、ふるさとの自然の中で親が年老いてかなしい、という歌に見える。だが、「かなしき」と思う理由の中心はそこではないだろう。
青々と元気な自然(永遠)にとり囲まれて、親(限りある命)が老いて吸収されていく無音の迫力がすごくて、単に親が老いることがかなしいということでは釣り合わない。
「老いてなほ親います」というフレーズは、巨大な〈青〉のなかに縮んで縮んでもうじき呑み込まれるいく小さな命を描き、生死の摂理そのものを具現化している。
〈ふるさと〉とは命を得て育った場であるけれど、全うした命を呑み込んで回収する場でもあるようで、そういうこと全体を「かなしき」と言っているように感じられる。
「青」という色にはその呑み込むような激しさがある。
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なお、近代以降、存在は「青」とせめぎあう、ということが無意識なテーマになっているというのが私の持論であり、その観点に立つと、圧倒的な青に呑み込まれずにいる、という意味で、この歌は牧水の白鳥の歌にほんの少し通じるところも、個人的には興味深い。
「ものみなの」と振りかぶると厳粛な感じ。衆生がけなげに生きる世界、的な詠嘆がプラスされる。「ものみな」の他の用例で確認しておこう。
ものみなの饐(す)ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞(きこ)ゆ
ついでに「ものみな」
「ものみなの」と振りかぶると厳粛な感じ。衆生がけなげに生きる世界、的な詠嘆がプラスされる。「ものみな」の他の用例で確認しておこう。
ものみなの饐(す)ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞(きこ)ゆ
ルビ:饐【す】 聞【きこ】
斎藤茂吉『赤光』
ものみなに水のみなぎる秋を在り然も絶えざる渇きを歩む
須永朝彦『定本須永朝彦歌集』
ものみなは性器のごとく浄められ都市の神話の生まるると言へ
ルビ:浄【きよ】
前登志夫『子午線の繭』
ものみなの像は影につつまれて歌ごころのみのこる黄昏
ルビ:像【かたち】 黄昏【たそがれ】
江田浩司『孤影』
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