炬燵って富士山みたい。
ふとそう思う。
思えば富士山ほど〝見立て〟というレトリックに向いた題材はそうそうないのではなかろうか。
あの姿は、ただの台形ぐらいに簡略化されてもピンとくるほど、広く親しまれている。「富士額」しかり、隠語の「逆さ富士」しかり、それどころか山になってさえいれば、盛り塩だってお灸のもぐさだって、富士に見えてこないだろうか。
ちょうどFacebookで知り合ったロビン・D・ギルさんがとても狂歌に詳しくて、〝見立て〟を使った富士の狂歌をたくさん教えてくれた。
ギルさんは英訳もつけてくれたので、富士の狂歌との出会いが更に新鮮なものとなった。
富士のねも筑波の山も武蔵野のはらを抱えて笑ふ春の日 沢辺霞丸『狂歌題林集』
Mt Fujis peak & Mt Tsukuba reach around the broad girth
of Musashino plain this spring day bringing laughter to earth.
富士山と筑波山が武蔵野という腹(原)を抱えて笑い合っている。
掛詞も効いていて、なんとも雄大な見立てではないか。
狂歌の修辞というと掛詞がまっさきに思い浮かぶが、見立てワザも珍しくなく、特に富士には多いようである。
ただし、ロビンさんによれば、掛詞は訳せないことが多く、そのぶん何らかの工夫で補うとのこと。
ただし、ロビンさんによれば、掛詞は訳せないことが多く、そのぶん何らかの工夫で補うとのこと。
(続く)
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