2019年10月28日月曜日

富士の見立て(4)霞の衣を干す & 翻訳は失われるものもあるがre-create

立ちそめた霞の衣はる風にかけて干すらん富士の大たけ 栗毬 K 1780

The Spring winds dry the newly risen Saho`s dress of haze
on Mt Take (though neither bamboo nor a pole) as we gaze

F:春になって富士の大嶽に立ち初める霞は衣を春風に干すみたいだろうな、っていう歌でしょうか。

G:「大嶽」→竹→物干し竿という連想もある。
 これも同音に甘えるあたかもの見立てかと思う。
 万葉の衣干す女帝の歌(春過ぎて夏来たるらし白妙の衣干したり天の香具山/持統天皇)は、川柳でも定番のネタだ。

F:この英訳には佐保姫が出てきていますね。あ、竿と掛けているのか。(笑)

G:一茶句に、時折、「佐保」が棒の「竿」となるが、翻訳すれば失われるものが必ずある。
 ロバート・フロストはこう言った。
 Poetry Is What Gets Lost In Translation
 (翻訳によって失われるものが詩だ)
 そのかわり、掛詞の楽しさの訳せない部分を脚韻で補うとか、もとの歌の雰囲気を伝えるために意味が少しずれても工夫を加えるとか、翻訳はcarry-over ではなくre-createだからこそ楽しい。

(続く)

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