2023年7月21日金曜日

ちょびコレ18 黒い靴

   「ちょびコレ」とは、

「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、

「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。


(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)


■黒い靴

赤い靴は詠まれていそうだが、黒い靴も多少ありそうだと思って探してみた。

多少あった。
本日の闇鍋短歌総数125320首
うち黒い靴に言及している歌は、以下の7首。

ただし、「靴」という語を使わず「黒いパンプス」などと書いてある場合は抽出されていない。

一足の黒靴がならぶ真上より大きな足が下りて来たる
山崎方代『こんなもんじゃ』

旧臘ふたり明けて三たりの弔いに行きし黒靴かぜに当ておく
※旧臘=前年の十二月
久々湊盈子『鬼龍子』2007

芭蕉の墓割れて接着されてをり黒き革靴にてわれは立ちをり
渡辺松男『雨(ふ)る』2016

湖にこれから入るかのようにあなたは黒い靴を脱ぎ、寝る
千種創一『千夜曳獏』

カブトの靴クハガタの靴黒と茶のおほき革靴荷をはみ出しぬ
米川千嘉子『吹雪の水族館』

アカシアの木下に待っている父の海石のごとき黒い革靴
ルビ:海石【いくり】
小島なお『展開図』

父は老いをしずかに踏みぬ黒き靴光らせながら曲がる踊り場
中山洋祐「詩客」2012-09-07


それぞれに良さは感じる。

しかし、
「黒靴」のイメージ(あまり意識化していなかったが漠然とある既存のイメージ)を、
「思いっきりつゆだく」に感じさせたり、「超えた!」と驚かしたり、のどちらも見当たらない。

「そこそこ良い」っていうのは、私が詩歌に求めるものではないけれど。むろん「良い」ほうに位置づけられるだろう。

ファッションの通販の冊子をみていたら、「きれいめ」という言葉に遭遇した。
この社会には「きれいめ」程度の服装がふさわしい場面があるだろう。
で、短歌にも「良いめ」程度の歌がふさわしい場面が、たぶんあるのだろう。


なお、赤い靴も、思ったほどには詠まれていないようだ。
「靴」と言わずスニーカーなどと言っているケースは抽出されない。

赤い靴の丸いつまさき海を向く深くにごりてブイの浮く海
東直子『青卵』

人身御供にされた少女の赤い靴葬るように靴を包んだ
東直子「短歌研究」2015・3

脱ぎ散らす赤いミュールの靴底に貼りついていた蝶の片羽
入谷いずみ『海の人形』

どろんこの水はねあげる長靴はツヤツヤ赤くお気に入りなの
榎田純子『リズムみそひと』

切り捨てて憧れだけが遠ざかる二本の脚よ赤き靴履け
有沢螢『致死量の芥子』

赤い靴が傘をはみ出し前へ出る濡れながら出るわたしの靴が
中津昌子『むかれなかった林檎のために』

赤イ靴ノオトコ入要アリタリア桜ノ季節ニチルドデ送レ
蔦きうい「レ・パピエ・シアン」75号2005.4

赤と青の子供の靴が落ちてゐる旧き館の格子のまへに
服部崇『ドードー鳥の骨』2017

おんぶしてやれば膝から下だけではね回る魔法の赤い靴
原浩輝「かばん」2000・6


なお、青い靴を詠んだ歌はこれ一首だった。

イタリイといふうす青き長靴のもう片方を片手に提げて
紀野恵『フムフムランドの四季』

2023・7・21

2023年7月2日日曜日

お知らせ 豆歌集販売中 2023/7更新

2023・7更新
豆歌集 現在のラインナップ
で販売しています。
(送料込440円)

東京文フリ350円/ネット通販440円(送料込)

B8サイズ(トレーディングカードぐらい)
1ページ1首で50首収録。

■友人豆歌集

平井 弘  ねえむうみん new
既刊歌集より童話童謡にモチーフを借りた寓意歌を50首抽出。
一部ヒントつきの特別版。

杉山モナミ 蝶は迷子 new
著者のお気に入りと編者のお気に入りを合わせた珠玉の50首。

山下一路  よりぬき スーパーアメフラシ
『スーパーアメフラシ』(2017年)より50首厳選。

■高柳蕗子豆歌集

 [ご注意] 
 高柳の豆歌集の歌はほぼホームページで読めます。
 雰囲気を楽しみながら読みたい方におすすめ。

■『未来の福耳』高柳蕗子(2007年の全歌集より後の作品から50首厳選)
■『よりぬき 潮汐性母斑通信』高柳蕗子
 (2000年刊行の『潮汐性母斑通信』から49首、その直後の歌から1首。計50首)
■『あいうえおごっこ』高柳蕗子
(1994年刊行の『あたしごっこ』よりアリタレーション歌連作「あいうえおごっこ」を全歌収録。おまけ:「あなたごっこ」=「あたし」を詠み込んだ連作「あたしごっこ」から抄出し「あたし」を「あなた」に置換えたものも収録。

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2022・12・5
豆歌集を作ってみました。

手乗りでカワイイ!
歌は50首と読みやすく、
しかもお手頃価格。

お菓子で言えば駄菓子みたいな感じ。

ただし、中身は、お気に入りだけを厳選した、マイブランドとしては最高のクオリティです。




■『未来の福耳』
(2007年の全歌集より後の作品)

■『よりぬき 潮汐性母斑通信』

(2000年刊行の『潮汐性母斑通信』から49首、その後の歌として2007年の全歌集に収録したなかから1首選びました。)

B8サイズ(トレーディングカードぐらい)

1ページ1首で50首収録。
350円

とりあえず、こんどの東京文フリ(2022年11月20日)で販売します。

場所は【かー45】

なお、「かばん」の正会員は、お申し出くだされば、〝友人割引〟いたします。


売れるようなら、他にも作ろうかと思います。

ネプリ初体験 「かばんネプリ2023夏」

ネットプリントという発信手段があることは、

うすうす知ってはしたが手にしたことはなかった。

所属誌「かばん」では、
6月号「短歌とネットプリント」という特集に連動し、かばん会員の題詠「紙」をネプリで発行しました。

(私も1首参加してます。)
(画像は読めない程度にぼかしました。)

今回は内輪感があふれた内容ですが、 全国のコンビニ(セブンイレブン・ローソン・ファミマ)で安価で受け取れる、 というのはずいぶんと便利じゃないでしょうか。

ちなみに今回のネプリは A4モノクロ1枚もので、たったの20円でした。


★ところで私はネプリ初心者。
コンビニでオタオタしながら取得しました。
隣にATMがあって、年配者がスマホもってオタオタしたら良くない展開も予想されるよね。焦った。

コンビニの取得画面(セブンイレブンの例) こんなの見なくてもわかりますが、
見ておけば、おたおたの時間を多少短縮できます。


2023年6月28日水曜日

ちょびコレ17 家を壊す+空

昨年暮れから休止していた「随時更新のちょびコレ」
ひさしぶりに再開です。

なんとなく見つけたちょっとした短歌コレクション。
ミニアンソロジーほどの歌数はない。
レア鍋賞ほど少なくもない……。
そんな感じのときここに書いておきます。





■家を壊す+空
2023・6・28

 家を壊す場面って、なんか空を意識しないかな。
 ふとそんな気がして、探してみたところ以下4首を見つけました。

家ひとつこわれてのちを空中に浮かびつづけるしかくいひかり
佐藤弓生 『眼鏡屋は夕ぐれのため』

壊されてゆくとき家の内臓が空に呑まれているのが見える
土井礼一郎 『義弟全史』

わが家を壊す朝に散りたまる玻璃あり青き空を映して
佐伯裕子 (出典調査中)

壊さるる空き家のなかの落書きの麒麟があふぐ初めての空
渡辺南央子 『天空のかすみ草』


あと、これも、「空」とは言ってないけれど「雲」が出てきてる。

雲の崖ゆ風なだれ来よ家毀す犯意にわれの革るべし
ルビ:革【あらたま】る
春日井建『青葦』


屋根や天井がなくなるから、空が見える。
今まで屋内にあったものが空にさらされる。
家は生き物に準ずる感じ。魂が昇天する。

とりまとめると、そういう感じであるようです。

「空」と言っていないけれど、次の2首もその仲間。


はじめてのそして最後の夕日浴び解体家屋はからだを開く
勺禰子『月に射されたままのからだで』

空き屋なる家を毀てるふる雨に昭和残像の便器がのぞく
池田裕美子 『時間グラス』


そうなると気になるのは、家を壊す歌で「空」が出て来ない歌です。
どんなことを書くんでしょう?


