2021年4月29日木曜日

ミニ43 ◯◯なかれ

『君死にたまふことなかれ』などの「◯◯なかれ」という言いかた、オゴソカでちょっとい
いかも。

短歌でたまに見かけるので集めてみました。

現代の人の歌もいいけど、近代歌人のストレートな使い方の味わいがなかなか良いです。

まずは忙しい方のために少しピックアップ。

■ピックアップ 10首

なげくなかれ悲しむなかれ日輪は 人間の上を照らしたまへり
佐佐木信綱(出典調査中)

爆音は星空遠く消えゆきぬ世界よまたも迷ふことなかれ
土岐善麿『春野』1949

運命にひれふすなかれ一茎の薄紅あふひ咲き出でむとす
前川佐美雄『大和』1940

卵のひみつ、といへる書抱きねむりたる十二の少女に触るるなかれよ
ルビ:書【ふみ】
葛原妙子『飛行』1954

咲き満てる梢は花のゆふあかり木かげにひとを顕たしむなかれ
上田三四二(出典調査中)

暗闇のわれに家系を問ふなかれ漬物樽の中の幽霊
寺山修司『田園に死す』1965

われよりも早く死ぬなかれ新樹よりさやかに撓ふ裸身をぬぐふ
河野裕子(出典調査中)

輪廻など大仰に言うことなかれ毛抜きもて抜く脇の毛あわれ
田中槐(出典調査中)

問うなかれ疑うなかれ立ちつくす鳥居のように腕をひろげて
東直子『愛を想う』2004

謝るしかなくて謝るひとをまえに腕組みて怒号を飛ばすことなかれ
松村正直 角川「短歌」2012.1自選作品



興味がありましたら以下を御覧ください。

■「なかれ」の歌 生年順

「なかれ」は、時代も関係がありそうなので、生年順にしてみました。
ピックアップと重複します。
作者名のあとの( )内の数字は生年です。

なげくなかれ悲しむなかれ日輪は 人間の上を照らしたまへり
佐佐木信綱(1872)(出典調査中)

酒のまへに酒の歌なき君ならば恋するなかれ市に入るなかれ
与謝野鉄幹(1873)『むらさき』1901

わが女われより外に恋ひし人なかれと祈る信なき日なり
前田夕暮(1883)『収穫(上巻)』1910

爆音は星空遠く消えゆきぬ世界よまたも迷ふことなかれ
土岐善麿(1885)『春野』1949

友よさは
乞食の卑しさ厭ふなかれ
餓ゑたる時は我も爾りき
ルビ:爾【しか】
石川啄木(1886)『一握の砂』1910

その親にも、
親の親にも似るなかれ―
かく汝が父は思へるぞ、子よ。
石川啄木(1886)『悲しき玩具』1912

夜業終え職人たちと酒を飲みおのがからだをそこなふなかれ
古泉千樫(1886)『川のほとり』1925

誰が誰をば云ひ得るものぞ
われよ
あまりにわれをも
責むるなかれ
岡本かの子(1889)(出典調査中)

議員さんを人気商売と言ふなかれ人気なくなればダッコチャンも売れず
土屋文明(1890)(出典調査中)
ダッコちゃんは、1960年に発売されたビニール製の空気で膨らませる人形の愛称。人の腕などに抱きつくような仕様になっている。(我が家にもあった。)

上州よこんにやくを自慢するなかれ日本中どこにもうまいのがある
土屋文明(1890)(出典調査中)
義捐金貰ふ村人よたはやすくたよるこころに溺るるなかれ
結城哀草果(1893)(出典調査中)
運命にひれふすなかれ一茎の薄紅あふひ咲き出でむとす
前川佐美雄(1903)『大和』1940
※「あふひ」ってなんだろう、と一瞬思いました。「葵」ですね。

迫力のなくなれる声などといふなかれひとつふたつ歯の欠けたるゆゑぞ
木俣修(1906)『愛染無限』1974

消すなかれ消ゆるなかれとなほ燃ゆる胸の炎を思ふ歳の旦に
ルビ:炎【ひ】 旦【あした】
木俣修(1906)『昏々明々』1985

卵のひみつ、といへる書抱きねむりたる十二の少女に触るるなかれよ
ルビ:書【ふみ】
葛原妙子(1907)『飛行』1954

我が歌は拙なかれどもわれの歌他びとならぬこのわれの歌
ルビ:拙【つた】 他【こと】
中島敦(1909)「和歌でない歌」(「中島敦全集第三卷」筑摩書房1949) 

をりをりは老猫のごとくさらばふを人に見らゆな見たまふなかれ
齋藤史(1909)(出典調査中)

返り花は挿すことなかれ おほかたの木は葉を捨てて浄まりたるに
ルビ:浄【きよ】
齋藤史(1909)(出典調査中)
駅長愕くなかれ睦月の無蓋貨車處女ひしめきはこばるるとも
ルビ:處女【をとめ
塚本邦雄(1920)『詩歌變』1986

屋根に干しし黒き毛布はひるがへり<虚妄の証をたつることなかれ>
ルビ:虚妄【いつはり】 証【あかし】
塚本邦雄(1920)『日本人靈歌』1958

きられたる乳房黝ずむことなかれ葬りをいそぐ雪ふりしきる
ルビ:黝【くろ】
中城ふみ子(1922)(出典調査中)

咲き満てる梢は花のゆふあかり木かげにひとを顕たしむなかれ
上田三四二(1923)(出典調査中)

一心に釘打つ吾を後より見るなかれ背は暗きのつぺらぼう
富小路禎子(1926)『白暁』2003

我が生のあやしき様を言ふなかれ情念はをりをりに目かくしをする
ルビ:生【しやう】
稲葉京子(1933)『天の椿』2000

一生の暗きおもひとするなかれわが面の下にひらくくちびる
篠弘(1933)『昨日の絵』1984

暗闇のわれに家系を問ふなかれ漬物樽の中の幽霊
寺山修司(1935)『田園に死す』1965

とびやすき葡萄の汁で汚すなかれ虐げられし少年の詩を
寺山修司(1935)『空には本』1958 (『初期歌篇』チェホフ祭)

いらいらとふる雪かぶり白髪となれば久遠に子を生むなかれ
ルビ:久遠【くをん】
春日井建(1938)『未青年』1960

みづからが夜振りにゆらす火のやうな若者ら兵となることなかれ
春日井建(1938)『朝の水』2004
※夜振りとは、松明などの明かりに寄ってくる魚を網やヤスで取る漁法。

鳥はいやしき同情者たることなかれ人なぐさめてゐるわがあはれ
三井ゆき(1939)『空に水音』1981

おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内臓もつを
伊藤一彦(1943)『瞑鳥記』

われよりも早く死ぬなかれ新樹よりさやかに撓ふ裸身をぬぐふ
河野裕子(1946)(出典調査中)
わたくしというよろい戸を引くなかれあかるくさむく野に置かれいよ
三枝浩樹(1946)(出典調査中)
死者一切近づくなかれ哄笑しわれらかがやく葡萄呑みたり
小池光(1947)(出典調査中)
ああわれ悲しむなかれひしひしと夜天に星の圧しあふ寒さ
ルビ:夜天【よぞら】 圧【お】
恩田英明(1948) ※2002年6月「e-文藝館=湖(umi)」のために自選

驛長愕くなかれ AKB慰問団南スーダンに搬ばるるとも
山下一路(1950)『スーパーアメフラシ』2017

行き先を尋ぬるなかれたそがれの海の焦点ひとみに宿す
永井陽子(1951)(出典調査中)
美しき恋欲ることなかれ崖線にあふるる緑目眩むばかり
ルビ:【は】
徳高博子(1951)『ローリエの樹下に』2012

