2021年5月18日火曜日

満61 ストローの詠まれ方


ピックアップ

まず少しだけピックアップします。

観覧車昇るよきみはストローをくわえて僕は氷を噛んで
穂村弘『回転ドアは、順番に』2003

ひとり来て曲げれば秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー
染野太朗『人魚』2016

さっきからずっとストローの袋をもんでもしかしてそれ鳥になるの?
戸田響子「短歌ホリック 第1号」2016

子供とは球体ならんストローを吸ふときしんと寄り目となりぬ
小島ゆかり『月光公園』1992

ストローでぶくぶくにするびん牛乳理論的には永久なのに
飯田有子(出典調査中)

あのこ紙パックジュースをストローの穴からストローなしで飲み干す
盛田志保子(出典調査中)

興味とお時間がありましたら以下本編を御覧ください。


ストローの詠まれ方

 「ストロー」はとてもそそられる題材です。
 詩歌的に有効な語じゃないかな、という期待をなんとなく感じます。

 ストローそのものの形状や質感。通過する液体のふるまい。ストローを使う人の様子。曲げたり氷をつついたりする動作。--そんなちょっとしたことがいちいち、心理表現に役立ちそうです。

 それと、「刺して吸う」という特殊な能動性もおもしろそう。
 蟬が樹液を吸うとか、蚊が人の血を吸うとか、ささやかでも切実で、相手にほんのわずかしか損害を与えずに共存する行為……。
 そのあたり、隠し味にならないかな~。


 というふうにアタリをつけて、 「ストロー」を詠む短歌をさがしてみたら……、
 すごい! 想定を超えていろんなアプローチがなされていました。

■くわえる


観覧車昇るよきみはストローをくわえて僕は氷を噛んで
穂村弘『回転ドアは、順番に』

 観覧車の歌といえば有名な「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(栗木京子『水惑星』1984)があり、この歌の対比文脈を、穂村の歌も意識していると思われます。
 「ストローをくわえる」はリラックス+期待(すする)イメージ、「氷を噛む」のは困惑や緊張のイメージでしょうか。

ストローを咥えたままで眼を合わすなんかの紙を突きつけられて
柳本々々「東京新聞」2018・12・23

 ストローをくわえている状態というのは、飲食のいろいろな動作のなかではかなりくつろいでいる状態でしょう。一方、紙を突きつけられるというのは、拳銃やナイフほど直接的ではないだけで、面倒で逃れにくいなど何か剣呑な事案だと思われます。
 この対比関係の暗示は、ストローと紙以外の具体的な要素を示さない効果で、連想範囲が広くて、たとえば「カノジョとあいあいストローしてたらいきなり赤紙」みたいな状況を連想してしまえます。

■持ち方

ストローは心理の機微をあらわすのに適しているようです。

全身をゆびさきにして指はただ一本のストローを支えとる
吉岡太朗『ひだりききの機械』2014

ストローに副へらるる指蜻蛉の明るき翅をつまむごとくに
ルビ:翅【はね】
佐々木実之 『日想』2013

 ストローでなくストローの袋ですらこういうふうに。

さっきからずっとストローの袋をもんでもしかしてそれ鳥になるの?
戸田響子「短歌ホリック 第1号」2016

■曲げる


ちょっとした動作や行為も、歌に詠むと、すごい喚起力を帯びちゃうことがありますね。

ストローの折り曲げ部分まげきってあたらしいなにかを生むあなた
笹井宏之『ひとさらい』2011

「飲み口を折り曲げられるストローがきらい臨時の恋人がすき」
穂村弘『シンジケート』1990

ひとり来て曲げれば秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー
染野太朗『人魚』2016

 「秋」という季節感は何と取り合わせても合うけれども、それだけに、安易な取り合わせはありきたりになってしまいます。
 さみしさを基調に、いろいろなものが声を出したり音をたてたりするのは、ベーシックな「秋」の抒情です。代表的なのは百人一首の「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき(猿丸太夫『古今集』)」

