2023年10月15日日曜日

短歌による座談会5 ザリガニ

 

同じ題材の短歌を集めてみると、いろんな人がバラバラに詠んだ歌たちが集まって雑談をしているように見えてきます。

 そこで、
「短歌さんたちに自発的に参加していただき、
 以下の三人半でお迎えする」
という実験的な趣向
で、この場を開設いたしました。

 ・司会(外見は鹿。名前は公表されていない)
 ・アシスタント外見はアシカ。名前は公表されていない)
 ・鱶助くん(ふかすけ 深読みサポートAI)
     +その愛人的ペットの花子(棘バラ)

♦ご注意

 歌自身が降臨して参加するという設定です。(作者が参加するのではない。)
 歌は歌の言葉のみで参加し、自解はしません
 上記三人半が、
歌が降臨した意味を受け止め、歌を解釈して座談会を運営する、
  という設定です

では、とざいとーざーい


■教室にザリガニ


司会「9月も後半、夏休みはとっくに終わったというのに、まだ暑くてたまりません。
夏といえば、以前の「夏」は、子どもたちがいきものを捕まえる季節でした。
ある日はセミやトンボ、次の日にはザリガニやおたまじゃくし。
今思えば残酷な所業です。命のはかなさを学んだともいえますが、彼らの末路はみんな哀れなものでした。」

アシ「虫かごや水槽に入れて飼うんですよね。」

司会「そうそう。さんざんいじくりまわして寝る。翌朝、動かなくなっている。死んじゃったんだなあと思う。かすかにもやもやっとする。--そういう感じでしたね。」

花子「でもさ、ザリガニは強くて、けっこう長く生きてなかった?」

アシ「教室の水槽。誰かが持ってきたザリガニがいましたね。
 夏休み中は先生が世話をしていたのでしょうか。

ざりがにが三匹減った水槽を指をまるめて見ているばかり
加藤治郎(出典調査中)

司会「そうそう。こういうこと、ありますね。
[指をまるめて]という表現がなんとも繊細。
握りしめるでなく開くでなく、対処の難しい事態を目の当たりにしているのを、手の表情で描いている。」

アシ「歌に書いてないことは考えても無駄ですが、このザリガニが減ったのは、自然死でしょうか。それとも共食い?」

司会「歌の中の人が、指をまるめて考えているのは、まさにそのことでしょう。
つまり、争って共食いしたのか、自然死か。
自然死だとしても、死骸を片付けたのは先生か、それともザリガニたちか、って。」

アシ「[共食い]はザリガニのメインイメージのひとつですよね。」

■ザリガニといえば共食い


ザリガニが一匹半になっちゃった バケツは匂う夏の陽の下
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

司会「さっきの歌と好対照ですね。
シビアな現実を目の当たりにしているのは同じ。
しかし、さっきの場面は、目にした事実が[三匹減った]という婉曲なものでしたが、
こちらが直面しているのは、[一匹半]という露骨な事実です。」

花子「表現以前に、事実段階にも婉曲と露骨があるのね。
それって、すごくおもしろい着眼だわ。シカちゃんにしてはね。」

司会「(花子を無視し)
さっきの歌の事実は[数が減る]という婉曲な事実でしたが、こちらの歌の事実は露骨で、[一匹半]という見るからに衝撃的なものですね。
そこは違う。でも、あとの心の〝じわじわ感〟は少し似ていると思います。
さっきの歌では、子どもか誰かの理解のじわじわを、[指をまるめて見ているばかり]と表した。
こちらの歌でも、[半]となった残骸を見て、同じようなことをじわじわ考えているわけで、それを[バケツは匂う夏の陽の下]と表している、と思います。」

花子「ザリガニといえば夏なのに、それとなく、[バケツは匂う夏の陽の下]と[夏]を強調してある。これはかすかな示唆。戦いのあとの虚しさと言えば、やっぱ芭蕉の[夏草や兵どもが夢の跡]よ。
(くだらない反論は聞きたくないから言うけど、字数合わせに季節名をいれるのは初心者だけ。この作者はそんなことをしないわよ。)

