「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、
「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
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■ 海老のしっぽ
海老を詠む短歌はいっぱいありますが、ちょっと興味があって、「海老の尾」を詠むものを集めてみました。
竹串を尾から突き刺しまだ動く海老に塩振りバーナーで焼く
奥村晃作『造りの強い傘』2014
奥村晃作『造りの強い傘』2014
ひとしきりぼくに笑って天ぷらの海老の尻尾をきれいに外す
山階基(風にあたる拾遺2015-2016)
本を読むこと、酒を飲むこと、海老フライ尻尾まで食べてしまふことなど
田村元『北二十二条西七丁目』2012
どんぶりをはみ出す海老の尻尾たち昼に混み合う店を行き来す
藤島秀憲『オナカシロコ』2020
天丼に海老の一尾は残されて飯の少なくなるを待ちおり
島田幸典『駅程』2015
エビフライ 君のしっぽと吾のしっぽ並べて出でて来し洋食屋
俵万智『サラダ記念日』1987
川柳
こんなふうな生きかた海老の尾を食べる
平岡直子『Ladies and』
・海老の尾は、「生き物を食べる」という実感を(尾は食べ残すからなおさら)伝える要素になりえると思う。
実際、そうした要素として直接的間接的に詠まれる傾向があるようだが、さすが俵万智さん、他の人とかなり発想が違う。
・私のコレクションでは俳句川柳の数が少ないのですが、それにしても川柳は1句あるのに俳句はナシ。
現代俳句協会のDBでも、「海老」を詠む句はけっこうあったけどそのなかに「尾」を詠むのはなくて、これは食わず嫌いじゃないですか?
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