輪廻など大仰に言うことなかれ毛抜きもて抜く脇の毛あわれ
田中槐(1960)(出典調査中)
問うなかれ疑うなかれ立ちつくす鳥居のように腕をひろげて
東直子(1963)『愛を想う』2004

誰ひとり誰かのものとなるなかれ白い空へと消える飛行機
東直子(1963)「現代短歌新聞」2013.5

みつばちの刺繍のうらのたくらみをゆめ知るなかれ夏の心臓
佐藤弓生(1964)『薄い街』

立冬にゆめ逝くなかれカレンダー便所の窓に垂れて人の忌
辰巳泰子(1966)(出典調査中)
謝るしかなくて謝るひとをまえに腕組みて怒号を飛ばすことなかれ
松村正直(1970) 角川「短歌」2012.1自選作品

責めるなかれピクルス抜きのバーガーを目的を持たない脱走を
佐藤りえ(1973)『フラジャイル』2003

レヴィ=ストロース読むなかれ。どの構造もよめばよむほど土台が揺ぐ
堀田季何(1975)『惑亂』2015


 以上、今回は生年のわかる歌人の「なかれ」の歌を多めに拾いました。

■2021年4月30日追記

俳句川柳は、短歌ほどには「なかれ」を使わないようです。

俳句

なめくじりいちいち尻を見るなかれ 大畑等

「俳句の箱庭」の透次さんより以下2句を教えていただきました。

懐手して説くなかれ三島の死  阿波野青畝

君還るなかれ燈火の桜餅  岩木躑躅

川柳もないわけではないけれども……。

2021年4月23日金曜日

ミニ42 月と裸

 ピックアップ

まつぶさに眺めてかなし月こそは全き裸身と思ひいたりぬ
ルビ:全【また】
水原紫苑『びあんか』1989

いっしんに人形たちを裸にしそこから月の時間で遊ぶ
雪舟えま『たんぽるぽる』2011

門をくぐってきたのであろうきみもまた有明の月よりも裸で
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』2015

月の夜や裸形の女そらに舞ひ地に影せぬ静けさおもふ
若山牧水『海の声』1908

あかあかと十五夜の月隈なければ衣ぬぎすて水かぶるなり
北原白秋『雀の卵』1921

興味がありましたら以下本編を御覧ください。
*    *    *

前回「致死量」をとりあげたときに、

致死量の月光兄の蒼全裸
ルビ:蒼全裸(あおはだか)
藤原月彦『王権神授説』1975

という句がありました。
「月」と「裸」という組み合わせは絵になるし、月光のきよらかさにかすかなエロティックな味わいがまじったような耽美性も感じられます。

ひとそれぞれのアレンジで力詠されていそうな題材だと思って、集めてみたところ、やっぱり! これはすごく読み応え、というか見ごたえがあります。

大別して、月そのものが裸である場合と、月下で人などが裸である場合があります。
まずは月そのものから。

■月が裸である歌


月そのものに〝裸感〟があるんだなあ。

まつぶさに眺めてかなし月こそは全き裸身と思ひいたりぬ
ルビ:全【また】
水原紫苑『びあんか』1989

月こそは全き裸身と言いし人ありて今宵の蝕甚あかし
久々湊盈子『世界黄昏』2017

わたくしを沈めてやがて浮き上がる月の裸身を薄目で見上げる
天道なお『NR』2013

月の夜や裸形の女そらに舞ひ地に影せぬ静けさおもふ
若山牧水『海の声』1908
「裸形の女」は月夜のふんいき、あるいは月光をあらわしているような感じ。


そういえば自分も詠んでいました。(うれしい)
忘られた兄よ 母を泣く黒服に混じって一人まっぱだかの月
高柳蕗子『潮汐性母斑通信』2000

■月下に裸の人などがいる歌


月下で裸になる、裸が月光をあびる、という場面は現実にあり得ます。
が、「裸」は、実際に着衣ナシであることを表すとは限らないです。
例えば、つつみかくさぬ素直な気分を表す場合もあるでしょう。
裸であることで、心身が月と同化するような感覚にも通じます。
そのようなことから、詩歌表現としての需要を高まっていると思います。

夏の夜の月をすずしみひとり居る裸に露の置く思ひあり
正岡子規(出典調査中)

ひと・くるま わずらいの無き夜歩きのはだか樹高し月青白し
坪野哲久『人間旦暮・春夏篇』1988

むなしきこと君のはだかを欲りて言い月は真珠のお皿だね
山下一路『あふりかへ』1976

ウイスキーは割らずに呷れ人は抱け月光は八月の裸身のために
ルビ:呷【あお】
佐佐木幸綱『呑牛』1998

清浄の容れものとして少年の裸体は立てり月のしたびに
岡部桂一郎 『一点鐘』2002

湯を浴ぶる少年ふたり月明に相似の裸身恥ぢにけらしも
松野志保『Too Young to Die』2007

いっしんに人形たちを裸にしそこから月の時間で遊ぶ
雪舟えま『たんぽるぽる』2011

月光とからまる冬の川波に赤裸の母が立ち上がりくる
江田浩司(出典調査中)

薄墨の流れやまぬを月の影 全裸の男舐め殺すかな
江田浩司(出典調査中)

裸木の梢に刺さりてゐる月を時間の竿がゆつくり外す
岡本光代(出典調査中)

裸とは書いてないけど、ウドの解脱って裸感があると思いませんか?

雪止みし厨は月の光となり解脱とげたる一束の独活
ルビ:光【かげ】・独活【うど】
富小路禎子『柘榴の宿』1983

■両方とも裸である歌


さっき「裸であることで月と同化するような感覚」と書きましたが、まさに、月と地上の人などの両方ともが裸であることを詠む歌もあります。

粘性の闇満ちてくる公園に月も真裸われも真裸
松村由利子 『大女伝説』2010

門をくぐってきたのであろうきみもまた有明の月よりも裸で
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』2015
何の門でしょうね。

ものみえず道ゆくことの ハダカデバネズミも月もほんとにはだか
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』2015

■月下で服などを脱ぐ歌


前項でウドの「解脱」の歌を紹介したが、解脱というか、月下で服などを脱ぐことを詠む歌もときどきある。

あかあかと十五夜の月隈なければ衣ぬぎすて水かぶるなり
北原白秋『雀の卵』1921

色のないクリスマスツリーやその群れがあらそって脱ぐ月の下かも
瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end,』2016

開かれて光ってしまう淡水魚それとも躰 月の脱衣所
鈴木晴香『夜にあやまってくれ』2016


俳句・川柳も少し見つけました

※俳句川柳、特に俳句は出典のわからない句が多いのですが、現代俳句協会のデータベースでも出典を記さずに提示しているので、調べないままにしています。

俳句

致死量の月光兄の蒼全裸  藤原月彦
ルビ:蒼全裸(あおはだか)
『王権神授説』1975

一月や裸身に竹の匂ひして  和田耕三郎

博多人形裸になれず朧月  大石雄鬼

月影に裸身さらして無言なる  澤田和弥

裸木となり月光に手をつなぐ  花谷和子

裸馬をつなぎ廃墟の月に傷洗う  隈治人

川柳

白魚の裸身さらすや望の月  時実新子

水になるまで月に裸形を見せている 如月烏兎羽
「月刊おかじょうき」2009・1

月光に曝せば罪深い裸身  赤松ますみ
第24回川柳Z賞 2006・8



とりあえず今日はこんなところです。


追記 狂歌 2021・4・23


Facebookで、ロビン・D・ギル(Robin D Gill)さんより以下の狂歌をご教示いただきました。英訳付きです。
(ほぼ原文のまま)


是は/\お互い/\丸はだか見るに遠慮もなつの夜の月 
夫丸『近世上方狂歌叢書』

Well, well! Here we are, naked on earth and up in the sky,
so, Summer Moon & friends keep on viewing, be not shy!

