2020年8月5日水曜日

ミニ33 「を見ていた」と終わる歌

ぽとんと落ちる感じ


末尾が「を見ていた」「をみていた」である短歌を集めてみた。

「を見ていた」という終わり方には、5音ぶんの重さで情趣がぽとんと落ちるような風情がある。

データベースの10万9500首のなかで38首が該当した。

本日の好みでピックアップ



だんだんになくなるこころキューピーは臍をさらして空をみていた
東直子『青卵』

垂れ下がる悪意に触れて出てくると眼球だけが夏を見ていた
田中槐

信号を待ちながら鳥を一羽ずつゆっくりと吐く夢をみていた
村上きわみ

ボルヴィックの青いキャップをひねりつつ銀幕に降る雪を見ていた
入谷いずみ 『海の人形』

うつくしい牛の眼をして運命がまだやわらかいぼくを見ていた
佐藤弓生『薄い街』

二日酔いの君が苦しく横たわる隣で裸の空を見ていた
俵万智『プーさんの鼻』

都会的憂愁として駅前の冬の噴水噴くを見ていた
藤原龍一郎 『切断』

火の色の心臓もつわたしたち砂浜がやせるのを見ていた
服部真里子『遠くの敵や硝子を』

首細きダリア窓辺に揺れながら挫折していく君を見ていた
錦見映理子

触れないことで触れてしまった核心があってしばらく窓を見ていた
法橋ひらく『それはとても速くて永い』

くらいくらいおなかのなかで目を閉じて母の思考の川を見ていた
木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』

しり取りをしながらふたり七色に何か足りない虹を見ていた
松村正直『駅へ』


ぼんやり系が多め


何かを見る場合、その対象になんらかの興味があるのが普通だ。
が、「を見ていた」と終わるニュアンスは、あまり積極的なまなざしではなさそうだ。

歌を集めてみると、
心身の疲労消耗やなんらかの不快不調による放心状態でぼんやり何かを見るとか、
そういう状態からの逃避や癒やしのために何かを見つめるとか、
あるいは、見ているだけで何もできない無力感とか……、
まあそういった傾向があるようだ。

でも、上にあげた歌は、それだけで片付かないプラスアルファがあっておもしろいと思う。

そのほか、用例は少ないが、「を見ていた」は、
虚無性(他に見るものがない、それしか見えない)の表現とか、
そのときたまたま見ていたというシチュエーションとかもあり得る。
また、空や太陽のようにいつも必ずあるものを見るという言い回しは、「生きる。日々を送る。」という意味にもなる。

なお、俳句川柳は結句が5音なので「を見ていた」という終わり方はしにくいようだ。

ま、今日はこのへんで。



短歌におけるこの種の語感、風情、たたずまい、言葉のしぐさはすごく重要だ。
歌数をほどよく絞り込みたいということもあって、似ているものすべて除外した。
似ているものってどんなのだろう、と思う人もいるだろう。
以下のようにいろんなものがある。

【抽出しなかったもの】
 ・語尾が異なるもの。
  「を見ていました」「を見てた」「を見ていたり」「を見ていたい」等々。
 ・倒置により、歌の途中に「を見ていた」があるもの。
 ・助詞「を」が省略されて「見ていた」だけのもの。
 ・ほぼ同じ意味である「を眺めていた」「を見つめていた」など。


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