2021年3月18日木曜日

ミニ38 柔道・空手

 柔道・空手を詠む歌を探してみた。


本日の闇鍋短歌112,901首の中に12首あった。

その中から8首ピックアップ。


去年から置きっぱなしの柔道着 その持ち主も今日卒業す
千葉聡『飛び跳ねる教室』2010

そのむかし空手をやっていた人に正拳突きを見せられている
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013

柔道三段望月兵衛明眸にして皓歯一枚を欠きたり
ルビ:望月兵衛(もちづきひやうゑ)/皓歯(かうし)
塚本邦雄『歌人』1982

たくさんの眼がみつめいる空間を静かにうごく柔道着の群れ
小島なお『乱反射』2007

少年は何も信じぬ骨肉が相打つ極真空手のほかは
八木博信『ザビエル忌』2018

柔道の受け身練習目を閉じて音だけ聞いていたら海です
小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』2019

虹色の帯を結んだ空手家が『はみだしっ子』を読んで号泣
平川哲生(出典調査中)

柔道部・バレーボール部・卓球部・ハンドボール部・吹奏楽部
(偶然短歌:ウィキペディア日本語版の文章の中から切り出されたもの)


「空手」「柔道」は、歌の題材としては新しいようだ。

上記のように、短歌では少ないがらぽつぽつ詠まれている。


ところで、俳句ではろくろく詠まれていないみたいだ。

私のデータにはなかった。

ネットで探したら、ないわけではなかった。

(でも、一つ読んだら百読んだ気がする類の、従ってカウントする気になれないものばっかりだった。いいのがあったら知らせてほしい。)


もっと驚いたのは、川柳でも、「空手」「柔道」はほとんど詠まれていないらしいことだ。

私の川柳コレクションは、新聞等やサラ川のようなのはほとんどなく、「現代川柳」と呼ばれているものなので、偏りがあるのだろうか。

だとしても、「空手」「柔道」が少ないのは意外である。


こういうのって、詠まず嫌いとか以前に、ただ単に詩心が見落としているだけで、そのことを全く意識することもない、という、そういう段階なんだろうなあ。


いいと思う句を見つけたら、あとから追加します。

2021年3月6日土曜日

お金を詠む 1円~9円(随時更新)


お金や金額を詠み込む短歌をピックアップしています。

硬貨やお札は、物体としての外観や質感の個性があり、そこから詩情が引き出されます。
また、「◯◯円」という金額の数字にも、詩情を引き出す力があり、なかなか興味深いと思います。

たっぷり味わってください。

1円

拾われぬまま一年が過ぎてゆくチョークまみれの一円硬貨
入谷いずみ『海の人形』2005

 ウエディングヴェール剥ぐ朝静電気よ一円硬貨色の空に散れ
穂村弘『シンジケート』1990

一円のアルミの硬貨落ちている畳の冬陽路傍のごとく
岡部桂一郎『一点鐘』2002

ネットにて反対を書く 一円玉のような軽さと思えども書く
吉川宏志『鳥の見しもの』2016

なげやりに暮らしているとおさいふの一円玉が増えてくるのよ
本多真弓『猫は踏まずに』2017

パーマでもかけないとやってらんないよみたいのもありますよ 1円
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』2012

 「二個一円!」みやげもの売る中国の少女群がる雷雨のように
ルビ:二個一円【ニコイーチエン】
俵万智『サラダ記念日』1987  

 星一つ書いて一円もらいたい億万長者も夢じゃないのに
中川聡  「早稲田短歌」43号

2~4円


もやもやとだまされてゐる春日暮れ二円切手のうさぎ愛ごくて
ルビ:愛【め】
水上芙季『水底の月』2016

西友のレジ袋(M)2円なり買うとき今日は怒りが湧いた
染野太朗「詩客」2013-02-22

あなたがせかい、せかいって言う冬の端 二円切手の雪うさぎ貼る
笹川諒『水の聖歌隊』2021


5円


五円玉を糸で吊して壁に貼り船の揺れ見る今日は十五度
森尻理恵 (出典調査中)
 