月と詠人のみか他の人も互いを見るか?&menもOK

Well, well! To summer eyes, how cool we are both naked
so, Luna we need not be shy, let nature tonight be x-rated!

残念ながら原文の高品格に比べては上下も低俗なるが

Well, well! Seeing both of us are naked, to summer eyes:
Luna, you and I tonight might as well self-advertise!

不可訳の「夏⇒無つ」を夏眼の語呂summarize=要略

さて、これに勝つ短歌はあるだろうか。

これは、エロ合戦か、剣道か知らない。第二句は輝く意味?

涼むさえかゝわゆく照る月の影さし合い御免まる裸にて
斧丸『近世上方狂歌叢書』

又、無礼講(隠し芸を許す宴)あつかい! 

身を横に臥し待ちの夜は無礼講と丸裸にて月も御出座
半月『近世上方狂歌叢書』

Lying on our sides as if in ambush this night to be lewd and rude,
when, sure enough, the Moon shows up also completely nude!

俳諧にも裸の月が珍しくないが、無礼講に寄せた上方狂歌は、1667年の「新撰犬筑波集」の「雲の衣を誰が剥ぐらむ いつよりも今宵の月は赤裸」の百倍も面白くなるぞ。

月だけが裸の狂歌が多い:

桂男よ這い星にや習いけん夜更けて外す雲の下帯
華産『近世上方狂歌叢書』

Hey, Man in the Moon, learn from the stars that rove for love,
and in the wee hours of the night slip off Luna’s undie-clouds!

雲の帯霞の衣いらばこそ裸百貫秋の桂男
米因『近世上方狂歌叢書』
(いらば=要らなければ?)

No need for fine robes woven of haze or sashes made of cloud,
Moon-man in Autumn is worth a hundred pounds buck-naked!

以上。

とのことでした。ロビンさんのコメント ここまで。

2021年4月10日土曜日

ミニ41 いろんな致死量

 「致死量」という語を含む歌句を私のデータベースで検索したところ、短歌14首、俳句2


句、川柳1句が見つかりました。

本日のデータベース「闇鍋」 総数 160,526
   短歌 14/114,745首(頻度 1/ 8488)
   俳句   2/ 31,875句(頻度 1/15008)
   川柳   1/ 13,406句(頻度 1/13300)
  その他   0/500(詩、都々逸など)

ピックアップ


寒泳の青年の群われにむきすすみ来つ わが致死量の愛
塚本邦雄『綠色研究』1965

掌に唾吐くごとき凡庸を生きて喪う致死量の致や
藤原龍一郎 『切断』1998

致死量の芥子のごとくに赤き月シルクロードの旅路のはてに
有沢螢『致死量の芥子』2000

致死量に達する予感みちてなほ吸ひこむほどにあまきはるかぜ
光森裕樹『鈴を産むひばり』2010

致死量の光の中で猫よけのペットボトルの水を飲み干す
木下龍也『つむじ風、ここにあります』2013

致死量の愛、其れはすなはち一〇ベクトル、もちろんわれも死に至るなり
藪内亮輔『海蛇と珊瑚』2018

目が合ったあなたは去った軽蔑に致死量があることがわかった
工藤吉生『世界で一番すばらしい俺』2020

致死量がなくて効き目がどこまでも拡がつてゐる飛花の真ん中
荻原裕幸(出典確認中)

致死量の思い出は身にかはたけのながるるままの秋を知るべし
江田浩司(出典確認中)


俳句


孵化寸前うづらに籠る微致死量
小津夜景 ブログ俳句空間2014・4

致死量の月光兄の蒼全裸
ルビ:蒼全裸(あおはだか)
藤原月彦『王権神授説』1975


川柳


致死量とおぼしき暁の真水  渡部可奈子


なお、「川柳おかじょうき」のデータベースでは以下の句が目に止まりました。

福袋開ければ致死量の雪
Sin 2006年01月 おかじょうき川柳社青森支部「洋燈」月例句会

致死量の腕枕なら構わない
ひとは 2013年04月 おかじょうき川柳社例月句会

致死量のナットウ菌と生きている  
村井規子 2009年05月 おかじょうき川柳社例月句会

以上

2021・4・12追記

以下、「俳句の箱庭」の透次さんより教えていただきました。


致死量の笑ひもありぬ文化の日  石倉夏生

雛あられしばらく致死量を超えず  津根元潮

これ以上抱けば致死量曼珠沙華  北見さとる


青012 うざいだろ? それでいいんだ蒼穹にゆばりを流しこんでる。神も   藪内亮輔

うざいだろ? それでいいんだ蒼穹にゆばりを流しこんでる。神も

ルビ:蒼穹(おほぞら)
藪内亮輔  第58回角川短歌賞受賞作「花と雨」より



蒼穹は便器かい!


 現実世界には、し尿で海を汚染する事例があるが、この歌では、神までもが「蒼穹」に「ゆばり」を流し込んで汚している。

(倒置の「神も」がどこにかかるかで歌意が異なるのだが、ここでは「流しこんでる」にかかる、と解釈する。)

「それでいいんだ」は、神が手本だから人間がやったっていいんだろ、という揶揄的な言い回しだろう。

 古典和歌には空を人の心情が立ちのぼる空間として詠むものがあったが、この歌は、現代の人が思い思いの夢を垂れ流し、蒼穹を心の便器としかねない、ということを言っているようだ。

 蒼穹には浄化槽機能もありそうだが、「ゆばり」を流すろくでなしが多ければ、浄化処理がおいつかない。

 空を汚染するということは、あとから自分たちに降りかかってくる、という含みもある。それはきっと取り返しのつかない事態だろうが、誰も、神さえも、責任を負わない。

――という、こんな解釈は深読みだろうか。

世界を循環する水としてのおしっこ


世界を水が循環している。人は水を飲んでおしっこを出すことで、その一部を担う。
そういった発想の歌が急増している気がする。

おしっこよ いつか海へと流れつきぼくの膀胱に戻っておいで
寺井奈緒美『アーのようなカー』2019年

小便を仲立ちにしていま俺は便器の水とつながっている
相原かろ『浜竹』2019年

おしっこではないが、これも同じ発想だ。

玉川上水いつまでながれているんだよ人のからだをかってにつかって
望月裕二郎 『あそこ』2013

玉川上水は飲み水用の人工の川で、見方を変えるなら、人体もその支流である。
(この歌は『あそこ』2013に先立って私家版『ひらく』2009年に収録されていた。望月はこの発想に先鞭をつけた一人といえると思う。)

おまけ おしっこの歌コレクション


水の循環とは関係なく、おしっこを詠む歌はときどきある。
好みで少しピックアップしておく。

小便をして犬は寂しく飛びゆけり火の如く野菜をかきわくる見ゆ
北原白秋『雲母集』1915

照る月の黄のわかものの尿道のカテーテル*** 聖母哀傷曲
ルビ:聖母哀傷曲(スタバト・マーテル)
塚本邦雄『綠色研究』1965

長身の父在りしかな地の雪に尿もて巨き花文字ゑがき
塚本邦雄『綠色研究』1965

放尿をさびしくしている草いきれ世界は今神話のように遠い
佐藤通雅『薄明の谷』1971

おしっこの終わりあたりは誰だって震えるものよ 消すよ 好きよ
飯田有子『林檎貫通式』2001

こ‌こ‌は‌ひ‌と‌つ‌順‌接‌で‌よ‌ろ‌し‌か‌ら‌う‌春‌の‌ひ‌か‌り‌へ‌む‌け‌る‌お‌し‌つ‌こ
平井弘『振りまはした花のやうに』2006

赤んぼの頃から俺のおしっこはおむつを宣伝するために青い
嵯峨直樹『神の翼』2008

うちで一番いいお茶飲んでおしっこして暖かくして面接ゆきな
雪舟えま『たんぽるぽる』2011

さようならいつかおしっこした花壇さようなら息継ぎをしないクロール
山崎聡子『手のひらの花火』2013

新しい歌がわかるかわからないか尿試験紙のような反応
杉崎恒夫(出典調査中)

