2019年10月28日月曜日

富士の見立て(1)富士山と筑波山が腹(原)を抱えて笑いあう

炬燵って富士山みたい。
ふとそう思う。

思えば富士山ほど〝見立て〟というレトリックに向いた題材はそうそうないのではなかろうか。
あの姿は、ただの台形ぐらいに簡略化されてもピンとくるほど、広く親しまれている。「富士額」しかり、隠語の「逆さ富士」しかり、それどころか山になってさえいれば、盛り塩だってお灸のもぐさだって、富士に見えてこないだろうか。


ちょうどFacebookで知り合ったロビン・D・ギルさんがとても狂歌に詳しくて、〝見立て〟を使った富士の狂歌をたくさん教えてくれた。
ギルさんは英訳もつけてくれたので、富士の狂歌との出会いが更に新鮮なものとなった。

富士のねも筑波の山も武蔵野のはらを抱えて笑ふ春の日 沢辺霞丸『狂歌題林集』

Mt Fujis peak & Mt Tsukuba reach around the broad girth
of Musashino plain this spring day bringing laughter to earth.

富士山と筑波山が武蔵野という腹(原)を抱えて笑い合っている。
掛詞も効いていて、なんとも雄大な見立てではないか。
狂歌の修辞というと掛詞がまっさきに思い浮かぶが、見立てワザも珍しくなく、特に富士には多いようである。

ただし、ロビンさんによれば、掛詞は訳せないことが多く、そのぶん何らかの工夫で補うとのこと。



富士と筑波さながら、狂歌話に大笑い。





(続く)

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