司会「花子さん、[夏]と[戦い]のイメージセットの話、しょっちゅう言いますよね。(ナントカのひとつおぼえ。)

花子「しかたないでしょ。外国語ではどうなのか知らないけど、日本語で戦いの虚しさのイメージといったら[夏]なのよ。戦いに関係する内容で[夏]を入れたら、たとえ作者が意図しなくとも、言葉の世界にある既存の連想脈が刺激されちゃう。
多くの歌人が無意識にその詩的効果に促されて歌を詠む。逆にもしその既存の連想脈を常套的で嫌だと思うなら、何らかの回避要素をちゃんと添えておかなきゃいけないわよ。」

鱶助「話変わって、この歌の[一匹半になる]は、衝撃的であるだけではない。
[ひとりになる]や[ふたりになる]は、既に多くの詩歌に、さまざまな心情表現で詠まれてきているから、その間隙を縫う、という面白さもあると思う。
以下の白秋の詩はそのかなり上流に位置するだろう。
 二人デ居タレドマダ淋シ/一人ニナツタラナホ淋シ/
 シンジツ二人ハ遺瀬【ヤルセ】ナシ/ジンジツ一人ハ堪ヘガタシ
[ひとりになる]や[ふたりになる]は、対人的な心のありようや複雑さを詠むことが多いようで、[一匹半になる]は、そういうテーマとしても注目に値する。」

アシ「(別々に詠まれた同じ題材の歌を読みくらべると、共通点と相違点を考えるから、テーマの理解が深まるなあ。勝ち負けを競うものと思われている歌合は、実は詩歌鑑賞の理解を深める一つの方法なのかもだなあ。)
--あ、独り言です。失礼しました。」

司会「もし人間が[一人半]になると言ったら、オメデタです。
 だのに、ザリガニといえば共食いなんですね。なんだかなぁ。」

■共食いさせる


共食いでザリガニ釣りしあの夏の爆弾池はいまもゆうやけ
小高賢『耳の伝説』2013


司会「おお、こちらの歌は、共食いはザリガニが自発的にするだけではない、と言うために降臨されたんでしょうね。
言われてみて思い出しましたが、ザリガニ釣りはザリガニに共食いをさせるんですよ。
--最初は煮干しやスルメで釣って、次は、釣れたザリガニ自体を餌にする。
年上の子が得意そうに、ザリガニをへし折るようにして白い肉を出し、糸の先にくくりつけて見せたっけ。ああ、思い出した……。」

アシ「うわー、嫌ですね。
でもなぜ、その記憶が[いまもゆうやけ]なんでしょう?」

花子「(ニマーっとして)ふふん、それはね……。うぐぐっ。」

司会「(花子の口を押さえた。これは、花子がイケナイことを言いそうなときのお決まりのリアクション。)
き、君、いま、なんかすごくダークな皮肉を言おうとしてるね。だめだめ。」

アシ「[ゆうやけ]といえば夕焼小焼の歌など、子どもが遊びを終える頃合いですよね。
この記憶は、その場面で絵として焼きついた、っていう意味ではないでしょうか。」

司会「なるほど、残酷な行為ですが、ゆうやけを背景にした一枚の絵として心に刻まれている、という感じで、成長のステップとして、[ゆうやけ]で抒情的に仕上げているようですね。」

花子「ぶはー、ケホッ、ケホッ。
なによ! 誤解しないでよね。私もそれを言いたかったんだし、もっと続きがあるんだからね。--って、あれ? 忘れちゃったじゃないの、ケホッ、ケホッ。」

司会「花子さんの言いそうなことは想像できますよ。
例によって、この歌の[夏]と[爆弾]は戦争の縁語だとか言いたいでしょ。」

花子「それのどこが悪いの?」

司会「問題は、そのあとで言うであろうダークすぎる皮肉です。」

花子「はぁ? 私はどんなイケナイことを言うはずなんですか?」

司会「私からは言えません。」

花子「なにそれー。
私はただ、[爆弾池]は爆弾でできた池だろうし、[夏」といえば、太平洋戦争終戦だし、さっきの芭蕉の句もあるし、日本語には、[夏=戦いの終わり]という連想脈があるっていう、すごくまっとうなことを言おうとしただけよ。」

