Ⅳ 〈母+雪〉の特徴
■〈母〉と〈ふるさと〉
前章では、〈父〉と〈雪〉との特別な結びつきを考察しました。
〈母〉と〈雪〉にはそうした〝特別〟はないのでしょうか。
集めてみたところ、〈母+雪〉の歌にはしばしば〈ふるさと〉が詠み込まれる、という傾向が見られます。
いったん〈雪〉を離れて、〈父+ふるさと〉と〈母+ふるさと〉の歌をざっとカウントしてみました。
「母」+「故郷」(orふるさと) 32首
※データベース(約115,500首収録)を「父」「母」「故郷」「ふるさと」の4つのテキストで検索してみました。別表記や別表現(例えばパパ・かあさん・古里など)の歌はカウントしていません。
〈父+ふるさと〉の歌は、あるけれども少なめで、〈母+ふるさと〉のほうが倍ぐらい多いわけです。
■〈ふるさと〉はたいてい北国
ところで、人の出身地はあちこちですから、そこかしこが誰かの故郷でありえるわけです。
ところが、〈ふるさと〉の一般的イメージは、都市ではなくて田舎であり、唱歌「ふるさと」のような情景です。
加えて、一体なぜなのか、現代の短歌に詠まれる※〈ふるさと〉はたいてい北国です。
何か根源的な理由があるのか、それとも、北国・雪国出身の歌人がすぐれた〈ふるさと〉の歌を詠み、その結果としてそういうイメージが定着したのでしょうか。
危篤の母のために故郷にかけつける有名な連作「死にたまふ母」を詠んだ斎藤茂吉は山形県出身です。
いろいろなことのなりゆきの結果として、〈ふるさと〉といえばなんとなく北国になったのでしょうか。しばしば〈雪〉が詠み込まれています。
※古典和歌の〈ふるさと〉には地域は関係なかったようです。近代の作者にその萌芽が見られます。
※短歌だけでなく、昔の歌謡曲「北帰行」にも「北へ帰る旅人」という言葉が出てきます。いままで詩歌系の文脈では「人の故郷は北」が定番であり、それに対して、「南へ帰る」はツバメなどの渡り鳥の話みたいな感じでした。だから逆に、詩歌系文脈の「人が南の故郷に帰る」は幽かに新鮮だし、楽曲のタイトルで見たことがあるので、これからだんだん増えるのかもしれません。
[参考]北国・雪国出身の歌人の〈ふるさと〉
石川啄木『一握の砂』1910
吸ひさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず
寺山修司(青森県)『田園に死す』1965
空ひびき土ひびきして吹雪する寂しき国ぞわが生れぐに
ルビ:吹雪【ふぶき】/生【うま】
宮柊二(新潟県)『藤棚の下の小室』1972
■〈母+雪+ふるさと〉は定番?
理由はどうあれ〈母+雪+ふるさと〉という取り合わせの歌は、なんと6首もありました。
今回見つけた〈母+雪〉の歌は38首ですので、そのうちの15%が〈母+雪+ふるさと〉に該当したのです。
この組み合わせ、定番というか、言葉の定食セットみたいな感じです。
その6首は以下の通り。
「ふるさと」という語を使っていない歌も、内容で判断してカウントしました。
ルビ:吾妻【あづま】
斎藤茂吉『赤光』1913(「死にたまふ母」)
北ぐにの母は吹雪を運命とし風呂敷負いて子のわれを曳く
渡辺於兎男(出典調査中)
ふるさとの最上川面に雪ふるとテレビの前に釘づけの母
時田則雄『北方論』1982
母の住む国から降ってくる雪のような淋しさ 東京にいる
俵万智『サラダ記念日』1987
オルレアンに春の吹雪のまんじともえ不意にはげしく日本恋しわが母恋し
加藤克巳『春は近きか』2002
※ まんじともえ(卍巴)=卍や巴の模様のように、互いに追い合って入り乱れること。
ここはまだ母のふるさと玄関の雪は掻いても掻いても積もる
本田瑞穂『すばらしい日々』2004
故郷ではない場所に降る〈雪〉はふるさとの便りみたいなもの。
それどころか、〈ふるさと〉のカケラみたいに捉えている歌もあります。
〈雪〉は空から降るものなので、〈雪+ふるさと〉だったら、現実の地上のふるさとだけでなく、空にある魂のふるさとから降ってくる、という着想も射程に入ってくるはずですが、〈母〉が詠み込まれると、地上の故郷であって空ではない感じになります。
なお、〈父+雪+ふるさと〉はたった1首しか見つかりませんでした。レアですね。
でも、定番である〈母+雪+ふるさと〉の歌と読みくらべてみて、ちっとも違和感がなくて、なぜレアなのかわかりません。
ふるさとに雪は降るとぞ死にそうで死ねない父を見舞いにゆかむ
大島史洋『ふくろう』2015
この話題もそろそろ終わりにして、次に進みます。テーマは父母の死です。
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