2021年5月25日火曜日

ミニ51 股間の詩的用途

「股間」という語を、言い間違いネタで見かけた。

「『沽券にかかわる』と言うべきところを『股間に……』と言っちゃった。」
「いや俺なんか「眉間にシワを寄せる」を『股間に……』と言っちゃった。」

みたいな話だ。 

「股間」なんて短歌にめったに詠まないだろう、と思った。
でも念の為に調べてみたら、多くはないけどそこそこ詠まれていた。

けっこう詩的用途があるみたい。笑
10首ピックアップするので、読んでみてください。


言葉より大事なものがあると云う君は股間を隠して生きる
望月裕二郎『あそこ』2013

ジェット機が雲生むまひる愛のかわりに潜水で股間をくぐれ
穂村弘『ドライ ドライ アイス』1992

夏の夜の壁に凭れた微睡みの股間に鳴っているオルゴール
穂村弘(出典調査中) 

枇杷の汁股間にしたたれるものをわれのみは老いざらむ老いざらむ
塚本邦雄(出典調査中)

旅に出る僕の股間は透き通り時の隘路に放火する犬
江田浩司(出典調査中)

係累が鋏を立てて踊りくる僕の股間に光る一筋
江田浩司(出典調査中)

街にもや、部屋という部屋包んだら妻が股間を拭く音がする
久真八志 「かばん」2018・6

股間にし火鉢はさみて暖をとるかの日釧路の石川一
佐藤通雅『強霜(こはじも)』2011

うたた寝ののちおそき湯に居たりけり股間に遊ぶかぎりなき黒
岡井隆『蒼穹の蜜』1990


股間には疼きを放つものありて花を揉むように紙をもんでいる
ルビ:疼(うず)
岡井隆『天河庭園集』1978


以下、俳句と川柳もすこしだけ。

俳句

老いぬれば股間も宙や秋の暮
永田耕衣『葱室』

冬蝶を股間に物を思へる人
永田耕衣『驢鳴集』

たまさかに銀はいななく股間来る
野間幸恵『ステンレス戦車』

川柳

明け方の股間を通る不審船
丸山進『アルバトロス』

王様は股間に在って デモ終る
石田柊馬(出典調査中)


お金を詠む10 お金(金額なし)

お金


生活がやってきて道の犬猫が差しだす小さく使えないお金
フラワーしげる『ビットとデシベル』2015

たましひがちつとも売れやしない日にあなたがくれたお金を遣ふ
光森裕樹『鈴を産むひばり』2010

夜のひきあけと思うころおい梟がもっとお金が欲しいと鳴けり
石田比呂志『滴滴』1986

おはじきがお金に変わり、ながいながいあそびのはての生のはじまり
佐藤弓生『モーヴ色のあめふる』2015

ジャケットは観音びらき風の中 おかねをもたせてあげたいのです
雪舟えま『たんぽるぽる』2011

お客さんだけどお金ははらってない気分で秋風に当たってる
永井祐『広い世界と2や8や7』2020

たましいを少し削ってなめてみるお金の味に少し似てきた
鳥居萌「本郷短歌」第3号 2014

ちり紙にくるんだお金てのひらにぬくめて帰るふゆのゆふやみ
東直子『青卵』2001

川を見ながらラムネを飲んだ睫毛まで白くなりたる祖母のお金で
東直子「歌壇」2012・11

大丈夫花屋に並ぶいろいろの花ならみんなお金で買える
生田亜々子「詩客」2012-09-14

人のために命をかける準備するぼくはスイカにお金を入れて
永井祐『短歌ヴァーサス』11号 2007

海だというものそれからお金というもの これからがレベルEだ
瀬戸夏子『かわいい海とかわいくない海 end,』2016

水に火がぶどうのように実ってもテレビの中ではお金も買える
瀬戸夏子『そのなかに心臓をつくって住みなさい』2012

この先はお金の話しかないと気づいて口を急いでなめる
虫武一俊『羽虫群』2016

アルバイトの感想聞けばまだお金もらってないからわからぬと言う
俵万智『かぜのてのひら』1991

日に一度お金のことを考える飼い犬の目を見つめるように
木村友 2017・11東京文フリフリーペーパー第63回角川短歌賞予選通過作より

一年はレシートの中早く過ぐ、お金を使っただけの一年
花山周子『屋上の人屋上の鳥』2007

2021年5月24日月曜日

お金を詠む9 銭(金額なし)

 

ここまでは、多すぎるんじゃないかと思って「銭」を対象にしていませんでした。
試みに「銭」を検索したら、やっぱり、すごくいっぱいありました。

「お金を詠む」と銘打った以上、少しは拾っておく必要はあるので、軽く読んでピックアップしておきます。


「失くしたる小銭への怒り」地下鉄でベートーベンがうたってくれる
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』
※ベートーヴェンのピアノ曲 ロンド・ア・カプリッチョ ト長調作品129 失われた小銭への怒り。ロンド・ア・カプリッチョは奇想曲風ロンドの意。

ポケットの小銭、もゆらと鳴る黄昏われは鬼火となりているかも
ルビ:黄昏【こうこん
神﨑ハルミ(出典調査中)

お賽銭入れて万歳三唱し肉食女子は青空を見る
ナイス害 サイト「うたの日」より

届かずにわたしの後頭部に当たる誰かの願いを込めた賽銭
小坂井大輔 『平和園に帰ろうよ』2019

賽銭の交尾する夢 木の箱を叩いて銀の玉あふれだす
嵯峨直樹(出典調査中)

「現在のあなたの趣味はなんですか?」「つり銭なしで払うことです。」
関口しいち 『パイナップルの種』2014

銭入にただひとつありし白銅貨てのひらに載せ朝湯にゆくも
ルビ:銭入【ぜにいれ】 白銅貨【はくどうくわ】
古泉千樫『青牛集』没後1933

なでしこを束ねて歩くポケットに花屋からきた小銭がはしゃぐ
山階基『風にあたる』2019

沢蟹をもてあそぶ子に 銭くれて、赤きたなそこを 我は見にけり
釈迢空『海やまのあひだ』

塩という金銭の比揄さびしきとタクシー待ちの列最後尾
藤原龍一郎 『日々の泡・泡の日々』2008

ひれ伏した乞食に人が銭を投げた/しかし乞食は/モウ死んでゐた
夢野久作『猟奇歌』

釣り銭を拾はむとする人のかほに自販機の灯はとどかざりけり
澤村斉美(出典調査中)