 「秋+鳴」でデータベースを検索してみた結果、近現代作品の秋の音源は、虫、鐘、風に吹かれて植物や物がたてる音の3つに集中していました。
 つまり、この歌の「秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー」はとてもレアな着眼なのです。でも、ストローがたてる音に秋の抒情を見出すのは無理がない。--伝統的な抒情(奥山に紅葉踏みわけ……的な)がそれとなくバックアップしてくれているのでしょう。ちゃんと「秋」の季節感にマッチしています。
 「赤い」も効いている。赤は紅葉など秋と結びつきやすい色だし、ストローの曲がる部分がかすかに虫に似ており、「赤」という色が、命の心細さと健気さみたいな方向へ、つまり「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿」的な抒情のバックアップをうけやすくなる。(「青」も秋の青空など、秋との相性は悪くないが、「生き物のけなげさ」には結びつかない。)

 川柳もありました。
ストローの首を秋へと折り曲げる
斎藤泰子 おかじょうき川柳社例月句会 2009年08月

■刺す


 ストローを刺して飲むという幽かな能動性がドラマを呼び寄せる……。

ストローを刺してあふれるヤクルトの、そうだよな怒りはいつも遅れて
阿波野巧也 『ビギナーズラック』2020

ジャムパンにストロー刺して吸い合った七月は熱い涙のような
穂村弘『ラインマーカーズ』2003

 ジャムは果物を煮つめて作るものだからジュースに通じますが、ストローで飲むのはとうてい無理です。その無理をしようとする切実感の表現に驚かされます。

 川柳にはこういうのがありました。
ラクダの瘤にストローすっとさしてみる
相田みちる「おかじょうき」2009年04月


■吸いかた・飲みかた

 吸うときの音を詠む歌3首。

きみはちゆうとストローを吸ふ 知恵の実の汁と知らねばもう一つ吸ふ
吉田隼人『忘却のための試論』2015

ストローで飲み干した後しばらくはスースースースー吸う男性だ
工藤吉生 作者ブログより(「ダ・ヴィンチ」短歌ください 穂村弘選とのこと)

ストローをシューッとならしてのむひとはもうすぐ異質なものになります
杉山モナミ 作者ブログ「b軟骨」2012・1

 これらはむろんバラバラに詠まれたものですが、こうして並べるとまるで「ストローを吸う音」という題詠みたい。

 コップなどにじかに口をつけてガブガブごくごく飲む飲み方に対して、ストローを使う飲み方は、すぼめた口の一点に飲むという意識が集中しています。

昆蟲の蜜吸ふごとくをとめたち更けし茶房にストローを吸ふ
葛原妙子『橙黄』1950

子供とは球体ならんストローを吸ふときしんと寄り目となりぬ
小島ゆかり『月光公園』1992

星にふれてきたさびしさにストローでつめたい水を無心にすする
東直子青卵』2001

 で、次はその逆、というか……、
 ストローを使うべきところにじかに口をつけて吸っちゃう!


あのこ紙パックジュースをストローの穴からストローなしで飲み干す
盛田志保子(出典調査中)

 この飲み方を詠んだ歌ははじめて見ました。この歌の価値は、ストローなしで飲んじゃうワイルドな行為を捉えた、っていうことだけにとどまらないと思います。

 従来だったら、〝ストロー飲み〟の対極は〝ガブ飲み〟だったと思いますが、この歌では、「穴に口をつけて吸っちゃう」という新たな対極の飲み方を見出している。
 そういうふうにイメージ領域を意表をついて開拓する新鮮さにも注目しておきたいです。

■吸う対象


ストローで顔の映った水を吸ひそのまま顔ごと吹ひ込んでしまふ
西橋美保『漂砂鉱床』1999

ストローでホットコーヒー吸ふやうなさみしい恋もとうに終はつて
染野太朗 web「ROOMIE」今月のうたと暮らし 第6回

話題尽きくわえたストローから君は窓にうつった虹を吸いだす
白辺いづみ「かばん新人特集号」2010・12

 現実にストローで飲むのはアイスコーヒーやジュースなど、冷たい飲料ですが、短歌の中ならいろんなものを吸えます。空を吸う、世界そのものを吸う、ということも可能です。

ストローで吸ふ夏の空失つた感触を指す日本語がない
魚村晋太郎『銀耳』2004

ストローでまはしてごらんすきとほるソーダの中のおまへの空を
小島ゆかり『ヘブライ暦』1996

アイスティー吸ひ上げてゐるストローでわたしは世界とつながつてゐる
香川ヒサ『ファブリカ』1996

 「ストローを刺して吸う」という行為は、たとえば蟬が樹液を吸うとか蚊が人の血を吸うとか、そういうことに幽かに通じる可能性があるでしょう。

 空を吸う……、ということは、蟬や蚊のように、小さな自分が大きな世界に取り付いて青い血をもらうことでしょう。
 世界と血液のようなものを勝手に分かち合い糧とする。そういう存在の仕方を、歌に詠んで体感してみているようです。