路地奥の家なれば機械入れられず解体は人の手もて行う
奥村晃作『キケンの水位』


どつしりと大樹のやうに建つ家を壊さむとする重機に礼す
ルビ:礼【ゐや】
大西久美子『イーハトーブの数式』


家ひとつ取り毀された夕べにはちひさき土地に春雨くだる
小池光『日々の思い出』


け‌ふ‌に‌か‌け‌て‌と‌り‌毀‌す‌家‌か‌ら‌忘‌れ‌ず‌に‌も‌ち‌だ‌さ‌れ‌る‌死‌者‌の‌も‌の
平井弘『振りまはした花のやうに』


壊れたる家を素手もてなほ壊すあの日の父の怖ろしかりき
逢坂みずき『まぶしい海』


なるほど。いろいろある。

「家」を壊すことに「加害」であるような感じは、なんとなく全体として共通している気がします。

2023・6・28


2023・07・07 追加

においごと家屋は解体されてゆく記録されない巣穴の記憶
雛河麦「かばん」202306

*****



2023年6月17日土曜日

短歌による座談会3 おっぱい

  同じ題材の短歌を集めてみると、いろんな人がバラバラに詠んだ歌たちが集まって雑談をしているように見えてきます。

 そこで、
「短歌さんたちに自発的に参加していただき、
 以下の三人半でお迎えする」
という実験的な趣向
で、この場を開設いたしました。

 ・司会
 ・アシスタント
 ・鱶助くん
(ふかすけ 深読みサポートAI)
     +その愛人的ペットの
花子

ご注意

 歌自身が参加するという設定です。(作者が参加するのではない。)
 歌は歌の言葉のみで参加し、自解はしません。
 解釈は上記三人半が添える、というスタンスで運営いたします。

では、とざいとーざーい


◆お題 おっぱい 


司会「えー、今回のお題は、[おっぱい]といたします。
 なぜかというと、ふと目にした歌がそのとき印象深かったのに、一晩寝たらすっかり忘れてしまい、あの歌と再会できないか、との期待からです。」

アシ「ちぃっと確認。
 [おっぱい]という語を含む歌が対象なんですね。
 [乳房][乳首]などはどうします?」

司会「ここは[おっぱい]に限定させてください。上空が混み合っちゃうので。」

(上空より落胆のタメイキ)

司会「では、さしあたって、[おっぱい]をベーシックに詠んだ歌、いかがでしょうか?」

『動物のおつぱい』といふ児童書にヒトの乳房も描かれてゐる
田中教子『乳房雲』2010


司会「なるほど、確かにヒトも動物。すごくベーシックな事実に気付かされますね。」

おむつ替えおっぱいをやり寝かせ抱く 母が私にしてくれたこと
俵万智『プーさんの鼻』2005

司会「これもベーシック。[ボインは赤ちゃんが吸う為にあるんやで]っていう歌がありましたっけ。」

アシ「月亭可朝の「嘆きのボイン」というコミックソングで1969年発売。作詞作曲も可朝さん。ところで司会さん、あなた何歳ですか?」

司会「古すぎましたかね。」

もし僕が死んだときには棺桶におっぱいを敷き詰めてください
谷じゃこ 題詠blog2012 

司会「ほぇ? なんかいきなりぶっ飛んだ……。ベーシックって言ったのに。」

アシ「遺骨とか、母の胸に抱かれて、っていいますよね。」

司会「むむ、なるほど、この場合、棺そのものが母の胸。それならベーシックですね。すごく奇抜ではありますが。」

おっぱいの役割は〈やわらかい〉だけでいい 夏服のしろのやさしさ
山中千瀬 「早稲田短歌」40号

司会「[おっぱい]の役割としてやわらかさだけを期待する、ですか。
うーむ、赤ちゃんはどうしたらいい?
あ、そうか。逆ベーシック。
[だけを期待する]とは、他のことを拒絶することであり、つまり、[おっぱい]のベーシックイメージである母性を拒否する歌なのかな。
だとすると[夏服のしろ]はいろんなものをリセットした無垢の白かな。」

おつぱいといふ権力がなつふくの女子らによつて語られてゐる
吉田隼人『忘却のための試論』

司会「これは、ひとつ前の歌への応答でしょうか。 
 えーと、[なつふくの女子ら]が[おっぱい]について語っている場面ですね。
 [権力]って何のことでしょう?
[女子ら]ということは、中学生か高校生か、とにかく若い人だろうから、その[おっぱい]に[権力]とやらが備わるのはもう少し先。
で、[なつふく]といえば薄地で風通しの良い服で、その襟やら袖口やらの隙間から、そのぅ[権力]の兆しが、漂い出てきてる、かな?
うーん、[なつふく]のせいでなまめかしくなって、どう転んでも[おっぱい]には何か権力だかなんだかありそう。鱶助くん、フォローよろしく。」

鱶助「[おつぱいの権力]については、私よりも、他の歌の意見を聞けばいい。」

司会「他に[おっぱいの権力]を詠んだ歌なんてありますかね?」

鱶助「[おっぱい]という題材を詠む歌は、直接的には言っていなくても、イメージをたぐればなんらかの[権力的なもの]に言及しそうになる。作者は意識していなくてもね。」

「ぜんぶ好き」以外出口のない問いに「おっぱいです」で勝負して散れ
佐々木あらら『モテる体位』

司会「ええっと、この歌にも[おっぱい権力]へのつながりがあるんでしょうか?
 私には読み解けないです。
 そもそも、これはどういうシチュエーションでしょう?」

鱶助「[「ぜんぶ好き」以外出口のない問い]とは、たぶん[あたしのどこが好き?]みたいな、強引に支配しようとする類いの問いだと思う。」

司会「支配ですか。」

鱶助「決まりきった答えを言わせる。そこに抵抗して、[おっぱいです]と意表をついたつもりの勝負に出たら、失敗した。--そういう場面だろう。」

司会「失敗? [おっぱいです]の何がいけないかなあ。
 --あ、そうか、最初の歌に「動物のおっぱい」があったっけ。
 女性が男性に[どこが好き]と聞いて[おっぱいが好き]と返ってきたら、人としてでなく、哺乳動物レベルで好きと言われた気がする。そんな彼氏はクビになる……。」

花子「それもある。でも[権力]の話だったらら、その解釈では足りないわよ。
[ぜんぶ好きです]と答えねばならない問いは、要するに[お手]だからよ。
[お手]と言われて[ぜんぶ好きです]と手を載せる、そういう犬は、ごほうびとしておっぱいにありつける。
この人はその暗黙のシナリオに従わなかった。だからおっぱいにありつけなかったの。」

司会「[お手]だの[ありつける]だの、花子さん、感じ悪すぎ。
 この歌はそこまでうがった見方はしなくていいのでは?」

花子「司会のくせに何いってんの。
確かに、この歌は[おっぱいの権力]について直接には言ってない。でも、
ここは「短歌による座談会」なんでしょ。
歌は歌自身の言葉しか使えないけど、[おっぱい権力]に関係のある要素を含んでいるから、話に加わってくれた。(そういう設定でしょ。)」

司会「(憎らしいが)おっしゃるとおり。
歌は歌自身の言葉しか使えない。だから繋がりは僕らが見つけ出す、っていうコンセプトでしたっけね。」

人間としてより哺乳類としておっぱい嫌いは問題である
松木秀『親切な郷愁』2013

司会「[おっぱい嫌い]? そりゃ確かに哺乳類として問題でしょうが、そのことがここまでの話にどうつながるのでしょう? 」

花子「[おっぱいが好き]より[おっぱい嫌い]のほうがもっと嫌われる、という繋がりでは? それって[おっぱい権力]よね。」

アシ「そういえば、男は全員[おっぱい]好き、と思われているけれど、実は嫌いな人もいる、と聞いたことがあります。
ほんとうは気味が悪くて触りたくないけど、それは口が裂けても言っちゃいけないことなんだって。」