アシ「シカさんは、花子さんなら、
[戦争をゆうやけの抒情で安易に美化していいのか]
とかって、シンラツにケチをつけそうな気がしたんでしょうよ。くすくす」

花子「そのシンラツはあんたらが思ってることでしょ。私でなくて。」

アシ「いやいや、私は違います。
この作者は終戦の前年の生まれですからね、戦争への問題意識でなくて、単に子供時代の記憶を懐かしんで書いただけ、ではないかと思っていますよ。」

司会「はいはいはい。問題意識も鑑賞も人それぞれ。この話はおしまい。
とにかく、ザリガニは共食いをする。共食いには戦争への連想脈がある、っていうことで、次のお歌を待ちましょう。」

花子「ちっ!」

■ともぐいの比喩


まだあひこのままザリガニのはさみが用水に食べのこされてゐる
平井弘『遣らず』2021

喰ひのこされるまでゐてどうだつたのかザリガニらの鋏のぴいす
平井弘「楽座」第60号 2010

司会「こ、これは。
どちらも共食いの結果を描いていますね。
もしかすると戦争の比喩か、と思うと、もっと恐ろしい歌になります。戦争は人間の共食い……みたいなものですよね。
なんというキツい比喩でしょう。
食べ残されている形が[あいこのまま]とか[ぴいす]とかっていうのもぞっとします。」

アシ「[あいこのまま]っていうのは休戦だ休戦だっていいながら、結局、体がなくなるまで戦っちゃったみたいで、なんといっていいかわからない。」

花子「[ぴいす]の歌も、私たちが当然のように思っている今のこの[平和]が、共食いの結果であるわけで。」

司会「話題を変えるのが申し訳ないような気がするほど、これは真に迫ってしまいましたね……。」

■食物連鎖を外れた所業

しばられて白くなったヨッちゃんの赤酢イカにアメリカザリガニ
山下一路 『スーパーアメフラシ』2017

司会「これもザリガニ釣りの歌。さっきは共食いさせる話でしたが、こちらは[ヨッちゃんの赤酢イカ]で釣っていますね。[餌にされる]ことがテーマで、ザリガニは捕食者の役で登場しています。」

アシ「この作者は社会詠の多い人です。
 ただし、この作者は必ずしも具体的な時事を詠むわけでなく、大きく把握して普遍化する傾向が強いです。
 それでも、単にザリガニでなく、[アメリカザリガニ]と言っているのが気になります。大国を釣るための餌として小国が差し出される、的な具体的事例があったかなあ。」

司会「発表時期は?」

アシ「「かばん」誌2012年9月号の「ワンス・アポン・ア・タイム」という一連に似た歌がありますが、歌集収録の時文言を変えたようです。一連のタイトルも昔話風にとぼけていますし、具体的事例はわからなかったんですが、ぴんと来る人もいるのかも。」

花子「時事詠かどうかはわからないけど、せめて私たちが詩歌の言葉としてわかることは、ちゃんと見るべき。--それは、赤い色よ!
 [アメリカザリガニ]は赤いでしょ。[ヨッちゃんの赤酢イカ]も赤い。」

アシ「たしかに、両方赤い。」

花子「でも、そもそも[ヨッちゃんイカ]は、人間に捕獲され人間の餌食となるべく捕まったイカが赤酢漬けにされたもの。そのうえ[よっちゃんイカ]という愛称なんかで呼ばれちゃってさ、もとのイカの姿も尊厳も失ってた哀れなもの。
 この歌では更に、人間が食べるんじゃなくてザリガニ釣りの餌に使われて、人間の味覚に合わせた赤酢の赤さえも失い、ただの白いタンパク質になってる。これって、とことん失いつくした姿よね。」