2021年5月23日日曜日

ミニ50 消しゴム


「消しゴム」を詠む短歌はけっこうありますが、短歌の中では何を消しているのか、調べたらおもしろそう。
 --というわけで集めてみました。

どんどん並べちゃいます。あきたところで離脱してください。
ただし、下の方には俳句・川柳もありますので、興味のある方はお見逃しなく。

「とてつもないけしごむかすの洪水が来るぞ 愛が消されたらしい」
笹井宏之『ひとさらい』2011

ひきだしに産みつけられて寄りそえるちびえんぴつとちびけしごむと
佐藤弓生『薄い街』2010

消しゴムも筆記用具であることを希望と呼んではおかしいですか
岡野大嗣『サイレンと犀』2014

いつぶりか消しゴムに触れ消しゴムの静けさが胸へひろがる火曜
柴田葵『母の愛、僕のラブ』2019

カップ麺の蓋に消しゴム乗せている 君のメールを待つ春の夜
喜多昭夫『君に聞こえないラブソングを僕はいつまでも歌っている』2014

落ちてしまった消しゴムをずっと思ってる時間さびしい机のように
渡辺良『日のかなた 臨床と詩学』2014

竜と星つめたいものの象に抜く消しゴムなればほのかににおう
井辻朱美『クラウド』2014

はるの雲なつの雲あきの雲ふゆの雲、消しゴムが見つかりません
小島ゆかり『泥と青葉』2014

もう二度と飛ばない(飛べない)ことにして床に貼りつく消しゴムひとつ
千葉聡『そこにある光と傷と忘れもの』2004

隠したまま返さなかった消しゴムのことなど 校舎は建て替えられて
齋藤芳生『桃花水を待つ』2010

臼歯ほどの消しゴムを取りに少年は小教室に戻りて来たり
楠誓英『青昏抄』2014

向日葵のつづく坂道あの夏は昭和の消しゴムでしか消せない
中畑智江『同じ白さで雪は降りくる』

消しゴムを拾ってあげただけなのに完璧な笑顔をされて泣きそう
谷川電話「かばん新人特集号」2015/3

消しゴムを八十円で新調す 時計のベルト変えて二学期
俵万智『サラダ記念日』1987

書くことは消すことなれば体力のありさうな大きな消しゴム選ぶ
河野裕子(出典調査中)

消しゴムが丸くなるごと苦労してきっと優しくなってゆくのだ
萩原慎一郎『滑走路』2017

消しゴムでこすったような星空のあそこがアンドロメダ星雲です
杉崎恒夫『パン屋のパンセ』2010

台風の迫る夜明けにシャープペンシルの消しゴム激しく使う
穂村弘『水中翼船炎上中』2018

食肉目ネコ科トラネコその四肢に肉球といふ消しゴムをもつ
西田政史『ストロベリー・カレンダー』1993

登校日 すべすべした手でかえされたMONO消しゴムのOが●
伊舎堂仁『トントングラム』2014

消しゴムで消すようにはいかぬこの国の一九三七年のつまづき
久々湊盈子『麻裳よし』2019

消しゴムの角が尖っていることの気持ちがよくてきさまから死ね
加藤治郎(出典調査中)

消しゴムの完き消しゴムの影ありぬ「白桜集(はくあうしふ)」を読みゆく春夜
ルビ:完(また)
高野公彦『水苑』2000  ※『白桜集』は与謝野晶子遺詠集

消しゴムの孤島に犀を飼わんとす言語漂流記をなつかしめ
寺山修司『月蝕書簡』(未発表歌集)2008


もっとたくさんありますが、短歌はこのへんにして、
以下、俳句と川柳を、私の好みでピックアップします。


俳句

消しゴムの消屑をわが掃納め
鷹羽狩行(出典調査中)

消しゴムの弾力冬の父の口
原田浩佑 第4回芝不器男俳句新人賞 応募作品 坪内稔典奨励賞 

消しゴムの腹より折るる遅日かな
五十嵐秀彦(出典調査中)

ささくれだつ消しゴムの夜で死にゆく鳥
赤尾兜子『虚像』1965

秋近き消しゴム急に痩せにけり
松浦敬親(出典調査中)

消しゴムや麓の川を川蒸気
攝津幸彦(出典調査中)

掃初の先に消ゴムまろび行く
秋元不死男
(出典調査中)

筆入れに消しゴム匂ふ鹿の声
佐々木六戈
(出典調査中)

朧夜の消しゴムで消す我が名かな
有馬朗人
(出典調査中)

消ゴムの滓みな長き避寒かな
四ツ谷龍(出典調査中)

川柳


消しゴムを持ってひたすら父を追う
定金冬二『無双』1985

消しゴムを半分持っていく未来
真美 第19回杉野十佐一賞 
2015・1

消しゴムの滓は一揆を企てる
岩根彰子
第19回杉野十佐一賞  2015・1

消しゴムは空白を書くためにある
松木秀(出典調査中)

大きな消しゴムが眠っている空
山本忠次郎 「バックストローク」13号

蝶が来るこの消しゴムを動かしに
倉本朝世『なつかしい呪文』2008

消しゴムのカスは無口なままである
たなかまきこ 
おかじょうき月例句会 2001・7

消しゴムのカスを丸めて作る オトナ
Sin  月刊「おかじょうき」
2009・7

消しゴムが廊下の隅に落ちている
三上玉夫 月刊「おかじょうき」2011・3


いかがでしたか?

