谷川電話『恋人不死身説』
生まれ変わったみたいな初期化感覚
■人生を新しくスタートする感じ
恋人とはじめて迎えた朝を詠んでいる。目覚めたら眼前に恋人の顔があり、その向こうに青空が見える。
「世界は顔と青だけ」という図の単純さ。および「青」という語が持つ「初期化」のイメージ※※によって、いまこの人物の中でいろんなものが初期化され、人生を新しくスタートする気分なのだろう、と思わせる。
ポイント1 なぜ恋人か?
「恋人」とすることで、〈青〉という語が持つ「初期化」というイメージの詩的効果が発動しやすくなる。
「初期化」にもいろいろあるが、「恋人」ならば幸福感を伴う「初期化」になりえるし、一般的で、想像したり経験したりしやすい。
他のシチュエーションを考えてみよう。
目覚めたらそこに医師の顔があった。(死にかけて蘇生した)
目覚めたら強盗の顔があり「金を出せ」と言った。
目覚めたら愛猫が覗き込んでいて「朝ニャ」と鳴いた。
おもしろいが、特殊でありすぎる。歌の中にこういう状況を示唆する要素がなければわざわざ思い浮かべる必要はない。
自然に詩的効果が発動するようなすんなりした解釈が妥当なのだと思う。
でも、こういう解釈は、道草的なツッコミの一種として、愉しみながら本筋を確認できるので、鑑賞ついでに大いにやらかしてみる価値がある。
ポイント2 幸福感の表現は難しい
そも短歌は幸福感を詠む歌が少ない。
意識されていない何かの制約があるようで、幸福感を詠むことが許容されるネタが限定されている。
しかも、ストライクゾーンが狭くて、安易に書いても、読者が「いい歌だ」と思ってくれない。
幸福感を詠むことにあまり抵抗のない数少ないネタのひとつが「恋愛」だ。
が、なかなか掲出歌のようには成功しない。
なぜだろう。
「幸福」は必要なものだ。
「幸福」そのものだけでなく、「幸福」のイメージというものも必要である。
期待したりあこがれたりするときに思い浮かべるためだ。
つまり、イメージストックとして良質なものには需要がある。
単に個々の幸福の報告しただけでは、必ずしもその品質に達しない。(笑)
この歌の幸福感は、その点もクリアした高品質なものだと思う。
「青」+「顔」の歌コレクション
上記の歌とは関係ないけれど、「青」+「顔」の歌を少しピックアップしておく。
酒のめば鬼のごとくに青かりし
大いなる顔よ
かなしき顔よ
ルビ:鬼(おに)
石川啄木『一握の砂』1910
山みちにこんなさびしい顔をして夏草のあをに照らされてゐる
前川佐美雄『植物祭』1930
青白色 青白色 とぞ朝顔はをとめ子のごと空にのぼりぬ
ルビ:青白色(セルリーアン)
葛原妙子 未刊歌集『をがたま』(『葛原妙子全歌集』2002)
青空がふわりと顔を覆いきてもうこれ以上のものは要らない
早崎ふき子『カフカの椅子』2006
声深くねむる湖ひたひたと細胞の顔あおくあふれて
東直子『青卵』2001
向日葵です。日に顔向けて暖取ります。何色かわからない青です。
沼谷香澄「Tongue」第4号 2004・1
飛べさうな青空なれどむづかしき顔を作りて机にむかふ
小島ゆかり『馬上』2016
ひまわりの顔からアリがあふれてる漏斗【ろうと】のようなあおぞらの底
穂村弘『水中翼船炎上中』2018
以上
※
他の解釈:顔の内側で目覚めるという全く別系統の解釈。
個人的にはその種の空間の歪みのほうが好みだが、上記の解釈のほうが一般的で自然。奇妙な解釈は自分で勝手に空想するだけにしておく。
※※
「青」に「初期化」のイメージがあるか、という点については、共通認識になるほどには意識化されていないが、「青」を詠む短歌を集めてみると、そういうイメージで詠まれている歌が一定程度の割合を占めている。
「青」という語のイメージは多岐にわたり、本を一冊書いて(拙著『青じゃ青じゃ』沖積舎2020年)まだ書き足りないぐらいだが、そのイメージ領域の一つに「初期化」がある。
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