2022年3月24日木曜日

満66 何かを見に行く


ピックアップ



申し訳ございませんが総務課の田中は海を見に行きました
辻井竜一『遊泳前夜の歌』2013

国語科のドアに「校内どこかにはいます」と貼って空を見に行く
千葉聡『短歌は最強アイテム』

少年が引き連れて冬の夜の空の星を見に行く家族四人で
奥村晃作『三齢幼虫』1979

子供にてありしころより夜なか起き鏡のなかを見にゆきにけり
前川佐美雄 『植物祭』1930

干しえびの袋にたまる海老の目よ人間だけが花を見にゆく
雪舟えま 『たんぽるぽる』(2011年)

ぐりこ ぱいなっぷる ちょこれえと もの凄い海をみにゆき
山下一路『あふりかへ』1976

白梅は見にゆかぬまま 読まざりしページのように日々の過ぎゆく
吉川宏志『石蓮花』

純情を強いくるように雪の降る土曜日ポルノ映画見に行く
山田消児『風見町通信』

みずうみがひらくのを見にゆきましょう(裂けているから尊い心)
村上きわみ 「未来」2013.6

君は髪に雨だった水ひからせて明日見にいく船を讃える
千種創一『砂丘律』2015

*  *  *  *

何かを見に行く歌


何かを「見に行く」ということを詠む歌をあつめてみました。
以下に、分類してアップします。
 (入力違いが疑われるいくつかの歌を除きました。)

検索週出方法
 以下のテキストで検索抽出
  見に行、見にい、見にゆ みにい、みにゆ

 読んでみて不該当の歌を除外

 その結果、101首の「見に行く」歌が集まった

テキスト検索ですので、たとえば「眺めに行く」は意味が似ていますが対象外です。
また、「見に行く」ということはいろんな言い回しで表しえますが、
たとえば、
「 みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる(斎藤茂吉『赤光』)」
「もうダメだおれはこれから海へ行くそしてカモメを見る人になる(瀧音幸司「短歌ヴァーサス」第十号)」
のようなものも拾えません。 


■見に行くもの 定番は「海」


「見に行く」歌101首中「海」は11首もありました。

森羅万象の何を見に行ったっていいのに、海が約一割を占めているわけです。

「海を見に行く」は、「人間関係や日々の暮らしに疲れるなどして一時的に逃れる」っていう気分を表現することが多いようです。

短歌の言葉の世界における「海」は見に行くものの定番、心の観光地。
ゆえに、〝観光化〟(ステレオタイプ化)に留意したい。

ただし、ステレオタイプが悪いのではありません。
ステレオタイプそのまんまではなく、定番ファッションのアレンジや着崩しみたいな要素が、海を見に行く歌の見せ場であり見どころだと思う。


剥製の鷹ひっそりと冷えている夜なりひとり海見にゆかむ
ルビ:剥製【はくせい】
寺山修司『血と麦』

そばにいてもらえぬことを知っている土曜日だから海を見に行く
俵万智『かぜのてのひら』

申し訳ございませんが総務課の田中は海を見に行きました
辻井竜一『遊泳前夜の歌』2013

海を見にゆかないのですか、ゆふぐれを搬び了へたる貨車がさう言ふ
高木佳子『青雨記』2012

ぐりこ ぱいなっぷる ちょこれえと もの凄い海をみにゆき
山下一路『あふりかへ』1976

わたくしをいでざる思惟に疲れつつ最上階に海を見に行く
久我田鶴子『鳥恋行』

きっと嵩増しされている雪の海 海を見に行くのはだるいけど
初谷むい「詩客」2018-01-06

海にしてください少しがんばれば見に行くことのできる遠さに
山階基「未来」2018年1月号(風にあたる拾遺)

恋のはじめをうやむやにして仲のいいふたりのままで海を見に行く
山下翔『温泉』2018

ボスポラス海峡を見に行くはなしゆふぐれの大楡にもたれて
永井陽子『モーツァルトの電話帳』1993

なんと自分も「海を見に行く」歌を詠んでいた。これはアレンジが足りない歌です。

マンションの死体今夜も魂が鍵穴抜けて海を見にゆく
高柳蕗子『ユモレスク』


■海以外の水系


みずうみがひらくのを見にゆきましょう(裂けているから尊い心)
村上きわみ 「未来」2013.6

川を、川を見に行きませんか飛び降りて原木中山出たらまっすぐ
鈴木智子『砂漠の庭師』2018

水を恋ひ水を見に行く田植ゑまで少し間のある大潟村へ
福士りか『サント・ネージュ』2018


■空


「海を見に行く」に似ているからもっとあるかと思ったけれど1首だけ。
いつも真上にあるからわざわざ行かなくてもいい。

国語科のドアに「校内どこかにはいます」と貼って空を見に行く
千葉聡『短歌は最強アイテム』


※さっきの「申し訳ございませんが総務課の田中は海を見に行きました(辻井竜一)」と呼応する感じですね。


■山がない


「海」はあんなにあったのに、「山」はひとつもない。
なぜ? さあ、単なる食わず嫌い、っていう可能性もある。

かろうじて「森」を発見。

自虐などかつてなさざる我にして枯木の森の果てを見にゆく
坂田博義『坂田博義歌集』(「埠頭」)