五円玉 夜中のゲームセンターで春はとっても遠いとおもう
永井祐 
(出典調査中)

断固たる面持ちで五円玉めがけ放尿している「九郎耄碌」
高柳蕗子『回文兄弟』

Jちゃんと舐めし膝の血「十円玉?」「五円玉の味?」舌ひからせて
大野道夫『秋意』


荻野神社賽銭箱に届かない五円玉がきらきら転ぶ
飯沼鮎子『土の色草の色』

ともかくも今の幸せ享受するレジ袋代五円を払って
蒼井杏『瀬戸際レモン』


6~9円


かりかりのコロッケ八円ほくほくと揚がるあがるね箸にはさまれ
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

1円未満 2021・3・8追加


絵葉書の夢二の猫は出てゆきぬ一銭銅貨の月の出る夜に
橘夏生『セルロイドの夜』

一銭であめ玉三個を買いし日の橋のたもとにありし駄菓子屋
宇佐美ゆくえ『夷隅川【いすみかわ】』

五十銭貰って/一つお辞儀する/盗めば/お辞儀せずともいゝのに
夢野久作『猟奇歌』

お金を詠む2 10円~99円(随時更新)

10円


伝えたいことがあるから一枚の十円だけで電話をかけた
本多忠義『禁忌色』2005

十円玉で用をすませてボックスを出るとき人間に戻ったやうな
佐藤通雅『連灯』2017

平成の十円玉が昭和より錆びていたりき ベタにさびしい
松木秀『RERA』2010

われよりも歳をとりたる十円を自販機に投ず がんばれ十円
松木秀『RERA』2010

かさばりて重き財布の十円を順に機械に放り入れたり
武富純一『鯨の祖先』2014

金魚鉢に金魚のゐない理髪店おまけにくれた十円硬貨
新井蜜『鹿に逢ふ』2014

かの骨と十円玉を取り去ればそこは灰皿よりも灰皿
石井僚一 第57回短歌研究新人賞受賞作2014

ぴかぴかにみがいてしまえ十円玉 たかちゃんの部屋の退屈しのぎ
早坂類『風の吹く日にベランダにいる』1993

アルコールランプの炎に包まれて十円玉は銀色になる
入谷いずみ『海の人形』2005

Jちゃんと舐めし膝の血「十円玉?」「五円玉の味?」舌ひからせて
大野道夫『秋意』2015

十円ハゲはいちど百円まであがりデフレにて十円にもどった
松木秀『RERA』2010

一人あたり十円ほどの予算にてわれが得意とすキャベツのいため煮
中城ふみ子 『乳房喪失』1954

自販機はなんとドクぺを買う人にお釣りを十円多く返せる
千石龍「外大短歌」7号2016


子どもらが十円の夢買いに来る駄菓子屋さんのラムネのみどり
俵万智『サラダ記念日』1987


自分も10円をなんと2首も詠んでいました。うれしい。

おばあちゃんの寝言とまらぬ家じゅうで十円玉が薄目をあける
高柳蕗子『潮汐性母斑通信』2000

泣いてしまえば所詮は少女ものかげで赤い十円玉になるだけ
高柳蕗子『回文兄弟』1989


11円~49円


二十円引きのエクレア買ってきた君はひとくち無料でくれる
佐佐木定綱 『月を食う』2019

月に三十円もあれば、田舎にては、
楽に暮せると―
 ひよつと思へる。
石川啄木悲しき玩具』1912

子どもらはゴミを宝の山と呼ぶ一キロで三十円のビニール
俵万智『チョコレート革命』1997

事務所まで戻れば四十円安い愛のスコール駅で飲み干す
山川藍『いらっしゃい』2018

50円


五十円時給を上げる申請を手紙のように丁寧に書く
ユキノ進『冒険者たち』2018

51円~99円


残高六十八円 遠く薄く心の果てにあるお正月
北山あさひ 『崖にて』2020

消しゴムを八十円で新調す 時計のベルト変えて二学期
俵万智サラダ記念日』1987

ギター店に八十三円足りないと言う少年を残して目覚める
佐藤涼子『Midnight Sun』2016


お金を詠む3 100円~999円(随時更新)

