2022年8月20日土曜日

ミニ69 雲の短歌(種類別)

雲の名前、巻積雲とか積乱雲とか、けっこう紛らわしいです。

でも、雲の通称は、なにかの形状になぞらえていてわかりやすい。入道雲・羊雲・いわし雲など、生き物になぞらえた名称が特に好き。

ふとそんなことを考えたので、雲の名称の入った短歌を集めてみました。

※作者独自の形容は集められたらいいのですが、探すのがたいへんで、たまたまし見つけたものがあれば、末尾に掲載します。

※名称でなく、「夏雲」(夏の雲)、「雨雲」(雨をもたらす雲)、「夕焼け雲」(夕焼けの色に染まった雲)、「鉛雲」(鉛色の雲)というように普通に形容したようなものは除く。

※雲の名前で短歌に詠まれる一番人気は「飛行機雲」だが、数が多いし、飛行機の軌跡に生じるもので、ちょっと異質だと思うので、別の機会に取り上げたい。

以下分類してカウント、そのなかから歌をピックアップします。 

本日の短歌データ総数 122,967首


積乱雲:せきらんうん 49首

強い上昇気流の影響で鉛直方向へ発達する巨大な雲。雲底から雲頂まで12,000 メートルを超えることもある。通称、入道雲、雷雲。

 入道雲 22首
 積乱雲 15首
 雷雲 12首

大空に何も無ければ入道雲むくりむくりと湧きにけるかも
北原白秋『雲母集』1915

靴の紐結ぶおまえの両肩を入道雲がつかんでいたよ
穂村弘『ドライ ドライ アイス』1992

元気でいてという願いはぼくのわがままで 積乱雲の切手はる
フラワーしげる 『ビットとデシベル』2015

積乱雲の鼓動見ながら坂のぼる日傘の膜をまとへるきみと
宇田川寛之 『そらみみ』2017

積乱雲山分けすれば頭からずぶぬれになる不運な八月
植松大雄『鳥のない鳥籠』2000

海の家の裏に隠れてこっそりと入道雲に空気を入れる
松村正直『駅へ』2001

いつわりのなき勢いに伸びあがる入道雲の真白きちから
久々湊盈子 『鬼龍子』2007

軍事用ヘリコプターがはつなつの入道雲に格納される
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013

縁側で濃いめのカルピス飲み干した入道雲がゆっくりほぐれる
藤本玲未『オーロラのお針子』2014

韻文をわが武器となし見あげれば積乱雲の翳の濃密
藤原龍一郎 『202X』2020

一通も出さないひとがついてくる入道雲が湧きあがる山
柳谷あゆみ 『ダマスカスへ行く 前・後・途中』2012


巻積雲:けんせきうん 36首

白い小さな雲片が多数の群れをなし、魚の鱗や水面の波のような形状をした雲。 絹積雲とも書く。 通称鱗雲、鰯雲、さば雲。

 巻積雲 1首
 いわし雲 18首
 うろこ雲 14首
 鯖雲 3首



目瞑ればまなうら寒くこがしつつ鯖雲なだるるふるさとなりき
河野裕子『森のやうに獣のやうに』1972

人に告げざることもおほかた虚構にて鱗きらきら生鰯雲
ルビ:鱗【いろこ】
塚本邦雄 『魔王』1993

一のわれ死ぬとき万のわれが死に大むかしからああうろこ雲
渡辺松男『泡宇宙の蛙』1999

会議室の窓にひろがる鰯雲 ギリシャ以前に多数決なし
小島ゆかり『憂春』2005

なにか撃たれやしなかつたかぽぽぽぽと鰯雲その集まるあたり
平井弘『振りまはした花のやうに』2006

みあげれば空いちめんのうろこ雲 秋は巨大な魚となりぬ
小島なお『乱反射』2007

あれこれとやりっぱなしの鰯雲そらに浮かべて髭剃られおり
奥田亡羊『亡羊』2007

鰯雲のうろこのなかへ釣り針のように突っ込んでゆく旅客機
笹井宏之『てんとろり』2011

うろこ雲いろづくまでを見届けて私服の君を改札で待つ
山田航『さよならバグ・チルドレン』2012

いわし雲が育ってひつじ雲になる 子どもに嘘を言いたくなりぬ
吉川宏志 (出典調査中)