2021年5月22日土曜日

ミニ49 消える父母

ピックアップ

パパの手は煙となって ただいちど春の野原で受けた直球
佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』2001

屁をひとつ鳴らしたのみにて父上はこの世の中から消えていったよ
山崎方代『こんなもんじゃ』2003

父に似し腹話術師の去りしあと街のかたちにたそがれも消ゆ
寺山修司『月蝕書簡』(未発表歌集)2008

ああ母はとつぜん消えてゆきたれど一生なんて青虫にもある
渡辺松男『泡宇宙の蛙』1999

雨が土に染み入るやうに消えていつた母だよ 今日の空はからつぽ
時田則雄『みどりの卵』2015

父も母も輪郭だけのしゃぼん玉つぎの風にはなくなりそうな
藤田千鶴『白へ』2013


お時間がありましたら以下の本編もご覧ください。

消える父母

短歌のなかの「父」は影が薄いような気がする……。
父はしばしば「消える」って書いてあるような……。母はどうかなあ……。

検証してみました。

父や母そのものや身体の一部あるいは衣類など関係の強いものが「消える」、というようなことを詠んでいる歌をさがしました。

「薄れる」「透きとおる」なども思いつく限り検索条件に含めました。
 (そのような語を使わずに消えることを表現している歌は、この方法では見つけられない。)


本日の「闇鍋」の全短歌データ115309首
うち
  父が消える  17首
  母が消える  20首

父だけでなく母も消えていました。

以下、かんたんに分類して歌を並べます。
(冒頭のピックアップと歌が重複します。)

消える父


パパの手は煙となって ただいちど春の野原で受けた直球
佐藤弓生『世界が海におおわれるまで』2001

父ひとり消せる分だけすりへりし消しゴムを持つ詩人の旅路
寺山修司『月蝕書簡』(未発表歌集)2008

わらわらとカマキリあまた這ひ出でていのち消えゆく父の鼻をかじる
恩田英明『壁中花弁』2006

地のみどり満身に浴み生き継げとしづかに父の消ゆる暁闇
永井陽子(出典調査中)

とおき森木の実こぼしてゆく父が大股に奥へ消えてゆきたり
佐波洋子『羽觴のつばさ』2006

屁をひとつ鳴らしたのみにて父上はこの世の中から消えていったよ
山崎方代『こんなもんじゃ』(選歌集)2003

よいどれの父がぽつんとこの夜から消えゆくことを母と祈りき
山崎方代『こんなもんじゃ』

ろばの子がとろうり眠る夕闇に紛れて消えてしまおうよ、パパ
東直子(出典調査中)

消える父(に近い表現)


骨格に架けおくものが薄くなり透明になる父のセーター
井辻朱美『水晶散歩』

父に似し腹話術師の去りしあと街のかたちにたそがれも消ゆ
寺山修司『月蝕書簡』

瞳の透るほど薄い生告げていた茄子のつけもの好きの父親
東直子(出典調査中)

亡びゆく父に寄り添ふわたくしは花びらほどの薄き氷のうへ
ルビ:氷(ひ)
徳高博子『ローリエの樹下に』2012

きしきしといのちの透ける音がするある日の父は水仙より弱し
日高堯子『振りむく人』2014

父生れし家かき消えて草むらにまさかりは鈍きひかりを乱す
小池光(出典調査中)


消える母


ああ母はとつぜん消えてゆきたれど一生なんて青虫にもある
渡辺松男『泡宇宙の蛙』1999

雨が土に染み入るやうに消えていつた母だよ 今日の空はからつぽ
時田則雄『みどりの卵』2015

母消ゆる秋くさはらの涼しさよ二、三群れ咲く緋の死人花
ルビ:死人花【しびとばな】
浦河奈々『サフランと釣鐘』2013

大花火消えて母まで消えそうで必死に母の手を握りおり
鳥居『キリンの子』2016

視界から消えてゆく母 遠ざかる車 どこかでカランと鳴りて
田中槐(出典調査中)
透けている鎖骨のあたり土よりもあたたかくあれ朽ちてゆく母
田中槐(出典調査中)

秋の海ぱさりぱさりと飛ぶ砂に消されては描くかあさんの顔
小守有里(出典調査中)

消える母(に近い表現)


母の髪しだいに明るくなりてゆき陽に透きてけふはもろこしのやう
梅内美華子『真珠層』2016

おかあさん電池 「お」からだんだん薄くなり「さん」が明滅 布団に入る
樋口智子「詩客」2012-08-10

鳩に死を感じてゐますお母さん電線色に消えてゆく鳩
和里田幸男(出典調査中)

母に逅はむ死後一萬の日を閲し透きとほる夏の母にあはむ
ルビ:閲【けみ】
塚本邦雄『不變律』1988

母の頭蓋透けてみえること想ひつつサフランの球根五つ埋めたり
浦河奈々『サフランと釣鐘』2013

家族の家いままぼろしにかへりゆく母が背骨の透きとほる家
川野里子『太陽の壺』2002
風に鳴るがらんどうの骨は透けてゆく ブルースを聴いてゐるおかあさん
辰巳泰子(出典調査中)


父も母も消える


学校から〈父兄〉が消えて〈父母〉消えてあたりさはりのなき〈保護者〉会
今野寿美『雪占』2012

父として殺され母として消されとこしへに霧のかなたの「家族」
塚本邦雄『汨羅變』1997

父も母も輪郭だけのしゃぼん玉つぎの風にはなくなりそうな
藤田千鶴『白へ』2013


短歌は以上です。(該当作全部だと多すぎるので少し減らしました。)

父や母が消える(薄くなる、透きとおる等も含む)というファンタジックな表現は、亡くなったことを婉曲に表すことが多いようです。

「消える父」は、消滅感をやや具体的に描く傾向が感じられました。(微妙です。気のせい、程度です。)

「消える母」は、母の死の気配を詠むというか、その死をそっと描きたいという気持ちなのか、消え方そのものはあまり具体的ではないと思いました。
が、例外は「骨が透ける」で、これは母の消え方の特徴かもしれません。


以下、俳句と川柳の「消える父母」です。
たくさんあったので半分ぐらいピックアップ。

俳句・川柳


俳句


霧に消えゆく父といふ字の四画目
鈴木伸一「吟遊」第12号より

父の名の一字は消えず波供養
たむらちせい(現代俳句協会データベースより)

鰯雲子は消ゴムで母を消す
平井照敏『猫町』1974

母親よ池のかたちの薄氷よ
池田澄子(出典調査中)

今生の汗が消えゆくお母さん
古賀まり子『竪琴』1981

消え消えてなほ父母や粒の飯
山田耕司 詩歌梁山泊「詩客」(時期調査中)

消しゴムで子が消す父よ母よ日盛り
鈴木伸一「吟遊」第8号 
  

川柳


消しゴムを持ってひたすら父を追う
定金冬二『無双』1985

秋風や親指で消す父の国
樋口由紀子『容顔』1999

スイッチを押せば消えます父の墓
樋口由紀子 セレクション柳人『樋口由紀子集』2005(『容顔』以後)