 100円

百円を詠む歌は多いので、かんたんに分類しました。

百円玉


百円硬貨落とせば道に花は咲く きれいな気持ちで死んでいきたい
阿波野巧也 『ビギナーズラック』2020


春の夜に妻の手品を見ていたり百円硬貨がしろじろと跳ぶ
吉川宏志『青蝉』1995

百円玉ひとつ十円玉ふたつ入れて取り出す「愛の紅茶」を
小池光『時のめぐりに』2005

このわかりにくさはなんだ新雪の中に百円を落としたような
松木秀『RERA』2010

百円玉入れると映るテレビありなぜだかいつもさびしい場所に
穂村弘(出典調査中)

床の間のテレビに百円入れるときなんかこわれているような音
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

散財をすべし 百円玉入れる度クレーンの爪の空振り
廣野翔一 個人誌「浚渫」2017

新雪に落ちた百円玉ひとつこころに沈むかなしみがある
長谷川径子『固い麺麭【ぱん】』2016 

百円を伏せておくとき銀いろの水面に浮かんでくる桜花
飯田彩乃『リヴァーサイド』2018


百円ショップ


百円のカチューシャ付けてラヴリーと言われる貧乏ファインプレー
伊藤綾乃「かばん新人特集号」2015/3

薬局の店頭に積む百円のシャンプー一個われ用に買ふ
奥村晃作『父さんのうた』1991

とりあえずで買った百円均一の食器のままで町になじんだ
戸田響子『煮汁』2019

母の持つ化粧ポーチを覗いたら同じマニキュア百円親子
溝井亜希子かばん」2004・6

おびただしきは家の百円ライター赤き色を好むは何
高瀬一誌『レセプション』1989

死者との交信はすすんでますか 百円で買った富士山の水
山下一路『スーパーアメフラシ』2017

百円の傘にたとへば八つ当たりしたら壊れるだらう まだ要る
山階基風にあたる拾遺」(「未来」2013・8)

絶望が出入りする頬 百円の手鏡覗くほど堕ちてない
柴田瞳(出典調査中)

百円ショップで買つたと言ひてヘアブラシ長のむすめがわれにくれたり
小池光『梨の花』2019

夢よりも鮮やかでしょうこの虹は百円ショップで売っていたのよ
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005