いづこにかナイフをやどす朝霧と知れどゆまりす遊びながらに
水原紫苑(出典調査中)

以上


青011 目覚めたら顔のむこうが青だった 世界は顔と青だけだった 谷川電話

目覚めたら顔のむこうが青だった  世界は顔と青だけだった
谷川電話『恋人不死身説』

生まれ変わったみたいな初期化感覚


■人生を新しくスタートする感じ

恋人とはじめて迎えた朝を詠んでいる。目覚めたら眼前に恋人の顔があり、その向こうに青空が見える。

解釈はいろいろあろうが、私が思いつくなかでもっとも順当と思う解釈はこれだ。

「世界は顔と青だけ」という図の単純さ。および「青」という語が持つ「初期化」のイメージ※※によって、いまこの人物の中でいろんなものが初期化され、人生を新しくスタートする気分なのだろう、と思わせる。

ポイント1 なぜ恋人か?

「恋人」とすることで、〈青〉という語が持つ「初期化」というイメージの詩的効果が発動しやすくなる。
「初期化」にもいろいろあるが、「恋人」ならば幸福感を伴う「初期化」になりえるし、一般的で、想像したり経験したりしやすい。

他のシチュエーションを考えてみよう。
 目覚めたらそこに医師の顔があった。(死にかけて蘇生した)
 目覚めたら強盗の顔があり「金を出せ」と言った。
 目覚めたら愛猫が覗き込んでいて「朝ニャ」と鳴いた。

おもしろいが、特殊でありすぎる。歌の中にこういう状況を示唆する要素がなければわざわざ思い浮かべる必要はない。
自然に詩的効果が発動するようなすんなりした解釈が妥当なのだと思う。

でも、こういう解釈は、道草的なツッコミの一種として、愉しみながら本筋を確認できるので、鑑賞ついでに大いにやらかしてみる価値がある。

ポイント2 幸福感の表現は難しい

そも短歌は幸福感を詠む歌が少ない。
意識されていない何かの制約があるようで、幸福感を詠むことが許容されるネタが限定されている。
しかも、ストライクゾーンが狭くて、安易に書いても、読者が「いい歌だ」と思ってくれない。

幸福感を詠むことにあまり抵抗のない数少ないネタのひとつが「恋愛」だ。
が、なかなか掲出歌のようには成功しない。
なぜだろう。

「幸福」は必要なものだ。
「幸福」そのものだけでなく、「幸福」のイメージというものも必要である。
期待したりあこがれたりするときに思い浮かべるためだ。
つまり、イメージストックとして良質なものには需要がある。
単に個々の幸福の報告しただけでは、必ずしもその品質に達しない。(笑)



この歌の幸福感は、その点もクリアした高品質なものだと思う。



「青」+「顔」の歌コレクション

上記の歌とは関係ないけれど、「青」+「顔」の歌を少しピックアップしておく。


酒のめば鬼のごとくに青かりし
大いなる顔よ
かなしき顔よ
 ルビ:鬼(おに)
 石川啄木『一握の砂』1910

山みちにこんなさびしい顔をして夏草のあをに照らされてゐる
前川佐美雄『植物祭』1930

青白色 青白色 とぞ朝顔はをとめ子のごと空にのぼりぬ
ルビ:青白色(セルリーアン)
葛原妙子 未刊歌集『をがたま』(『葛原妙子全歌集』2002)

青空がふわりと顔を覆いきてもうこれ以上のものは要らない
早崎ふき子『カフカの椅子』2006

声深くねむる湖ひたひたと細胞の顔あおくあふれて
東直子『青卵』2001

向日葵です。日に顔向けて暖取ります。何色かわからない青です。
沼谷香澄「Tongue」第4号 2004・1

飛べさうな青空なれどむづかしき顔を作りて机にむかふ
小島ゆかり『馬上』2016

ひまわりの顔からアリがあふれてる漏斗【ろうと】のようなあおぞらの底
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

以上


 他の解釈:顔の内側で目覚めるという全く別系統の解釈。
 個人的にはその種の空間の歪みのほうが好みだが、上記の解釈のほうが一般的で自然。奇妙な解釈は自分で勝手に空想するだけにしておく。

※※
 「青」に「初期化」のイメージがあるか、という点については、共通認識になるほどには意識化されていないが、「青」を詠む短歌を集めてみると、そういうイメージで詠まれている歌が一定程度の割合を占めている。
 「青」という語のイメージは多岐にわたり、本を一冊書いて(拙著『青じゃ青じゃ』沖積舎2020年)まだ書き足りないぐらいだが、そのイメージ領域の一つに「初期化」がある。

2021年4月7日水曜日

ミニ40 ◯には◯の△が

「明日には明日の風が吹く」のような言い回しを短歌ではよく見かけます。

「◯には◯の△が□」

おもしろそう。
ところがこれは、データベースのテキスト検索ではひどく探しにくいことがわかりました。
かなり見落としたと思います。
(短歌だけでなく、俳句・川柳も少し見つけました。)


ピックアップなんとなく好みで6首)


葉月尽いとしいひととふるさとと青には青の挨拶がある
井上法子『永遠でないほうの火』2016

ネットにはネットの世界特有の酸素がありてすぐ炎上す
松木秀『色の濃い川』2019

いかがです春には春の怪談を 木々のからだが光りだしたら
佐藤弓生「梧葉」第54号2017・7

あけぼのすぎの空青ければ翼竜の冬には冬の両眼視
鈴木照子(出典調査中 だいぶ前の「かばん」誌)

分かれてはまた重なってゆく水を川には川の時間があって
江戸雪『昼の夢の終わり』2015

抜かれても雲は車を追いかけない雲には雲のやり方がある
松村正直『駅へ』2001

■他にもいっぱい


蝶を踏む足裏の柔さ光にはひかりの色の繊毛がある
ルビ:柔(やわ)
服部真里子『行け広野へと』2014

明日あらば明日の蛍光灯がある明日の地球の一部分には
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005

みどりにはみどりの理由いつだつて春のあやまちは夏になること
笹原玉子『われらみな神話の住人』1997

その日にはその日の天使が舞い降りてギリギリ助けてくれるものだよ
久保芳美『金襴緞子』2011

かの木にはその木の祈りありてこそかく咲きにけむ遠山桜
小野興二郎(出典調査中)

畔には泡の逢瀬があるようにひとにはひとの夜がくること
井上法子『永遠でないほうの火』2016

ひとにはひとの内の砂漠があることを思う常夜灯を消しつつ
中村みなみ「早稲田短歌」43

大人には大人の絵本があるように大人の恋もあるという嘘
芹沢茜(出典調査中)

子どもには子どものための傘がある ときに巨きなてのひらに似て
佐藤弓生(出典調査中)

