2024年9月19日木曜日

レア鍋日記2024年 (随時更新しています)

レア鍋日記とは

こちらはたまに更新しています。

■2024・9・19 ニャン鍋
足ツボ

ないだろうと思いながら「足ツボ」を検索したら、なんと2首もあった。

足ツボに点字ブロックが気持ちいい※良い子は真似してはいけません
柴田瞳(出典調査中)

足ツボが効かないところが面白い辛いもの好きなのも愛おしい
yuki 作者ブログ(note)「作業用 50首」

「足ツボ」でなく「ツボ」で検索してみたところ、以下の2首を発見した。

「お仕事中すみませんけど馬の耳のツボに関する本ありますか」
石川美南『裏島』

ヤクルトを運ぶ女性に尻尾振る貴方のツボはそこだったのね
ゆすらうめのツキ「かばん 新人特集号」2010・12

上記「yuki」という作者の歌をざっと見ていて、レア鍋賞的な単語が多い気がして(感覚でしかないけれど)、しかもそれらが、他の語との組み合わせ方もレアである気もする。
たまたま目に入った「現在進行形」を見てみよう。

現在進行形

吾も少し関わっている 少女らの現在進行形の思い出
俵万智『かぜのてのひら』

現在進行形のことばかりだしきっとどうにかなっているんだ
辻井竜一『遊泳前夜の歌』2013 

連写するシャッターの音で出来た顔は現在進行形の神話
作者ブログ(note)「作業用 50首」

「連写・現在進行系・神話」という、飛躍含みの取り合わせが、飛躍だけれどかすかに軌跡というか、軌跡の気配ぐらいだが、感じられて、いい感じのレア感だと思った。

■2024・8・22 ナイ鍋


本日の闇鍋短歌、約13万首
「やっかむ」という語を使った短歌は見当たりません。

ただし、【妬む】や【嫉妬】はものすごくいっぱい。

【嫉む(そねむ)】は5首
能面の泥面【でいがん】がもつ翳りみきしみじみとせる嫉みをせむか 
生方たつゑ『青粧』
ほか

■2024・8・15 このそのあのどの 【ワン鍋賞】
いわゆる「こそあど言葉」を意識的に使っている歌を探してみた。

・このそのあのどの
 4つとも含む歌はこれ1首
それともこの・あの・その・どの・順接のだれもがアンサンブルの出身
瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end,』2016

・このそのあの

この椅子に坐るすなはちその椅子にまたあの椅子に坐らないこと
香川ヒサ『ヤマト・アライバル』

この出入口は草地や森に、その出入口は地下や湖底に、あの出入口は駅や街に、繋がる
松平修文『トゥオネラ』

・このあのどの
この木あの木そのむこうの木 どの影も影にためらいがある
沖ななも『天の穴』1995

自分もいつのまにか詠んでいた。
すれちがうあの船この船手を振ればどの船にもいる片目の水夫
高柳蕗子『回文兄弟』

■2024年6月21日
 電荷・電化【ワン鍋賞】殿下【ニャン鍋賞】


本日の闇鍋データ短歌総数 129.428首

わけあって「でんか」という音の語を含む歌を探したところ、
「電荷」はこれ一首のみでした。

何げなき冬に触れたるセヱタァにをのこふたりの電荷ゆきかふ
和里田幸男(出典調査中)

「電化」もこれ一首のみ。

後部シートに電化製品を転ばせて郊外という町の平たさ
棉くみこ(出典調査中)

「殿下」は2首あった!

いかばかり殿下はこの国の溜息の象徴として「ん」を発せり
山下一路(かばん誌 時期調査中 『スーパーアメフラシ』には未収録)

でも恋は出もの腫れもの出くわしたでんでん虫のでっかい殿下
高柳蕗子『あたしごっこ』



■2024年2月17日 すごろく【レア鍋賞】

わけあって「すごろく」の歌をさがしたら、以下3首しかなかった。

すごろくのように突然ふりだしに戻りたくなる日曜の夜
本多忠義『禁忌色』

振り出しにダダもこねずに回帰した双六の駒褒めてあげなきゃ
久保芳美『金襴緞子』

飴をくちにいれたまま寝て飴味のよだれをたらす すごろくしたい
橋爪志保『地上絵』

■2024年2月17日 あらま・あらまし【ワン鍋賞】

たて笛の高いドに指をあわせて「あらまあ二月あらまあ五月」
北川草子『シチュー鍋の天使』

あらましは黄色い本に書かれていたのだ オリンピックのまえに
詞書:Where is the emergency shelter?(避難場所はどこですか?)
山下一路『スーパーアメフラシ』  

「あらまし」(概略)を探すつもりで「あらま」という文字列で検索したところ、「あらまし」(であればよいのに)が7首、「あらまほし」が4首あり、「あらまし」(概略)は1首だけ、そしてオマケ的に「あらまあ」の歌が見つかりました。

■2024年2月8日 三千世界【レアじゃなかった賞

「三千世界」だなんて、現代短歌ではレアで当たり前だと思えるのだが、そのわりには詠まれている気がする。
こういうケースは「レアじゃない賞」としてここに取り上げようと思う。

先行して有名な歌などがあると、いまあまり使わない語も、短歌の世界には生き残りやすい。「三千世界」といえば良寛の

あわ雪の中にたちたる三千大千世界(みちあふち)またその中にあわ雪ぞ降る

という、すごく迫力があって美しい歌が存在する。
そして、高杉晋作の、おそらく歴史ドラマなどで耳にして一般に知られている都々逸。

三千世界のカラスを殺し 主と朝寝がしてみたい

「三千世界のカラス」がこれまた印象的。
良寛の雪の白と晋作のカラスの黒は、三千世界に舞うものとして対照的であることも、無意識のうちにイメージが重ね合わさる効果もあるような気がする。

とにかく、こういう先行作品のおかげで、仏教用語である「三千世界」が、なんとなく知られており、かつ詩的なパワーをも帯びてきたのだと思う。

うなだれた花花のそばを歸るとき三千世界にただわれひとり
前川佐美雄『白鳳』

花虻はホトケノザに来てとまりたり三千世界のここがまん中
小谷博泰『河口域の精霊たち』

銀紙に歯をあつる瞬スパークす歯にあつまれる三千世界
渡辺松男『時間の神の蝸牛』


上記のなかでは渡辺松男の歌には特に驚かされる。衝撃の比喩に使うとは。
あの銀紙を噛んだときの独特の衝撃的な感覚を三千世界の存在感に例えるという、唯一無比でありながら、あの衝撃を表すならもうこの比喩にまさるものはなかろうと思えてしまう。

実は私にも「三千世界」を詠んだ歌があるけれど、「須弥山大運動会」という仏様の運動会を詠んだ連作のなかにあるので、「三千世界」という仏教用語が出てくるのは当然で、そういう意味では面白みが足りない。
休止する三千世界のすむずみに届け仏のはずむ息づかい
高柳蕗子『回文兄弟』

川柳にも、発想の近いおもしろい句があった。

三千世界にくちびるが切れた音
湊圭伍『そら耳のつづきを』


冬に荒れた唇がぴりっと裂ける。小規模で無音だが、意外な衝撃がある。

なお、短歌にも俳句にも川柳にも、より普通の取り上げ方で「三千世界」を詠む例は他にもあった。




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