2020年8月18日火曜日

青008 この人はあなたが産んだ人ですか うつろな青空の瞳たち 東直子


うつろだらけ







この人はあなたが産んだ人ですか    うつろな青空の瞳たち
東直子 角川「短歌」2017年9月号

■解釈1

すごく虚無的な雰囲気の人物に出会う。
まるで空のうつろから生まれた人みたいだ、
と感じ、おもわず心の中で
「この人はあなたが産んだ人ですか」
と空に問いかけた。
見上げたら、その人に似たうつろな瞳が空にたくさんあるような感じがした。

しかし、空といえば、自分の心を投影しやすいものの代表だ。
そのため、「うつろな青空の瞳たち」は、自分の精神状態が青空から見つめ返しているようにも感じられる。
「この人」だけでなく自分もうつろ、みんなうつろ、というふうに、ビリヤードの玉のようにうつろだらけになる感じもする。

■解釈2

上記の解釈は順当だと思うけれども、「この人はあなたが産んだ人ですか」
というフレーズには、読んだ瞬間、もっと深く撹乱された気がする。

それを説明するのがめんどうなので解釈1のほうを採用しているが、
実は。読後、最初に感じたのは、これが誰かが誰かに言ったり思ったりしたセリフでなく、
ある種のぼんやり状態になって、生きた人たちが歩く地上をゆくときに生じた思念のようなものではないか、ということだった。

こういう思念は他者に届かない。
自分の内側にあるのだが、外に投影して、解釈1に書いたようなビリヤードの玉みたいな乱反射効果で、あたりにも空に充満する。それは結局自分の内部を拡大しただけで、そのぼんやりの中を歩いているような感じ、だと思う。

ある種のぼんやり状態とは?

「この人はあなたが産んだ人ですか」

普通は言わない言い回しだが、心が他者と絶縁しているようなぼんやり状態だと、こういう言葉が出てきそうだ。

周囲の人や事象と関係を結べないような、そういう種類のぼんやり状態というのがあると思う。(ありませんか? ない人は以下を飛ばしてください。)

そんなときは普通の言葉が出てこない。
「あら、お子さんですか、かわいいですね、おいくつですか。」
みたいな、社交辞令的に使い慣らした表現ができなくなる。

ーー例えて言うなら、言語中枢には「普通の言葉」の棚があって、ふだんなら、コンビニの棚からおにぎりを選ぶように、手軽に「普通の言葉」を取り出せるのに、その棚がすべて品切れのからっぽみたいな感じになってしまうような感じだ。
でも何か言わなければ、と思って、なんとか目前の相手に関心を持とうと努力をすると、
「この人はあなたが産んだ人ですか」だなんて、すごく変な、手作りの言い回しになってしまう。
ーーいかにも、そういう感じのセリフではないだろうか。

青空はただあるがままに青くて、地上になにが起きようと青いままだ。
だから、果てしなくうつろな、虚無的なたたずまいとして捉える歌は実に多い。

多く詠まれてくれば、ただ虚無というだけでは満足できなくなってくる。
虚無にもいろいろあるから、更に、どんな虚無感か絞り込みがほしくなる。

この歌では、単に空の虚無感を描いただけでなく、関係性を見失うたぐいのぼんやり系の虚無感、として絞り込み得ているとも思う。

※こういうぼんやり、ありませんか。私はしょっちゅうです。
 「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
という「普通の言葉」が出てこなくて、かんたんな返信メールに1時間以上かかる、とか。

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