高積雲:こうせきうん 29首

 小さな塊状の雲片が群れをなして、斑状や帯状の形をつくり、白色で一部灰色の陰影をもつ雲。通称まだら雲、ひつじ雲、叢雲(むら雲)

 羊雲 18首
 叢雲 10首
 はだら雲 1首


ひつじ雲それぞれが照りと陰をもち西よりわれの胸に連なる
小野茂樹『羊雲離散』1968

ひつじ雲風が集めている昼に変えられていく世界のかたち
小守有里『こいびと』2001

羊雲ひろく連なり現世にいまだ護るものなき身のかるし
横山未来子『水をひらく手』2003

指五本人間病に細りけり暗暗俺の心臓むら雲
ルビ:人間病【にんげんびょう】 
依田仁美『異端陣』2005(『乱髪~Rum-Parts』1991)

初期化されたたましいのように天心を吹かれてすぎる羊雲たち
井辻朱美『クラウド』2014

むらくもをやぶいて月はぬれぬれと潭の深きへ鰭を反せり
ルビ:
潭【ふち】
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』2015

こころとふ閉ぢこめてみてもたいせつないちばん奥に浮くひつじ雲
渡辺松男『雨(ふ)る』2016

おしよせる夜の羊雲だきあえばあなたったら腕一本多い
飯田有子(出典調査中)


巻層雲:けんそううん 17首

 白いベール状の雲で空の広い範囲を覆うことが多い。通称うす雲。

 巻層雲 1首
 薄雲 16首


おもひ出は霜ふるたにに流れたるうす雲の如かなしきかなや
斎藤茂吉『赤光』1913

青き果のかげに椅子よせ春の日を友と惜めば薄雲のゆく
ルビ:果【み】
北原白秋『桐の花』1913

病み起きの眼に追ふ鳥のはるばると吸はれて白いうす雲があり
小玉朝子『黄薔薇』1932

秋空の絹層雲はたかくひろくクレープを焼く僕らの上に
ルビ:絹層雲【けんそううん】
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』1993

待てど待てど人生おわるまで待てど返事は来ないそんなうすぐも
東直子「短歌研究」2011・8


積雲:せきうん 15首

 晴れた日によく発生する、綿のような形をした雲。 綿雲。

 積雲 3首
 綿雲 12首


夜に見れば不二の裾廻に曳く雲の白木綿雲は海に及べり
ルビ:裾廻【すそみ】 白木綿雲【しらゆふぐも】
北原白秋『海阪』1949

瀬戸内の海のさざ波 青空のはぐれ綿雲 南こひし
ルビ:南【みんなみ】
高野公彦『水苑』2000

(映写室の壁をたゆたう綿雲はアラル砂漠の朽ち船のゆめ)
島なおみ 第4回歌葉新人賞応募作 2005 

わたぐもに さうね つつまるるこの感じ うえつとどりいむはあけがたにあり
渡辺松男『蝶』2011

積み上げてなだれんばかりの積雲はゲネラルパウゼのようなあかるさ
井辻朱美『クラウド』2014


巻雲:けんうん 10首

 刷毛で伸ばしたように細い雲が散らばった形の白い雲。細い雲片はぼやけず輪郭がはっきりしていて、絹のような光沢をもつ。絹雲、すじ雲、はね雲、しらす雲。

 巻雲 3首
 すじ雲 7首


魚籃坂千年まへの穂すすきを照らして白き巻雲うかぶ
ルビ:魚籃坂【ぎよらんざか】
高野公彦『水苑』2000

巻雲の鰈の骨の透きとおり天とはつくづく遠いところ
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010

