2020年8月6日木曜日

ミニ34 「季語」という語を詠む短歌

「季語」という語を短歌に詠み込む例がたまにある。なかなかおもしろい歌が多いようだ。


○○は✕✕の季語だ


特に注目したのは「○○は✕✕の季語だ」という言い回しだ。
「うそ。え、ホントに季語だったりする?」というフェイク加減が楽しい。

たまに本当に季語だったりして、なあんだ本当か、と、ちょっとがっかりしたりして。(すみません)

フェイク

「コンビニ」は冬の季語です 笑うためあんまんを抱き肉まんを食う
千葉聡『微熱体』

エリートは晩秋の季語 合理人の孤独を映す水面静けし
中沢直人『極圏の光』

いけません。と言うきみ鳩目が潤むきみ(算数ドリルは初夏の季語です)
柳谷あゆみ『ダマスカスへ行く 前・後・途中』


言い回しは違うが、これもフェイク季語。

(カルシウム不足って季語?)このごろの句会に吸骨鬼はでるらしい
杉山モナミ「かばん」2009・8

本物

原爆忌・七夕 秋の季語なるを確かめしのみ歳時記を閉づ
花山多佳子 『胡瓜草』
※「原爆忌」も「七夕」も秋の季語

自らの下陰に降るひそけさの杉落葉 夏の季語なり
花山周子『林立』
※「杉落葉」は夏の季語

風船は春の季語です風船のようなあなたの心臓にいう
東直子 「文藝春秋」2014・5
※「風船」は春の季語


言い回しは違うが、これも同じ趣向。

「廃」と言えぬ唇乾く冬の夜にビラは舞いたり季語「炉」を乗せて
大野道夫『秋意』
※「炉」は冬の季語


「季語」に見いだされる情趣


「季語になる」「季語が消える」など、「季語」を言葉の〝ひとつの段階〟としてとらえて情趣を見出すのは新傾向で、いかにも歌人的な発想だと思う。

「それは宗教行為ですか?」「数回の中断を挟みます」「いずれは冬の季語になります」
吉田恭大「早稲田短歌43」(2014・3)(『光と私語』にも収録)

手を振って こぼさないようこれからの季語をつつんであげられるよう
井上法子『永遠でないほうの火』2016

海からの呼び声を抱くこの日暮れ(こっそり消えてゆく春の季語)
井上法子『永遠でないほうの火』2016
(「海の声そらにまよへり春の日のその声のなかに白鳥の浮く 牧水」のような歌を本歌として応答している?)

あなたは鏡を見ながら話しをしてる ハイウェイ、この、なつかしい季語
瀬戸夏子「率」第10号(2016・5)

タワー・オブ・テラー あなたが腑に落ちる季語をめちゃくちゃにするであります
ナイス害「なんたる星」(2018・11)

「なる」というのは、良くなったり悪くなったりがあるわけだが、「季語になる」は、普通の感覚では、成長や昇進などに似たランクアップだと思う。
おたまじゃくしが蛙になる、将棋で歩が金になる等に似て、言葉がヒラから役付になる感じだ。
少なくとも「季語に成り下がった」というニュアンスの歌は今のところ見かけない。

「季語になる」というのは明るい要素だ。だから季語が消えるなどすればしんみり系の情趣にもなりえて、短歌にとっては詠みがいのありそうな新しい題材である。

季語にして美化しちゃっていいのかなあ


事象名が「季語」に昇格するということは、少し風流になるから、何事であれ少し美化される。
そして、そのように扱っていい過去のこと、とみなされたとも言えないだろうか。

さっき引用した歌に出てきた秋の季語「原爆忌」。
個人的には、季語にしていいほど昔とは思えない。まだ当事者が生きているし、これからも核戦争や原発の事故は起き得るから、安易に風流や抒情で触れていいのかしら。
源平の合戦ぐらい昔ならともかく、と思う。

でも、いちがいに否定したいわけでもない。
たとえば古事記に出てくるいくさも現代の戦争も同列になるような視点はあると思えて、線引が難しいと思うからだ。

じゃあ過去でなく、今のこの現実に地続きの未来はどうだろう。
未来はこわい。めんどくさい。
逃避して、いわば不要不急の風流な話だけに興じる、っていうのはどうなんでしょう?

これからのことを話すのがキライ 流星や季語について話しつづける
山下一路『スーパーアメフラシ』2017


俳句は「季語」をどう詠む?


俳句にも「季語」という語を詠み込む例はある。

予想では、俳人は季語が好きで誇りに思っている人が多いから、
そのまま書けば「わが家のかわいい猫ちゃん」的になるのじゃないかなあ、
と思った。
わりと予想通りだった。

鮒ずしや食はず嫌ひの季語いくつ
鷹羽狩行

こそばゆき季語の一つに竹夫人
倉橋羊村

季語といふ漢意こそ桜かな
ルビ:漢意(カラゴコロ)関悦史

ゾクとする季語がみごとに決まりしとき
筑紫磐井

季語が無い夜空を埋める雲だった
御中虫


逆に反発するような感じの句もあった。

ぶちまけられし海苔弁の海苔それも季語
関悦史

台無しだ行く手を阻む巨大なこのくそいまいましい季語とか
御中虫


「季語」を詠む俳句でいちばん気に入っちゃったのはこれ。

云うたら然やろ季語もみな人類や
ルビ:然(そ)
永田耕衣『自人(じじん)』


川柳は人生派?


川柳の手持ちデータには「季語」を詠む句がなかったので、「おかじょうき」のデータベースから探してみた。

「季語」を詠む句は6句みつけたが、そのうちの3句が〝生き方〟に関するものだった。
データ数が少ないのでたまたまかもしれないが。


季語のない生き方ばかりしてました
米山明日歌 「月刊おかじょうき」(2016・10)

頼み方下手な親父に季語がない
さざき蓬石 「月刊おかじょうき」(2005・5)

生き直す私の季語を書き変え
きさらぎ彼句吾「月刊おかじょうき」(2015・5)


季語と人生が結びつくのは、川柳独特の発想ではないかと思う。


今日はこんな感じです。

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