序列から消えた父です春の月
守田啓子「おかじょうき」2013・3 

母の帽子は風に転がり母も消え
海地大破(出典調査中)
母という魔法が消えて静かです
葉閑女「おかじょうき」2011・11



短歌俳句川柳の3つのジャンルで、消しゴムが父や母を消してることがわかりました。
消しゴムは短歌のなかでいろんなものを消してそう。
こんど集めてみましょう。

今日はとりあえずこんなところで。

■追記(2021年5月26日) 「俳句の箱庭」さんからの情報

名残雪古都よりひとりの父消えし
豊田都峰「俳句αあるふぁ」2015年12-1月号

軍港を消し父を消し雪斜め
室生幸太郎『昭和』2009



2021年5月18日火曜日

満61 ストローの詠まれ方


ピックアップ

まず少しだけピックアップします。

観覧車昇るよきみはストローをくわえて僕は氷を噛んで
穂村弘『回転ドアは、順番に』2003

ひとり来て曲げれば秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー
染野太朗『人魚』2016

さっきからずっとストローの袋をもんでもしかしてそれ鳥になるの?
戸田響子「短歌ホリック 第1号」2016

子供とは球体ならんストローを吸ふときしんと寄り目となりぬ
小島ゆかり『月光公園』1992

ストローでぶくぶくにするびん牛乳理論的には永久なのに
飯田有子(出典調査中)

あのこ紙パックジュースをストローの穴からストローなしで飲み干す
盛田志保子(出典調査中)

興味とお時間がありましたら以下本編を御覧ください。


ストローの詠まれ方

 「ストロー」はとてもそそられる題材です。
 詩歌的に有効な語じゃないかな、という期待をなんとなく感じます。

 ストローそのものの形状や質感。通過する液体のふるまい。ストローを使う人の様子。曲げたり氷をつついたりする動作。--そんなちょっとしたことがいちいち、心理表現に役立ちそうです。

 それと、「刺して吸う」という特殊な能動性もおもしろそう。
 蟬が樹液を吸うとか、蚊が人の血を吸うとか、ささやかでも切実で、相手にほんのわずかしか損害を与えずに共存する行為……。
 そのあたり、隠し味にならないかな~。


 というふうにアタリをつけて、 「ストロー」を詠む短歌をさがしてみたら……、
 すごい! 想定を超えていろんなアプローチがなされていました。

■くわえる


観覧車昇るよきみはストローをくわえて僕は氷を噛んで
穂村弘『回転ドアは、順番に』

 観覧車の歌といえば有名な「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(栗木京子『水惑星』1984)があり、この歌の対比文脈を、穂村の歌も意識していると思われます。
 「ストローをくわえる」はリラックス+期待(すする)イメージ、「氷を噛む」のは困惑や緊張のイメージでしょうか。

ストローを咥えたままで眼を合わすなんかの紙を突きつけられて
柳本々々「東京新聞」2018・12・23

 ストローをくわえている状態というのは、飲食のいろいろな動作のなかではかなりくつろいでいる状態でしょう。一方、紙を突きつけられるというのは、拳銃やナイフほど直接的ではないだけで、面倒で逃れにくいなど何か剣呑な事案だと思われます。
 この対比関係の暗示は、ストローと紙以外の具体的な要素を示さない効果で、連想範囲が広くて、たとえば「カノジョとあいあいストローしてたらいきなり赤紙」みたいな状況を連想してしまえます。

■持ち方

ストローは心理の機微をあらわすのに適しているようです。

全身をゆびさきにして指はただ一本のストローを支えとる
吉岡太朗『ひだりききの機械』2014

ストローに副へらるる指蜻蛉の明るき翅をつまむごとくに
ルビ:翅【はね】
佐々木実之 『日想』2013

 ストローでなくストローの袋ですらこういうふうに。

さっきからずっとストローの袋をもんでもしかしてそれ鳥になるの?
戸田響子「短歌ホリック 第1号」2016

■曲げる


ちょっとした動作や行為も、歌に詠むと、すごい喚起力を帯びちゃうことがありますね。

ストローの折り曲げ部分まげきってあたらしいなにかを生むあなた
笹井宏之『ひとさらい』2011

「飲み口を折り曲げられるストローがきらい臨時の恋人がすき」
穂村弘『シンジケート』1990

ひとり来て曲げれば秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー
染野太朗『人魚』2016

 「秋」という季節感は何と取り合わせても合うけれども、それだけに、安易な取り合わせはありきたりになってしまいます。
 さみしさを基調に、いろいろなものが声を出したり音をたてたりするのは、ベーシックな「秋」の抒情です。代表的なのは百人一首の「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき(猿丸太夫『古今集』)」

 「秋+鳴」でデータベースを検索してみた結果、近現代作品の秋の音源は、虫、鐘、風に吹かれて植物や物がたてる音の3つに集中していました。
 つまり、この歌の「秋の真ん中のぷぷぷぷと鳴る赤いストロー」はとてもレアな着眼なのです。でも、ストローがたてる音に秋の抒情を見出すのは無理がない。--伝統的な抒情(奥山に紅葉踏みわけ……的な)がそれとなくバックアップしてくれているのでしょう。ちゃんと「秋」の季節感にマッチしています。
 「赤い」も効いている。赤は紅葉など秋と結びつきやすい色だし、ストローの曲がる部分がかすかに虫に似ており、「赤」という色が、命の心細さと健気さみたいな方向へ、つまり「奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿」的な抒情のバックアップをうけやすくなる。(「青」も秋の青空など、秋との相性は悪くないが、「生き物のけなげさ」には結びつかない。)

 川柳もありました。
ストローの首を秋へと折り曲げる
斎藤泰子 おかじょうき川柳社例月句会 2009年08月

■刺す


 ストローを刺して飲むという幽かな能動性がドラマを呼び寄せる……。

ストローを刺してあふれるヤクルトの、そうだよな怒りはいつも遅れて
阿波野巧也 『ビギナーズラック』2020

ジャムパンにストロー刺して吸い合った七月は熱い涙のような
穂村弘『ラインマーカーズ』2003

 ジャムは果物を煮つめて作るものだからジュースに通じますが、ストローで飲むのはとうてい無理です。その無理をしようとする切実感の表現に驚かされます。

 川柳にはこういうのがありました。
ラクダの瘤にストローすっとさしてみる
相田みちる「おかじょうき」2009年04月


■吸いかた・飲みかた

 吸うときの音を詠む歌3首。

きみはちゆうとストローを吸ふ 知恵の実の汁と知らねばもう一つ吸ふ
吉田隼人『忘却のための試論』2015

ストローで飲み干した後しばらくはスースースースー吸う男性だ
工藤吉生 作者ブログより(「ダ・ヴィンチ」短歌ください 穂村弘選とのこと)