すじ雲のようなシールのはがし跡 お願い だけどいったい何を
雪舟えま『たんぽるぽる』2011


アーチ雲:アーチぐも 5首

 厚い積乱雲や積雲の下にあるアーチのような形をした雲。ひっくり返した巨大なお椀や皿の半分だけが見えているような形。通称ロール雲、棚雲。

 棚雲 5首


能登の海ひた荒れし日は夕づきて海にかたむく赤き棚雲
佐藤佐太郎 『地表』1956

手つなぎて夕棚雲を見てをりつ智紀はひだり結哉はみぎ
ルビ:夕棚雲【ゆうだなぐも】 智紀【ともき】 結哉【ゆうや】
(詞書:長男次男)

喜多昭夫『青霊』2008

※以上の分類名称と説明は気象用語としてのものですが、短歌に出てくる雲の名称と内容は気象用語としての意味においてあまり厳密なものではありません。


おまけ 何かの形に見える雲

「雲」+「かたち」で検索し、雲をなにかの形になぞらえている歌をピックアップ。
そのほかの表現で雲の形をあらわした歌もたくさんあると思いますが抽出していません。


誰も知らない島のかたちで雲が行く。させられたことはわすれなさいね
兵庫ユカ『七月の心臓』2006

ふっくらと河馬のかたちの雲浮く日ハローワークに行くのはやめる
藤島秀憲『二丁目通信』2009

鳥のかたち魚のかたちの雲浮かび未だ人なるわれは地に在り
徳高博子『ローリエの樹下に』2012

本州のかたちをしたる雲うかぶ 四国の雲はそのそばに添ふ
小池光『思川の岸辺』2015

Vサインしてる巨大なしろくまのかたちの雲の下に我が町
土井礼一郎「かばん」2017.7

おし花のかたちに雲がうかびをり諦めながら寄り(死ね)ゆくこころ
藪内亮輔『海蛇と珊瑚』2018

わがめぐりかぜの触手は織りなして雲ははるかな刺繍のかたち
井辻朱美(出典調査中)

恐竜のあぎとのかたちの雲浮びおまへを初めておまへと呼びき
山田富士郎(出典調査中)

人体のかたちの雲といってから恥ずかしそうに小石を蹴った
吉野裕之(出典調査中)


今日は、こんなところで。

2022年8月14日日曜日

雑件摘録1 標語 

■標語 夕暮れの一番星は反射材 20220・8・14


古くから詩歌に使われている言葉は、いわばいろいろな味を引き出す調理法のレシピがいっぱいある。使われてこなかった言葉にはそれがないから使いにくい。詩歌の言葉ではないという違和感が強い人もいる。

解決法のひとつに「両者を組み合わて使う」というのがある。

これは役所で目にしたポスターで、いかにも奥ゆかしく目立たないように貼ってあった。


夕暮れの

一番星は

 反射材


全日本交通安全協会・毎日新聞社・警察庁


事故にあいにくくなるよう「反射材」使用を奨励する標語である。
詩歌表現が目的ではない。

だが、さっき言った「両者を組み合わて使う」の効果的な例であって、抒情的説得力は標語としての効力を高めていると思うし、詩歌表現としてもけっこうすぐれていないだろうか。

「反射材」が夕暮れの地上の星だというのはすごく風流なとらえかただし、しかもこの星たちは動き回るから、ホタルみたいな美しい光景が目に浮かぶ。


星のレシピ 〝地上の星〟

「夕暮れ」「星」は、詩歌に読みこなされて、メインのおかずにもなるし、他の食材を引き立たせることもできる万能食材のような詩材だ。

「反射板」という詩的に無愛想な単語も、これらとセットであれば、違和感は薄く、新鮮で印象的な表現になる。

そして「星」という語のレシピで、
「地上の光るものの比喩になったり呼応したりする」
というものがある。

新しいところでは、「地上の星」という歌もあるように、地上で輝くものや、転じて地上の人の業績の比喩になっているが、この〝地上の星〟というレシピ、実はうんと古くからある。

