「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。
(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)
■銀河とオーバーラップするものたち
形状の類似するものはオーバーラップする。
詩歌表現には欠かせない表現である。
いや口が滑った。詩歌に、と言ってしまったが、他ジャンルのことまでは口出しすまい。
少なくとも短歌にはその現象が起きている。
「銀河」というものは渦巻いているので、その渦巻きのイメージが詩的に仲介し、似通う他のもの(回転するもの、輪が重なるものなど)とオーバーラップした歌が、けっこう詠まれている。
現物に備わっているアフォーダンス
言葉に備わるアフォーダンス
みんながそれに注目すれば、アフォーダンスの力が増すこともある。
※アフォーダンス=環境のさまざまな要素が動物に影響を与え、動物はその環境に適合した行動をとること。つまり、環境(状況とかモノのたたずまいとか)が、動物(人間含む)に何かを仕向けること。
ここで言いたいのは、銀河というもののたたずまいや、「銀河」という言葉が持つイメージが、私たちになにか働きかけ、その結果として歌を詠むことがある、ということです。
とりあえず目についたものだけ拾ってみよう。
ハナミズキ巻けるしら花ひとひらのその渦のなか銀河はひかる
加藤孝男『曼茶羅華の雨』
銀河とは誰の観覧車であろう回転をして止むことのなし
松木秀『色の濃い川』
金色の渦のさなかに暮らしをり 小佐野家、または銀河一族
小佐野彈『銀河一族』
生まれ変はつたやうに銀河の濃き夜を子らに大きな水車が回る
渡辺松男『雨(ふ)る』2016
しゅんしゅんとスプリンクラー回りだし銀河はゆるく解かれてゆく
天道なお『NR』2013
底なしの思ひ出、女、スカアトのなかのつめたき渦巻銀河
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』
天井の木目の渦がゆっくりと銀河に溶ける 死を知りそめて
佐藤弓生『眼鏡屋は夕ぐれのため』
暁のわが腕のなか渦巻ける銀河のごとく眠る猫あり
ルビ:暁【あかとき】
成瀬しのぶ かばん1999・5
★生命を爆誕させそうな丸いものという連想脈も
渦には躍動感があるし、ビッグバンの意味合いもあるし……、渦から転じていくつかの発展もある。
乳いろの銀河はいずこ祖母たちのしずかに紡ぐ幾億の繭
岩尾淳子『岸』
★「静か」というのも注目に値する
喜多昭夫『青霊』2008
あさがほの黒くしづもる種のなかうづまき銀河は蔵はれてあり
春野りりん『ここからが空』
しんしんとゆめがうつつを越ゆるころしずかな叫びとして銀河あり
中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』
ふゆ銀河うづまくごときじやくまくのあなうらとふをひとにみらるる
渡辺松男『雨(ふ)る』2016
「かばん」2024年7月号の評をいま書いていて、次の歌を発見した。
ナポリタン巻く一瞬に生む銀河 君は銀河を幾度も食べる
折田日々希「かばん」2024年7月号
銀河の渦も「花」や「水車」などとのオーバーラップは、それらの既存の抒情性に頼れるわけだが、「ナポリタン」の巻き取られているさまとのペアリングは、一段階進んだ感じではなかろうか?
もう1点、「生む銀河」といえば以下の歌を思い出す。
サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい
大滝和子『銀河を産んだように』1994
銀河を「生まれたもの」、これから育つものと把握している歌があった。
そして、かつて「生」といえば、対比的セットの概念は「死」だったと思うけれども、この「生/死」セットが詠まれすぎたか、このごろ変化して、「生/生命を食べる」という対比を見かけるようになってきた。
つまり、以前ならば、生まれた銀河は死に至る、と空想しがちだったわけだが、この歌は、
2024・7・22
2024.7.23 少し加筆修正しました。
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