司会「なるほど、[おっぱい]を嫌うことは許されない。確かに、口が裂けても言わないほうが良さそう。……その抑圧感、何らかの[権力]なのか。」

花子「ふふん。」

司会「えーー、まあ、いろんな意味で[おっぱい]は絶対のもの。抗いにくい。
でも、だけど、攻撃的な強さではなくて……。」

携帯を投げつけたことありますか母はおっぱいを揺らすだけです
染野太朗 短歌WAVE 第1回北溟短歌賞発表号

司会「[母]はそういう衝撃を[おっぱい]で吸収しちゃいます。
[揺らすだけ]という表現もすごいですねえ。いかにも無力そうな悲しみも感じさせつつ、子どもを抱いて揺らしてあやすイメージと、暖簾に腕押しのイメージがまじりあってて……。」

アシ「そういえば、川柳に、
どうするか見よとおふくろどうもせず
という句があると思います。
調べても見つからないので、落語で聞いたのかもしれません。」

花子「けけけ、わかってないわね。それは、息子娘族を手なづけるときの、おふくろ族の手口なのよ。」

司会「え?」

花子「そして、息子娘族も逆に、そういう扱いやすいおふくろ像をおふくろに押し付けようとたくらんでいる。
いいこと? 哺乳類は、生まれたとたん授乳という[おっぱい]による支配がはじまるのよ。
自覚してないでしょうけど、生まれつき[権力]のキヅナで結びつく種族なの。
そのキヅナの確認として[お手]ごっこをお互いにやってて、それを愛と呼んでるのよ。」

司会「母や親子のイメージを汚さないでほしいな。鱶助くん、君のペットはひどくひねくれてますね。」

鱶助「花子ちゃん、私の愛くるしいサブキャラちゃん。はいお手!」
花子「鱶助ちゃんも、お手!」

司会「あーもう、おまえら哺乳類じゃないだろうが。次行こ、次。」

おっぱいのこと考えて一日が終わる今日は何曜日だっけ
俵万智『プーさんの鼻』2005

司会「はて? 一日中考えて曜日も忘れるほどおっぱいが好きな人なんでしょうか?」

アシ「いやいや、この歌単独ではわかりにくいけど、これは母親。出産後の授乳にあけくれる時期を詠んでいると思いますよ。昼夜なく2,3時間おきに授乳しなきゃならない。曜日もカンケーない。
 子は乳を求め、母は授乳という役割に拘束される。--このことは、花子さんの言う相互的支配の絆にあてはまりそうです。
 なお、同じ歌集にこういう歌もあります。
おむつ替えおっぱいをやり寝かせ抱く 母が私にしてくれたこと
俵万智『プーさんの鼻』

司会(アシさんて、もしかして女性? 聞かないほうがよさそうだが。)

花子「だからさー、そういうふうに、ほにゅる、おふっ、うぐぐ……」
(司会が花子の口を押さえている。)

司会「では、次の歌。」

真昼のような青い夜空だ あの人にそうだなおっぱいをあげたいな
雪舟えま『たんぽるぽる』2011

花子「ほらきた。これは完全に[お手]で、うぐぐ……」
(司会が花子の口を押さえている。)

司会「言われてみれば、支配と愛は紙一重。[おっぱいをあげたい]っていうのは、[あの人]を母性的に愛すという意味でしょうか。
[真昼のような青い夜空]っていうのは、夜だけど、普通の暗い夜じゃなくて、明るくてさわやかで、鱶助くんを真似れば、秋空のように健全、っていう隠し味じゃないかな。
あ、だから、恋人っていう気分じゃなくなって、[そうだな]と、空と心で会話するようなワンクッションがあり、[おっぱいをあげたいな]と思ったんでしょうか。
これは単なる母性の歌じゃないですね。」

どこにでも火は点くことをおっぱいに大の字書いて大文字山
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』

司会「うーむ、[おっぱい]は山に似ていますね。
で、大の字を書けば大文字山になる。→大文字焼きみたい。
と、そこまではつながったんですが、[どこにでも火は点く]っていう飛躍は追いきれません。」

鱶助「それについては、最近ちょっと気に入っている鑑賞術、アンドゥ・リドゥ(undo・redo)を試してみたいのだが。」

司会「なにそれ。」

鱶助「私が名付けた読解術だ。
 歌を、完成状態になる前の、イメージがちらかった状態までアンドゥし、リドゥしてみる。」

司会「まあお手並み拝見。」

鱶助「では、[どこにでも火は点く]に至る前までの歌の思考を辿ってみる。
・[おっぱいに字を書く](この時点ではいたずらだったかも)
  →[山に字を書く]→[大文字焼き]→[点火]
 この過程で、
・[身体のどこにでも字が書ける]という連想脈が派生する。
  また、隠し味的に、呪術系イメージも強まる。
  呪術系=耳なし芳一(体に呪文を書いて怨霊から身を守ろうとする。)
           (送り火である大文字焼きもそういえば呪術。)
・そこからさらに[どこにでも火は点く]と発展。
  ここには少し性的イメージも加わる。」

司会「なんだか騙されたような気がするなあ。まあ性的イメージはわかります。
 けど、呪術系はあんまりピンと来なかったなあ。」

鱶助「性的イメージの隠し味といえば、ホラーと神聖は定番スパイスだが、まあお好みで。
 この歌を[権力]の話につなげるなら、[おっぱい]に字を書く行為に、[おっぱい]の力を[呪術で封印する]という連想脈が少しありそうなことかなあ。」

司会「はいはい、降参でございます。」

天心のあれは失くしたおっぱい、と虚にささめく声ある月夜
ルビ:虚【うろ】
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』

司会「天心(空のまんなか)の月。なるほど、[おっぱい]は月にも似ていますね。手術等で失くした人が見上げているのでしょうか?」

アシ「乳がんで亡くなった中城ふみ子に、([おっぱい]ではないけれど)失った[乳房]を詠む歌がありましたね。関係ないかもですが。
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
中城ふみ子『乳房喪失』」

鱶助「中城の歌は、乳がんで乳房を失った「われ」の立場で詠まれているが、佐藤の歌は必ずしもそうと決められない。違う解釈もしてみたくなるように、それとなく誘っている。」

司会「え? どこが?」

鱶助「[天心]という言葉の大きさだ。そのため、スケールの大きい歌になって、[天と地で身体を分けた]かとも思えてくる。
「身体の一部を失うということ」を「天と地に身を分けること」のように感じる。そういう鑑賞の可能性が歌に隠してある。」

司会「そんなの、私はぜんぜん感じなかったけどなあ。」

鱶助「これは深読みだからね、感じなくて当然。
[虚にささめく声ある]の[虚]は、乳房を手術で切除した[虚]でもありつつ、乳房を天に差し出した跡の[虚]としての窪地を、一瞬想像しそうになる。
[ささめく声]という言い方にはちょっと秋の虫っぽさがあって、窪地に集まった声みたいなニュアンスをこっそり添えている。」

司会「ふーん。」

鱶助「[おっぱい]を失うことは、何らかの力を失うことだ。ゼロになるのでなく、マイナス感があるほどの喪失感だ。
この歌の「虚」はそのマイナス分ではないだろうか。」

司会「確かに喪失感は強いでしょうね。
ただ細かい点の鑑賞は、ひとそれぞれっていうレベルの話じゃないでしょうか。」

鱶助「もちろんだ。私は深読みAI(artificial intelligence)の一人であるにすぎない。他の深読みAIは違うことを言う。それは、artificialじゃない人間の知能も同じことだ。

司会「あ、そう。」

鱶助「なお、この歌、[おっぱい権力]の話からは離れるが、[天には地上の起伏と反対の起伏がある]という図で天地の関係を想像しなおしそうになる点が新鮮だ。
 そして話は戻る。
 --[おっぱい]がどうこう言っても、みんなで共有しているイメージの[おっぱい権力]みたいなものにはぜんぜん勝てない。
 認識の背景までアンドゥして、次に大勢が、リドゥじゃなくて、そのテーマをゼロから詠みなおす歌を読み重ねないと、いったん備わった権力は消えない、と思う。
これ、AIのカン!