ストローをシューッとならしてのむひとはもうすぐ異質なものになります
杉山モナミ 作者ブログ「b軟骨」2012・1

 これらはむろんバラバラに詠まれたものですが、こうして並べるとまるで「ストローを吸う音」という題詠みたい。

 コップなどにじかに口をつけてガブガブごくごく飲む飲み方に対して、ストローを使う飲み方は、すぼめた口の一点に飲むという意識が集中しています。

昆蟲の蜜吸ふごとくをとめたち更けし茶房にストローを吸ふ
葛原妙子『橙黄』1950

子供とは球体ならんストローを吸ふときしんと寄り目となりぬ
小島ゆかり『月光公園』1992

星にふれてきたさびしさにストローでつめたい水を無心にすする
東直子青卵』2001

 で、次はその逆、というか……、
 ストローを使うべきところにじかに口をつけて吸っちゃう!


あのこ紙パックジュースをストローの穴からストローなしで飲み干す
盛田志保子(出典調査中)

 この飲み方を詠んだ歌ははじめて見ました。この歌の価値は、ストローなしで飲んじゃうワイルドな行為を捉えた、っていうことだけにとどまらないと思います。

 従来だったら、〝ストロー飲み〟の対極は〝ガブ飲み〟だったと思いますが、この歌では、「穴に口をつけて吸っちゃう」という新たな対極の飲み方を見出している。
 そういうふうにイメージ領域を意表をついて開拓する新鮮さにも注目しておきたいです。

■吸う対象


ストローで顔の映った水を吸ひそのまま顔ごと吹ひ込んでしまふ
西橋美保『漂砂鉱床』1999

ストローでホットコーヒー吸ふやうなさみしい恋もとうに終はつて
染野太朗 web「ROOMIE」今月のうたと暮らし 第6回

話題尽きくわえたストローから君は窓にうつった虹を吸いだす
白辺いづみ「かばん新人特集号」2010・12

 現実にストローで飲むのはアイスコーヒーやジュースなど、冷たい飲料ですが、短歌の中ならいろんなものを吸えます。空を吸う、世界そのものを吸う、ということも可能です。

ストローで吸ふ夏の空失つた感触を指す日本語がない
魚村晋太郎『銀耳』2004

ストローでまはしてごらんすきとほるソーダの中のおまへの空を
小島ゆかり『ヘブライ暦』1996

アイスティー吸ひ上げてゐるストローでわたしは世界とつながつてゐる
香川ヒサ『ファブリカ』1996

 「ストローを刺して吸う」という行為は、たとえば蟬が樹液を吸うとか蚊が人の血を吸うとか、そういうことに幽かに通じる可能性があるでしょう。

 空を吸う……、ということは、蟬や蚊のように、小さな自分が大きな世界に取り付いて青い血をもらうことでしょう。
 世界と血液のようなものを勝手に分かち合い糧とする。そういう存在の仕方を、歌に詠んで体感してみているようです。


 川柳にはこういうおもしろいのがあり、意表をつかれました。

ストローで吸い取りきれぬ津軽弁
中山恵子 第17回杉野十佐一賞 2013年01月


■氷をつつく

気づまりだったり、手持ち無沙汰だったりするとき、しばしばストローで氷をつつく。
〝ストローあるある〟ですね。

向きあうとうつむくきみはストローで氷の窪みつついてあそぶ
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

ストローで氷をつつくすでにもうすべてが語り尽くされてゐて
香川ヒサ(出典調査中)

 ストローで氷をつつく情景は、けだるい停滞感の表現になるようです。


■ぶくぶく

 もっとおもしろいのは「ぶくぶく」です。
 ストローで氷をつつくのと似て、けだるい停滞感の表現になりますが、この子供じみた行為には、それを増殖・膨張させるような効果もあると思います。

ストローでぶくぶくあそぶ幼さのまぶしくて、やい、夏雲ふっとべ
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

ストローでアイスコーヒー飲みながらため息つくとぶくぶくするよ
伊津野重美かばん新人特集号」1998・2

ストローでぶくぶくにするびん牛乳理論的には永久なのに
飯田有子(出典調査中)

この歌、「理論的には永久なのに」の意味がとりにくいが、牛乳をぶくぶくすると泡がでて膨張する。むろん牛乳の泡ぶくは〝理論的には有限〟だ。が、そこから思念が逆転するよう。
この世界というかこの宇宙という
無限永久の場における、無意味に何かがぶくぶく増殖するしょうもない現象。そのあぶくのように際限なく私達は生じ続けているーー、ということを考えそうになっていないかなあ。

 「泡」といえば、従来のイメージでは、「泡は消えやすい→はかなさやむなしさ」だったわけですが、この「ぶくぶく」の泡のむなしさはひと味もふた味も違います。
 「やめなさい」と叱られそうな子供じみたくだらないいたずらのような〝しょーもなさ〟、無意味に増殖・膨張するむなしいモンスターのような形……。
 そういう新しいニュアンスの表現になり得ます。

■液体の通過


 このほか、ストローの中を通る液体のふるまいに注目する歌群もあります。
 これも、さらに詠まれることで、どんどんイメージを獲得しそうな勢いが感じられます。

そして切り出すほかなくてストローを赤いソーダがもどっていった
加藤治郎『昏睡のパラダイス』1998

ストローをくろぐろとした液体がつぎつぎ通過する喫茶店
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005