紀貫之の伝説「ありとほし」

紀貫之が旅の途中、馬上のまま蟻通神社の前を通り過ぎようとしたら急にあたりが曇って雨になり、乗っていた馬が病気になって倒れてしまった。

そのあたりに「蟻通し」という神様がいると聞いて貫之は歌を詠んだ。

かきくもりあやめも知らぬ大空にありとほしをば思ふべしやは

曇り空に星があるとわからないように、このあたりにありとほし様のお社があると気づけませんでした、という感じで非礼をわびているが、「蟻通し」を「蟻・と・星」に読み替えてそれとなく蟻を星に重ねてイメージアップしているのもちょっとプラス効果だ。
視覚的にも、地上に蟻が点々と散らばるさまを反転して夜空の星にしているような感じで、よくできていると思う。

双方向性

ところで、〝地上の星〟というレシピには、地上からは見えない、というニュアンスが加わることもある。

空の星は見上げれば見えるが、地上の星は同じ地上からは見つけにくい。
だから空から見守っていてくれるといい、という願いがこもる場合がある。
その思考は、空の星を見上げることで間接的に地上の星を思うことでもある。

こういう双方向性も星のレシピのひとつだと思う。


2022年8月9日火曜日

ちょびコレ15 泳法

「ちょびコレ」とは、

「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、

「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。

(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)


 

■泳法

泳法名のある短歌を探していてこの歌をみつけました。


なまえさえしらないかたち抱きしめるキッチンまでは背泳ぎでいく
杉山モナミ 『ヒドゥン・オーサーズ 』2017(Kindle 19人の作品集)



他にもけっこうたくさんあるので、各泳法ごとに少しずつピックアップします。


背泳

やがて来るピリオド思い背泳ぎで見送っている夜の飛行機
俵万智 『チョコレート革命』1997

父さんが死んだら一緒に住もうよと背泳ぎに来る母の言葉が
平山繁美『手のひらの海』2019


クロール

さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール
山崎聡子『手のひらの花火』2013

梅雨空のプールの水を割つてゆくあなたの凍るやうなクロール
林和清『匿名の森』2006


平泳ぎ

平泳ぎ競ふあたまが描きゆくサインカーブとコサインカーブ
光森裕樹『鈴を産むひばり』2010

平泳ぎで七夕飾り掻き分けて老婆になってもわたしだろうな
工藤玲音『水中で口笛』


そのほか

ソラリスの海で犬かきする夜の母とか星がわんさか浮かぶ
柳本々々「詩客」2018-05-05

泳ぐとき影と離れるからだかなバサロキックでめざす大空
光森裕樹『鈴を産むひばり』2010

バタフライ・ドルフィン・キックで切ってゆく水と光のバウムクーヘン
穂村弘『シンジケート』1990


2022.8.9

ちょびコレ14 鳩の足

 「ちょびコレ」とは、

「ミニアンソロジー」というほどの歌数はなく、

「レア鍋賞」ほど少なくもない……、
そんな、ちょっとした短歌コレクションです。

(以前は「随時更新」として、いくつかまとめていましたが、
いま、1テーマ1ページの方式に移行しています。)


■鳩の足

鳩と言えば声を詠む歌が多いが、足を詠む歌もよく見かけるような気がして検索すると、けっこうぞろぞろと出てきた。

鳩はどんな鳥ですか、特徴は、と聞かれたら、たいがいは灰色、大きさは20センチぐらい、ククゥククゥとくぐもった声、しばしば公園や駅前など人の多い場所に群れている、みたいなことをあげるだろうか。
じゃあ鳩の足はなぜ詠まれるのか。

 細い小枝のような足で、足取りがけなげな感じがする。冬は寒かろうと思うのも自然だろう。
 ただし、小枝のような足は鳩に限ったことではない。人間の前で歩き回ってみせる鳥はあんまりないから、結果として、しばしば鳩の足が人の目にとまるのかもしれない。


