「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)
■黒い靴赤い靴は詠まれていそうだが、黒い靴も多少ありそうだと思って探してみた。
多少あった。
本日の闇鍋短歌総数125320首
うち黒い靴に言及している歌は、以下の7首。
ただし、「靴」という語を使わず「黒いパンプス」などと書いてある場合は抽出されていない。
一足の黒靴がならぶ真上より大きな足が下りて来たる
山崎方代『こんなもんじゃ』
旧臘ふたり明けて三たりの弔いに行きし黒靴かぜに当ておく
※旧臘=前年の十二月
久々湊盈子『鬼龍子』2007
芭蕉の墓割れて接着されてをり黒き革靴にてわれは立ちをり
渡辺松男『雨(ふ)る』2016
湖にこれから入るかのようにあなたは黒い靴を脱ぎ、寝る
千種創一『千夜曳獏』
カブトの靴クハガタの靴黒と茶のおほき革靴荷をはみ出しぬ
米川千嘉子『吹雪の水族館』
アカシアの木下に待っている父の海石のごとき黒い革靴
ルビ:海石【いくり】
小島なお『展開図』
父は老いをしずかに踏みぬ黒き靴光らせながら曲がる踊り場
中山洋祐「詩客」2012-09-07
それぞれに良さは感じる。
しかし、
「黒靴」のイメージ(あまり意識化していなかったが漠然とある既存のイメージ)を、
「思いっきりつゆだく」に感じさせたり、「超えた!」と驚かしたり、のどちらも見当たらない。
「そこそこ良い」っていうのは、私が詩歌に求めるものではないけれど。むろん「良い」ほうに位置づけられるだろう。
ファッションの通販の冊子をみていたら、「きれいめ」という言葉に遭遇した。
この社会には「きれいめ」程度の服装がふさわしい場面があるだろう。
で、短歌にも「良いめ」程度の歌がふさわしい場面が、たぶんあるのだろう。
なお、赤い靴も、思ったほどには詠まれていないようだ。
「靴」と言わずスニーカーなどと言っているケースは抽出されない。
赤い靴の丸いつまさき海を向く深くにごりてブイの浮く海
東直子『青卵』
人身御供にされた少女の赤い靴葬るように靴を包んだ
東直子「短歌研究」2015・3
脱ぎ散らす赤いミュールの靴底に貼りついていた蝶の片羽
入谷いずみ『海の人形』
どろんこの水はねあげる長靴はツヤツヤ赤くお気に入りなの
榎田純子『リズムみそひと』
切り捨てて憧れだけが遠ざかる二本の脚よ赤き靴履け
有沢螢『致死量の芥子』
赤い靴が傘をはみ出し前へ出る濡れながら出るわたしの靴が
中津昌子『むかれなかった林檎のために』
赤イ靴ノオトコ入要アリタリア桜ノ季節ニチルドデ送レ
蔦きうい「レ・パピエ・シアン」75号2005.4
赤と青の子供の靴が落ちてゐる旧き館の格子のまへに
服部崇『ドードー鳥の骨』2017
おんぶしてやれば膝から下だけではね回る魔法の赤い靴
原浩輝「かばん」2000・6
なお、青い靴を詠んだ歌はこれ一首だった。
イタリイといふうす青き長靴のもう片方を片手に提げて
紀野恵『フムフムランドの四季』
2023・7・21
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)
赤い靴は詠まれていそうだが、黒い靴も多少ありそうだと思って探してみた。
多少あった。
本日の闇鍋短歌総数125320首
うち黒い靴に言及している歌は、以下の7首。
ただし、「靴」という語を使わず「黒いパンプス」などと書いてある場合は抽出されていない。
一足の黒靴がならぶ真上より大きな足が下りて来たる
山崎方代『こんなもんじゃ』
旧臘ふたり明けて三たりの弔いに行きし黒靴かぜに当ておく
※旧臘=前年の十二月
久々湊盈子『鬼龍子』2007
芭蕉の墓割れて接着されてをり黒き革靴にてわれは立ちをり
渡辺松男『雨(ふ)る』2016
湖にこれから入るかのようにあなたは黒い靴を脱ぎ、寝る
千種創一『千夜曳獏』
カブトの靴クハガタの靴黒と茶のおほき革靴荷をはみ出しぬ
米川千嘉子『吹雪の水族館』
アカシアの木下に待っている父の海石のごとき黒い革靴
ルビ:海石【いくり】
小島なお『展開図』
父は老いをしずかに踏みぬ黒き靴光らせながら曲がる踊り場
中山洋祐「詩客」2012-09-07
それぞれに良さは感じる。
しかし、
「黒靴」のイメージ(あまり意識化していなかったが漠然とある既存のイメージ)を、
「思いっきりつゆだく」に感じさせたり、「超えた!」と驚かしたり、のどちらも見当たらない。
「そこそこ良い」っていうのは、私が詩歌に求めるものではないけれど。むろん「良い」ほうに位置づけられるだろう。
ファッションの通販の冊子をみていたら、「きれいめ」という言葉に遭遇した。
この社会には「きれいめ」程度の服装がふさわしい場面があるだろう。
で、短歌にも「良いめ」程度の歌がふさわしい場面が、たぶんあるのだろう。
なお、赤い靴も、思ったほどには詠まれていないようだ。
「靴」と言わずスニーカーなどと言っているケースは抽出されない。
赤い靴の丸いつまさき海を向く深くにごりてブイの浮く海
東直子『青卵』
人身御供にされた少女の赤い靴葬るように靴を包んだ
東直子「短歌研究」2015・3
脱ぎ散らす赤いミュールの靴底に貼りついていた蝶の片羽
入谷いずみ『海の人形』
どろんこの水はねあげる長靴はツヤツヤ赤くお気に入りなの
榎田純子『リズムみそひと』
切り捨てて憧れだけが遠ざかる二本の脚よ赤き靴履け
有沢螢『致死量の芥子』
赤い靴が傘をはみ出し前へ出る濡れながら出るわたしの靴が
中津昌子『むかれなかった林檎のために』
赤イ靴ノオトコ入要アリタリア桜ノ季節ニチルドデ送レ
蔦きうい「レ・パピエ・シアン」75号2005.4
赤と青の子供の靴が落ちてゐる旧き館の格子のまへに
服部崇『ドードー鳥の骨』2017
おんぶしてやれば膝から下だけではね回る魔法の赤い靴
原浩輝「かばん」2000・6
なお、青い靴を詠んだ歌はこれ一首だった。
イタリイといふうす青き長靴のもう片方を片手に提げて
紀野恵『フムフムランドの四季』
2023・7・21