■桜


花見という習慣があるぐらいだから「桜を見に行く」という歌があるかなと思ったのですが、なんと101首中にたったの2首しかない。

おもしろき世のことなほもあるごとくさくら見にゆきふかく疲れぬ
馬場あき子 『あさげゆふげ』

高尾までことしの八重ざくらのおとろへを見にゆかむとて思ひ立ちし日
森岡貞香『百乳文』1991



「桜」を「花」と言っている場合があるかしら?

干しえびの袋にたまる海老の目よ人間だけが花を見にゆく
雪舟えま 『たんぽるぽる』(2011年)

春になれば春の謝罪をくりかえし降るはなびらを帰路は見にゆく
内山晶太「詩客」2012-12-07



■梅


優先順位がたがひに二番であるやうな間柄にて梅を見にゆく
荻原裕幸『リリカル・アンドロイド』

白梅は見にゆかぬまま 読まざりしページのように日々の過ぎゆく
吉川宏志『石蓮花』

葛飾の梅咲く春を見に行かむたどきも知らず一人こもり居
長塚節(出典調査中) ※たどき=手段


■そのほかの花と植物

戦争が(どの戦争が?)終つたら紫陽花を見にゆくつもりです
荻原裕幸『あるまじろん』1992

みかん畠見にゆき命落としたる曾祖父はそれを原爆と知らず
松本典子『裸眼で触れる』

草を見に行こうよと言ったね まなざしが春のコーラのようによみがえっている
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』

明日には枇杷を見に行く脆弱な花と光を心に詰めて
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る 』2013



■月や星


少年が引き連れて冬の夜の空の星を見に行く家族四人で
奥村晃作『三齢幼虫』1979

坂ひとつ越えたらこんな静かな場所 エレベーターで星を見にゆく
本川克幸『羅針盤』

流星群見にゆきしかど夜は深く言へないままのさやうならある
目黒哲朗『VSOP』

勝手に一人で傷ついちやつてと風が吹く風は銀河を見にゆくといふ
梅内美華子『真珠層』

はじめての性慾というむらむらとぱじゃまのアリスと月を見にゆく
山下一路『あふりかへ』1976


■気象現象など


雨が好きとウッディ・アレンが言いしゆえ雨を見に行くひとりの午後は
芹澤弘子『ハチドリの羽音』

映像を断ちたる分厚き沈黙は背後に置きて雨を見にゆく
古谷智子『ガリバーの庭』2001

生命線濃くするような夕焼けを見にいくわれと子ははしゃぎつつ
小守有里『こいびと』2001

オーロラを見に行く人よ近づけばいよいよ白し世界の極は
中沢直人『極圏の光』



■犬


だしぬけに指絡めればすこしだけ力がこもる いぬ 見に行こう
初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』

「だいこんいぬ」と姪が言ふものを見にゆけば白き尻尾を立たせる犬
小川真理子 『母音梯形(トゥラペーズ)』2002

いつも犬をみにいく見にいくか雨を心から言いっぱなしだ千円払うよ
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』2012


■馬


好きなだけなのただそれだけの一生はかなくて馬を見にゆく
山下一路 『あふりかへ』1976

馬を見に行かなとせがむ児を抱き朝春寒むに霜をふみてし
原阿佐緒『白木槿』


■いろいろな生き物


百年を経て平日の晴れた日にあなたと亀を見にゆくんだよ
吉田恭大『光と私語』2019

ちちははよなおくらくあれ雪しみる海のかなたに鯱を見にゆく
山下一路『あふりかへ』1976

黄ばみいる牙おとがいの虚しみたらんか一頭の海象を見にゆく
ルビ:海象【セイウチ】
山下一路『あふりかへ』1976

落日の白き犀を見にゆかんザンビアへ渇望の眉あげながら
山下一路『あふりかへ』1976

鶴を見に行きし男のかへりきてただ黒かりしとくぐもりゐたり
伊藤一彦『現代百人一首』

シベリアの鳥を見に行く金色に燃え立つ木々の間を抜けて
中沢直人『極圏の光』


雨の夜の蛍見にゆく妻の声留守番電話に吸われておりぬ
吉川宏志『夜光』2000


■何かをしている動物


靴下をまだ立てぬ足に穿かせやりてふたりで猫のケンカ見に行く
駒田晶子『銀河の水』2008

もう一度やり直すため……ねえ君、ウサギの交尾を見に行かないか
江田浩司(出典調査中)

所在なげにいれば蟷螂の喧嘩を見にゆかんという
高瀬一誌『レセプション』

をかしといふ猿の芝居を見に行けば顔に手をあて猿が泣きけり
長塚節『長塚節名作選 三』(青空文庫)