司会「とことん失う……。花子さんの言う通りかもですね。
 さっきの[共食いさせる]にも何か道に外れる感がありましたが、こちらも例も、順当な食物連鎖から外れた究極ですね。」

■食物連鎖に戻ったら


田んぼに落ちて笑いあうふたりには巨大すぎるアメリカザリガニ
山下一路 『スーパーアメフラシ』2017

司会「えーと、同じ作者の歌ですが、さっきのと少し違いますね。
 二人で落ちるものといえば普通は恋。それがうっかり田んぼに落ちて、それでも面白がって笑っていたら、予想もしないアメリカザリガニという怪物に出会ってしまった。
 映画みたいに絵になってて、でもシリアスな歌。さっきの[ヨッちゃんイカ]をまた一歩進めたら、人間が外れていた食物連鎖に戻っちゃって、これもまた怖いです。」

アシ「今は田んぼがだいぶ減ったけど、かつて田んぼに落ちるってことは、偶発的で、わりとありえたことだと思います。
 命の危険はないけど泥だらけになる。だから笑い話のはずが、モンスターが現れた。」

司会「田んぼじゃなくて池だけど、偶発的に落ちて何かに出会うのは、ドングリコロコロもあります。
 ドングリは運良く親切などじょうに出会いましたが、この歌では恐ろしい巨大ザリガニに遭遇する。そういう点もおもしろいと思いました。」

鱶助「私はAIだが、今のところその社会派のデータが不足しており、十分な読み解きができない。
 とりあえず、大きく一般化して捉えるなら、謳歌している平和がいきなり失われる、というようなことも読み取れると思う。」

花子「[平和がいきなり失われる]ということが読み取れるけど、この歌はその警告ではない感じ。すでにそこここで起きてしまっていることを悲しんでいる感じがして、だからいっそう怖い。」

■はんぶんこ?

ザリガニをちぎってかっこいいほうをあげるからまだ帰らないでよ
木下龍也 「胎動短歌」vol.3 2023/5

司会「ひょえ? なんだこりゃ。」

鱶助「残酷な行為の手を汚す方は自分がやってあげる。しかも、そのワケマエは君に多くあげる。--実にダークなインセンティブだ。」

花子「たとえばフライドチキンとか、それっぽいものを半分コするとき、こういうふうに言ったら、ちょっとダークな王子様っぽくてさ、魅力を感じる相手もいるでしょうよ。
 ダークで子供っぽい無邪気さ残酷でセンスアップされた〝殺し文句〟っていう感じ。」

司会「あ、そうか、つまりこれは、[君を幸せにする]の変形なんですね。」

花子「さっきの歌みたいに、食物連鎖を外れて、命ある生物のからだを弄ぶ、っていう系統のどこかにも位置づけられる。」

アシ「じゃあこの歌は、社会詠ではなくて、戦争とかと関係づけないほうがいいのでしょうか。」

花子「そのイメージはむろん重要で、政治的な交渉を戯画化したような感じも受ける。
作者の意図は知らないけど(作者が詞書をつけて説明しない限り、すべての歌は作者の意図を超越しちゃうわけで)、そういう解釈もこの歌を生かす気がする。
 だけど、それは既に書いている人がいて既存のモチーフだ、ってことが、ここまで読んでわかったわよね。
で、ザリガニをはんぶんこすることと[君を幸せにするよ]というシチュエーションを結びつけるのは、すごく斬新であって、この要素を読み落としちゃいけない、って思うわ。」

司会「ある地域を挟んで二国がこういう口説き文句でワケマエ交渉をしている。そういう皮肉にもなり得るダークファンタジーってことですね。」

■ザリガニって十字架と重なる?