良きことのあるとぞ鳩ら向きかふるわつしよわつしよと桃色の足
米川千嘉子 『一葉の井戸』

わがめぐり次々と鳩が降り立ちて赤き二本の足で皆立つ
奥村晃作『鴇色の足』

鳩の足赤いまばらな人影のなかをひたひたひたひたあかい
本田瑞穂『すばらしい日々』

殺羽根の管にをさめて白鳩の足に結ふべき小き文よ
ルビ:殺羽根【そぎはね】管【くだ】白鳩【しらはと】結【ゆ】小【ちひさ】文【ふみ】
森鴎外 「明星」M41・1

ひとあしずつあゆむさだめのハトたちが地球の砂利をまたぎてゆくよ
井辻朱美(出典調査中)

鳩の脚の寒さへ贈るくつしたの打ち棄てられて冬がふかまる
内山晶太「詩客」2017-04-08




片足の鳩

 鳩の足を詠む歌を探すと、片足の鳩を詠む歌が見つかる。

跛脚の鳩がきのふよりわが庭に雌をともなふよき転機あれ
ルビ:跛脚【かたあし】
斎藤史『風に燃す』

餌ひろう一本脚の鳩がいてじれったくなればすぐに飛びたつ
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』

片脚のない鳩のいた野草園 肉体という勇気を思う
小島なお『展開図』


 鳩は、釣人の残した糸が足に絡まって、足を失うことがある。
 実際に見たことがある。
 たまたま立ち寄った公園の池のほとりに多くの鳩がいて、半分ぐらいが片足だった。ほんとうにかわいそうだった。
 餌がほしくて近くに来たので、とってやろうと手を出すと逃げてしまった。
 片足があるうちはまだいい。両足をうしなって横たわっているものもいた。
 糸を捨てていった釣人に、この光景を見せたい。
 目に入った範囲の糸だけでも片付けたかったが、そんななまやさしい量ではなかった。あとから公園あてにハガキで投書した。



2022.8.9

2022年8月7日日曜日

ちょびコレ 大仏

 ここは、日々なんとなく見つけたちょっとした短歌コレクションの置き場です。


ミニアンソロジーにしたいけれど、そこまでの歌数がない。でも、レア鍋賞ほど少ないわけでもない……。

そんな感じのときここに書いておきます。


■大仏

大仏のマトリョーシカは君のため原寸大でわかりあうため
小野田光『蝶は地下鉄をぬけて』


○大仏ってなんとなくちょっと好きなので検索してみました。

[検索文字列:大仏・だいぶつ・鎌倉+仏orほとけ・かまくら+仏orほとけ・奈良+仏orほとけ]

本日の全短歌データ122956首の中で14首みつけました。
上記はそのなかでイチオシ。大仏という題材の魅力のひとつは物体としての存在感だと思いますが、この歌はその捉え方が特に新鮮。

○この検索で見つけた歌の中でもっとも有名なのはおそらくこの歌。

鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな
ルビ:御仏【みほとけ】なれど釈迦牟尼【しゃかむに】は美男【びなん】
与謝野晶子『恋衣』


以下いろいろな大仏の歌。与謝野晶子の歌に応答するようなうたがあります。また背中の窓も注目ポイントのようです。


かまくらの大きほとけは青空をみ笠と著つつよろづ代までに
著【き】
伊藤左千夫『左千夫歌集』1928 

葉がくれの蝉の声やみて大仏の御顔をてらすゆふづく日かな
木下利玄(出典調査中)

目路さむき冬田向うの山もとに夕陽を浴びたる大仏殿の屋根
木下利玄(出典調査中)

新芽立つ谷間あさけれ大仏にゆふさりきたる眉間の光
ルビ:新芽【にひめ】
中村憲吉『林泉集』

なでしこや大仏道の道ばたに君が捨てたる貝がらの咲く
吉井勇(出典調査中)

あたたかく大仏殿の鴟尾に照る陽よこの先のことはわからぬ
永井陽子『てまり唄』1995

かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼はパンチパーマでピアス痕あり
望月裕二郎『ひらく』2009

さほどまで美男にあらず鎌倉の大仏さまは喰はせものなり
小熊秀雄(出典調査中)

横顔は多少美し大仏の背中に窓があいてゐるとは
小熊秀雄(出典調査中)

