2021年7月9日金曜日

満62:父母と雪 その5

 Ⅴ 〈父〉〈母〉の《死》


《死》は重要なことですから、父母に限らず、《死》に関する歌はたくさん詠まれています。

〈雪〉 も、どういう心情にもフィットして、さまざまな歌に詠まれている人気語で、《死》ともいろいろな接点で結びついているようです。

〈父or母+雪〉の歌を集めてみると、《死》にまつわる歌がたくさんあります。

全部の歌は取り上げられませんが、分類しながら少しずつ例歌をあげていきます。


■〈父+雪+死〉


ふるさとに雪は降るとぞ死にそうで死ねない父を見舞いにゆかむ
大島史洋『ふくろう』2015


この〈雪〉は、寒さが父の体にこたえるだろう、という意味合いで詠み込まれていると思います。

次の歌はどうでしょう。

夕方の吹雪はわれらを隠したり父の車で父を運びぬ
岡崎裕美子『わたくしが樹木であれば』2017


この歌は「死」と言っていないのですが、「父の車で父を運びぬ」とことさらに言うところになんとなく含みがあり、〈父〉は遺骨になっているんだな、と感じさせます。

いまこの家族は、家族が遺骨の父と父の車のなかで、閉じた空間でいっしょにいて、最後に父に抱かれるようでもあります。〈雪〉はその親密な時を外界から《遮断》してくれる。そういう役割を果たしていると思われます。


■〈母+雪+死〉 帰省して母の死を見届ける


〈母+死〉の歌の代表は、斎藤茂吉の連作「死にたまふ母」※でしょう。

※「死にたまふ母」は「みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん一目見んとぞただにいそげる」「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」などで知られる連作で、母の死に目にあうために帰郷し、その死に寄り添い見届けるドラマ仕立てになっている。

〈ふるさとの父or母〉が危篤で帰省する、というシチュエーションは、茂吉の「死にたまふ母」を抜きに語れないと思います。

ただし、連作59首のなかに〈雪〉を含む歌は数首※しかなくて、〈雪〉は〈母の死〉の表現にさほど大きい役割は負っていないと思います。


吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり
うらうらと天【てん】に雲雀は啼きのぼり雪斑【はだ】らなる山に雲ゐず
山かげに消【け】のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり
蔵王山【ざわうさん】に斑【はだ】ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨【そば】ゆきにけり
など。


坪野哲久の「百花禱」(『百花』1939)も、茂吉の「死にたまふ母」と共通したシチュエーションの連作です。
ただ、「百花禱」31首のうち「雪」を含む歌は10首と数が多いことに注目しました。

家ゆきてあくなき母の顔をみん能登の平に雪あかねすも
坪野哲久『百花(びやくげ)』1939


この歌は、茂吉の「吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり」と似て、ふるさとの情景としての雪の描写だと思われます。

しかし、以下の歌の〈雪〉は、〈母の命〉のゲージに呼応するかのようです。

母よ母よ息ふとぶととはきたまへ夜天は炎えて雪零すなり
ルビ:夜天【やてん】/炎【も】/零【ふら】
坪野哲久『百花(びやくげ)』1939

天地にしまける雪かあはれかもははのほそ息絶えだえつづく
(同上)
牡丹雪ふりいでしかば母のいのち絶えなむとして燃えつぎにけり
(同上)
いのち細れる母のくちびるうるほさん井桁に高く雪ふりつもる
(同上)
曉しじま零りくる雪はちりぢりに井底に青きひかりとなりて
(同上)


これらの〈雪〉は、〈命〉と必ずしも敵対しているわけではなく、その〈命〉の終焉を祝福し、魂を鎮めものであるかのように見えます。
つまり、「死にたまふ母」よりも「百花禱」のほうが、〈雪〉の役割が大きいと思います。

ほかにも少し〈母+雪+死〉の歌をあげておきます。

うつしよに母のいまさぬ四季めぐり今朝甲斐が嶺に雪しろく積む
三枝浩樹『時禱集』2017

雪の夜に過去形のうた一つ書く母の一生のはや過ぎたりと
ルビ:一生【ひとよ】
齋藤史『渉りかゆかむ』1985
※「母死す。両眼失明、老耄の九十一歳」という詞書を含む一連にある歌。


〈母+雪+死〉の〈雪〉は必ずしも現実の雪でなく、心象としての〈雪〉を詠み込む場合もあります。


病室が冥府にかはる数時間母の眠りに雪ふりしきる
武下奈々子(出典調査中)

てのひらに常に握りてゐし雪が溶け去りしごと母を失ふ
春日井建『朝の水』2004


このような〈雪〉にも、先の坪野哲久『百花』のところで書いたように、〈母の命〉のゲージに呼応しつつ、その〈命〉の終焉を祝福し、魂を鎮めるかのような働きがあるようです。

■〈亡父〉〈亡母〉と〈雪〉


〈父〉〈母〉は死後も出番があります。


死してのち死者老ゆるとぞ雪の夜の鏡ひらけば亡母少し老ゆ
馬場あき子『雪木』1987

このゆふべ吹雪はげしき天上に父母には父母の浄土もあらむ
永井陽子(出典調査中

たまさかに舞いくる雪の夕日かげ家跡にきて遊べ父母
武川忠一『秋照』1981


次の歌も〈亡母〉に該当するでしょうか。


母を知らぬわれに母無き五十年湖に降る雪ふりながら消ゆ
ルビ:湖【うみ】
永田和宏『百万遍界隈』2005


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