
ルビ:無(な)
斎藤茂吉『赤光』1913年
「青光る蝿」じゃなかったら、あんまりいい歌にならなかっただろうなあ。
一人でいるさみしさ、何も思わず蠅を注視することは、重要なのだがありがちである。
どうでもいいはずの蝿の色に「青光る」と5音も使ったことで、歌は価値をあげている。
◆茂吉の蠅の歌
茂吉は蠅の歌をすごくたくさん詠んでいる。
まもりゐの縁の入り日に飛びきたり蠅が手をもむに笑ひけるかも
『赤光』
昼過ぎて電車のなかの梅雨いきれ人うつり飛ぶ蠅の大きさ
『あらたま』
蠅多き食店にゐてどろどろに煮込みし野菜くへばうましも
ルビ:食店(しよくてん)
『遠遊』
◆青+淋しい
なお、〈青+淋しい〉の取り合わせは非常に多くの歌人がしばしば詠んでいる人気セットだが、茂吉にもこれがけっこうある、という印象がある。
でも、これは、厳密にデータを解析していなくて、あくまで私の感覚でしかない。
しかも、近代の人は二言目には淋しい悲しいと詠む傾向があるわけで(言い過ぎ?)、茂吉が特別そうだとは言えないだろうが、少し歌を拾っておく。
さびしさに堪ふるといはばたはやすし命みじかし青がへるのこゑ
『あらたま』
昼の野(ぬ)にこもりて鳴ける青蛙ほがらにとほるこゑのさびしさ
『あらたま』
山こえて片山かげの青畑ゆふげしぐれの音のさびしさ
『あらたま』
こもり波あをきがうへにうたかたの消えがてにして行くはさびしゑ
『ともしび』
夜おそく青山どほりかへり来て解熱のくすり買ふもさびしき
『あらたま』
なお、「夜おそく」の歌の「青山」は地名だから〈青+淋しい〉とは関係ないのでは、とも思えるのだが、しかし、もし「赤坂」だったら、歌に詠み込んだだろうか。
地名の字面や語感や由来などが心情が合わなかったら歌に詠み込まないだろう。
「青山」といえば青山墓地があるし、「人間(ジンカン)到る処(ところ)青山(セイザン)あり」も「淋しさ」と響き合いそうだし、やはり「青」のイメージもそこにフィットしていると思う。
名歌を多く詠む歌人は、無意識にも語句を適切に選び、その一首のなかで緊密に協力しあうように配置できる。
◆オマケ 近代歌人の蠅の歌を少し
祭過ぎて窓の障子のあかるきに蠅も目につく今日のさびしさ
古泉千樫
おとろへし蝿の一つが力なく障子に這ひて日はしづかなり
伊藤左千夫
人皆の箱根伊香保と遊ぶ日を庵にこもりて蝿殺すわれは
正岡子規
ひさしぶりに、
ふと声を出して笑ひてみぬ―
蠅の両手を揉むが可笑しさに。石川啄木『悲しき玩具』
なまぐさき塩釜港の裏小路【うらこうぢ】釣道具店に冬の蠅飛ぶ
ルビ:裏小路【うらこうぢ】
結城哀草果『群蜂』
以上