「裏切る」という語を詠み込んだ短歌を集めてみた。
裏切りにはふつういきさつがあるけれど、短歌に詠まれるときは、いきさつはあまり重要ではない。
歌材としてみると、歌に詩情やドラマっぽさを添える、特別な素材であるようだ。
忙しい方のためのピックアップ
ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも
北原白秋『桐の花』1913天使らのコンタクトレンズ光りつつ降る裏切りし者の頭上に
穂村弘『シンジケート』1990この子いつか吾を裏切らむ踏みつけむその日おそらくつん抜ける青
武下奈々子『不惑の鴎』1995ずっともう裏切っている気がしている 助手席に海ばかりかがやく
江戸雪『百合オイル』1997唐突に裏切りますが失くなった文庫の帯を探しに行きます
睦月都 2012年短歌研究新人賞応募作より空中になにか浮かべるようにしてどうしてそんな裏切りかたを
土井礼一郎 「かばん」2019・12裏切りってなんだろう
「裏切り」にはピンからキリまであり、理由はさまざま、善悪もケースバイケースだ。
(1)信義違反としての裏切り
一般的には、対人的社会的な信義違反のことだけれど、不正企業の内部告発のようなケースでは、裏切る側が正しい。また、悪人どうしの仲間割れみたいなこともある。
保身のための裏切りなどは、人間の弱さを感じさせ、人間くさい本音として、やや肯定的に扱われることもある。
(2)結果が予想と異なる、という意味の裏切り
信義違反でなくて、もっと軽い意味合いの「期待を裏切る」がある。
これにも濃淡があるけれど、「事象が予想と違う結果になる」ことをさし、予想より結果が悪かった場合だけでなく、良い結果が出たときにも用いる。後者は明るい意外性を強めるニュアンスになる。
歌材としての「裏切り」の特徴
いきさつfreeで読める
さもありなん。裏切りのいきさつなんか説明したら長くてめんどくさい。作者も読者も、手っ取り早くポエジーを絞って飲みたい。「裏切り」という言葉はそれができる。
自分をナレーション
「たぶん、自分が誰か(何か)を裏切る苦味みたいなものを詠む、じめっとした歌が多いだろう。」
だなんて予想していた。
ところが、そういう歌は少なかったし、あまりじめじめしてもいない。
嘘つきて憎みてかつは裏切りて夕べざぶざぶ冬菜を洗ふ
うらぎりをくり返し来し半生か内耳しびるるまで蝉しぐれ
「裏切り」は短歌映えする
「裏切り」という語は〝短歌映え〟する。
ドラマっぽいけれども、「裏切り」は、裏切るに至ったいきさつによって映えるのでなく、さまざまな裏切り方・裏切られ方の瞬間や、その前後の微妙なニュアンスを描くほうが〝短歌映え〟するみたいだ。
「裏切り」という概念そのものをイメージを詠む歌さえあるが、とにかく「裏切り」の歌は、この歌をわかりたい、読み解きたいと感じさせる。
全くけなす意図はない。古典和歌の歌枕は〝和歌映え〟するゆえに詠まれたのであり、多くの詩情を獲得した。
・蝶が花から飛び立つような唐突さ
唐突に裏切りますが失くなった文庫の帯を探しに行きます
そうは書いてないが、蝶が花から飛び立つところがなぜか目に浮かぶ。
こういうふうに「唐突に裏切る」のも〝あり〟だろう。
(だって別れ話はどのように切り出そうとも、結局うだうだ2時間3時間、相手はちっとも納得しないでしょうが。)
相手は、去り際の言葉「失くなった文庫の帯を探しに」の意味がわからずきょとんとするだろう。そのすきにふわっと逃げちゃう。
しかもこの歌、ドラマ性のご利益だけでなく、言葉の暗示力を使ってもうひと味出していて、一粒で二度おいしいのだ。
「失くなった文庫の帯を探しに」は、中断していた元の生活に戻る、という意味合いだろうか。
・助手席の海
ずっともう裏切っている気がしている 助手席に海ばかりかがやく
・ヤジウマのブーイング?