■火事


見に行くといえば火事ですよね。2首ありました。


選んでもらったお花をつけて光らずにおれない夜の火事を見にゆく
井上法子『永遠でないほうの火』2016

さみしいよ橋のうちなる対岸の意志炎えわたりたる火事を見にゆく
山下一路『あふりかへ』1976



■花火

見に行くといえば花火はどうかしら。なんだ2首しかない。火事と同じか。


花火見て歌わんと思う 花火見ずに歌えぬわれは花火見に行く
奥村晃作 『キケンの水位』

作業着のままで見に行く川花火 あぢさゐ色の少女(をとめ)ら流れ
高島裕 『薄明薄暮集』2007



■映画


見に行くものといえば映画も。


アウグスト・ディール去年の秋を占め同じ映画を五度見にゆけり
永田紅『ぼんやりしているうちに』

純情を強いくるように雪の降る土曜日ポルノ映画見に行く
山田消児『風見町通信』

殺される役でケントが五秒だけ出ている映画をケントと見に行く
千葉聡『微熱体』


■その他の催し物や展示施設


象の園見にゆく約束せしままの孫の恋人ときおりしのぶ
宇佐美ゆくえ『夷隅川【いすみかわ】』

池袋にも寄席がある。二人して暇なので落語家を見に行く
吉田恭大『光と私語』2019


うぶすなの秋の祭も見にゆかぬ孤独の性を喜びし父
ルビ:性【さが】
佐佐木信綱 『常盤木』

須田町に鉄道馬車が通ひし日兄におはれて見に行きたりし
印東昌綱「心の花」HPより(出典調査中)

もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見に行く
大森静佳『てのひらを燃やす』

むなうちを黄に炎えたたせやがてきみ時みちくらしゴッホ見にゆく
山下一路『あふりかへ』1976

すずかけの低い葉っぱに触れながら博物館へ骨を見に行く
小谷奈央 第26回歌壇賞「花を踏む」より

本物のサーカスを見た記憶なくシャガール展へ馬を見にゆく
小林真代『Turf』2020

きつとたれかが墜ちて死ぬからさみどりの草競馬見にゆかむ吾妹子
塚本邦雄『魔王』1993

待つことも待たるることもなき春は水族館にみづを見にゆく
本多真弓『猫は踏まずに』


■建造物や乗物



またしても公園の噴水見にゆきて動けずに小半日見つづけている
加藤克巳『遠とどろきの』

十字路を薄紙のごと覆う雪 古き貸家を妻と見にゆく
吉川宏志『青蝉』1995

君は髪に雨だった水ひからせて明日見にいく船を讃える
千種創一『砂丘律』2015

炭がまを夜見にゆけば垣の外に迫るがごとく蛙きこえ來
長塚節『長塚節名作選 三』(青空文庫)

きみは海に僕は森へと出かけてはほこりまみれのバスを見に行く
堂園昌彦『やがて秋茄子へと到る』2013

地下にある防空壕を見に行こう君の手はちょっとミルクの匂い
鈴木晴香『夜にあやまってくれ』2016


■家族親族など人を見に行く


つむりたるわが目蛍となりゆきて夢に情死の母を見にゆく
寺山修司『月蝕書簡』(未発表歌集)2008

見に来てはだめと言はれて見に行かずプールで泳ぐ息子を思ふ
大口玲子『ザべリオ』2019

猫いまだ戻らぬ妻を見にゆけり切れて久しき街路灯まで
和里田幸男 (出典調査中)



■そのほかのいろいろなもの


汝兄よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも
ルビ:汝兄【なえ】
斎藤茂吉『赤光』

瀝青ウランの月の輝き八段の飛箱を翔けて見にゆき
山下一路『あふりかへ』1976

木がうたう木の歌みちし夜の野に夏美が蒔きし種子を見にゆく
寺山修司『寺山修司青春歌集』

史的事実と叙事詩は同義。なんてな。汚いトイレの壁、見に行こう
沼谷香澄「Tongue」第6号 2004・3・29

今焼いたパンをかついで見にゆこう偶然だけが起こせる奇跡を
植松大雄『鳥のない鳥籠』2000

隣の柿はよく客食ふと耳にしてぞろぞろと見にゆくなりみんな
石川美南『砂の降る教室』


子供にてありしころより夜なか起き鏡のなかを見にゆきにけり
前川佐美雄 『植物祭』1930

雪のうへにのこりしつひの足跡を見にゆかむとしてひきとめられぬ
長沢美津(出典調査中)※つひ=終

モルダウの左岸に立っている塔よいちまいの絵を見に行く旅よ
土岐友浩『Bootleg』

虹色の油に映るわが顔を見に行く汚染地帯の川へ
八木博信『フラミンゴ』1999

蓴菜生ふる池をめぐりて奥庭の祠見に行く昼の雨かな
木下利玄(出典調査中)



あー、いっぱいあったなあ。
俳句と川柳も少し見つけましたが、長くなるので省略します。
2022・3・23

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