七十には七十の恋があるべしと思ふ心にほのぼのとゐる
稲葉京子『忘れずあらむ』2011

あなたにはあなたの土曜があるものね 見て見ぬふりの我の土曜日
俵万智『サラダ記念日』1987

きみにはきみの日曜日があるわたしにはそれを想像する日曜日がある
イソカツミ『カツミズリズム』2004

あなたにはあなたの大事にするものがあるという話をきいてからうごく
柳本々々「詩客」2017・10・7

あなたにはあなたの修羅場があったろう頭ごと撫でてしまえり好きで
永田紅『春の顕微鏡』2018

「エイリアン」音高くして観る真昼われにはわれの死が訪れむ
西田政史『ストロベリー・カレンダー』1993

やがて春、春には春の花が咲く感動はない解釈がある
森本平『個人的な生活』1999

陰陽師 春には春のころも着て髪洗うべくたまごをにぎる
井辻朱美『クラウド』2014

野に捨て置かれし不発弾ひとつ錆びゆけり春には春の花に埋もれて
大谷真紀子『花と爆弾』

切り株は心のように孤りにて夏には夏の夜と昼あり
小島なお『展開図』

目がさめてまず靴下をさがしおり冬には冬の朝の愉しみ
久野はすみ『シネマ・ルナティック』2013

夜には夜の姿にならうすずなりの祭りの電飾をくぐりゆく
山階基『風にあたる拾遺』2019

夜には夜の上澄み さくらんぼはふたつにわかれた
瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end,』2016

夕べには夕べの速さの瀬の音す月射せば月を砕く瀬の音
阪森郁代『ボーラといふ北風』2011


俳句

子どもには子どもが見えて秋のくれ  八田木枯『夜さり』2004

白鳥や空には空の深轍  高野ムツオ

空青し冬には冬のもの食べて  和田耕三郎『青空』2007

花冷えや昼には昼の夜には夜の  鷹羽狩行

川柳

鬼にはオニの事情があって迂回する 本多洋子

木には木のことばがあって木を植える 定金冬二

不逞かな朝には朝の声が出る  なかはられいこ


まあ、こんなところです。

レア鍋日記 2021年

レア鍋日記とは

■【ニャン鍋賞スペシャル】眼を縫う

2021年12月21日

「眼を縫う」なんてレアで当たり前ですが、複数あること、しかも現代の短歌じゃなくて、古典俳句といっしょだなんて、と驚いてしまいました。
作品どうしも顔を見合わせていそう。

ともだちに子どもができた「おめでとう」クマの目を縫うようにさみしい
兵庫ユカ『七月の心臓』2006

花さくや目を縫はれたる鳥の鳴く
小林一茶
追記:「眼を縫われた鳥」について。食用に飼う鳥を太らせるため目を潰して床下に飼うことがあったそうだ。

■【ワン鍋賞】ぴったりという意味の「ぴちぴち」

2021年11月8日
本日の闇鍋短歌総数118,069首

「ぴちぴち跳ねる」ほうの「ぴちぴち」はまあまあありましたが、ぴったりきつい感じを表す(かなと思われる)のはこの1首しかありませんでした。

ぴちぴちの皮膚にぴちぴち水はねて皮膚と皮膚とはひったりと寄る
東直子(出典調査中)

■【ワン→ニャン鍋賞】~になろうとも

2021年9月9日
本日の闇鍋短歌総数 117,526首

「になろうとも」って、「あんまりないだろうけど、でもあったらいいな」
というそそられ感があって検索。
あった!1首だけ。えらいぞ!

缶詰はこわい 煮付けになろうともひたむきに群れつづけるイワシ
工藤玲音『水中で口笛』

★追記
念の為ネットで探してみたらもう1首発見。ニャン鍋賞になりました。

野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない
枡野浩一(作者アカウントのTweetより)

■【ニャン鍋賞】サスペンダー

2021年9月2日
サスペンダー。ぴくっと詩的な〝引き〟を感じます。

本日の闇鍋短歌データ117159首
うち「サスペンダー」を含むのは以下2首。

それなりに地に着く暮し 掛け渡すサスペンダーの赤ふとぶとと
岡井隆『ヴォツエック/海と陸』 

ずり落ちたサスペンダーを戻すとき寿命が二秒生えてきたこと
小野田光『蝶は地下鉄をぬけて』

■【レア鍋賞】仲間はずれ

2021年9月2日
冬の雨真夏の嵐 戦争はどれにも似てないなかまはずれ
植松大雄『鳥のない鳥籠』2000

連なれる五本の指の一本は仲間はずれのようである
山崎方代(出典調査中)

四歳児四人おんなじポーズにて仲間外れを蹴るガオレンジャー
塩谷風月「かばん」2001・12

俳句では1句発見。
「闇鍋」の俳句データがまだ少ないので、1句しかないのかもしれません。

うすいくちびる仲間はずれの鳥がいて 穴井太

■【ナイ鍋】

2021年7月19日
「どぎまぎ」という語を使った短歌がみあたりませんでした。
日常でも使わなくなったか?

短歌に詠まれることなく死語になっちゃう単語もあるようです。

本日の闇鍋総数162350
うち短歌115733

なお俳句にも川柳にも見当たらないので、
現代俳句協会DBもあたってみましたがナシ。
川柳「おかじょうき」のDBに1句だけ発見。

動物園猿に見られてどぎまぎだ 中道文子
「月刊おかじょうき」2008年7月

■【レア鍋賞】 補正

こういう単語はどうかなあと思って検索。
161706歌句のうち短歌3首ありました。(俳句川柳なし)

光暈のまなこにしばし失ふも光補正に姉あらはるる
和里田幸男(出典調査中)

完全に崩れちゃったらもう無駄だ補正下着と補正予算は
松木秀『RERA』

脳内で補正する愛 今ひとつ身の入らない交わりのあと
柴田瞳(出典調査中)

■【ニャン鍋賞】赤血球と白血球

2021年5月23日
本日の闇鍋全データ171696歌句
赤血球と白血球ともに2首ずつでした。

蕗むきつつおもふべきことならざれど馬の赤血球七百万
塚本邦雄(出典調査中)

なんとなく赤血球のかたちして電子レンジのお皿が回る
松木秀『親切な郷愁』2013

白血球4600 田中から先の尖った武器を授かり
ナイス害「なんたる星」2017.8

「白血球超異常値」と言うときの医者の華やぎ否われの……昏
江田浩司(出典調査中)

この他に俳句1句を見つけました。
たんぽぽの絮に白血球騒ぐ
加藤光樹(出典調査中)

■【ナイ鍋】まんじり

2021年5月16日
本日の闇鍋全データ161641歌句のなかに、
「まんじり」を使ったものはひとつもなかった。

■【ニャン鍋賞】パンパカパン

2021年5月6日 本日の闇鍋 短歌データ115221首。
パンパカパンなんて少ないだろうと思ったら、なんと2首もありました。
また、俳句も、「パンパカパ」を1句発見。

死ののちもこの家族なり春彼岸ぱんぱかぱーんと弁当ひらく
小島ゆかり『憂春』2005

パンパカパンは何が開いているんだろう、パカのときに。 朝ちょっとだけ泣く
橋爪志保「京大短歌」22号

俳句
本日の闇鍋 俳句データは32347句。

貧貪と鳴らし半馬鹿派で行こう
ルビ:貧貪【ヒンドン】 半馬鹿派【パンパカパ】
大沼正明『異執』

■【ニャン鍋賞 ふくわらい】

2021年5月1日 本日の闇鍋全短歌データ115083首
そう多く詠まれているとは思わなかったが、やっぱり、2首しかなかった。

福笑いのからだ今ごろ痛んでるのではないかな さくらは生きて
杉山モナミ「かばん」2016・4

福笑い君が笑った円盤の大きな銀に乗りにけるかも
三好のぶ子「かばん」1998・1


■【ワン鍋賞】ずらずら

2021年4月28日 本日の闇鍋全短歌データ 115062首
「ずらずら」という語、日常ではよく使うが、短歌の用例はたった1首しかなかった。
「づらづら」はなかった。