花子「ダークファンタジーっていえばさ、ちょっと話変わるけど、ザリガニって十字架っぽくない?」

司会「うーん、まあ。」

花子「磔刑のキリスト……、まな板の鯉……。意見を言えない当事者。
(ちょっと脱線だけど、日露サケマス交渉って、サケやマスの意見は聞かないわよね。)
ザリガニも、歌の中で、そういう役割をしてないかしら。」


アシ「磔刑のザリガニ?
磔刑じゃなくても、酷い状況の象徴として提示されるとか……? 
うーーん、ありそうな気がしてきました。」

あすはきょうの続きではなく太陽がアメリカザリガニ色して落ちる
虫武一俊『羽虫群』

司会「太陽がザリガニの色で落ちる。
こちら、磔刑とは言っていないけれど、でも近い気はします。
読んでいて一瞬、太陽とザリガニの姿が重なり、その色は、明日に続く感じがしない。燃え尽きてしまうような感じでしょうか。」

花子「磔刑じゃないけど、燃え尽きるまでさらされている。そういう悲壮感を感じる。」

■青インク!


バットに落とした青いインクがザリガニのエラの呼吸をしずかに示す
入谷いずみ『海の人形』

司会「むむ、これは、学校の理科の授業じゃないでしょうか。
ほら、葉脈をみるために、青いインクをまぜた水に葉っぱを刺して観察、しましたよね。」

花子「まさか、葉脈実験のザリガニバージョン?
エラ呼吸の視覚化だなんて、学校でやるには残酷すぎるでしょ。」

司会「以前の理科の時間は、カエルや魚の解剖とか残酷なことをやっていましたから、こういう実験もやっていたのかも。」

アシ「ネットで検索してみたところ、青インクでザリガニに何かする、というのは見当たりませんでした。
 餌や環境によってザリガニの色が変わるという話はあり、青くなる餌の話はありましたが、青インクなんて書いてません。」

鱶助「詩歌表現として鑑賞するなら、これが事実かどうかはさほど意味がない。
[青インクで葉脈の視覚化 → ザリガニのエラ呼吸の視覚化]
というイメージシフトだけでも価値がある。
 実際の理科の実験でも、短歌のイメージ内の実験でも、
エラ呼吸は、人間に見られることを想定していないものだが、それを人間が工夫して可視化し、見守っている場面だ。
衝撃・畏怖・罪悪感・興味のまざった感覚は、葉脈の実験よりはるかに強い。」

司会「[しずかに示す]のところ、何か厳粛なものを見守る感じですね。[しずかに示]されて見守る人たちも無言で、鼻息が強まったり、息を飲んだりするんだろうなあ。」

花子「人はともかく、このザリガニさんのご気分はサイアクだと思うわ。」

司会「抵抗できず生きながら標本にされているザリガニ。その哀れさも読み取れますよ。
さっきの磔刑の話にもちょっとつながるような気もしますし。」

鱶助「注目したいのは、この状況が、加害者と被害者という単純な構図ではないことだ。
 理科授業のこういう実験は、先生も生徒も好きでやってるわけではない。
 また、[実験]と呼んでいるが、もう結果はわかっている。生徒にエラ呼吸の仕組みを学ばせるために、[実演]して見せ、見せられている。
 そうした状況の複雑さも歌は伝えてきていると思う。」

アシ「あのう、歌がどうこうでなくて、これって、CTやMRI検査の造影剤検査を思わせませんか。胃のレントゲンのバリウムも造影剤ですし、脳の血管を見るため血液に造影剤を入れてする検査もあるそうです。
 人体に造影剤を入れて、見えないところを視覚化しようという怖い発想。脳に造影剤を入れて血管を見る検査なんかもあるそうです。」

司会「なんか背筋が凍ってしまいました。このさきはどうかあんまり怖くないお歌を……。」

■怨念・わだかまり


水底の朽木を抱いていろあかきざりがに一つ動かずに居り
高野公彦『水木』

司会「赤い、ということは、見る者に、ちょっと特別な意味を帯びて見えます。
重要な思い、忘れられないこと、怨念とか、わだかまりとか、そういった不変の激しい心情を具現化したように見えます。」

アシ「キリストは磔刑のあと蘇ることで原罪を贖うという意味がありますが、こちらはそういうことじゃなくて、個人的な心情だと思えます。[朽木を抱いて]も、古い出来事へのこだわり、を表すのでしょうね。」