百円ショップから帰るとき見上げてたプラスティックな冬の満月
松木秀『色の濃い川』2019

のど赤きつばくらめって本当にいるんだね春百円ショップ
沼谷香澄Tongue」7号 2004・4

碁はコウのままで幸せ いまいちばん食べたいバザーの百円ケーキ
雪舟えま 朝日新聞夕刊2012/6/26

百円のレインコートをもとどおりたためるつもりでいたのでしたよ
蒼井杏『瀬戸際レモン』2016

休日を百円ショップにともなへば祖母はいくつも人形を買ふ
福士りか『フェザースノー』2002

草食男子の精子のごとくわずかなり百円ショップの修正液は
笹公人『念力レストラン』2020


百円の本

ブックオフの百円コーナーだけだろう逸見政孝を忘れないのは
松木秀『RERA』2010

下流なるわたくしなればブックオフで『下流社会』を百円で買う
松木秀『RERA』2010

特別養護老人ホームの如くありブックオフには百円の本
松木秀『親切な郷愁』2013

古書店の外積みの百円コーナーに『日本植民地史』あるはるのあわゆき
池田裕美子 『ヒカリトアソベ』2007

その他の百円


百円を入れピーマンを取り出せばわざわざここまで来て礼をする
土井礼一郎かばん新人特集号」2018

街灯にわたしの吊された死体、へいきよ百円のハンバーガーたち
安井高志『サトゥルヌス菓子店』2018

干からびたシューマイ5ヶで百円に下がる夕べを泳ぐコーラン
増尾ラブリーかばん」2004・6

一山で百円也のトマトたちつまらなそうに並ぶ店先
俵万智サラダ記念日』1987

空腹を訴える子と手をつなぐ百円あれどおにぎりあらず
俵万智『オレがマリオ』2013


101円~499円

甘いのはキャラメルじゃなくミルクキャラメル 学んだ授業料は百五円
鈴木希実子 「早稲田短歌」43号

殺されて切り刻まれて串刺しにされて焼かれて百二十円
足立尚彦『冬の向日葵』2020

長崎の市電はなんとおおらかにどこまでも行く百二十円
田中徹尾『吟』2020

十冊で百五十円也赤川次郎の本が雨につよいことがわかりぬ
高瀬一誌
『スミレ幼稚園』1996
茶も出さず金も返さず百五十円飲み込んだまま自販機の黙
ルビ:黙【もだ】
斎藤寛『アルゴン』2015

霰うつ砂丘の古書肆レーニンの全集”一冊二百円也”と
山田富士郎羚羊譚』2000

二百円で買ったゆううつタコ焼きの湯気にちぢれていく花がつお
杉崎恒夫パン屋のパンセ』2010

二百円の半割メロンにかしこみ注ぐビシソワーズをかしこみ啜る
西五辻芳子『金魚歌へば』2014

たましいを買う二百円消費税込みでおまけにストラップがつく
木下竣介 朝日新聞夕刊2012/2/14 

二百円を我に乞いたる自称元除染作業員にこの冬遇わず
齋藤芳生『花の渦』2019

行くだけで三百円もかかるけどいい古書店があったいい町
佐々木朔『一月一日』vol.3 2016

人間はひとりにひとつ持たされた三百円のおやつであった
三上春海詩客」2018-07-07

惜しみなく胸びれをふるミドリフグ(三百円)にも懶い春が
秋月祐一迷子のカピバラ』2013

種付料三百万円ノーザンテーストの写真見ており疲れていたり
藤原龍一郎 『19××』1997

君と食む三百円のあなごずしそのおいしさを恋とこそ知れ
俵万智『サラダ記念日』1987

四百円にて吾のものとなりたるを知らん顔して咲くバラの花
俵万智『サラダ記念日』1987

四百五十円にてわれと娘のみの戸籍謄本を交付さる 沼尻つた子
『ウォータープルーフ』2016

500円

五百円以内で食べてコンビニの袋ぺしゃりと項垂れてる
吉村実紀恵『カウントダウン』1998

爆竹で月へゆこうとする人に新五百円玉あげました
笹井宏之『ひとさらい』2011 

五百円持って疾走誰も見てないと思った伝線バレた
山川藍『いらっしゃい』2018

じんわりと汗ばむ五百円玉で鳥の冷たい心臓を購う
成瀬しのぶかばん」1999・5

この夏を如何に過ごさん財布よりこぼるる五円玉を数へて
村本有「早稲田短歌」43号 2014・3
 
五百円玉を無言で受け取って握りしめてはどこへ行くのか
東直子「短歌ヴァーサス」四号

一時間五百円にて青春は売られておりぬマクドナルドで
俵万智かぜのてのひら』

五百円札のうす青色の中キャベツが笑う<たそがれ横丁>
俵万智サラダ記念日』

「アントニオ猪木のまねのスマイルとチーズバーガー」「五百円です」
平川哲生(出典調査中)


501円~999円


一時間六百円で子を預け火星の庭で本が読みたし
大口玲子『トリサンナイタ』2012

六本木まで六八〇円で行き、もらった券でウォーホル展入る 
〈詞書〉アンディ・ウォーホル展「永遠の15分」2014年2月1日(土)~5月6日(火・休)
久真八志「かばん」2015・5

七百円の中トロを食ふ束の間もわれを忘れることができない
田村元『北二十二条西七丁目』2012



お金を詠む8 硬貨や札(金額なし)(随時更新)


 札・硬貨

金額なしで硬貨や札束を詠んでいる歌がたくさんあります。

ピックアップしました。


硬貨・コイン

天に投げ上げし硬貨のうらおもて男はなべて死のわしづかみ
山田富士郎(出典調査中)