大仏の背中に二つ窓があるあれは翼の生えてゐた痕
大西久美子『イーハトーブの数式』

鎌倉のだいぶつさまの背にある窓ひらきたし頰杖つきたし
ルビ:背【せな】
北山あさひ『崖にて』2020

慣性の法則はもう壊れたし動いていいよ奈良の大仏
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013





俳句もいくつかありましたが、川柳の次の句が特に印象に残りました。

大仏の右の耳から鳩が出る
内田真理子『ゆくりなく』2010


2022・8・7 




右は冗談で書いてみた絵。




悪乗りしてもう1枚! 泳げ大仏君



左はなんとなく描いてみた絵
手が難しい。いつか上手になったらかきなおしたい。

2022年7月24日日曜日

随時更新 不思議の花園だより

 うちのベランダは不思議の花園です。

2020年の春、きまぐれで鉢を買い、種をまいたり球根を植えたりしはじめました。

そうしたら、おかしな花が咲くんです。
モンスター化するっていうか、そういう花は咲いたらすぐ枯れる。

ふつうに咲く花もあって、それはそれで不思議。

というわけで、ここにはうちのベランダの花の写真をアップします。


フェイスブック報告用に写真をまとめたものもあります。


去年の夏はしょぼいひまわりが咲いたが、今年はその分を補うような感じ。

2022年7月 ちっちゃいひまわりが咲いたけど・・・。



同日、あさがおはまともです。
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2022年5月 スイートピーはわりにまともに咲いている。



スイートピーに豆がなりました。調べたところ毒があるとか。

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2022年5月 忘れていたけどここにはなにかの球根を植えたんだった。
わりとまともそうに咲き始めた。
(枯れるのが速いかも。ひとつの花は1日で枯れちゃう。)

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2022年3月 怒りのチューリップ

茎が短い。
まちがえて早く咲いちゃったとか?


すごい!どんどん枯れる。

奥の鉢もチューリップで、茎がまだ短いのに、もう咲く気でいるみたい。
だめっぽい。

(奥のチューリップ、写真とらなかったけど、咲く前に枯れちゃった。)
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2021年10月 すごい溢れんばかり。
種をまいて忘れていたんだけど、
夏に葉っぱがどんどん生い茂って、
雑草かしらなんて思っていた。
秋、いきなりものすごい数の花が咲き始めました。
鉢がちいさくて倒れそう。
そんなに咲いてだいじょうぶなの?

植物って個性が強いなあ。
(チューリップとバラを見間違えるような植物オンチです。
むろん花の名前とか全然知らないし、植物の生態も、なんか新鮮。)
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2021年9月 あさがおがまだ咲き続けている。


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2021年夏 ひまわりが咲いた、けど。
思ってたのとちがう。
こんな小さい鉢じゃだめだったかな。


*
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2021年夏 おお! あさがおだ。ちゃんとあさがお。



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*
春、気まぐれに百均で鉢などを買った。
テキトーに土を入れ、テキトーに種をまき、テキトーに水をやった。




2022年7月1日金曜日

ちょびコレ マッチング 並べて読みたい歌 2022

 まったく別々に詠まれた2首に、批評マインド〟が刺激されることがあります。

もしかして偶然に本歌取り?とか、
歌合せだったらいい勝負じゃんとか、
時を超えて応答しているみたいとか、
歌人の個性の違いがおもしろいとか、
同じ作者の作なら進化や変化を感じるとか。

「並べて読みたい歌」セット。
そういうものを見つけたらとりあえずここに書きとめます。

ただし、私は、優劣には興味がない。歌を並べて優劣を決めたいわけではない。
そこのところ、よろしくおねがいします。

▼2022/7/1 鳥・人・言葉


人が鳥になるとかならないとかを詠む短歌はときどき見かけるのだが、次の歌はそのなかでも少し特殊だ。
重なる感じで捉えている。

ねむりゆく私の上に始祖鳥の化石のかたち重ねてみたり
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』

眠ることと死は少し似ている。
始祖鳥の化石といえば太古の鳥の死骸。
そして、見た目が老化の姿にも少し通じてもいる。
眠るたびに始祖鳥の化石に近づいていく、というようなことを歌から感じ取る。