納豆や不二家の歌がずらずらと朝日歌壇に載るを想像す
松木秀『RERA』


■【ニャン鍋賞】ベニテングタケ
2021年4月28日
本日の闇鍋全短歌データ 115062首
そのなかに「ベニテングタケ」を詠む歌が2首あった。
(少ないと言いたいのでなく、2首もあった、という感じ。)

地に立てる吹き出物なりにんげんはヒメベニテングタケのむくむく
渡辺松男『寒気氾濫』

ゆるやかに死ぬというのはベニテングタケになることですか そうだよ
吉川宏志『燕麦』

■【ニャン鍋賞】どれどれ
2021年4月28日
本日の闇鍋全短歌データ 115062首
「どれどれ」の用例は2首あった。

どれどれ春の支度にかかりませう紅【あか】い椿が咲いたぞなもし
北原白秋『桐の花』1913

どれどれおほとうでも打っていただこう むかしのままの桃が咲いてる
※「おほとう」に傍点
三枝昻之(出典調査中)

「おほとう」は麺類の「ほうとう」の異称らしい。

■【ニャン鍋賞】サラブレッド

2021年4月7日
本日の闇鍋全短歌データ 114743首
そのなかに「サラブレッド」は2首あった。

サラブレッド種嘶きたかくふるはする大気の冷えのむらさきを感ず
葛原妙子『橙黄』1950

「サラブレッドに乗りませんか」とアナウンス流れる春の夕べのバスに
佐藤涼子『Midnight Sun』2016

■【ワン鍋賞】ぽきぽき 【ニャン鍋賞】ぽかぽか

2021年4月1日
本日の闇鍋データ総数160493歌句
うち短歌114741首

■そのなかに「ぽきぽき」という語を含む歌は以下の1首だけ。

待つことを拒むゆうぐれぽきぽきと鳴る関節のところで折れる
田中槐

俳句は2句発見

ぽきぽきと折れば野が哭く曼珠沙華  萩原麦草
彼岸花ぽきぽき折って亡夫恋  五島瑛巳

「ぽかぽか」という語を含む歌は以下の2首だけ。

指二本握っただけであたたかく
三本握ってもっとぽかぽか
 林あまり『スプーン』2002

南天の実にぽかぽかとピアノ音あたってゐるを誰も気付かず
冬野虹『冬野虹作品集成』2015

なお、「ぽかぽか」は俳句でもあまり使われないようで、
私のデータには1句だけ。
現代俳句協会のデータベースにはありませんでした。

ぽかぽかと海を見てゐるコートかな
大谷弘至『大旦(おほあした)』2010

ついでにカウント。

「ぽくぽく」5首
「ぽけぽけ」ナシ
「ぽこぽこ」4首
でした。

■【ニャン鍋賞】わんさか

2021年4月1日
本日の闇鍋データ総数160493歌句
うち短歌114741首
そのなかに「わんさか」という語を使った歌は2首だけでした。

梢たかくあけびの熟れ実下がりをりわんさかわんさわんさかわんさと
ルビ:梢(うれ)
萩岡良博「詩客」2012-11-23

ソラリスの海で犬かきする夜の母とか星がわんさか浮かぶ
柳本々々「詩客」2018-05-05

■【ニャン鍋賞】テレパシー

2021年4月1日
本日の闇鍋データ総数160493歌句
うち短歌114741首

そのなかに「テレパシー」という語を詠み込んだ短歌は2首あった。
ただ、片方は入力ミスが疑われるため、ここには1首だけアップします。

テレパシーで元カレ元々カレにキス こどもちゃれんじ四月は豪華
初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』2018

■【ワン鍋賞】腹ごしらえ

2021年3月25日
闇鍋データ中、「腹ごしらえ」という語を使った短歌は、これ1首だけでした。

片付けの前の腹ごしらえとして空けるツナ缶 網戸から風
法橋ひらく『それはとても速くて永い』2015

■【ナイ鍋】むさくるしい

2021年3月23日
「むさくるしい」を落ちいた歌は本日の闇鍋短歌113378首のなかに1首もなかった。

■【ナイ鍋】ずかずか


2021年3月4日
「ずかずか」を用いた歌は、本日の闇鍋短歌データ112、156首のなかに一首もなかった。

なお、俳句は次の3句があった。
  づかづかと来て踊子にささやける 高野素十
  春愁をづかづか歩く渚かな 鈴木真砂女
  昼顔をづかづか踏んで稽古海女 鈴木真砂女

■【ワン鍋賞】あれよあれよ

2021年3月2日
いつの間にか覚えた技をかけてみてあれよあれよとさびしくなった
東直子「さがな。」2005・4

■【ワン鍋賞】あべこべ

2021年3月1日
あべこべな気持ちのままで応えるね  途中下車したバス停みたいだ
横井紀世江(出典捜索中)

■【ニャン鍋賞】 一のわれ、ニのわれ……

2021年2月27日

「一のわれ二のわれ」と、二種類の「われ」を詠む歌や句がまれにある。
闇鍋に2首ある。

一の吾君を得たりとこをどりす二のわれさめて沈みはてたる
前田夕暮『収穫』1910

一のわれ二のわれがいて物欲しげなるあり方を二が批判する
小高賢『秋の茱萸坂』 2014

★そして発展型?

一のわれ欲情しつつ山を行く百のわれ千のわれを従え
渡辺松男『寒気氾濫』1997

一のわれ死ぬとき万のわれが死に大むかしからああうろこ雲
渡辺松男『泡宇宙の蛙』1999

俳句も探してみた。

炎天をゆく一のわれまた二のわれ  阿部青鞋『ひとるたま』1983(俳句)

こちらもやや関係あり?
木枯吹く一億分の一の我  鈴木伸一 「吟遊」第17号(俳句)

いかがです? 何か作ってみたくなりませんか?


■【ワン鍋賞】すばしこい・のろい


2021年2月19日

すばしこい野生の虎を見たことがない野生のヒトも見たことがない
山下一路『スーパーアメフラシ』2017

「すばしこい」(すばしっこい含む)という語を使った短歌は、活用形も含めて探したが、本日の闇鍋短歌111,722首のなか、これ1首だけだった。

なお「すばやい」(素速、素早も)は、活用形も含めて、20首に使われていた。

ついでに「のろい」も活用形を含めて探してみたところ、1首しかなかった。

ひとりまたひとり行方をくらましてのろいマーチのような終電
木村友 2017・11東京文フリフリーペーパーより
   (第63回角川短歌賞予選通過作「オフライン」)

※「鈍い」は「のろい」と読めるが、「にぶい」と読むのが普通なので除外した。
※「のろのろ」は5首あった。
※「遅い」はいくらでもある。

■【ナイ鍋】しょぼ

2021年2月18日
(本日の近現代短歌収録数111,461首)

「しょぼ」という文字列を含む短歌が見当たらなかった。
目がしょぼしょぼする、しょぼい企画、など、日常ではよく使う語だと思うが、なぜか11万首余りある短歌のなかにひとつもなかった。
みんな、詠めば~。

なお、俳句では1句発見。

稲妻や恋人がしょぼくれている
田島健一『素朴な笛』(電子書籍)

(本日の俳句収録数 31,617句
 俳句は収録数が少なく、しかもいま整理中でだいぶ古典が混入している状態だから、統計的な信頼性は低い。)