硬貨舞うバスの床みて不可思議なちからが目覚めそうな感じに
雪舟えま『たんぽるぽる』2011

相容れぬ哀しみあればくり返し入れても出てくる硬貨が光る
楠誓英『青昏抄』2014

花まつり人から人へ渡されるアルミニウムの硬貨のひかり
嵯峨直樹『半地下』2014

数枚の硬貨を切符に換えにゆくまだ町は冷水魚の気配
千種創一『砂丘律』2015

群青を愛するあまりはつなつの硬貨おとしてしまった 運河に
井上法子『永遠でないほうの火』2016

お財布を持たない主義の鯖なのでエラに硬貨を忍ばせている
谷じゃこ『ヒット・エンド・パレード』2016

銀の硬貨でむらさきの水購えり生殖ののちは逃げるのだろう
野口あや子『眠れる海』2017

レシートへ硬貨を乗せる 客の掌にわれの冷たき掌がふれぬよう
沼尻つた子『ウォータープルーフ』2016

卓上にきづく硬貨のピラミッド空虚は弱きものをまづ統ぶ
西田政史『ストロベリー・カレンダー』1993

往きに見て復りにもまだ落ちているアルミ硬貨を雨中に拾う
ルビ:復【かえ
久々湊盈子『世界黄昏』2017

手のひらで舟をかたどりエヴィアンのお釣りのつめたい硬貨をもらう
服部真里子『遠くの敵や硝子を』

いっときの関係として雨の日に硬貨を渡し傘をいただく
虫武一俊『羽虫群』

がま口の口にあらざるところから口開いてきて硬貨は洩れる
生沼義朗『空間』2019

百円硬貨落とせば道に花は咲く きれいな気持ちで死んでいきたい
阿波野巧也『ビギナーズラック』2020

地下道に硬貨の落つる音のして行き交ふ人の目の光り合ふ
高野岬『海に鳴る骨』2018

転がっていった硬貨は暗闇でいまごろ倒れていることでしょう 
谷川電話(出典調査中)

桜花みつつ咲かせて銀色のコイン吸はるる夜の自販機に
近藤かすみ(出典調査中)