 川柳にはこういうおもしろいのがあり、意表をつかれました。

ストローで吸い取りきれぬ津軽弁
中山恵子 第17回杉野十佐一賞 2013年01月


■氷をつつく

気づまりだったり、手持ち無沙汰だったりするとき、しばしばストローで氷をつつく。
〝ストローあるある〟ですね。

向きあうとうつむくきみはストローで氷の窪みつついてあそぶ
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

ストローで氷をつつくすでにもうすべてが語り尽くされてゐて
香川ヒサ(出典調査中)

 ストローで氷をつつく情景は、けだるい停滞感の表現になるようです。


■ぶくぶく

 もっとおもしろいのは「ぶくぶく」です。
 ストローで氷をつつくのと似て、けだるい停滞感の表現になりますが、この子供じみた行為には、それを増殖・膨張させるような効果もあると思います。

ストローでぶくぶくあそぶ幼さのまぶしくて、やい、夏雲ふっとべ
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

ストローでアイスコーヒー飲みながらため息つくとぶくぶくするよ
伊津野重美かばん新人特集号」1998・2

ストローでぶくぶくにするびん牛乳理論的には永久なのに
飯田有子(出典調査中)

この歌、「理論的には永久なのに」の意味がとりにくいが、牛乳をぶくぶくすると泡がでて膨張する。むろん牛乳の泡ぶくは〝理論的には有限〟だ。が、そこから思念が逆転するよう。
この世界というかこの宇宙という
無限永久の場における、無意味に何かがぶくぶく増殖するしょうもない現象。そのあぶくのように際限なく私達は生じ続けているーー、ということを考えそうになっていないかなあ。

 「泡」といえば、従来のイメージでは、「泡は消えやすい→はかなさやむなしさ」だったわけですが、この「ぶくぶく」の泡のむなしさはひと味もふた味も違います。
 「やめなさい」と叱られそうな子供じみたくだらないいたずらのような〝しょーもなさ〟、無意味に増殖・膨張するむなしいモンスターのような形……。
 そういう新しいニュアンスの表現になり得ます。

■液体の通過


 このほか、ストローの中を通る液体のふるまいに注目する歌群もあります。
 これも、さらに詠まれることで、どんどんイメージを獲得しそうな勢いが感じられます。

そして切り出すほかなくてストローを赤いソーダがもどっていった
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

ストローをくろぐろとした液体がつぎつぎ通過する喫茶店
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005

眼鏡型渦巻きストロー駆け回るミルク 死ぬまで騙しておくれ
穂村弘『ラインマーカーズ』2003

俳句

バナナジュースゆっくりストローを来たる
池田澄子『たましいの話』2005

川柳

ストローを通る小さな自尊心
たなかまきこ 川柳ふぉーらむ「洋燈」月例句会 2005年03月

ストローの中を通ってくれと言う
徳永政二 第24回川柳Z賞 2006年08月

ストローを通らなかったり詰まったり…

俳句
ストローに吸ひつく種やソーダ水
大木あまり『火球』2001

川柳
ストローの詰りは別れだったのだ
佐藤一沙第14回杉野十佐一賞2010年01月

撫で肩の人からストローに詰める
月波与生「おかじょうき」2016年05月

■ストローのたたずまい

 ストローがグラスに立っているたたずまいを詠むこともあります。

藁婚の女男立ち去りて残りたるストロー二本ふれあひもせず
ルビ:女男【めを】
大塚寅彦『夢何有郷』2011


俳句
ストローの向き変はりたる春の風
高柳克弘『未踏』2009

川柳
ストローが二本並んでいた時間
ひとり静「川柳マガジン」2003.12読者柳壇

上記の句は
草二本だけ生えてゐる 時間 富澤赤黄男『黙示』1961
のパロディ?。
「ストロー二本」はややステレオタイプで平凡な内容の歌句が多かったが、この句はこの一捻りが効いている。

 というわけで、「ストロー」という題材の可能性の大きさに驚かされました。
 さて、今日はこんなところでしょうか。


※俳句と川柳は手持ちデータが少なかったため、現代俳句協会などのネット上の俳句データベース、および「川柳おかじょうき」のデータベースに頼りました。

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