眼鏡型渦巻きストロー駆け回るミルク 死ぬまで騙しておくれ
穂村弘『ラインマーカーズ』2003

俳句

バナナジュースゆっくりストローを来たる
池田澄子『たましいの話』2005

川柳

ストローを通る小さな自尊心
たなかまきこ 川柳ふぉーらむ「洋燈」月例句会 2005年03月

ストローの中を通ってくれと言う
徳永政二 第24回川柳Z賞 2006年08月

ストローを通らなかったり詰まったり…

俳句
ストローに吸ひつく種やソーダ水
大木あまり『火球』2001

川柳
ストローの詰りは別れだったのだ
佐藤一沙第14回杉野十佐一賞2010年01月

撫で肩の人からストローに詰める
月波与生「おかじょうき」2016年05月

■ストローのたたずまい

 ストローがグラスに立っているたたずまいを詠むこともあります。

藁婚の女男立ち去りて残りたるストロー二本ふれあひもせず
ルビ:女男【めを】
大塚寅彦『夢何有郷』2011


俳句
ストローの向き変はりたる春の風
高柳克弘『未踏』2009

川柳
ストローが二本並んでいた時間
ひとり静「川柳マガジン」2003.12読者柳壇

上記の句は
草二本だけ生えてゐる 時間 富澤赤黄男『黙示』1961
のパロディ?。
「ストロー二本」はややステレオタイプで平凡な内容の歌句が多かったが、この句はこの一捻りが効いている。

 というわけで、「ストロー」という題材の可能性の大きさに驚かされました。
 さて、今日はこんなところでしょうか。


※俳句と川柳は手持ちデータが少なかったため、現代俳句協会などのネット上の俳句データベース、および「川柳おかじょうき」のデータベースに頼りました。

2021年5月13日木曜日

ミニ48 ◯◯の数だけ

「◯◯の数だけ」というフレーズを含む短歌を探してみました。

私好みの〝理と感性の混じったおもしろい歌〟が多いようです。

ピックアップ その1

ささやかな嘘の数だけ鍵盤のすきまに世界が生まれるだろう
中島裕介「詩客」2012・11・09

人権の数だけチョコレートをあげる 君と君と君には空港をあげる
二三川練『惑星ジンタ』2018

心中にあこがれながら人の目の数だけ月があるっておもう
佐伯紺「早稲田短歌」43号 2014・3

いいことはぷちぷちつづく。かずのこのつぶの数だけ瞬くまつげ
杉山モナミ 作者ブログ「b軟骨」2012・1

土手道のすすきよすすきどこまでも僕の忘れた人の数だけ
松村正直『駅へ』2001

夏にほぼ人の数だけ声帯があって冬、その倍の耳たぶ
吉田恭大『光と私語』2019

わたくしの恥の数だけ繭にしてこの雨の樹に吊るしてほしい
辰巳泰子(出典調査中)

いかがですか?
お時間ありましたら以下もどうぞ。

ピックアップ その2

清流のようなひ孫の髪を撫で歳の数だけガムをほおばる
ナイス害 サイト「うたの日」より

この湖は星寄せの湖さくねんの死者の数だけとんぼが孵る
永井陽子(出典調査中)

確執の数だけ椅子ははこばれてくる月の出をのぞむフロアに
魚村晋太郎『銀耳』2004

雨の降り始めた街にひらきだす傘の数だけあるスピンオフ
近江瞬『飛び散れ、水たち』2020

赤とんぼ口をめがけて飛んでくる真夏についた嘘の数だけ
若草のみち 「短歌研究」2013・9(五十六回短歌研究新人賞最終選考通過作品より)

年の数だけ豆を食べなくなったので平均寿命はのびたのだろう
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005

奪ひたる土地の数だけ五芒星(ごぼうせい)並ぶ旗なり誇らかに揚ぐ
大塚寅彦「詩客」2013・02・08

桃の皮ももをつつめるやさしさの桃のかずだけあるはうれしゑ
渡辺松男『雨(ふ)る』2016

臨床は海の揺らぎと思うとき離島の数だけ問診をする
白井健康『オワーズから始まった。』2017

岩そして岩そして岩「なぜ」という言葉の数だけ続いておりぬ
俵万智『かぜのてのひら』1991

人の数だけ世界はあってわたくしの世界では人が毎日死んでる
望月裕二郎『ひらく』2009

この世には釦の数だけ穴がありなのにあしたの指がこわばる
江戸雪『空白』2020

「◯◯の数だけ」を含む歌は、本日の闇鍋データの中に47首ありましたが、そこから私の好みで選びました。

もっと「理」寄りの歌もあったし、流行歌の「涙の数だけ」をもじる歌もありました。
そのほうが好きな方もいらっしゃると思いますが、「理」あるいは元ネタに頼りすぎて、作者の手柄が少ないと感じちゃうんですよね……。

俳句・川柳

「◯◯の数だけ」は俳句、川柳でもかなり詠まれているようです。
私の好みで少しずつ選びました。

俳句


敵の数だけの野菊をもち帰る
宇多喜代子

生きものの数だけ水輪夏ゆふべ
小島由理

約束の数だけ吊るす螢籠
大西泰世

雲の峰海女の数だけ桶浮かし
中川計介 第45回関西俳句大会

晴天経済穴のかずだけ穴に蛇
田島健一『鶴』(電子書籍)H23

隠の飴の数だけ人攫い
ルビ:隠(ポケット)
木村聡雄

川柳


直さねば傷の数だけ孤立する
さざき蓬石 「月刊おかじょうき」2001・7

まな板の傷の数だけ攻めている
夏草ふぶき 「月刊おかじょうき」2016・9

涙の数だけやさしくなると人は言う
工藤比呂美 「月刊おかじょうき」2003・6

潮干狩り欲の数だけ取れる貝
小林早苗(出典調査中)

寝返りの数だけかったるい自由
泉紅実『シンデレラの斜面』2003

溜め息の数だけ今に恋してる
前輝「月刊おかじょうき」2009・11

ため息の数だけおでん種がある
渡邊こあき「月刊おかじょうき」2007・12

つぶやきの数だけ壁が厚くなる
入丸葭英「月刊おかじょうき」2014・11

今日はこんなところで。

2021年5月15日追記

■「俳句の箱庭」の透次さんより以下4句を教えていただきました。

原爆忌人の数だけ口がある
村上喜代子『間紙』2013

花冷えや僧の数だけ僧の沓
岩淵喜代子「全季俳句歳時記」(柳川彰治編著)