2024・8・7追記
「しょぼ」は現在2首ある。

しょぼくれんじゃねえ勝利の女神いやさ貧乏神がほほえまねえそれだけのことで
依田仁美『異端陣』2005

この店のウエットティッシュしょぼくなるこうして日本しょぼくなりゆく
大松達知『ばんじろう』2024

 ■【ワン鍋賞】ワクチン・予防接種

2021年2月17日 
(本日の近現代短歌収録数111,461首)

本日、日本で新型コロナワクチンの接種が始まった。

これから増えそうだが、今まで「ワクチン」という語は滅多に短歌に詠まれなかった。データベース「闇鍋」には1首だけあった。


ワクチンがないと言はれて帰る朝乾き始める打ち水の跡
新井蜜『月を見てはいけない』2014


「予防接種」という語を詠んだ歌も1首しかなかった。


BCG予防接種の凸凹の肩を照らしに月光がくる
穂村弘『水中翼船炎上中』2018


なお、「予防注射」という語を含む歌はひとつもなかった。



2021年4月4日日曜日

ミニ39 「女医」のイメージは古い

「女医」を詠む歌を集めてみました。


麻酔専門の女医さんの眉秀でたるまじまじ見ていしがふっと現実なくなる
加藤克巳『矩形の森』

照明の光の圏にメスをとる女医の指のまろきを見たり
ルビ:指(および)
明石海人 (出典調査中)


上記二首、
わざわざ「女医」と書いてあって、そこになんとなくの効果は感じられます。
しかし、うーむ、医師が男性だったらどこを見たんだろう、と、余計なことを考えてしまいます。

 「女医」はそう多く詠まれるわけではないけれど、
わざわざ「女医」と書いてあることを、すんなり納得できないことがあり、詩歌としての価値を感じにくい歌さえあると思っています。

ま、好みはひとそれぞれで、良いと思う人もたくさんいらっしゃるでしょう。
もう少しピックアップします。

不摂生たまる晩夏にすずしきは二重まぶたの女医のまばたき
小林幹也(出典調査中)

一ヶ月に一度の検診、髭を剃り髪整えて女医さんの前
浜田康敬『「濱」だ』2020


聴診器あてたる女医に見られおりわがなかにあるマノン・レスコー
藤沢蛍『時間(クロノス)の矢に始まりはあるか』

切先の鋭きメスを選ぶ女医われのうちなる朱を奪ふため
有沢蛍『朱を奪ふ』

男装となりてにほへる女医なりき「四平」にて別れその後を知らず
小見山輝『春傷歌』1979


さて、女性医師というキャラに何を期待しているのでしょう。

男性から見て異性としての刺激とか、母のようなやさしさとか、逆に女医には冷たさを感じるとか?

どれもかなりステレオタイプだと思います。

 私にとってその種のステレオタイプがなぜ悪いかというと、ステレオタイプな相槌をうたされるのが嫌だからです。

ただし、協調性の強い人は、そういう相槌をうつことに幸福感を感じるみたいなので、いちがいに悪い歌とは言えないですね。

 なお、ことさらに医師が「男」であることを示して、--例えばイケメンだとか、父のように頼もしいとか書いている歌は、私のデータベースにはありませんでした。
 医師の多くは男性だからわざわざ断らないのか。いや、内容を見ると、あまり男性的なことを詠んでいるようにはみえません。医師は男性だったら性別を意識しないんだと思います。

 以前から失言の多いことで知られる政治家が、最近、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」と言ったり、ある女性秘書を「女性と言うには、あまりにもお年」と言ったりして、問題視されていますね。

(ふっるいよなあ。
 明治の終わり頃に生まれた私の祖父みたい。幼児期の記憶であいまいですが、おじいちゃんの女性観はその政治家と似ていました。)

 短歌の中の言葉のイメージには、いまだに、その政治家みたいにいかにも古い感覚のまま、新たな感覚で上書きされていないものがあることに、すごくがっかりします。
 古い感覚が必ずしも悪いわけではないけれど、新しい感覚で取り上げられていなければ、短歌のなかではそこに関わる認識が古いまんまで止まっていて、次の時代に引き継がれていかないわけです。

(そう思うなら自分が詠め、と思いますけどね。実はけっこう心掛けてはいるんですが。)

とにかく、
「女医」という音には濁音のノイズ感がありますが、joyとかjointとか、明るい語感にもなりえるし、これから全く新たなイメージで詠まれるようになると思います。

ついでのようですみませんが、俳句・川柳も、全部ではないけれど、同様の傾向があるようです。

少しあげておきます。


俳句


音もなく紅き蟹棲む女医個室  藤田湘子

春しんと狂院の女医もの食む刻  三谷昭

咳のノドひらけば女医の指はやき  寺山修司

女医臭う幾度花火くぐりても  八木三日女

渦で了る女医の巻尺夏至時刻  澁谷道


川柳


母に似た女医に任せている安堵  北野岸柳「おかじょうき」2012・2

人を殺して世を渡る女医者  古川柳



2021年4月1日木曜日

満60 杭はどう詠まれる?

 「杭」とは何でしょう?


 辞書的には「構造物を固定したり支持したりするため、地面に打込む棒状のもの」です。

 短歌では「杭」のどういう特徴を捉えているでしょう?


本日の闇鍋全データ160,493歌句
うち短歌データ114,741首
うち「杭」(杙)を含む歌44首
そのなかから少しピックアップします。

ピックアップ


●激しく打ち込まれる

こんちくしょうこんちくしょうと木槌もて打ちこまれゆく一本の杭
松村正直「詩客」2012-12-28
  ▶杭を打つ者も打たれる杭も人間みたいでどちらの気持ちもわかるような気がする。

脇腹に規則正しく打つ杭のゆくえも知らぬドラムの響き
俵万智『サラダ記念日』1987
  ▶ドラムの音が強く腹に響く感じ。

孤り住む隣家の老いの棒杭を打ちこむごとき咳のこえする
杜澤光一郎『群青の影』2008

何者か夫を杭打つと思ふまでぐんぐん眠り沈みゆくあはれ
ルビ:夫(つま)、杭(くひ)、打(う)
米川千嘉子(出典調査中)

杭打ちの音 どこやらに杭打つ音し
大桶をころがす音し
雪ふりいでぬ
ルビ:杭(くひ)、大桶(おほをけ)
石川啄木『一握の砂』
  ▶この歌の杭打ちは激しさでなく、
   あわただしく冬がはじまるような感じを表しているようだ。

●なんとなく時間感覚と死

悪いことじゃないよ時間をこなすのは杭の頭に順に触れゆく
小島なお『展開図』2020
 「杭」が時間感覚に結びつくのが興味深い。
  なぜか連想のかたすみに笠地蔵が並ぶのもおもしろい。

偶然も未來も遊ぶ冬の野に無能の棒杭となりて立てり
齋藤史(s30作 出典調査中)

道ばたに杭立ち並び何事か証しのほしきわれと思いつ
ルビ:杭(くい)、証(あか)
大西民子(出典調査中)

二十歳、四十歳、六十歳、八十歳 人生に立つ杭ありてそれぞれの渦
米川千嘉子『一葉の井戸』2001
  ▶時間の流れの中の橋杭みたい。

とげのごとき木杭ごちゃごちゃとある霊園こんなところに眠るとするか
浜田蝶二郎(出典調査中)

●かかしのようだが……。

引き上げしスワンボートの首はづし杭に懸けおく冬のみづうみ
嶋田恵一「かばん新人特集号」2015/3
  ▶冬のあいだ首をやすませているようだが、しかし、
   杭に首をかける、ということに、かすかな怖さが……。