化石は、死骸が石化したもの。死後に長く残るものに変質したものだ。
骨だらけでなんだか文字みたい。

そして、この歌をみるたび脳の片隅に次の句がうかぶ。

タソガレドリは言葉の鳥か我も言葉
山川蝉夫(『山川蝉夫句集』以後)

私の中では上記2つの作品がしっかり結びついている。

もうひとつ、
とぶ鳥はすべてことばの影となれわれは目つむる萱草に寝て
寺山修司『月蝕書簡』(未発表歌集)2008
というのを発見しました。

▼2022/5/15 蝿が手を揉む

まもりゐの縁の入り日に飛びきたり蠅が手をもむに笑ひけるかも
斎藤茂吉『赤光』1913

ひさしぶりに、
ふと声を出して笑ひてみぬ―
蠅の両手を揉むが可笑しさに。
石川啄木『悲しき玩具』1912

茂吉と啄木。
ほぼ同じ時期に似たような歌を詠んでいる。

蝿が手を揉むといえば、
多くの人は、一茶の、
やれ打つな蠅が手をすり足をする
を想起すると思う。
近代のこのふたりもそうだと思うが、そのうえでこういう歌を詠むだろうか。


▼2022/5/13
 2021年の記事と分離し、ついでに表記等を修正しました。

▼2022/5/13 他流試合 じいんじいんと滝の上

(このタイトル俳句みたい 笑)

■じいんじいん

切株はじいんじいんと ひびくなり
富澤赤黄男『蛇の笛』1952

花もてる夏樹の上をああ「時」がじいんじいんと過ぎてゆくなり
香川進『氷原』1980


なるほど、「じいんじいん」は時間が流れる音みたいな感じだ。
どちらも樹に関係がある。
富澤のほうは「時間」と書いてないけれども、「切株」には年輪があって自然に「時」への連想を促す。じんわりじんわり「時間」が地に深く響くような感じ。
かすかだが痛みが疼くような語感もある。

香川の歌では暗示でなく、「時」が「過ぎてゆくなり」とはっきり書いている。
「時」が樹上を過ぎるといえば、鳴き過ぎる鳥や葉をざわめかす風を思わせることで、「時」の流れに速さを感じさせる。
「夏」といえば、人々が欲求をかなえたり目的を果たしたりするためにがんばる季節で、その虚しさはすでに詩歌に定着している(「夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡 芭蕉」とか)こともあり、この歌の「じいんじいん」の語感にも、そうした痛みのようなニュアンスが少し含まれると思う。

他流試合、っていうか他人の空似っていうか、もう一組。

■滝の上

瀧の上に水現れて落ちにけり
後藤夜半『翠黛』
1940

瀧の水は空のくぼみにあらはれて空引き下ろしざまに落下す
上田三四二『遊行』1982

雰囲気違いますが川柳も。

なんぼでもあるぞと滝の水はおち
前田俉健(出典調査中)

▼2022/5/12 材料が同じ料理みたい


同じ材料から作ってぱっと見似ているけれど味が少し異なる料理、みたいだ。

テーブルに滴と蝿と向きあってまた永遠が見つかったの?
佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』2001