ほうたるの数だけ人の泣いてゐる
中村正幸「俳句」201410

人間の数だけ闇があり吹雪く
高野ムツオ「俳句」201503


■ロビン・D・ギルさんより、以下の狂歌を教えていただきました。
「の数だけ」というのは見当たらないが、似通っていると思われる歌とのこと。

我が若衆の口説くもきかじありそ海の浜の真砂の数くどく共
細川幽斎『狂歌大観』

年の豆の数のみ増えて痩せ馬を養う事もならぬ世ぞ憂き 
茂喬『近世上方狂歌叢書』

2021年5月9日日曜日

ミニ47 しりとり

「しりとり」という語を含む短歌をさがしてみました。
題材としてそそられますね。

本日の闇鍋のなかの短歌は115,232首。

うち、「しりとり」という語を含む歌は16首ありました。
表記を確認中の1首を除いてアップします。


■「ん」で終わる

「しりとり」のいちばん重要なルールは「ん」で終わる言葉を言わないこと。そのことを詠んだ歌が多いようです。

宮崎の夜道を歩くつかのまの卑弥呼・古墳で終わるしりとり
笹公人「詩客」

「おいしいものしりとりしよう」と誘ひたるに「ごはん!」と即答されて終はりぬ
田口綾子『かざぐるま』2018

なにしとん、そうなん、いくん、どうするん しりとりできぬふるさとの声
東直子「かばん」2017・7 

生態学の講義聴くたび思うこと にんげんと言えばしりとり終わる
田中章義(出典調査中)

安全と言えば即座に負けになる原発しりとり 危険でも負け
松木秀『親切な郷愁』2013

■そのほか


馬の名でしりとりをした思い出を丸くたたんで 明日「菊花賞」
田中槐『ギャザー』1998

しりとりのとぎれるところの雲の峰ゆめ忘れるなきみのヒーロー
井辻朱美『クラウド』2014

夕凪の渚でしりとり「ささ」「さかさ」「さみしさ」なんて笑いとばせよ
千葉聡『微熱体』

何なんだ 向かいあったらしりとりも出来ないくせにうたったりして
柳谷あゆみ『かばん新人特集 vol.3』

しりとりのように灯りがゆっくりと 5階を示すエレベーター・ランプ
間宮きりん「早稲田短歌」44

コイビトと子はしりとりをつむぎたりふいに窓より緑あふれて
春野りりん 『ここからが空』

しりとりをしながらしたねきみがまだ草だったころ犀を抱えて
中山俊一(出典調査中)


しりとりの次の言葉を言うように「ガムテ」「ガムテ」の声あちこちに
千葉聡『短歌は最強アイテム』2017

思い出すのに必要なことすべてしりとりに換え床に目覚める
鈴木有機「かばん」2003年2月

なぞなぞ、とあなたの声が言ってきて なぞなぞだった、しりとりじゃなくて
伊舎堂仁「詩客」2017・11・4


今日はこんなところです。

2021年5月7日金曜日

ミニ46 さいころ

ピックアップ


サイコロを作る機械を壊したらサイコロになりかけが溢れ出す
穂村弘「小説すばる」2012・1

さいころにおじさんが住み着いている 転がすたびに大声がする
笹井宏之『てんとろり』2011

ネクタイのサイコロ模様をはずませて人近づいてくるティールーム
俵万智『チョコレート革命』1997

鳥たちは遊びのやうに北を指しわれにちひさき骰子残れり
ルビ:骰子【だいす】
水原紫苑『びあんか』1989



さいころの詩歌的なイメージといえば、

双六の賽の禍福のまろぶかな
久保田万太郎

みたいな感じが順当ではないでしょうか。

短歌ではどう詠まれているのか。
やっぱ、禍福がまろんで、いっきに人生が変わるとか、運に翻弄されるとか、そういうことかしら?

というわけで、「さいころ」を詠み込んだ短歌を探してみました。
自分の予見を超える歌に好感を抱くのが私の性分。
上にピックアップしたのはそういう歌です。

ただし、私の予見に当てはまったかどうかなんて、良し悪しとぜんぜん関係ないです。

以下の歌もご紹介します。

「さいころ」という題材は、ドラマっぽい緊張感+理屈っぽい文脈を誘発する傾向があるのかな?


賽に出た「自由」を握り締め爺が見送るフェリー仙台ゆき
蔦きうい「レ・パピエ・シアン」75号 2005.4

賽の目の3の向かうに4のありて神の遊びに転がるまでよ
ルビ:3(産) 4(死)  遊(すさ)
伊波虎英 「短歌人」2016年3月号

骰子ヲフツテ出タ目ノ十倍ガアナタノ不快度数ニナリマス
西田政史 『ストロベリー・カレンダー』

骰子を振ればころりと転がって賽の河原の石ころである
ルビ:骰子(さいころ)
石田比呂志 『邯鄲線』2010

自らを骰子として一擲す 目をイカサマなくらいに開けて
中島裕介『Starving Stargazer』2008

サイコロを振ればねっとり落ちてくるゾンビの番は毎回ウケる
ナイス害 サイト「うたの日」より

思い出すために振ってるサイコロの1の目、そんな国もあったね
工藤吉生 作者ブログより

サイコロを振るのは神で在ることを与へられつつ在るこの世界
香川ヒサ『ヤマト・アライバル』2015


このほか、俳句・川柳も少しあげておきます。

俳句

美しきサイコロほどの火事ひとつ
佐々木秀昭 『隕石抄』2008

骰子の一の目赤し春の山
波多野爽波 『骰子』


サイコロの目の出る方に雪ばんば
柿本多映 web「週刊俳句」2013/12/15

川柳

言い出せずサイコロ一つが病んでいる
山田楓子 月刊「おかじょうき」2006・04

右側通行 サイコロを売る店が並び
中村冨二『千句集』

月光や いかさま賽は亡母に返す
定金冬二『無双』

サイコロが止まってぐらり動く水
藤田めぐみ 「おかじょうき」2013・10

さいころの6がでるまで金曜日
樋口由紀子『めるくまーる』2018

四進む誰かが賽を振ったので
鳴海哲子「おかじょうき」2001・02


なお偶然見つけましたが、こういう詩もありました。

十年      安西冬衛 『軍艦茉莉』

十年。白い陶器製の骰子に似た世界。不潔よりも不潔な清浄。










2021年5月3日月曜日

ミニ45 のっぺらぼう

「のっぺらぼう」という語を含む短歌を集めてピックアップしました。


俳句川柳も探してみたところ、俳句は極端に少なく、川柳はわりにたくさんあるようでした。

2021年5月8日追記

俳句では少ない、と思っていましたが、「俳句季語一覧ナビ」というサイトで「のっぺらぼうを使用した俳句」というふうにまとめられているのを発見。あるところにはあるもんですね。