司会「へー。」

ねがいから鼻をとおしてなあ牛よおっぱいはここであっているのか
望月裕二郎 『あそこ』2013

司会「わ、なんだろ。鼻をとおして? おもしろいけどわからない。」

アシ「鼻からする胃カメラじゃないでしょうか。管を鼻から通す方法(経鼻胃内視鏡)がありますよね。」

鱶助「全部は視覚化しきれない歌だとは思うが、鼻胃カメラ(経鼻胃内視鏡)のイメージはあると思う。
・[願い]から出発した何か、があった。
・それは(はじめ姿がなかったかもしれないが)にょろにょろの姿を得る。
・これを[擬人化]という語に習い、ここでは[擬身化]と呼ぼう。
・そして、これまた[牛]に[擬身化]している何かの中へと入る。
・[鼻]から入って(鼻胃カメラ的に)身体を内側から探り、
・[おっぱい]はここかと聞く。
そういうことではないだろうか。」

司会「鼻胃カメラは胃を見るカメラでしょ。どうして[おっぱい]を探すんですか?」

鱶助「こういう歌では作者の意図は測りきれないわけで、だからここは怖めず臆せず、我が短歌読解術で深淵覗きをしようじゃないか。
・まずは[願い]。これは欲求に似てると思う。
・欲求が[胃カメラ]になるといえば、男性の性欲。
  身体の一部位が棒状になって膣に入るという点が似ている。
・しかし、膣は行き止まりだ。おもしろくない。がっかりだ。
・そこで、鼻胃カメラのイメージが採用され、もっともっと、と内側を探る。
っていう感じを詠んでいる、かもね。」

司会「じゃ、じゃあなぜ、[おっぱい]を内側から探すんですか。」

鱶助「膣のみならず[おっぱい]にも、がっかりさせられるから、かな。
外から触るだけではなんだか達成感がないし、隔靴掻痒的に物足りなくないかな。
でもそれは、例の[口が裂けても言っちゃいけないこと]なんだよ。」

花子「[おっぱい]は、よく言えばやわらか、悪く言えばぶーよぶよ、うぐっ」
(司会が花子の口を押さえている。)

司会「じゃあなぜ[牛]なんですか。」

鱶助「イメージ空間で抽象的おっぱいを探っているからだ。その場合は、人間の中途半端な[おっぱい]じゃ、ダイナミックさに欠けるからじゃないかな。牛といえば鼻輪、っていう連想脈がうまい具合に混線して、思い描けば素敵な抽象画、っていう感じ。」

司会「うーむ、まあ素敵な抽象画はわかります。
 (その他は、勝手に言ってろですよまったく。)
 ところで、[権力]の話は、最初のほうの[おっぱいの役割は〈やわらかい〉だけでいい]という歌を受けるようにして始まったんですよね。
 やれやれ思えば遠くへ来たものだなあ……。
 なんだかおっぱいでお腹いっぱい。眠くなってきました。」

花子「だから哺乳類っていうのは……うぐぐ」
(司会が花子の口を押さえる。)

司会「ああもうだめだ。本日はこれまで。さよなら。またね。」

アシ「最初に言っていた歌は思い出したんですか。」

司会「もういらない……。」

花子「みなさーん、植物はおっぱいがないから、とっても自由よー。」

司会「おっぱいじゃなくて、トゲがある……。」

花子「あら言うじゃないの。じゃーねー。」

2023・6・17









2023年5月5日金曜日

短歌による座談会2 お相撲さん

 同じ題材の短歌を集めてみると、いろんな人がバラバラに詠んだ歌たちが集まって雑談をしているように見えてきます。

 司会
 アシスタント
 鱶助くん
(ふかすけ 深読みサポートAI)
という架空の三人を置き、
「短歌和歌たちが自発的に参加する座談会」
というコンセプトで編成してみました。

作者の歌人が参加するのでなく、歌自身が参加するという、ちょっと変わった趣向です。

追記:今回については、「スタッフが喋りすぎて、短歌の座談会になってない」とのご批判を短歌のみなさまよりいただきました。次回から改善いたします。

では、
とざいとーざーい


◆お題 お相撲さん 

司会「[お相撲さん]って短歌にときどき詠まれていますよね。すごくいっぱい、というほどではないけれど、ああ、見たことある、と思いませんか。そしてそれは、けっこう印象深い歌ではありませんか。

というわけで、来たれ お相撲さんの歌!」


■身体の存在感(肉感・質感・体積・重量など)


司会「お相撲さんといえば、なんといっても身体の大きさ、重量感。」

エレベーターに乗らむとすれば現身の相撲取りひとりが先に乗りゐる
ルビ:現身【げんしん】
小池光『時のめぐりに』

司会「おお早速にありがとうございます。
 そう! お相撲さんの体積は何人分の空間を占めるか、重量はだいじょうぶか。エレベーターにあとから乗る者としてはいろいろ気になります。
 現身を[げんしん]と読ませるのも、体積感と重量感の強調表現でしょうか。[うつしみ]じゃなんだかひょろひょろ弱々しいからあえてこう読むんだな、と思いました。」

お相撲さんとすれちがう度にんげんについてハッと考えてきた
杉山モナミ「かばん」2003・1

司会「むむむ。わかる気がします。でも、私は何をわかったんだろう……。」

鱶助「肉体感の強さによって、通常の[にんげん]イメージがハッとリセットされ、把握し直すのではなかろうか。[にんげん]というひらがな表記は、漢字よりも裸な感じがするし、[にんげん]というものを一字一字確認するような心の課程に添ってもいる。
 この歌の飛躍はそういうものを足下に見ながら一気に飛び越すものであり、読者はそれをうすうす感じる。
その[うすうす]効果が、[わかる気がするけれど、何をわかったかわからない]なのである。歌のタイプのひとつだ。」

司会「うすうす効果。歌のタイプのひとつ……。じゃあ、つまり、わかった気がする、という感想は適切なんですね。」

淡雪をあるけば臍があたらしい 空と抱きあう力士に出会う
ルビ:臍【ほぞ】
東直子『青卵』2001

司会「あ、この歌も、何かを勝手にわかってしまった気がして、でもそれが何なのかわからない、っていう感じ。さっきと同じタイプでしょうか。」

鱶助「ほぼ似ている。
 まずは上の句の[淡雪をあるく]。なんとなくリフレッシュ感がある。
 淡雪の日の空気感、踏んだ感触、ほんのりつく足跡などに対する、人間のベーシックな感覚としてのリフレッシュ感だろう。これは主に身体が、呼吸器や肌で感知するものだが、[淡雪]という言葉の語感やイメージも加わっている。
[淡雪]=[雪](世界を塗り替えるイメージ)
        +[淡](そのかすかな始まりのイメージ)
 この歌の非凡な点は、そのリフレッシュ感を、呼吸器や肌でなく[臍]で感受したとしたことだ。[臍]は母体とつながるものだから、身体がゼロの部位から新鮮な世界と繋がり直す、という方向にイメージを誘導する効果がある。読者はそれを明確に意識化しなくても、[うすうす]受け取ることができる。」

司会「うわー、上の句だけでそんなに長い説明が……。」

鱶助「さよう。短歌は奥が深い。
 さて、下の句。[空と抱きあう力士]は、そんな感じの力士と実際に出会ったのか、はたまた[淡雪]から生じたまぼろしなのか、わからないがいずれにせよ重要なのは、[空と抱きあう力士]というフレーズが、以下2点でイメージを適切に増幅した心象表現であることだ。
 ①力士といえば腹(臍)を突き出す独特の体型だが、それを[空と抱きあう]と表現することで、[身体が、臍というゼロの部位で、新鮮な世界と繋がり直す]というイメージで捉えられている。
 ②また、相撲は[四つに組んで格闘する]ものだが、それを[抱き合う]と言い換えることで、[臍]イメージとも合わさって、母子のイメージも重なってくる。
 この歌全体の構造を見ると、上の句は自身の(あるいは普通の人の)体が感じることを書き、下の句は、それを言葉の力で増幅して味わっている、といえる。」

アシ「増幅にもいろいろタイプがあると思うんです。淡雪のリフレッシュ感を力士の身体で味わう、というこの増幅は、ーー人間にとってもおいしいおかかご飯だけど、真のおいしさは猫になって味わわなきゃ、ーーみたいなタイプですよね。」