最終版タブロイド紙を買うためにコインを探る指のさびしさ
藤原龍一郎『日々の泡・泡の日々』

なにゆえか財布の中が銀色の穴のあいてるコインばっかり
宇都宮敦 朝日新聞夕刊2011年5月24日

昭和製のコイン入れれば震へ出す真夏を回りつくすさざなみ
山田航『水に沈む羊』2016

死はつねにぴかぴかであれ花季のコイン洗車を霊柩車出づ
ルビ:花季【はなどき
大塚寅彦『夢何有郷』2011

カラコロと返却口へ落ちてゆくコインの気持ちをつかみかけてた
鈴木美紀子『風のアンダースタディ』2017

うらがわのかなしみなんて知る由もないコインでも月でもないし
岡野大嗣『サイレンと犀』2014

札・紙幣

国境を僕らは越える鳩胸のダッチワイフに札束詰めて
穂村弘『ドライ ドライ アイス』1992

夕暮れのギターケースに投げ入れるあしたこわれる国の札束
木下龍也『きみを嫌いな奴はクズだよ』2016

札束でしあわせになるひとびとを睫毛あたりで肯定してる
笹井宏之『てんとろり』2011

銀行の清き少女の繊き手の無尽にくり出す春の札束
加藤克巳『エスプリの花』1953

脱亜入米いまなら言ふか万札の諭吉翁(をう)その表情読めず
大塚寅彦「詩客」2013-02-08

忘れたのかもしれないねやわらいでうすくひろがる紙幣をみれば
柳谷あゆみ『ダマスカスへ行く 前・後・途中』2012

皴のばし送られし紙幣夜となればマシン油しみし母の手匂う
岸上大作『意思表示』1961

しわくちゃの紙幣みたいに生きている 最初からやり直してください
宇野なずき『最初からやり直してください』2018

くらきところ立ち止まり指にたしかむる紙幣といえるうつくしき紙を
内山晶太「詩客」2017-04-08

世の中はからくりばかりいくつもの数字に触れて手にする紙幣
三井ゆき『池にある石』2018

犬の国にも色街はあり皺くちやの紙幣に犬の横顔刷られ
石川美南『架空線』2018

EUの紙幣に描かるEUのどの国にもなき窓と門、橋
香川ヒサ『MODE』2003

風と雲、貨幣と言葉と石塁と 神と人との出会ひしところ
香川ヒサ(出典調査中) 2021・3・8追加

月を見る平次の腰にくろがねの〈交換価値〉の束はゆれたり
中山明『猫1・2・3・4』
 2021・3・8追加

みづからの意志ならなくに札の顔となりし漱石日本に満つ
高野公彦『天泣』1996 2021・4・25追加


お金を詠む4 1000円~9999円(随時更新)

 1000円

ときどきは白き狐の貌をするむすめが千円くださいと言う
吉川宏志『鳥の見しもの』2016

チロルチョコよりも小さく畳まれた千円札をよみがえらせる
山川藍『いらっしゃい』2018

横顔に定評のある店員に二秒見とれるごとに千円
柴田瞳(出典調査中)

千円札の束ね方うまくなりレジを開けばふんわりと羽
狩野悠佳子 「穀物」創刊号2014

かなしんだり憐れんだりのその度に千円ぐらい損するような
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005

いつも犬をみにいく見にいくか雨を心から言いっぱなしだ千円払うよ
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』2012

被災者といふ他者われに千円札いきなり握らする老女をり
大口玲子「短歌往来」2011・7

しばらくを千円理髪に並びたり待ち時間とは平穏のこと
田中徹尾芒種の地』2016

オレンジ・カード千円分の逃亡をさもなくばわが詩的悲傷を
藤原龍一郎 『19××』1997

卒業式の前の日に知る千円でバラは三本買えないことを
俵万智『チョコレート革命』1997

真夜中の自販機ジジジと千円を吸い込みじっと注文待てり
武富純一『鯨の祖先』2014

古き帯の値に得たる千円を働きてとりしごとく錯覚す
片山廣子(出典調査中)

「千円になります」と言い千円になってしまったレジ係員
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013

1001円~4999円

生餌という命もありて水槽に小赤百匹千五十円
関野裕之『石榴を食らえ』2016

かわいくはなく描かれた動物の絵あわせカルタ千二百円也
東直子(出典調査中)

千五百円以上送料無料なり無料にするため漱石を買う
松木秀『親切な郷愁』2013

今日は時給千五百円 真夜中のバーでピアノを弾く僕の値段
千葉聡(出典調査中)

割り勘で千五百円あつめてるそのわりにでかいことしやべつてゐたな
馬場あき子『あさげゆふげ』2018

二千円札をひとさしゆびに巻く 平和ってどこから平和なの
笹井宏之『てんとろり』2011

四年半ぶりに私の財布には入っていたり弐千円札
松木秀『RERA』2010

ヒトゲノムだったら五人分入るUSBメモリが二千円
松木秀『親切な郷愁』2013

魂のぬけしししむら焼き代は千円紙幣の三枚にて足る
中野昭子(出典調査中)

放置せしわが自転車を請け出しぬ四千円を区に支払って
奥村晃作『造りの強い傘』2014


5000円

何してもむだな気がして机には五千円札とバナナの皮
永井祐(出典調査中)

死体処理手当てのギャラは五千円なのか遺体は静物なのか
菊池裕『アンダーグラウンド』2004

自立しろと言われてあげたお年玉返してもらう父より五千円
山川藍『いらっしゃい』2018

国を出たわたしが送る国を出た人だけに届く五千円札
柳谷あゆみ詩客」2013・08・30


5001~9999円

今のところ見つかりません

お金を詠む7 1億円以上(随時更新)

 1億円~

年収が一億円を超えました十万歳を迎えた春に
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013

三億円当てたら何が楽になる黄のパプリカを半分に切る
遠藤由季『鳥語の文法』2017


10億円~

年末の十億円が当たったら
当たらなくてもバイトは辞める

パンダの赤ちゃん「立命短歌」4号 2017


100億円~


ヨーグルトの匙をくわえて朝の窓ひらけば百億円を感じる
雪舟えま『たんぽるぽる』2011

百億円あれば世界の人口を金で数えることもできるな
谷じゃこ(出典調査中)