八月のテーブルの角に蝿は黙りいま永遠にあなたのMより
杉山モナミ(杉山美紀)『短歌パラダイス』1997

▼2022/5/11 同一作者が時を経て……


同一作者が同じ題材を、時を経て別の言葉で詠み重ねる、というこちがあると思う。

A
身をそらす虹の
絶巓
処刑台
  高柳重信『蕗子』
※絶巓 ( ぜってん ) =てっぺん

B
魏は
はるかにて
持衰を殺す
旅いくつ
※持衰(じさい)=祈祷師

A 虹のあの形を、「反っている」と見るのは珍しい見立てだ。また、身を反らすのは、前に屈むのに比べたら、背筋のこわばる苦しい姿勢である。一方、虹といえば一般に美しいものとして描かれ、どこか遠い国への架け橋の比喩として使われることが多く、普通はそんなに緊張感を孕む語ではない。ところがこの句では、虹の頂点に処刑台があるという見立てだ。だとすれば、遠い国へのあこがれは、見かけは美しくとも、我が身を辛い姿勢に保って橋となそうとするものであり、その絶頂に、ひどく恐ろしいものが待っていて中断させられた、と読めるだろう。
B
大昔の日本人は、当時の文明国である魏の国をめざして海を渡った。古代の船は小さくて、嵐にあえば半分ぐらい沈んでしまうのに、人々が死を覚悟で新しい知識を求めた。「持衰」=祈祷師は、嵐があると神様に怒りを静めてくれるように祈る役目であり、祈りが通じないときは、その祈祷師は殺されたのだそうだ。
(「持衰」の説明は作者に聞いた。奇跡的偶然でこの作者は父だ。)

当初私は、この句を、「人類がたくさんの犠牲を払いながら、高い目標のために努力してきた、ということへの感慨を表したもの」と思っていたが、だいぶあとになって、犠牲といっても祈祷師のいたましさは特殊だと気づいた。
みんなのために真剣に役目を務めたにもかかわらず、失敗だったからといって仲間の手で殺されてしまった。
この句はそういう種類の犠牲者に特に手向けられた鎮魂句なのだと今は思うし、Aの句もこのB句と併せ読んでみて損はないだろう。

書かれた順序は、虹の句の方がずっと早く、結核で挫折したうんと若いときのものだ。かつて、「自分の努力には処刑台が待っていた」という形で提示されたテーマが、後年視点が変わることで、「魏ははるかにて」の句になったのではないかと思われる。


▼2022/5/12 非生物だが生身感のあるものを揉む感触

 同一作者が時を経て……

A
元旦に明るい色の胴体を揉めばぶよぶよするヤマト糊
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

この人はかつてこういう歌を詠んだ。

B
孵るものなしと知ってもほおずきの混沌を揉めば暗き海鳴り
穂村弘『シンジケート』1990

題材は違うが内容は通じていて、新しいAのほうが「混沌」だの「暗き」だの「海鳴り」だの、詩歌的に意味ありげな言葉を使わないぶん、手作りであり鮮度が高く、つまり洗練されている。

「揉む」は短歌俳句で好まれるのかよく使われる。肩揉みに関するものや、草木を風が揉むさまに試練に耐える心情を重ねる、などをよく見かけるが、上記のような「非生命の手触り」を詠むものは少ないようなので、時間があったら集めてみたい。

残る世の人形揉めば泣きにけり 攝津幸彦 『鹿々集』

「非生命の手触り」とは少し違うが、この句にも注目した。


▼2022・4・17追記
 ■そのとき青いものがこぼれる……(2021/12/22)に、
  青いもの、赤いもの、黄色いものがこぼれる歌を追記しました。


▼2022/4/3 生きてることが・・・になる

作者はまったく意図しなくても、言葉の世界で勝手に歌たちが響き合うということがある。
それを読んだ人たちの脳内で意識しないまま響き合い、結果として言葉の世界のなかでうっすら関わり合い、なんらかの形でイメージを強め合ったり深め合ったりする可能性がある。

以下2首、「になる」の意味あいがやや違うので、本歌取りではなさそうだが、響き合いそうな感じ。

こんなにもふたりで空を見上げてる  生きてることがおいのりになる
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001

似合う、ってきみが笑ったものを買う 生きてることが冗談になる
平岡直子『みじかい髪も長い髪も炎』2021


なお「○○と君が言うので、その結果XXする」という構造、これは当然よくあるものだが、その源流には、こういう有名な歌がある。

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
俵万智『サラダ記念日』1987

この歌がこの言い方の最初っていうわけではなかろう。
が、人口に膾炙し、この言い回しの〝詩的ステータス〟がアップしたんじゃないかしら。爆発的に。