路地裏のブリキバケツは棒杭の先に干されて首を傾ぐ
ルビ:首(かうべ)
佐藤通雅『強霜(こはじも)』2011

杭のかぶるゴム手袋が来てみろといふいいからなにもないから
平井弘『遣らず』2021
 ▶ひとつ前のバケツの歌はかかしみたいだったが、こちらは不気味。
  連想のかなたに、生首を刺した棒杭があるような、
  そして、なぜか、
  「ただの手袋でしかないよここはまだ大丈夫。生首はずっとずっと先だ
  言っているような感じが幽かにしてこわい。

●人間に似ている

焼跡に杙のごと立つ少女吾敗戦の日の白黒写真
富小路禎子『不穏の華』1996

暗きドアの木目をみてゐしなよるごとにわれにただよひくる杙のある
葛原妙子『原牛』1959

出る杭というより液状化現象ゆえ何となく浮き上がる杭
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005

靜かなる春近き日の午後の池に杭の影して冷たさうなり
中原中也(未刊詩篇/初期短歌)

●橋杭が水を分けるように

過ちはいつまで経っても架からない橋の橋杭 言葉が淀む
辰巳泰子『いっしょにお茶を』2012

無表情に立つ駅員は杭のごとしそこより分かれひと流れゆく
吉岡生夫『続・草食獣』1983

●鳥が休憩

おれの杭と言わんばかりに一本を占めたる川鵜が杭ごとにいる
五十嵐順子 『奇跡の木』2017

江戸川の杭にとまつて吹かれつつ帽子がほしい冬のかもめよ
高野公彦『水苑』2000
  ▶深読みというか勝手な連想だけど、笠地蔵を連想する。

これやこのヤマセミ閣下しまらくを留まりいませし杙の頭ぞ
ルビ:杙(くひ)
宮原望子『これやこの』1996

●その他

パチンコのゴムひきしぼる子等の前標的として杭佇ちている
今井恵子『分散和音』1984

更地には杭とロープと鉄条網 ここを「空き地」と呼ぶ者はいない
あまねそう『2月31日の空』2013

一本の杭があるらしこの部屋につながれてゐるわたしの心
大西久美子 『イーハトーブの数式』2015

ひろつぱはねころぶところ空の耳そのかたつぽを杭にひつかけ
笹原玉子『われらみな神話の住人』1997
  ▶どういう絵だろう、と頭の片側では悩みつつ、なんとなくわかるような。

いぶせきに明日は剃らなと思ひつゝ髭の剃杭のびにけるかも
長塚節(出典調査中)
 ※「剃杭」は ひげを剃ったあとに短くはえた毛のこと。

「杭」のイメージ

「杭」という語は以下のようなイメージを帯びて詠まれている。
(または、帯びて詠まれる可能性がある。)

1 ここには人為が及んでいる

囲いを作るとき、まず杭を打つところからはじまる。
また、簡易な立て札としての杭もある。(私有地の標識、県境、標高等々)
そのような杭は、その土地に人為が及んでいることを表明する。

2 ここにはかつて人為が及んでいた(人為の痕跡→時間感覚)

そして時が過ぎ、人為の果てた荒野などに杭だけが残ると、非常に荒涼とした光景になる。
残された杭は人為の痕跡である。

杭打ちから始まり、すべて終わったあとに杭が残る。
「杭」が時間感覚を喚起するのは、こういうところから来ているのだろう。

簡易な墓標としての杭もある。
(荒野の杭の墓標ーー死者の名が無いか、消えていて、単に「誰かが誰かを葬った」ということだけがわかるような、すごく「個」が風化したもの。ーーを想像したくなったが、そういう歌は見つからなかった。)

3 杭は人に似ている

単に、杭が人影に見えることもあるが、
「出る杭は打たれる」という慣用句では杭は人の比喩である。
この喩えは、人格を軽んじられ、役目を負わされる状態の人をさす。
(人柱=生きた人を犠牲にして橋や建造物の支えとすることも連想範囲。)

4 人も杭に似ている

呆然として歩けなくなった状態を「杭のように立ち尽くす」などと言うことがある。
つまり、人と杭のイメージは相互に通い合う。

5 たましいの抜け殻

杭は人に似ているぶん、どこかたましいに通じる。
が、たましいそのものではなくて、かつてはたましいがやどっていた抜け殻のような感じでもある。

6 処刑・拘束

杭にしばりつけて処刑し、死体をさらす。
杭に生首を刺してさらすことがある。
心臓に杭を打って魔性のもののとどめを刺す。
杭に動物や奴隷をつなぐ。

7 かかしのような、いや、蝿の王のような

ウイリアム・ゴールディングの小説『蝿の王』(『十五少年漂流記』のような「孤島漂着もの」だが、内容は悲惨で、少年たちが殺し合う)に出てくる。
「蝿の王」とは、杭のてっぺんにささった豚の生首に蠅が群がっているもので、悪魔のベルゼブブをさしている。

杭に生首を刺したものは、かかしに似ているが、害鳥を遠ざけるのでなく、蝿を呼び寄せる。
人心を悪へ、残虐非道な暴力へ、そうした状況へと導く忌まわしいものの象徴のような感じ。

8 なんでもないもの

建造物というほどでなく、なんとなくそこにあるから、なんとなく鳥が止まり、
人も、ちょっと凭れるなど、仮の休憩に使う。

9 杭を打つ

A 力強さ・元気さ・活気
B 激しさ・ときに酷さ

10 橋杭

橋杭は流れのなかで水を分ける。また橋杭の周囲では水がうずまく。
人を橋杭にたとえれば、時の流れ、人の流れを分けたり渦巻かせたりする表現になる。

11 その他

「切杭」「刈杭」は切り株のこと。
「剃杭」は ひげを剃ったあとに短くはえた毛のこと。
慣用句「やけぼっくいに火がつく」


まあ、こんなところでしょうか。

追記(2021年4月4日)

一本の杭がたちまち法師蟬 加藤楸邨

これはすごい。
「杭」に鳥などがとまるところを詠むものは多いけれども、この句は、「たちまち◯◯」という言い方で、なんのへんてつもない杭がいきなり◯◯になっちゃう、ということを表していて、投げ技でぶんなげられた感じがします。

Facebookで「俳句の箱庭」の透次さんより、上記の加藤楸邨の句を含めて、以下の「杭」の俳句を推薦していただきました。

秋の江に打ち込む杭の響かな 夏目漱石

父祖の地に杭うちこまる脳天より 栗林一石路

杭打つて鯉おどろかす晩夏かな 友岡子郷

杭のごとく
たちならび
打ちこまれ   高柳重信

炎天や男来て杭打ち込みぬ 山崎聰

さざ波が杭をほそらす鳥雲に 鍵和田秞子

水音に離れ杭立つ十三夜 宮田正和

傾がざる杭なかりけり涅槃西風 草深昌子

一つ杭に繋ぎ合ひけり花見船 長谷川零余子



また、「杭」を詠む川柳も以下に追記しておきます。

川柳

蝶飛んで大腿骨は杭である
むさし 2007・11「月刊おかじょうき」

父の背を刺すリアカーの杭十本
佐藤岳俊 (出典調査中)

鳩尾に杭打ち込まれ立ち直る
斎藤はる香 2006・8 第24回川柳Z賞

出る杭の堅さを甘くみてしまう
斎藤泰子 2006・5 おかじょうき川柳社本社月例句会

酸欠の海に詐欺師の杭がある
坂本勝子 2009・9月 おかじょうき川柳社例月句会

声あげて月夜の杭を打っている
石部明『現代川柳の精鋭たち』

杭を打ち終わる かすかな羞恥心
定金冬二『無双』

血縁のいたるところに杭の跡
田中薫『ア・ラ・カルト』

ここいらが真ん中だろう杭を打つ
鳴海賢治 2002・2「月刊おかじょうき」

以上