司会「は? おかかご飯、にゃんだそれは。ちゅーるじゃにゃいのか?」

アシ「だめにゃん。ちゅーるはにゃんげんのたべものじゃにゃいからにゃ。」

司会「(うう……。短歌のヘソの奥で変な猫に遭っちゃったよ。どうか早く次の歌、来てください。)」

雨あがりの茸のやうにぬきぬきとならぶ力士らももいろの四股
日高堯子『雲の塔』2011

司会「(ほっ。)お次の歌が来てくださいました。
 こちらは素肌感・肉体の質感がすごい。[にょきにょき]でなく[ぬきぬき]にしてあり、その語感の微妙な違いも、感覚的に、すごくよくわかります。説明の必要な含みとかはなさそうで、(鱶助くんはちょうど充電に入ったし、)素直に受け止めて読めばいい歌でしょう。すなおーに、すとれーとに。」

晩秋の光のなかに街をゆく力士がつくる影のしづけさ
前川佐重郎『孟宗庵の記』2013

司会「いらっしゃい。おや、お相撲さんの歌といえば肉体の力強さを詠むことが多いと思っていましたが、こちらの歌は[影のしづけさ]を詠んでいる。レアですね。ポジとネガが連れ立っているような捉え方も珍しい味わいがあると思います。」

しらじらと力士らの肉たゆたふをテレビはうつすひとなき部屋に
坂野信彦『銀河系』1982

司会「人のいない部屋のテレビに力士が映っている。ーーテレビの中には力士の肉体があって、こちら側には人がいない。
 質量のアンバランス。天秤だったら思いっきり傾くような感じ。ーーそういうふうに不在感を詠んでいるのでしょうか。
 あ、もしかしたら、どなたか相撲が好きだった方が亡くなったのかな。その不在感の強調、だったらわかりやすいんだけれど。」

鱶助「(充電中だが薄目を開き)
 [天秤だったら思いっきり傾くような感じ]は言い得て妙だと思う。テレビのむこうは肉体MAXでこちら側はゼロ。そういうアンバランスが詠まれている、と思う。アンバランスというのは、普通なら危ういわけで、たとえばイカダなら転覆する。けれども、テレビごしの別世界どうしのアンバランスでは何も起きない。そういう境界の特質みたいなことも味わえると思う。
 ただ、そういう抽象的な感覚のみで歌が成立すると思う読者と、それでは物足りない読者とがいる。後者なら、誰かが亡くなった不在、というシナリオを補って鑑賞する。それでもいいと思う。
 それに、これが連作のなかの歌なら、本当にそういう事情である可能性もある。もとの歌集を見ないとわからない。要確認だが、アシさんはどこへ行った?」
 
司会「アシさんは休憩みたいでいないんですよ。
なるほど。自分としては、後者の解釈のほうが好きかな。」

洋傘の黒きかさなりが埋みゐるテレヴィジョンに力士輝きてゐき
田谷鋭『乳鏡』1957

司会「あ、こちらの歌も、テレビの中の力士を詠んでいます。テレビの内と外の世界が接していて、そのコントラストなのかしら。テレビという憧れの家電を通して輝く力士を見ていた、っていう。?? 当時をよーく思い出してみよう。
 えーと、テレビ放送の開始は1953年。この歌を含む歌集が出版されたのは1957年。
そのころ私は4歳でした。相撲は大人気でしたが、テレビが家にあるのはお金持ちだけで、街頭テレビの相撲放送には人が群がっていました。
 雨ふりの灰色の街で人々は、黒傘のすきまから、遠い小さなテレビ画面の力士を見ている。(……黒傘だからほとんど男性か。)で、かたや画面の中は、肌色かがやくお相撲さん???
ーーじゃないよ! 違う! だって当時のテレビは白黒だったんだ!
 (カラー放送の本格化は1960年。)
 いや危ない危ない。作者がこの歌を詠んだ頃ならば、雨ふりの灰色の街とテレビの中とは、同じ色調だった。色はコントラストじゃなかった。そういや画像も荒くて、白い線が入って、雨降りっぽかった!
 現実にはそういうシンクロ要素もあったはずだけれど、それでも、憧れの家電だから、力士が輝いて見えたんでしょうね。」

下町の鉄塔からの波に乗りうすもも色の力士が届く
小野田光『蝶は地下鉄をぬけて』

司会「え? ええ? なにこれー。うすももいろのお相撲さんがひらーんと飛んでくる? なんだかモモンガみたいでおもしろいけど……。
(鱶助くんは充電中、アシさんは……まだ離席中か。)
あ、わかったー! これって、電波に乗って力士の映像が届くことじゃないですか? そうだ、そうに違いない!!」

多様性いわれるなかに今どきの力士らほぼほぼ鮟鱇形なり
fuu031937
(Instagramのアカウント 気ままに短歌を詠む86歳との自己紹介あり)

司会「お相撲さんはカタチも独特。よく聞くアンコ型のアンコは鮟鱇だったんですね。「アンコ型」と耳にするたび、アンコがずっしり詰まった大福餅を思い浮かべそうになっていました。」

アシ「(手を拭きながら戻ってきた)ちなみに、筋肉質の体型はソップ型と言いまして、ソップはスープ。出汁をとった鶏ガラのイメージらしいです。」

司会「ソップ。聞いたことがあります。そういう意味でしたか。」

器用なる小兵力士の感じして佐賀は九州の腋の下なり
松木秀『親切な郷愁』2013


司会「おお! こちらもカタチですが、なんとも珍しい着眼です。地図を見たらピンときました。佐賀県が[小兵力士]に見えてきたし、[九州の腋の下]というのもおもしろい見立てですね。」


■お相撲さんのイメージを活用する

司会「ところで、さっきの[淡雪]の歌のときに思ったのですが、お相撲さんの描写に言葉を多くさいたとしても、必ずしもお相撲さんを詠んでいるわけではないですよね。お相撲さんを何かの比喩として使うことがある。思いがお相撲さんの姿をとる、みたいなのもありますよね。」

とうめいな力士を押して戸を開き今年の春をごうごうと行く
東直子「短歌研究」2016・3

司会「むむむ、何か閉じこもるような状況だったけれど、春がきて、今年こそはと[戸を開]いて歩きはじめる。それは[とうめいな力士を押]すかのような心のエネルギーを要することなのでしょう。
 [ごうごう]というと強風の擬音みたいですね。春のごうごう吹く強風を、こちらも強い決意でごうごうと押し戻していく。そういう歌でしょうか。」

加速するお相撲さんを抱きとめてああああわたしあああかなしい
笹井宏之『ひとさらい』2011

司会「こちらは逆方向。押すんじゃなくて抱きとめている。どすっと悲しみが来て、それは[加速するお相撲さんを抱きとめ]たような衝撃だった。[ああああ]は、持ちこたえられずにだんだん土俵際へ押されていく悲鳴でしょうか。」

悲しみに似た関取があらわれてひたすら塩を舐めている夜
笹井宏之『てんとろり』2011

司会「こちらも同じ作者で、お相撲さんのイメージを使って[悲しみ]を詠んでいますが、全く種類の違う悲しみみたいです。
 この歌では、[関取]が巨大な妖怪アカナメみたいに塩(傷口に塗られた塩?)を舐めている。水木しげるの絵で思い浮かべてしまうような心象で、この絵の迫力に釣り合うような悲しみの質や量を想像させられます。」

おすもうさん、トイおすもうさん、ティーカップおすもうさんで三連勝や
谷じゃこ『クリーン・ナップ・クラブ』2020

司会「あちゃー、難しい。私の苦手分野です。鱶助くんはこういうの好きなんだけど、まだ充電中ですか。じゃあ頑張ってみます。
 えーと、三段跳びっぽい構造ですね。ひょっと、ゲームキャラの進化で見かける[R・SR・SSR]が思い浮かびました。おすもうさんのイメージが三段跳び的に進化していく?うーん……どうなんだろ。私には歯が立ちません。」

アシ「それそれ、その進化論、大当たりかもしれないですよ。
[トイおすもうさん]とはたぶんカプセルトイの小さなおすもうさん、そして[ティーカップおすもうさん]とは、カップにプリントされたおすもうさんの絵とか、そういうのあるじゃないですか。
(カップじゃなくて、ティーパックにお相撲さんの絵がついているのを見たことがありますよ。カップにセットしてお湯を注ぐと、お相撲さんがお風呂に浸かっているように見える、という趣向でした。)
 で、鱶助くんならたぶんこう言うと思います。
[この三段跳びは、本物のお相撲さん→人形の→絵の、と、イメージが実物を離れて進化していくものである。]って。
(さっきのおかかご飯とは別のタイプの増幅ですよ。)」