●短歌


魚たちの喜怒哀楽を思ひつつのつぺらぼうの蒲鉾を食む
ルビ:食(は)
小川真理子『母音梯形』2002

一心に釘打つ吾を後より見るなかれ背は暗きのつぺらぼう
富小路禎子『白暁』1970

雨雲の下でのっぺらぼうは待つ 泣きかたはみなそれぞれちがう
平川哲生(出典調査中)

母の老いわれは知らざり娘の老いを母は見るなし互みのつぺら
百々登美子 『風鐸』2005

ヒトラーの頭骨の穴想うとき十勝の空ののっぺらぼうめ
松木秀『5メートルほどの果てしなさ』2005

改まつていはれるとどうなんですかのつぺらぼうとちがひますか
平井弘『遣らず』2021


●俳句


福笑のつぺらぼうにして畳む
西原天気『けむり』2011


憤怒り
怒る

全身舌ののつぺらぼう
高原耕治(出典調査中)

★2021年5月4日追加

逝く春ののつぺらぼうの顔見たり  河原枇杷男
俳句の箱庭・透次さんより教えていただきました。)


●川柳


触れてみたアナタの右脳のっぺらぼう
夏井せいじ「月刊おかじょうき」2017年12月

みぞれふるのっぺらぼうのうらにふる
三浦蒼鬼「月刊おかじょうき」2017年04月

のっぺらぼうにマスクをしてはいけません
むさし「月刊おかじょうき」2016年03月

表札がのっぺらぼうになっていた
三浦昌子「月刊おかじょうき」2012年04月


おまけ:福笑


上記の俳句の中に「福笑」という言葉がありますが、のっぺらぼうに関係があるので、これも探してみました。

短歌・俳句ではうんと少なくて以下の2首1句だけしか見つかりませんでした。


福笑いのからだ今ごろ痛んでるのではないかな さくらは生きて
杉山モナミ「かばん」2016・4

福笑い君が笑った円盤の大きな銀に乗りにけるかも
三好のぶ子「かばん」1998年1月


福笑鉄橋斜め前方に
波多野爽波 『骰子』1986



川柳は以下2句をピックアップしておきますが、かなり詠まれているようです。


真面目な顔ができてしまった福笑い
北野岸柳「月刊おかじょうき」2006年01月

父という優しいだけの福笑い
斎藤茂生「月刊おかじょうき」2005年06月

2021年5月1日土曜日

ミニ44 セロテープなど

「テープ」といったら、何を思い浮かべるでしょう。


1 粘着テープ類(セロハンテープ・ガムテープなど)
2 紙テープ(船出、ゴール、誕生会の装飾など)
3 録音・録画用テープ 今はほとんど使われず、別のメディアにかわっている。

そのほかにもあるでしょうが、今日は、上記のなかで一番身近な粘着系テープを詠む歌を集めてみました。

■セロハンテープ

まずはセロテープ。
そう多く詠まれているわけではないけれども、いろいろな特徴が捉えられています。

あめいろの空をはがれてゆく雲にかすかに匂うセロファンテープ
笹井宏之『てんとろり』2011

はみだせるセロハンテープの裏がはに濁つた指紋の白さが残る
大西久美子『イーハトーブの数式』2015

すごく言いたかったんだね透明なテープの端を見つけたみたい
山階基『風にあたる』2019

民衆は感謝をしない すり切れた地図はテープの光がつなぐ
千種創一『砂丘律』2015

ゆっくりとうすく光を引き伸ばし銀のひかりで切るセロテープ
鳥居『キリンの子』2016

取りこんだ布団の上であすの皮膚みたいなセロハンテープを剥がす
藤本玲未『オーロラのお針子』2014

セロテープ引きだし続けているような雨音 渋谷は空に傾く
千葉聡(出典調査中)

セロテープを引いては切っての音がする仕切りの向こう昼からずっと
相原かろ『浜竹』2019

セロテープカッター付きのやつを買う 生きてることで盛り上がりたい
永井祐『広い世界と2や8や7』2020

いつまでを友だったのかセロテープ透ける向こうが学生時代
小島なお『展開図』2020

セロテープで直した眼鏡を掛け続けクラスメートを愛するタイプ
穂村弘『ラインマーカーズ』2003


■ガムテープ


ガムテープを詠む歌はまだ少ないようです。

(上)と(下)のこくごの本を(下)に入る日ガムテープで一冊にした
伊舎堂仁『トントングラム』2014

ガムテープひときれ壁に残る夜を印刷室に淡き光源
田中濯『氷』2014
 
ガムテープ四本、養生テープ五本、ただ一日で使い切るなり
千葉聡『海、悲歌、夏の雫など』2015

■その他の粘着系テープ


記憶をむすぶ場所には白いTの字のテープが貼られここからは水
東直子「かばん」2001・12

メンディングテープで掲示してあった無知を回収して参ります
柴田瞳(出典調査中)

一切のかざおとの止む場所へきてまぶたの裂け目に貼るキズテープ
狩野悠佳子「早稲田短歌」43号 2014/3 


上達しないいくつかのこと真っ直ぐにタトルテープを貼りつけるとか
法橋ひらく 『それはとても速くて永い』2015
※タトルテープ=信号を記録した磁気テープ。たとえば図書館の蔵書に貼り、感知マーカーで未手続き持出しを防止する

まなぶたを白きテープで留められし人のからだに影おとす人
木村友「かばん」2018/6

※死化粧で、ひらいてしまっている目を閉じさせるためにテープでとめることがあるというが、そういう処理をされている遺体だろうか。


このように、セロテープ等はけっこう詠まれている。
がまだまだ〝詠みしろ〟があるように思える。

なお、短歌では上記のようにときどき見かける題材で、川柳でも見かけるのだが、俳句ではなぜなのか不思議なほど詠まれていない。

※セロテープ・セロハンテープは、私の俳句データベース(約32000句)のなかに1句もなく、現代俳句協会のデータベース(収録句数不明)にもたった1句しかなかった。