天使らのコンタクトレンズ光りつつ降る裏切りし者の頭上に
(別解釈もある。天使の期待を裏切るのでなく、この人は地上でなんらかの裏切り行為をしたのを天使が見ていた、とも考えられる。
でも……。
が、この歌では、涙でなくコンタクトレンズにすることで少し即物的になり、天使のまなざしにややヤジウマ性を帯びさせていないだろうか。ーー
こういうひそかな効果こそ活かす解釈をしなくちゃ、でしょ?)
天使らのコンタクトレンズがきらきら降り注ぐ光景は、落胆で舞い散らせるハズレ馬券的なものでありつつ、その一方で、きらきらしてくす玉を思わせる美しさもあるゆえに、祝福・称賛の裏返しのブーイングではないかしら、
と、私は読み解く。
・自分が自分を裏切る
ほれぼれと君になづきしそのこころはや裏切りてゆくゑしらずも
自分の予想を裏切って自分が変化してしまった、という意味の裏切り。
つまり、自分が「君」を裏切るのではないよ。自分の恋心がはからずもどっかへ行っちゃったんだ、というとぼけた言い方がおもしろい。
(昔の男は浮気も甲斐性のうちで、気まぐれも許される、という〝文化〟があったらしいし、しかも白秋だから通用する面もあるのだろう。いま凡人が真似すると痛い目をみるかもしれない。)
・裏切られて恨む
うらぎりの君のにくさに草の実をつぶせばあかき血のながれたり
小熊秀雄・裏切られる予感
この子いつか吾を裏切らむ踏みつけむその日おそらくつん抜ける青
・死という裏切り
六月の挽歌うたはば開かれむ裏切りの季節ひとりの胸に
いきさつfreeとは
いきさつから触発されて歌を詠むことはよくあるが、言葉が歌人をそそってさまざまなイメージを発掘させる、というケースもよくある。
また、短歌という詩型は1首で独立できることが強みなのであって、連作のなかで説明的な役割しかないような歌は長い時を経てしだいに消えてゆき、〝いきさつfree〟で読める歌が生き残っていく。そういう傾向もあると思う。
極端に言えば、作者といういきさつから解放されるとき、いわば年季明けを、歌たちは何百年でも待つのではなかろうか。
・平穏を破る
どこかで鏡が割れ――水は裏切り少女の腕空に垂れる
ルビ:腕【ただむき】・なりゆきの軌跡
空中になにか浮かべるようにしてどうしてそんな裏切りかたを
土井礼一郎 「かばん」2019・12
・コントラスト
裏切りの痛みをここへ置かせてよレンブラントの光と影よ
「裏切りの痛み」が物体みたいでおもしろいが、さて、どうしてそこに置きたいのだろう?
共犯でいてほしかった予測線をまぶしいほうにうらぎるときは
兵庫ユカ『七月の心臓』企みを裏切る強さ 浜辺ならお城が砂に戻るまで踏む
緯度を引く気持ちで宝石をたべて悲しむ人々を裏切るように所以を知らせる
雨を見てはおる半袖カーディガンそうしてずっと裏切ってきた
舞う砂がレンズの動きを奪うのに似た裏切りといまさら気づく
二番目の月を目指して水鳥は飛び立ってゆく裏切ってゆく
裏切りの朝の香りはドロップの缶にそれだけ残した〈はっか〉
桃むく手美しければこの人も或はわれを裏切りゆかん
ゆつくりとひとを裏切る 芽キャベツのポトフで遅い昼をすませて
好きな色は青と緑と言うぼくを裏切るように真夏の生理
肉眼のあざやかにうらぎられるを内科医であることのさびしさ
蓮田に雨 明日わが心うらぎらむ言葉たまゆら花の間に顕つ
久々に人間らしいことをした 衝動買いに、昼寝、裏切り
補足
俳句
裏切者それは見事に日焼けして 鈴木六林男 『賊』
なぜか俳句が少ない
「裏切り」という語の使用率のジャンル比較をしたところ、俳句だけ極端に少なくて驚いた。
短歌109891首中1665首 1/1665首(0.06%)
俳句27961句中6句 1/4660句 (0.02%)
川柳11681句中8句 1/1460句 (0.07%)