鱶助 (充電中)

司会「な、なるほど。現物からイメージへの三段跳び変化。それはわかりました。
でも、だとして、結句の[三連勝や]はどう解釈しましょうか。」

(アシさんは、両ヒレで「さあね」のポーズをして、また席を立ってしまった。)

司会「えー、末尾の「や」は関西弁らしい。
 (ーー関西弁はよく知らないですけど、思い切って深読みしちゃいます。)
 おそらくこれは、商魂たくましくイメージ進化させながら賞品化していくことを言っている。関西弁には、明るく世間を勝ち進む感じがありますからね。えーい、当たるも八卦や!」

リリィ、リリィ、ビキニ力士に意味必死 ビキニ力士に意味必死
ナイス害「うたつかい」2015年秋号

司会「ひー!! またまたこういう歌だ。参ったな。
さっきと同じ三段跳び構造だけど、うーむ。」

(アシさんの席には、すぐ戻りますとのメモが置いてある。)

司会「えー、まずは[リリィ、リリィ]。
 リフレイン。ーー[リリィ]といえば百合だから、おそらく女性ファッションみたいな方向にイメージ展開をすべく、リフレインで力を溜めた。(闘牛の牛の前足が2回地面を掻くみたいにね。)
 →だのになぜだか、ビキニ姿の力士という変なものを作ってしまった。
 →それは、なんでこうなった? と誰もが突っ込みたくなるたぐいの変異であり、
 →だから意味付けが必至であり、
 →その意味付けはおそらく必死のこじつけになるだろう。
 と、そういったドタバタが凝縮されているんじゃないでしょうか。
 展開がスピーディで、どんどんやったれという業界のやぶれかぶれ感みたいなものも感じ取れ、ますよね。どうかな。ぜーはー、ちょっと休憩。」

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■紙相撲のお相撲さん

(司会は元気回復。鱶助くんはまだ充電中、アシさんまだ不在。)

司会「さあ続いていきますよ。
 紙相撲ってありますよね。紙のお相撲さんは実際のお相撲さんと質感が違うから、詠まれ方も違うのではないでしょうか。」

お互いの鋭利なつま先ながめつつ横たわっている紙の力士ら
佐佐木定綱 『月を食う』2019

司会「そうか、紙の力士は勝った方も倒れることが多い。勝っても負けても、[お互いの鋭利なつま先]を[ながめつつ横たわ]ることになる。お互い苦い思いでしょうね。
 私は教訓的に解釈する傾向があって、鱶助くんに[あんたイソップかい]とよく言われちゃうんですけどね。(とカマをかけてみた。)」

鱶助(タヌキ充電)

また負けてきたる力士は名を変へて戦はすのみ紙相撲ゆゑ
吉岡生夫『続・草食獣』1983

司会「なるほど、紙の力士は遊びの中で使いまわしをしますから、何度でもいろんなものに憑依され得ますね。
 えー、憑依といえば、流し雛って紙人形に病気や災難を負わせて流す、みたいな、人間の身勝手というか、紙人形の宿命というか、チラっと連想しちゃいました。
 それと、[紙相撲ゆえ]ってところも気になります。紙相撲だからいいけれど、っていう含みははないでしょうか。たとえば、不祥事を起こした政府の団体が、名称を変えて存続する、みたいなこと。
ーーそんなことまでは言っていませんかね。

さて、アシさんも鱶助くんも今日はもう駄目みたいです。読者のみなさんもお疲れでしょうし、そろそろ終わりにしたいと思います。」

(すると、ななめ上空に、がっかりしてためいきをつく気配が。)

司会「出番を待っていた短歌のみなさま、ごめんなさい、またこんど。」

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司会「ねえ、ふたりとも、終わりましたよ。起きて。」

アシさん 鱶助くん(……)

司会「実はもうひとつだけ気になることがあるんですよ。横綱など、地位の名称を詠み込むケースってどういうふうに詠まれているのかなあって。」

(と、小声で言ったにもかかわらず、すかさず歌が飛来した。)

大関も関脇もゐる天の雲われら地上の前頭なり
伊藤一彦『遠音よし遠見よし』2017

司会「えっ、わっ、ほらほら歌が来てくれましたよ。
 これはおもしろい見立てじゃないですか。人が天地に所属する感じをあらわす歌は、実にさまざまありますが、相撲の番付に対応させるなんて珍しい。[大関]や[関脇]のような雲といえば、入道雲でしょうね。」

アシ(うんとかすんとか曖昧に返事。)
鱶助(ランプをチカチカ点滅)

司会「それって同意ですよね?
 世界の天地。人間は[前頭]という位置づけで、地上にどっしり足をつけて立つ。この身体感覚、新鮮ですよねー。」

(そこに歌の一団がどどっと舞い降りた!!)

夢に来て金の乳首のちからびと清めの塩を撒きにけるかも
「前頭九枚目より五枚目をただちに前線へ派遣せよ」
降りそそぐ清めの塩のきらきらと横綱戦場派遣審議委員会
「前頭四枚目より筆頭をただちに前線へ派遣せよ」
清めの塩を回し喰いする天使たち、式守伊之助、木村庄之助
「小結及び関脇及び大関をただちに前線へ派遣せよ」
雲龍型、不知火型のミサイルを担いで金剛力士は吠えよ
「外国籍の横綱の髷切り落とし所属の部屋に幽閉すべし」
二階級特進により横綱となりて煌めく不知火型は
戦場にいま燃えあがる天使たち、式守伊之助、木村庄之助

以上10首 穂村弘『ラインマーカーズ』(手紙魔まみ イッツ・ア・スモー・ワールド)より

司会「え? うわー、これは……。
 むろんフィクションでしょうが、なんだか、なぜか、生々しくて……。
 どこかの戦争。その戦況が悪くて、力士をどんどん前線に送っているらしい。そんな内容にも驚きますし、相撲番付で戦況の逼迫度合を表現していて、これってかなり珍しい使いかたではないですか。
 ねえ、私一人じゃだめです。アシさん、起きて情報くださいよ。鱶助くんも、何か言いたいんじゃないの? 」

アシ「うるさいなあ。ほんとにもうこれで最後ですからね。
 これらの歌は[手紙魔まみ イッツ・ア・スモー・ワールド]という一連にあります。このタイトルは言うまでもなく、ディズニーランドのアトラクション[イッツ・ア・スモール・ワールド]から1字消したものです。
 この10首は一連の後半にありますが、前半は相撲や戦争には直接的には関わらない内容です。そして、この10首は、次の2首に挟まれているのです。
嘗めかけの飴をティッシュの箱に置き眠ってしまう、世界のなかで
嘗めかけの飴がティッシュの箱にある世界へもどる道をおしえて
 つまり、一連の主人公的存在である[まみ]が眠って、こういう夢にワープした、という設定です。」

司会「えーと、じゃあ、一連全部を意識しないといけないですね。」

鱶助「ディズニーランドの[イッツ・ア・スモール・ワールド]というアトラクションは、いろいろなワールドを楽しく巡るものだ。そして、この連作にもそれとなく、世界間を行き来するとか、同じ場所にいても別の存在へと変化して所属が変わるとか、そういうことが書いてある。例えば一連最初はこの歌だ。
天国から電話がかかってきたように眠ってるのに震える兎
 最初は気づかないが、次第に、[天国]も存在が移行する先のひとつなのだと思えてくる。
摘み取られたことにこの子は気づかない、まだ夢みてる苺を囓る
 この[苺]は、摘み取られたことで植物から食物へと転じたが、そのことに気づかず夢をみたまま食べられていて、そのまま誰かの体内で更なる変化をとげるのだろう。
つけものたちは生の野菜が想像もつかない世界へゆくのでしょうね
[生の野菜]が[つけもの]になる変化も、同じ場所にいながら所属する世界が変化する、という把握である。
 また、一連の前半には、ウサギが出てくる歌が多い。ウサギといえば『不思議の国のアリス』への連想脈があって、これも別世界を巡るイメージをそれとなく支えていると思う。この流れから考えて、一連後半に出てくる[スモー・ワールド]の夢も、別領域への移行の一つのかたちとして位置づけていいと思う。
 この10首だけを見ると、戦争が強く意識されていて反戦歌かとも思えるが、それはそれで重要な要素として、連作全体の世界観のなかで捉えておくべきでもある。」