百六十四億円の日食や世の中すべて経済効果
松木秀『親切な郷愁』2013

一票の死にかた選ぶ投票所の七百億円とふえんぴつ倒し
江國梓『桜の庭に猫をあつめて』2019

三光汽船倒産負債総額約五千二百億円自殺者も
藤原龍一郎 『19××』1997


1兆円以上

アメリカの国富二兆八千億円あまり漠々として恐ろしからず
ルビ:国富(こくふ)、漠々(ばくばく)
斎藤茂吉(出典調査中)

「ゲームセンターあらし」は水魚のポーズにて五兆円のコンピューター壊しき
松木秀『親切な郷愁』2013


お金を詠む6 10万円~9千万9999万9999円(随時更新)

 10万円


別れ際に十万円を包みたる父にいかなる思いありしや
松村正直『午前三時を過ぎて』2014

セーフティネットにやっと引っかかり障害年金月十万円
松木秀『RERA』2010

十万円の壁掛けテレビ もう二十一世紀さえ終わったように
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005



10万1円~99万9999円


平和祈念式典の裏、ジャパネットたかたが叫ぶ「二十万円!!」
松木秀『RERA』2010

六十五万円ライフル用の盾普通に売られおりAmazonで
松木秀『親切な郷愁』2013

100万円


百万円捨てる人あり百万円なくて殺人する人もあり
松木秀『RERA』(1)

百万円入りのズボンを捜す父、サンチョ・パンサを演じるわたし
藤島秀憲『すずめ』


100万1円~999万9999円


彼死なば手に入る三百万円が明滅をしていたるときのま
阿木津英『天の鴉片』1983

歌なんか作ってられるわけがない貯金が五百万円欲しい
山川藍『いらっしゃい』2018


1000万円~


1千万円あったらみんな友達にくばるその僕のぼろぼろのカーディガン
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』2012

お金を詠む5 1万円~9万9999円(随時更新)

 1万円


大みそかの渋谷のデニーズの席でずっとさわっている1万円
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』2012

一万円ですかと弱った声を出す運転手と聞くハザードの音
小坂井大輔『平和園に帰ろうよ』2019

一生分のセックスし終えたような目で一万円からお預かりする
東直子「短歌研究」2004・2

その一万円札僕のですと云えなかった十二歳だったから
穂村弘(出典調査中)

年収を越したらもう返せない父よ生きかえって霧のなかからあらわれてくれ一万円札の束持って
フラワーしげる 『ビットとデシベル』2015

10001円~99999円


ひとり暮らす父がため夏が買ひくれし一万四千円のおせちの箱や
小池光『梨の花』2019

2万円くらいおろして行く駅の曲がったらへんで懐かしかった
伊舎堂仁詩客」2017・11・04

結婚をすると会社が二万円くれるらしくて考えている
吉田恭大『光と私語』2019

労働を維持するために一箇月の医療費が二万円を超えたり
生沼義朗『関係について』

二万円ポケットにあるあと全部ロッカーにあるそんな日もある
辻井竜一『遊泳前夜の歌』2013

気にかかり百円のみ押さえし馬券二万九千五百八十円
松木秀『親切な郷愁』2013

2021年3月1日月曜日

ミニ37 歩く父 歩く母


父母が歩くことを詠む歌をときどき見かけるので、集めてみました。
歌をピックアップします。

なお、父が歩く歌のほうが母が歩く歌より多い気がしたので、実数をカウントして検証。その結果を末尾に書きました。

あとから見つけた歌はときどき末尾に追加します。

1 父・母が歩く 

歌のなかの歩く主体が父・母であっても、子である自分の歩みとシンクロして詠んでいる場合があり、逆に、歩く主体が子である歌でも、記憶の父母とシンクロして歩いている場合もあるようで、線引は実のところ難しい。