花子「作者はそうだったかもだけど、意識しないほどかすかに[ザリガニ→磔刑]という連想脈が通じていたりしないかしら。」

司会「この歌で磔刑は考えすぎですって。」

花子「あらそ。」

生ぐさき水の中にて冬越せるアメリカザリガニ春に腐れり
花山多佳子 『続 花山多佳子歌集』(現代短歌文庫)2007

アシ「さっきの[水底の朽木]の歌の数カ月後、っていう感じです。
冬を越し、雪が溶け、春という新たな命の芽吹く季節が来たというのに、ザリガニは腐った。」

司会「ザリガニに付託した、怨念みたいな激しい心情が、解決せずに腐ってしまった=もっと悪い状態になった、ということでしょうね。」

花子「何かの悲惨な出来事のあとのイメージが、季節によって違うわよね。
[夏]は欲望や戦いの痕跡プラス虚しさ。
[秋]は、癒やし、そして実り。
[冬]は雪が覆い隠す。冷凍保存的にストップする。
[春]は雪解けとともにこういうふうに腐る。
どう?」

司会「どう?って言われても、それを今ここで考えると収拾がつかなくなりますよ。」

花子「あらそ。」

■死の気配


なっている目覚めればアメリカザリガニの見据える暗い泥のくずれに
我妻俊樹 Twitter 我妻俊樹(短歌)@agtm_bot 2021年5月29日

司会「[解決せずに腐って]という雰囲気は、さっきの歌にちょっと通じますが、立ち位置の違う歌ですね。
朝目覚めたら[ザリガニの見据える暗い泥のくずれ]になっていた。
ザリガニを見る歌が多いなか、この歌では自分がザリガニに見据えられています。」

アシ「朝目覚めたら云々は、カフカの『変身』を思わせなす。
が、『変身』では人が巨大毒虫になるんだけど、この歌の場合、[泥のくずれ]というすごくむなしい……死骸よりもっとむなしさの進んだ段階のものになってしまっていますね。」

鱶助「[犬も食わない]という言い方があるが、くずれた泥になったら、共食いをするようなザリガニでさえ食わないだろう。」

花子「今までの歌とは立場が逆転して、ザリガニに見られている、ということも、その徹底的な無力さの表現かしらね。
つまりこの歌は、物体としての死、究極のどうしようもないものに成り果てた状態を詠んだ、独自表現のひとつなのかしらね。」

ザリガニのにおいがすると思えども思うのみにてバケツの仏花
小島なお『展開図』

司会「こちらの歌でも、ザリガニと死が、イメージのどこかで繋がっていることを表していますね。」

アシ「仏花は、供えるまえにバケツにたてておくことがありますね。花の量が多いからなのか。
そのバケツが、ザリガニ釣りで使ったもので、匂いがしそうな気がするが、考えないようにしている、という意味の歌、ですよね。」

花子「仏花といえば菊で、強い匂いがする。
で、菊って、死の匂いを消すことが期待されている、的なことを連想させそうになってるところが鑑賞のポイントではないかしら。」

鱶助「ザリガニには共食いなど生々しい死骸のイメージがある。
一方、[仏花]は葬儀という、生々しさの対極の儀式で使うもの。
だから、イメージにおいてもザリガニの気配を打ち消、みたいなことが、心理の表層をふと這うことがある。
心理は深層だけでなく、こういうふうに表層を這うものを捉える歌もある。ちゃんと読み解きたい。」

*  *  *


司会「さて、ザリガニというものにまつわる深刻なテーマにすっかりおどろかされました。そろそろお開きにして休養しましょうか。」

花子「いいけど、シカちゃんにしてはめずらしいわね。」

アシ「疲れましたよ。お祈りして眠りたい気分です。」

鱶助「じゃあ充電開始。」

司会「あなた今日はあまり喋っていないのに充電ですか?」

鱶助「今日は花子にしゃべってもらった。花子にエネルギーを譲ったんだ。」

司会「そういう仕組だったんですか。つまり、あなたは二人分の枠を持っている。」

鱶助「小さいことは気にするな。」














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