司会「この一連に描かれている並行世界は、アトラクション的である一方で、現実世界のシビアなところにも通じる気がしますね。」

アシ「[スモー・ワールド]には、かつて実際に行われた徴兵検査を想起させる面もありますよ。(今は徴兵制度がないからやっていませんね。)男性たちはまっぱだかで身体を計測され、甲乙丙丁の格付けがなされたんだそうです。[男性だけ][裸][格付け]という3点が[相撲]と重なります。」

司会「それは気づきませんでした。
 なにしろ、戦況の逼迫を相撲の番付で暗示する、という独創だけで驚いちゃって。
 例えば、登山の行程単位の[合目]を[プロジェクトは五合目にさしかかった]みたいに使いますが、この歌では[前頭○枚目]などの番付を使っている。それだけでぶっとんじゃいました。」

鱶助「注目点はもっともっとある。
[スモー・ワールド]は主に、銃後の世界の心理を描いている、ということ。
それと、最初の方で君は、何か生々しい、と言ったが、表現自体は生々しくない方法をとっているのにそう感じさせるということも、[生々しさとは何か]と考えさせられる。
[戦争]といえば普通思い浮かぶのは戦闘だが、この一連には戦闘の描写は少ししかないし、それは全く生々しくない歌だ。
雲龍型、不知火型のミサイルを担いで金剛力士は吠えよ
これには、ガンダムみたいなかっこよさがある。軍国主義時代の[国威発揚のための愛国詩]、あるいは、銃後から戦地を空想して詠む[戦火想望]作品みたいなもの。あえてそういう種類の[現実離れ]ふうに書いてある。それがある意味生々しい、と言えないだろうか。
 むろん解釈はひとそれぞれだが、少なくともステレオタイプの戦争ではなく、安易に[戦争を詠んでいる]と決めてかかれば、本意から外れるかもしれない。
 [銃後]は[戦争]だけにあるわけではない。[戦争のような何か深刻な状況]にも[銃後]はある。そういうものも包含し、て、ぴぴーー……。」

司会「ううー、聞いてて私も充電したくなってきた。」

鱶助「ぴきぴー、[まみ]は、夢見る頭のなかのピューロンのぴと粒で……ピたしたちも、ここのピカイをピキピキ生きるピューロンで、ピーヒャラピーヒャラ、ぴきーーーーーーー。」

司会「うわあ、もういい、どうか安らかに充電して。」

アシ「(窓から逃げようとしている。なんと、すぐそこまで海が迎えに来ているのだ。) 
 関係ないと思いますが、最後に、いちおう補足しておきます。
 力士はいかにも強そうですが、身体が大きすぎて、太平洋戦争当時の徴兵検査では[丙種合格]という最低ランクになることが多かったとか。招集される可能性が高いのはふつうなら最高ランク[甲種合格]の人なのでしたが、戦況悪化に伴い、ランクの低い人も招集されるようになり、戦士した力士もいたそうです。
 それと、戦時中、野球や競馬は中止されても大相撲は継続していて、召集中の力士の番付地位は守られていたそうです。
(海……もう海に帰るんだ……さいなら。ちゃぽん)」

司会「わ、わかりました。私も限界です。
まだまだ考えたいことがいっぱいあるけれど、本日はこれにて打ち止めー打ち止めー。
短歌のみなさん、人間のみなさん、このへんでさようなら。」

(2023・5・4)

※短歌による座談会の第一回は、会話に加わるのが作者なのか短歌たちなのか、という点があいまいでした。
今回は、作者の参加でなく、短歌たちが自主的に飛んでくる、と、明確にしました。

2023年3月27日月曜日

短歌による座談会1 駅の名前


 同じ題材の短歌を集めてみると、いろんな人がバラバラに詠んだ歌なのに、歌たちが雑談をしているように見えてきます。

今回は、駅の名前について詠んでいる歌を集め、架空の司会とアシスタント、および、鱶助くん(ふかすけ 深読みサポートロボ)を置いて、座談会ふうに並べてみました。



■美しい駅名、素敵な駅名

司会「駅名にはけっこう美しいのがありますよね。好きな駅名とか、心惹かれる駅名とかありませんか。」

岩田正
数へあぐれば螢田・富水などとよき駅名多しわが小田急線
ルビ:螢田(ほたるだ)・富水(とみづ)
『レクエルド 想ひ出』1995

司会「おお! 外の景色とは別に、美しい駅名を聞きながら電車に乗っていくのは、脳内ハイキングみたいでしょうか。」

山埜井喜美枝
あわただしき旅の列車は「朝霧」といふ美しき名の駅にとまらず
『はらりさん』2003

司会「朝霧。そんな美しいところに停まったら旅が終わってしまいそう。」
アシ「[朝霧]は山陽本線の駅です。」

秋月祐一
天空橋といふ名の駅よいつかしら降りてみる日はくるのだらうか
『この巻尺ぜんぶ伸ばしてみようよと深夜の路上に連れてかれてく』2020


司会「アニメの世界のようですね。」
アシ「[天空橋]は京浜急行です。」

神谷俊太郎
寝過ごして着いた知らない駅の名が案外嫌いじゃなくてタクシー
「外大短歌」7号 2016

司会「本当は困った状況なのでしょうけど、そんなときでも駅名を味わってしまうんですね。」

■駅名の味わい方いろいろ

司会「味わうといえば、何かの必要があって路線図を見るときでも、ついでに駅名を味わう、ってこともあるでしょうか。」

千種創一
路線図の涯に名前の美しい駅があるのは希望と似てる
ルビ:涯(はて)
『千夜曳獏』2020


司会「言われてみればそうですね。逆にイマイチな駅名だったら……、いや考えないでおきましょう。」

浜田康敬
山陰線に浜田駅ありさらにひとつ松江は母と同じ名なりき
『旅人われは』1985

司会「駅名と苗字! なんだか不思議な感覚ですが、なぜなのか。えーと、鱶助くん。」

鱶助「もし地名と同じ名字なら、陸地との縁が喚起される。そして、駅名と同じ名字なら、そこに路線という血管との縁も加わる。駅名という観念の世界を経由し、身体感覚で地域に結びつく、というプロセスが不思議感覚ではなかろうか。」

司会「そ、そうなのかも。」

伊波真人
橋の名の駅をいくつもつなげては水を夢見る東京メトロ
『ナイトフライト』2017

アシ「銀座線の日本橋・京橋・新橋。東西線の竹橋・飯田橋などでしょうか。」
司会「[橋]といえば架け橋のイメージでしょうか。」

鱶助「むろん架け橋のイメージはある。実際にその駅のそばに川があるとは限らないが、[橋]という字は観念として[水]に縁があり、[橋]のつく駅名の連なりは、メトロが観念の[水]のうえを走っているかのような視覚化を促す。地下鉄は人を運ぶのが目的なのだが、[橋]のつく駅名が多いことに注目したこの歌は、都市の地下水のようにたまった夢のうえにかかる鉄道、というファンタジックなイメージを喚起し、末尾の[東京メトロ]という名称までも、なんだか夢見るようなとろける語感として余韻を残す。深読みついでに更に言えば、一筆書きの[7つの橋]も連想の射程に入ってきそうである。」

司会「鱶助くん、カタすぎ。それともう少し手短にね。さて、お次はどなたでしょう。」

柴田瞳
志木・若葉・朝霞・川越・みずほ台 東上線で好きな駅の名
(出典調査中)

司会「せりなずな……春の七草みたいな感じに75調に乗せましたね。好きな名前の駅だけでどんどん進む感じ。」

東直子
いくつかの武蔵の名つく駅を過ぎ小杉がつけば乗り換えるのだ
「短歌研究」201303

アシ「[武蔵]がつく駅は全国にありますが、この歌はたぶんJR南武線です。武蔵小杉・武蔵中原・武蔵新城・武蔵溝ノ口の4駅があります。」
司会「次の次の武蔵、次の武蔵、というふうに目的の武蔵が近づく感じを捉えていますね。」