女傘さし時雨をあゆむ晩年の父のこころの淋しさびしさびし
小池光『廃駅』1982

緑道を黙って歩く父だった四月の霧をほおひげに受け
中沢直人『極圏の光』2009

コルドバの牡牛の皮の靴ひずみ父あゆむうつくしき惑ひの齢
塚本邦雄『緑色研究』1965

百代の過客が通る道を行くせっかち歩きが父と似ている
田中徹尾『吟』2020

みづびたしの天を歩みてかへりゆく父の背のすぢにほふ樟の木
永井陽子『樟の木のうた』1983

フランス窓開け放ちたれば夏の庭しんと広がり父歩み来る
香川ヒサ『ヤマト・アライバル』2015
小動物が来るみたいなフシギな味わい。

暗闇を歩いていってブレイカーあげるのはお父さんの仕事よ
穂村弘『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』2001
父が歩く歌の中で異色のシチュエーション



母が歩く歌はやや少なめ。

歩きたる跡のひと日の秋風の中にただよふは母のまなこか
永田耕衣(出典調査中)

一輪の花を探してあるく母きがつけば手のさきがなかった
東直子(出典調査中)

膝ついて母の靴ひも結ぶときもう歩かない靴に鈴あり
佐伯裕子『感傷生活』2018

いはゆる、一人の、老人のやうに杖をつき謝るやうに母は歩み来
川野里子『歓待』2019


父母の心身の衰えを詠む歌がたくさんあるが、母のほうがその傾向が強い。
父の歌は哀れっぽさを避けるのか、かっこいい、というか、少なくともかっこ悪くない歌のほうが多い。
「歩く歌」においても、「母が歩く歌」はやや現実寄りで、「父が歩く歌」よりも衰えを詠む傾向が強いようだ。

2 父子・母子が一緒に歩く


亡き父のマントの裾にかくまはれ歩みきいつの雪の夜ならむ

大西民子『花溢れゐき』1971

われに何を希みし父か歩き方が静かすぎると言ひて叱りき
安立スハル 『この梅生ずべし』1964

ホスピスの通路を父と腕組んでバージンロードのように歩いた
沼尻つた子 『ウォータープルーフ』2016

父を支へて歩めば老人のにほひせり不機嫌に垂るる時間の匂ひ
米川千嘉子 『たましひに着る服なくて』1998

青白い月がゆつくりついて来る ひとりごといふ母と歩いた
新井蜜『月を見てはいけない』2014

たはむれに母を背負ひて
そのあまり軽きに泣きて
三歩あゆまず
ルビ:背負【せお】、軽【かろ】
石川啄木『一握の砂』1910

疵口の癒着のごとき繋がりをたもちて母と道歩くなり
堀田季何『惑亂』2015

母とふたり桜の下を歩みゆく父の癖など話しつつゆく
小島なお『サリンジャーは死んでしまった』2011



父母といっしょに歩く歌では、お子どもの頃など優しい歌が読みやすい。が、老父老母を詠む歌が多く、父の衰えも母となじぐらい詠まれている。

老いた父母に対する心情をさまざまに表そうとしていて、それはいちいちわかるが、なんだか現代の歌がまだ近代の啄木を超えないような、なんとなしにもの足りない感じが残った。


短歌の中では父のほうが歩く


父は「歩く」ことを詠む歌が母よりも多いような気がしたが、そういう歌人のカンはよく外れるので、ちゃんと調べてみた。


本日の闇鍋 短歌データ 総数112,040首


「父」という字を含む短歌総数 1,980首
 うち父が歩く18首 父子が歩く8首  計26首
 1/76首

「母」という字を含む短歌 2,605首
 うち母が歩く10首 母子が歩く12首  計22首
 1/118首

※歩く主体が子でも、父母の記憶などとシンクロして歩いているようなケースは含めました。

というわけで、

歌人のカンは大当たり。短歌の中では父のほうが母よりも歩きます。


追加分

リハビリの母の歩みはゆっくりと月の表面ゆくように見ゆ
大西淳子『さみしい檸檬』2016