蒔田さくら子
ルビありても解せぬ子の名の多き世に業平読めぬと駅名変はる
『標のゆりの樹』2014

司会「そうそう。しかも駅名はひらがなでも表記してあるわけで、むしろ勉強にもなるから変えなくていいじゃないか、と思えます。しかも新しい方はなんだか長いし。」

アシ「2012年、[業平橋(なりひらばし)駅]は[とうきょうスカイツリー駅]に改称。その後は「旧業平橋」と併記しているそうです。」

九螺ささら
現実の駅名並べ「あいのない」「おまえだ」「ごめん」「ほしい」「しね」となり
『ゆめのほとり鳥』2018

アシ「相内(あいのない)は北海道の石北本線、小前田(おまえだ)は秩父鉄道秩父本線、後免(ごめん)は土佐くろしお鉄道なはり線に実在する駅です。でも、星井(ほしい)は架空の駅名として知られており、また、士根(しね)という駅も、なんと、「富士根(ふじね)駅」の画像に手を加えたまことしやかなコラ画像で知られる実在しない駅なのでした。」

司会「えっ? そうだったんですか。最初は単に、実在の駅名を繋いでエスカレートして険悪になっていく場面をあらわすという趣向、と思いましたが、実は、〝現実から架空へと転じていく〟という進行要素も含まれていたんですね。」


■通過駅

司会「一瞬で通りすぎてしまう通過駅。停車はしても降りない駅。そういう縁の濃淡も詩心をくすぐりますね。」

光栄堯夫
降りずして過ぎてしまった駅の名を呟くいくつ秋の彼岸に
『向こう側』2009


司会「降りなかった駅名の回想は、ご縁を結べなかった人がたくさんいるという感慨にかさなるんですね。」

田村元
急行が置き去りにせし駅の名をいとほしみつつ夏逝きにけり
『北二十二条西七丁目』2012


司会「こちらは駅名と季節感。通過駅や降りなかった駅との縁の薄さが、季節の移ろいに重なるんですね。季節と駅名を関連付ける歌は、ここまでに夏と秋とがありましたが、春と冬はどうなんでしょう。」

アシ「[駅名+春][駅名+冬]の短歌もさがしましたが、手持ちデータの中には見当たらないです。たまたま俳句でこの句を発見しました。
 駅名の変はりし春の葡萄山(福田甲子雄『師の掌』)」

平井弘
ひ‌と‌夏‌の‌鬱‌で‌も‌い‌い‌が‌く‌さ‌か‌づ‌ら‌つ‌ぎ‌の‌駅‌名‌く‌ら‌ゐ‌読‌ま‌せ‌ろ‌や‌ ‌
『振りまはした花のやうに』2006

司会「あ、夏ですね。うわぁ、こちらは何か含みがありそうです。平井さんは、こうした婉曲表現の魔法使いですから、これは鱶助くんに聞いてみましょう。」

鱶助「[夏の鬱]は、夏の暑さのことか、というセンもあるが、[く‌さ‌かづら]があるため、『夏草や兵【つはもの】どもが夢の跡 芭蕉』がちらつき、『戦争』のイメージが強まる。
そも芭蕉の句は、草原に屍るいるいの場面を幻視して、婉曲に[夢の跡]と言っているかと思えるものだが、この歌の[く‌さ‌かづら]はそれを強め、[く‌さ‌かづら]に絡みつかれて屍から魂が解放されないことを、それとなく想起させる。
この作者には太平洋戦争を意識した歌が多いということも念頭におくべきだろう。太平洋戦争では兵士を送り出す際「海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君の辺にこそ死なめ 顧みへりみはせじ」(もとは万葉集にある大伴家持の長歌。天皇のため海や山の屍になることも厭わぬという意味)という歌を歌ったそうだ。
それらを総合して、この歌の[夏]は、1945年の夏(原爆・激化した各地の空襲・沖縄戦・そして終戦)を想起させる。
「つ‌ぎ‌の‌駅‌名‌く‌ら‌ゐ‌読‌ま‌せ‌ろ‌や‌」とは、夢からさめるように復興していく戦後の時間を特急列車に見立て、過去の[く‌さ‌かづら]に囚われたまま未来を見ることのない戦死者の立場から、悲しく皮肉っている表現と思われる。」

司会「ふー。なんかものすごかった。」

アシ「関係なさそうですが、「かづら」に関係ある駅名といえば、近鉄吉野線に[葛(くず)]という駅があります。ほかの路線にも「葛岡」「葛生」「葛西」などけっこうあるようです。」

司会「そうですか。では次に進みましょう。」

吉田恭大
通過するあの駅の名を覚えてる 部首から引いた漢字のように
『光と私語』2019

司会「これも鱶助くんに聞こうかな。あ、さっきしゃべりすぎて充電中ですか。じゃあ、私ががんばります。
ーー通過駅の名を見たらなぜか知っていたが、この記憶の残り方はなんだか漢和辞典を部首から調べたものみたいな感じだ。--という意味でしょうね。記憶経路をさぐる(記憶経路にはいろいろありますから)、という脳内の働きを味わう、という点が斬新ですね。」

木下こう
駅の名のひとつひとつにとらはれて(むかうの半月おきてがみめく)
「詩客」2018-07-07

司会「こちらも脳内のことを詠んでいる歌みたいですね。鱶助くん、充電は終わりましたか?」

鱶助「ここまでの歌にも詠まれたように、駅名は、自分に関係ない駅でも、妙に気になったり印象に残ったりする。駅名には、思考の途中下車を促す=思考の道草を誘う、といった特性があるのではないか。
この歌のおもしろさは、目的地が月であるらしいこと。銀河鉄道777の絵が一瞬よぎる視覚効果がそれとなくあること。そして、駅名で道草をくっているうち、月が置き手紙みたいになった、という魅力的な言い回しをしていることである。
=道草をくった→《月が半分に欠けるほど時がたち》→《月で待っていた何者かは去ってしまって》→月が置き手紙みたいに見える。
総合して、寓話めいた脳内思考の経緯をそれとなく想像さ……せる…よう…」

司会「あらら、またバッテリーが。」

■そのほか

司会「異なる観点からもう少し。」

秋月祐一
眠れない夜にきみから教はつた世界でいちばん長い駅の名
『迷子のカピバラ』2013

司会「鱶助くんはダウンしていますが、さっきの歌の鱶助くんの解釈にあった[道草]が頭に残っています。眠れない夜にすごく長い駅名を聞いちゃったら、夜が明けなくなるかな、というようなことを思いました。
長い駅名は[きみ]が使った一種の呪文でもあり得ないか、このひとは[きみ]に囚われてしまうのかも、などの深読みを楽しみました。」

アシ「日本の長い駅名というと、嵐電北野線の[等持院・立命館大学衣笠キャンパス前駅](表記17字・ふりがな26字)、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線[長者ヶ浜潮騒はまなす公園前](表記13文字・ふりがな22文字)などがあります。なお短い駅名で有名なのは1文字の[津]です。」

千原こはぎ
もうきみのものではないということを始める知らない名前の駅で
『ちるとしふと』2018

司会「そういう捉え方詠み方があるんですね。駅名という題材は、出発駅・終着駅・通過駅・途中下車駅と、その人の立ち位置でいかようにもなるものなんですね。
さて、そろそろ終わりの時間が近づいてまいりました。さいごに大御所、よろしくお願いします。」

石川啄木
うたふごと駅の名呼びし
柔和なる
若き駅夫の眼をも忘れず
ルビ:柔和【にうわ】・駅夫【えきふ】
『一握の砂』

司会「『一握の砂』の[忘れがたき人人]という章にある歌ですね。
駅名といえば電車が到着すると、駅員が語尾を引き伸ばして駅名をアナウンスします。今はさほどではないけれど、自分が子どもの頃は発声も独特で、相撲の呼び出しとも違うけれどかなりクセのあるものでした。啄木の時代はもっと特殊だったのかもしれません。若くて声の通る駅員がいて、その声だけでなく眼まで忘れない、ということは、思わず駅員の顔を見てしまうほどに印象深かった、ということですよね。」

アシ「駅員のアナウンスは他にも詠まれていそうだと思いましたが、なぜかあまり見当たらないです。」

司会「近代の啄木さんが詠んだネタなのに、あとが続いてない。追随をゆるさず(?)でしょうか。

さてさて、短歌による座談会、という鑑賞方式はいかがでしたか。
また良いテーマがあったら試みようと思います。ではでは、そのときまで、ごきげんよう、ごきげんよう。」

2023・3・25